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4章
4-5
いくら悩んでいても現実は迫ってくる。翌朝、日が昇る前に王都へ向けて進軍を始めた。馬を走らせるにつれて空気が重たくなっていくのを感じる。嫌な静けさだ。木々がよそぐ音しか聞こえてこない。恐ろしいほど、静かだった。
「人がいませんね」
「籠城しているんだろう。僕たちが国王に弓を引けないだろうと思って、防御に徹しているんだ」
隣を走るノア様はいつも通りの横顔に見えた。昨夜のことなんて何もなかったかのように、ただ前だけを見ている。思考を切り替えないといけないのは分かっている。けれど、どうしても肌に落ちてきた熱い飛沫を忘れることができない。切なげな声が耳から離れない。
何度も深呼吸をして、無理やり思考を戦闘へと切り替えていく。ノア様の意図はわからない。でも、無意味なことはしていないはずだ。だったらあの行為にどんな意味があるというんだろう。それに、どんな顔をして俺に跨っているのか、どんな声が溢れてくるのか、どんな風に乱れるのか。
もっと知りたい。ノア様のことをもっと知りたくて、触れたくて、たまらない。
(ああ、くそ……っ、頭から離れてくれない)
この戦いが終わったら問いただしてみようと思い、手綱を強く握りしめた。
それから三時間ほど馬を走らせ、ついに王都に辿り着いた。王都サンレコリナにはノア様の付き添いとして過去何度か訪れたことがある。その時は美しく整備された道に驚き、汚れひとつない乳白色の建物に目を瞬かせたものだ。王城を中心として円形に広がるサンレコリナは、国の中でも選ばれた人間しか踏み入ることができない場所とされていた。また、武器を所持することも禁止されていた。国王への絶対的な忠誠心を示すため、同行する騎士も一人という厳しい制限もあった。
それほどまでにサンレコリナは厳しく統制されており、同時に国王こそが絶対唯一の権威であると視覚的にも知らしめるために美しく整備されていた。
しかし、目の前に広がっていたのはあまりにも荒れ果てた姿だった。
「すごい死臭だ……ジョシュア、兵士たちに鼻を覆うように伝えて」
「イエス・マイロード」
塵ひとつ落ちていなかった道には、かつて人間だったはずのものが骨と皮だけになって転がっていた。身につけているものは修道服だ。落ち窪んだ目は見開かれ、光を失ったまま空を見上げていた。亡くなってそこまで時間は経っていないはずなのに、どうしてここまで損傷が大きいのだろう。
それに、額にある真っ黒な痣に見覚えがある。この百合を模した痣は、俺の左胸にあるものと同じだ。しかし俺と違うのは百合の周りに多くの蔦が広がっていることだ。顔だけではなく首や指先にまで広がっていることがわかる。おそらく服に隠れているところにも蔦は伸びているんだろう。
「なんてことを……」
光魔法は、神に与えられたギフトだと言われていた。だから、俺の体に百合の痣が出た時も周りから喜ばれた。だが、これはなんだ。命を吸い尽くされ、ボロボロになって捨てられている。
これじゃあ、ただの呪いではないか。俺もいつかあんな風になってしまうのだろうか。最近は光魔法を使っていないとはいえ、同じ痣が体にあるのだ。いつか気づかないうちに命を吸われて、干からびてしまうのだろうか。
そう思うと、背中に冷たいものが落ちてくる。腹の底がひんやりとして、体がブルリと震えた。
「大丈夫だよ、ジョシュア」
「え?」
俺の思考に気付いたのか、ノア様が小さく俺に向けて呟いた。
「僕が君を守る。だから、大丈夫」
「ノア様……?」
「行こう。城内を制圧すれば僕たちの勝ちだ」
