雨音の記憶、君の影

金森しのぶ

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第13話 迫る闇

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合唱コンクールは大成功だった。
咲良のピアノと、みんなの歌声が響き合い、最後の音が教室の空気に溶けていったとき、自然と大きな拍手が起きた。
咲良はほとんど何も見えなかったけれど、拍手の音と、みんなの熱気で、そこが温かな光に満たされている気がした。

奏人は客席の最前列で、何度も「さくら」と声に出してくれた。
それが心の支えになり、演奏中の緊張もどこかへ消えていった。



コンクールが終わった翌日、咲良は朝から違和感を覚えていた。
目の前の明るさも、影も、ほとんど感じない。
まるで世界がすべて、灰色の霧で覆われたみたいだ。

母親の声や足音、食卓のカチャカチャという音だけが、朝を知らせてくれる。
咲良はテーブルの端を手探りしながら、「おはよう」と小さな声で言った。

「おはよう、咲良。今日も学校、行けそう?」

母親がそっと咲良の肩を抱く。
咲良は大きく息を吸い込んで、うなずいた。

「行く。だって、みんなが待ってるから」



学校までの道のりは、これまで以上に不安が多かった。
母親と手をつないで校門をくぐると、奏人と健太が出迎えてくれる。

「おはよう!」
健太が明るく声をかけ、奏人も手話で「おはよう」と伝える。
咲良は両手を伸ばし、奏人の手を探す。奏人はすぐにその手を握り、ゆっくりと教室まで誘導した。

教室の雰囲気も少しずつ変わってきた。
誰もが咲良のために「できること」を考え、席を整えたり、授業中もさりげなく手助けをしたりする。
「大丈夫?」と声をかける友達もいれば、そっとそばにいてくれるだけの子もいる。

以前の咲良なら「迷惑をかけたくない」と思ったかもしれない。
でも今は、みんなの気持ちが、どんな光よりも温かく胸に届く。



昼休み、教室の片隅で、咲良は静かに指を動かしていた。
点字の本を指でなぞりながら、耳を澄ませて周囲の声や音に意識を集中する。
ふと奏人がそばに来て、そっと手を重ねてくれる。

「……もう、全然見えないの」

咲良が小さく呟くと、奏人はゆっくり手話で「こわい?」と訊く。
咲良はしばらく黙ったあと、頷いた。

「でも、みんながいるから、何とかなる気がするよ」

奏人は、そっと「だいじょうぶ」と指で書いて、咲良の手のひらに伝えた。
その温もりに、咲良の心のなかの不安が少しずつ溶けていく。



その日の放課後、健太が咲良を誘って「屋上に行こう」と言った。
健太と奏人が両側から手を取ってくれ、咲良は初めて、目を閉じて階段をゆっくり登ってみた。

屋上に出ると、冬の空気がひんやりと肌を撫でた。
風の音、遠くの電車の走る音、誰かの笑い声、全てが新鮮に感じられる。

「ここからだと、町が全部見渡せるんだぜ!……あ、ごめん。でも風、気持ちいいよな!」

健太がバツの悪そうに言うと、咲良はふふっと笑った。

「うん、すごく気持ちいい。——見えなくても、分かるよ」

三人で並んで、しばらく無言で風を感じていた。
奏人は、咲良の手をずっと握りしめていた。



家に帰ると、母親が点字の手紙を用意してくれていた。
「咲良、これ、ピアノの先生からだよ」

咲良は指で点字をなぞりながら、先生からの温かい言葉を受け取る。

「たとえ見えなくても、音楽は心の中で生きているよ。これからもあなたの音を大切に」

咲良は目を閉じて、そのメッセージをじっくりと心の奥に刻んだ。

「……怖いけど、大丈夫。私の世界は、まだ終わってない」



日曜日の午後、公園の東屋で。
雨が降るなか、奏人と咲良がベンチに並んで座っている。

「……もう本当に、なにも見えなくなったよ」

咲良が静かに言うと、奏人はノートに大きく「ここにいる」と書き、咲良の手を握った。

「怖いよ。でも……奏人君がいるから、私は歩いていける」

奏人は、震える自分の声で、ゆっくり「だいじょうぶ」と言った。

咲良は涙をこぼしながら、微笑んだ。

——すべての光が消えた世界にも、心の中には“ぬくもり”が残っている。

自分の人生は、まだこれからだ。
怖いこともあるけど、一人じゃない。
そんな確かな絆が、咲良の胸に優しく灯っていた。

——どんな闇でも、寄り添う手と、声と、音があれば、前を向ける。



次の日、教室ではいつも通りの朝が始まる。
見えなくなっても、咲良の居場所は、あの日のまま変わらずここにあった。

——世界は静かに闇に包まれていく。
——でも、心の中には確かな光が、ずっと消えずに残っている。
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