いきなり有能になった俺の主人は、人生を何度も繰り返しているらしい

一花みえる

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4章

4-8

「ノア様」
「ジョシュア」
 ノア様の隣に立ち、肩に手を乗せる。俺が信じるべき存在は、ただ一つしかないのだ。
「俺はあなたを、信じています」
「……ありがとう、ジョシュア」
 どこか安心したかのように息を吐いたノア様は、徐に左手のシグネットリングを外した。そして俺に手渡してくる。まだ体温の残る黄金はうっすらと傷がついていて、長くこの主人と共にあったことを教えてくれた。
 しかし、いったいどうしてこんなことをしてきたんだろう。
「ノア様?」
「あとは任せたよ、ジョシュア」
「は? え、ノア様!?」
 そう言い残したかと思うと、ノア様は躊躇うことなく神へと近づいていく。そして腰に差していた刀を抜いたかと思うと、どういうことか、自分の親指に当てて小さな傷をつけた。真っ赤な血が大理石の床に滴り落ちる。
 その色に誘われたのか、神の気配がブルリと震えた。
「小鳥よ。何を考えている」
「生きること、ですよ」
「笑止……私に飲まれることを光栄と思え」
 その言葉と同時に、国王の体からずるりと黒いモヤが湧き上がってきた。それは次第に形となり、百合の形になる。それは俺の胸にあった痣と同じ形だ。そのまま大きくなり、あっという間にノア様を包み込むほどになった。
 本能的に、これは危ないと感じる。しかし足が動かなかった。
 走り出したいのに足が震える。怖いのだ。目の前にある、得体の知れないものが。生唾が込み上げる。冷たい汗が手のひらに滲み、背筋がブルリと震えた。
「う、あ、ああ」
「ノア様……!?」
 苦しげに響いてきたノア様の声に、突然金縛りが解けたかのように体が動き始めた。急いで駆け寄るが、どう考えても間に合わない。くそ、信じるって言ったのに。何があっても、隣にいると誓ったのに。
これじゃあ俺は、ノア様を守ることさえできない。
精一杯手を伸ばした右手が、あと少しのところで届かず、そのまま空を切る。
 真っ黒な百合はそのままノア様を包み込み。
「ノア様ぁ!」
 弾けるように、ノア様の体に吸い込まれていった。
「あ、ああ」
「ノア様、どうして!」
「あ、じょ、しゅあ」
 体に触れようとしたが、近づくだけで激しい衝撃が襲ってくる。ノア様の目は金色に染まり、焦点は合わず、先ほどの国王と同じように関節がおかしな方向に向いている。これは、まさか。
 まさか。
「なじ、む……馴染む、な、ことり、よ」
「そんな……」
 聞こえてきたのは、ノア様の声だ。しかしこれはノア様ではない。
 ノア様は、神に乗っ取られてしまった。
「ノア様! くそっ……、ノア!」
 どうやっても触れられないとわかっているのに、どうしても諦めきれず何度も手を伸ばす。その度に体に痛みが走り、ひどい衝撃を受けた。
「あた、ら、しき……せかいを、つく、る」
「ふざけるな! 何が世界だ、何が幸福だ! ただ騙しているだけだろう!」
 喉が枯れるほど声を荒げてもノアはこちらを見ようとしない。ただ遠くの方を見て、恍惚な表情をしているだけだ。ついさっきまで隣にいたはずなのに。あと少しが、悲しいほどに遠い。
 ふらふらした足取りでノアは歩き始め、玉座の後にあったステンドグラスに近づいていく。そのまま勢いよくガラスにぶつかり、大きな音と一緒に空へ身を投げ出した。あまりに衝撃的な光景に息が詰まる。しかし、ノアは地面に叩きつけられることなくふわりと宙を浮いていた。
 人が空を飛ぶなんて。
 それこそ、神業としか言いようがない。
 一瞬、ノアと視線が絡まる。金色に染まっていたはずの瞳がわずかだけど緑色に変わったように見えた。
「ノア……?」
「ジョシュ、ア」
 小さく呟かれた声はほとんど消えかけていたが、確かに俺の耳に届いていた。
「たす、けて」
「……っ!?」
 助けて。
 確かにノアはそう言った。今まで自分一人で物事に立ち向かっていたノアが、初めて俺に助けを求めてきた。
 その事実に胸がじんわりと締め付けられる。
 時間にしてはほんの一瞬だ。しかし、俺にとっては永遠にも感じるほど心が揺さぶられる瞬間だった。
「おろかな、人の子よ……悔いるがいい」
「っ、待て!」
 再び瞳の色が金色に変わり、ノアは宙に浮いたまま遠ざかっていく。何度もノアの名前を呼んでも戻ってくることはなく、最後に残されたのは抜け殻となった国王と、主人を無くした俺だけだった。
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