いきなり有能になった俺の主人は、人生を何度も繰り返しているらしい

一花みえる

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3章

3-2

 それから三日、最低限の休憩を挟んでポルテベラに到着した。ポルテベラは港町であり、貿易で栄えている街だ。

ベルリアンと違い漁業も盛んで、魚介料理が有名だ。最後の峠を越えて海が見えた時、その広さと青さに感動したことを思い出す。そういえば生まれてずっとベルリアンを出たことがなかった俺たちは初めて海を見たのだ。

 書物でしか知らなかったものを実際に見ると、こんなにも胸が高まるのかと感慨深くなった。しかしそんな俺たちをよそに、ノア様はさっそく宿を探すように言った。本当に時間が足りないのだろう。とりあえず三日三晩走らせてきた馬たちを休ませ、俺たちも汚れを落とすことにした。

 この後、すぐにポルテベラの領主と面会をする。埃と土まみれのまま会うのは流石に憚られる。

「よかったですね、すぐに泊まれる宿屋が見つかって」
「そうだね。三部屋しか空いてなかったから僕以外は相部屋になっちゃったけど」
「だとしてもゆっくり横になって眠れるだけで十分です。領主のところに向かうのはいつにしますか?」

 流石に今日は一日休んで、明日にでも行けばいいかと考えていた。しかしノア様は「二時間後」と言い始める。何か焦っているかのような口調に、俺は疑問を抱いた。そして伯爵様から言われた言葉を思い出す。

 あの時、俺は伯爵様に呼ばれて耳打ちをされた。ノア様は外に出ていて、ドアも閉まっていたから普通に話しても聞かれることはないはずなのに。念には念を入れたのか、伯爵様は俺にしか聞こえない小さな声で俺に命を与えた。

『ノアが本当に信じるに足る人間か。ノアに気づかれないよう、お前が見張っていてくれ』

 つまり密命だ。伯爵様はまだノア様を信じていない。これまでのことは全て偶然で、もしかしたらノア様が全て裏で手を引いている可能性がある。だとしたら全て辻褄が合うし、ここまで的確な情報を出せていることも納得できる。

 だから、もしノア様が本当にこの先のことを知っていて、ベルリアンのために動いているかどうか。それを見極めてこいと俺に命じたのだ。もっとも近くにいる俺に。ノア様を見張れと言われたのだ。俺が伯爵様に「ノア様は信じるに値する人です」と言えば済む話だった。しかし、実際に俺はまだノア様のことを心から信じきれていない。まだ心のどこかに疑う気持ちが残っている。

 この遠征は俺にとっても重要な旅になるだろう。

 そう思って黙々とノア様の支度を始める。面会用に持ってきた上質なジャケットとシャツを着せて、なるべく良い印象を与えるために明るい色のタイを選んだ。軽く沐浴をした後だから汚れは落ちているが、疲れまでは取りきれなかったようだ。表情からは疲れが滲んで見えたが、それでも面会を早くしようとする姿は自分よりもベルリアンを優先しているという印象を受けた。

 これも全てノア様の策略だとしたら。俺は伯爵様にノア様のことを報告しなければならない。でもその一方で、そんなことしたくないという気持ちもある。俺は、心のどこかでノア様のことを信じたいと願っているのだ。ノア様のしていること、言っていることは全て心からベルリアンのためを思ってのことだと、俺は信じたいのだ。

 しかし上司である伯爵様の命令に逆らうこともできない。自分の気持ちと立場に板挟み状態だった。

「領主のところへは僕とジョシュアだけで行こう」
「よろしいのですか?」
「みんな疲れているだろうしね。それに彼らにはこの後してもらうことがあるんだ」

 どうやらノア様にはこの先何が起きるか見えているようだ。俺にはよくわからないが、ここで反論する理由もない。それに、伯爵様からの密命をこなすためには周りに人が少ない方が都合もいい。

 慣れない長旅にぐったりしていたレオたちに声をかけて、さっそく俺とノア様は領主の待つ屋敷へと向かった。事前に手紙は送っていたから事情はわかっているはずだ。しかし、だからと言ってすんなり事が進むとも思えない。

 今まで何百年も各都市は不干渉条約を結んでいた。これは王都からの勅令であり、結束して反旗を翻すことのないようにという意図で出されていた。それを破ったのは間違いなく王都の方であり、今更その勅令を素直に守り続ける義理はない。

 これがノア様の言い分だった。確かに筋は通っている。だが、人の気持ちというのはそう簡単に動かない。長い間守ってきた命令を本当に破っていいのか。その疑いは間違いなく生まれるだろう。それに対してノア様はどうやって反論するのだろうか。

 伯爵様の密命のことは忘れていないが、純粋に楽しみにしている自分がいた。今までとは違い、自分の足で立ち、自分の意見を堂々と伝えるノア様が眩しく思えていたのだ。まるで理想とも言える主人の姿に酔いしれている自分がいた。

「参りましょう、ノア様」
「うん。よろしくね、ジョシュア」

 宿屋を後にして領主の屋敷へと向かう。湿度を纏った潮風が心地よく吹いていた。ベルリアンとは違う風の香りに、どこか胸が躍るような気がした。

 ポルテベラの道はベルリアンと違い石畳で舗装されていた。革靴で歩くとコツコツ小気味よい音がする。これだと馬は走りにくそうだと思っていると、なるほど荷物は全て車輪のついた台車で運んでいるらしい。台車を運ぶ馬たちはのんびりとした足取りで闊歩していた。

 山や畑が広がっているベルリアンとは全く違う風景だ。

「これが観光だったらよかったのにね」
「そんな時間はありませんよ」
「僕じゃなくて、ジョシュアがだよ。興味深そうに周りを見ている」
「そんなことは……少しだけ、ありますけど」

 ううん、やはりバレてしまったか。初めて来た場所に好奇心がくすぐられるのは仕方がないことだと思う。ノア様も同じはずなのに全くよそ見もせず、まっすぐと歩いていた。俺だけがはしゃいでいるみたいでなんだか恥ずかしい。

 先日からどうも調子が狂っている気がした。この三日間はずっと馬を走らせることしか考えていなかったからよかったけれど、こうして少し落ち着くともうだめだ。やっぱりあのことを思い出して動悸が激しくなる。流石に今回の宿はレオと同室だし、いくら部屋が違うといっても壁は薄そうだったからあんなことはしないだろう。

 って、どうして俺は次があるかも、なんて考えているんだ!

 あれきりのはずだと何度も言い聞かせているだろう!

「そうだ、ジョシュア」
「な、なんですか?」
「ちょっとごめんね」
「はぇ!?」

 徐に、ノア様は俺のシャツに手を伸ばしてきた。そして躊躇いもなくシャツの襟元をくつろげてきた。突然のことに変な声が出た。本当なら避けられたはずなのに、またしても懐に入られてしまった。しかもネクタイを緩められ、シャツのボタンまで外されている。

 なんという早技だ。

「うーん……まあこんなものか」
「な、なに、何がですか!?」
「いや。こっちの話。じゃあ行こうか」
「はぁ!? ちょ、待ってください! ノア様!」

 勝手に服を脱がせておいてどうしてそう平然と出発しようとするんだ。せめてここが部屋だったらよかった。いや、よくはないが。決してよくはないけれど! 少なくとも街のど真ん中でされるようなことではない。

 ああもう、ずっとノア様に振り回されてばかりだ。

 仕方なく歩きながらネクタイを整え、急いでノア様を追いかける。とにかく今はこの案件をうまく片付けるしかない。自分のことはその次だ。混乱する頭を必死に整理させながら石畳を歩き続けた。
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