なぜだろう。不意に、突然、ノア様がどこか遠くにいるような気持ちになった。手を伸ばせば届くはずなのに。肩と肩が触れ合う距離にいるのに。ノア様だけがこの世界から切り離されて、違う場所にいるみたいに感じた。
だからだろう。思わず俺はノア様の腕に手を伸ばしていた。
「ジョシュア?」
「あ、いや……申し訳ありません」
掴んだ腕は当然だが鎧に包まれていて、温もりは感じられない。肌に触れることもできないし、金属がぶつかる嫌な音しか響いてこない。それでも、ノア様はちゃんとここにいると感じることが出来た。驚いたように見開かれた緑色の瞳も、少し乾燥している乳白色の頬も、緩く癖のついたブロンドも髪も。
ちゃんと、ノア様はここにいる。
それを感じられただけで俺は胸に詰まっていた重たい何かが消えていくように感じた。
そんな俺をそのままに、ノア様はヘンリー伯爵の方に向いて指示を出した。
「父上、ここから作戦を変えます。メリッサ嬢率いる飛龍隊は、ハンス伯爵の火器を使って上空から攻撃をしてください。ハンス伯爵は逃げようとする修道士の捕獲、そして我らベルリアン兵は混乱に乗じて城内に攻め込みます」
「分かった。そのあとはどうする」
「おそらく、強力な光魔法を使う国王と相手が出来るのは同じく光魔法を使える人間だけです。この中で光魔法を使えるのは……」
ノア様は、言葉を続けることをせず、ぐっと息を飲んだ。彼の言いたいことはすぐに分かった。今、光魔法を使えるのは俺、ノア様、そしてヘンリー伯爵の三人だけだ。立場的には伯爵様が行くべきだろう。しかし、身を切る思いで長く築いてきた信仰と忠誠を捨てた伯爵が、国王に手を下すのはあまりに酷だ。
ノア様の躊躇に気付いたのか、伯爵様は深くため息を吐き、それからノア様と俺に視線を向けた。
「ベルリアン領主として、ノア・セシル・キャンベル子爵とその騎士ジョシュア・サミュエルに命じる。国王の元に向かい、事態の元凶を排除せよ」
「イエス・マイロード」
ノア様が頭を下げた隣で、俺も同じように膝を折る。頭上から小さなく「すまない」という、伯爵様の小さな声が落ちてきた。
「人がいませんね」
「籠城しているんだろう。僕たちが国王に弓を引けないだろうと思って、防御に徹しているんだ」
隣を走るノア様はいつも通りの横顔に見えた。昨夜のことなんて何もなかったかのように、ただ前だけを見ている。思考を切り替えないといけないのは分かっている。けれど、どうしても肌に落ちてきた熱い飛沫を忘れることができない。切なげな声が耳から離れない。
何度も深呼吸をして、無理やり思考を戦闘へと切り替えていく。ノア様の意図はわからない。でも、無意味なことはしていないはずだ。だったらあの行為にどんな意味があるというんだろう。それに、どんな顔をして俺に跨っているのか、どんな声が溢れてくるのか、どんな風に乱れるのか。
もっと知りたい。ノア様のことをもっと知りたくて、触れたくて、たまらない。
(ああ、くそ……っ、頭から離れてくれない)
この戦いが終わったら問いただしてみようと思い、手綱を強く握りしめた。
それから三時間ほど馬を走らせ、ついに王都に辿り着いた。王都サンレコリナにはノア様の付き添いとして過去何度か訪れたことがある。その時は美しく整備された道に驚き、汚れひとつない乳白色の建物に目を瞬かせたものだ。王城を中心として円形に広がるサンレコリナは、国の中でも選ばれた人間しか踏み入ることができない場所とされていた。また、武器を所持することも禁止されていた。国王への絶対的な忠誠心を示すため、同行する騎士も一人という厳しい制限もあった。
それほどまでにサンレコリナは厳しく統制されており、同時に国王こそが絶対唯一の権威であると視覚的にも知らしめるために美しく整備されていた。
しかし、目の前に広がっていたのはあまりにも荒れ果てた姿だった。
「すごい死臭だ……ジョシュア、兵士たちに鼻を覆うように伝えて」
「イエス・マイロード」
塵ひとつ落ちていなかった道には、かつて人間だったはずのものが骨と皮だけになって転がっていた。身につけているものは修道服だ。落ち窪んだ目は見開かれ、光を失ったまま空を見上げていた。亡くなってそこまで時間は経っていないはずなのに、どうしてここまで損傷が大きいのだろう。
それに、額にある真っ黒な痣に見覚えがある。この百合を模した痣は、俺の左胸にあるものと同じだ。しかし俺と違うのは百合の周りに多くの蔦が広がっていることだ。顔だけではなく首や指先にまで広がっていることがわかる。おそらく服に隠れているところにも蔦は伸びているんだろう。
「なんてことを……」
光魔法は、神に与えられたギフトだと言われていた。だから、俺の体に百合の痣が出た時も周りから喜ばれた。だが、これはなんだ。命を吸い尽くされ、ボロボロになって捨てられている。
これじゃあ、ただの呪いではないか。俺もいつかあんな風になってしまうのだろうか。最近は光魔法を使っていないとはいえ、同じ痣が体にあるのだ。いつか気づかないうちに命を吸われて、干からびてしまうのだろうか。
そう思うと、背中に冷たいものが落ちてくる。腹の底がひんやりとして、体がブルリと震えた。
「大丈夫だよ、ジョシュア」
「え?」
俺の思考に気付いたのか、ノア様が小さく俺に向けて呟いた。
「僕が君を守る。だから、大丈夫」
「ノア様……?」
「行こう。城内を制圧すれば僕たちの勝ちだ」
なぜだろう。不意に、突然、ノア様がどこか遠くにいるような気持ちになった。手を伸ばせば届くはずなのに。肩と肩が触れ合う距離にいるのに。ノア様だけがこの世界から切り離されて、違う場所にいるみたいに感じた。
だからだろう。思わず俺はノア様の腕に手を伸ばしていた。
「ジョシュア?」
「あ、いや……申し訳ありません」
掴んだ腕は当然だが鎧に包まれていて、温もりは感じられない。肌に触れることもできないし、金属がぶつかる嫌な音しか響いてこない。それでも、ノア様はちゃんとここにいると感じることが出来た。驚いたように見開かれた緑色の瞳も、少し乾燥している乳白色の頬も、緩く癖のついたブロンドも髪も。
ちゃんと、ノア様はここにいる。
それを感じられただけで俺は胸に詰まっていた重たい何かが消えていくように感じた。
そんな俺をそのままに、ノア様はヘンリー伯爵の方に向いて指示を出した。
「父上、ここから作戦を変えます。メリッサ嬢率いる飛龍隊は、ハンス伯爵の火器を使って上空から攻撃をしてください。ハンス伯爵は逃げようとする修道士の捕獲、そして我らベルリアン兵は混乱に乗じて城内に攻め込みます」
「分かった。そのあとはどうする」
「おそらく、強力な光魔法を使う国王と相手が出来るのは同じく光魔法を使える人間だけです。この中で光魔法を使えるのは……」
ノア様は、言葉を続けることをせず、ぐっと息を飲んだ。彼の言いたいことはすぐに分かった。今、光魔法を使えるのは俺、ノア様、そしてヘンリー伯爵の三人だけだ。立場的には伯爵様が行くべきだろう。しかし、身を切る思いで長く築いてきた信仰と忠誠を捨てた伯爵が、国王に手を下すのはあまりに酷だ。
ノア様の躊躇に気付いたのか、伯爵様は深くため息を吐き、それからノア様と俺に視線を向けた。
「ベルリアン領主として、ノア・セシル・キャンベル子爵とその騎士ジョシュア・サミュエルに命じる。国王の元に向かい、事態の元凶を排除せよ」
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