きみよ奇跡の意味を知れ 【本編完結・番外プチ連載5/14完結】

桜以和果

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5 煽り煽られ意思決定

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 その態度に、リィはますます怒りを増す。
 再び、腰の鞭に手を伸ばしかけた寸前。

「だがうかうかしてると森にいる奴らに援軍が到着するぞ。それまで待ってやるか? 俺はそれでも構わないが」

 相手が多くなるのは大歓迎だしな、とルーランは口の端を上げたまま言う。
 
(援軍? 森に?)

 だがそれを聞いたリィは、思わず手を止める。
 目を瞬かせたリィに、ルーランは頷いた。
 再び、川向こうに向けて顎をしゃくる。

「蹴散らしがいのある数の人馬がそろそろ到着しそうだ」
「そ……」

 リィは一言上げると、慌てて遠眼鏡越しにもう一度目を凝らす。じっくりと。けれどなにも変化はない。
 森のどこにも明かりはないし、何かが近づいてくるような様子もない。
 やがてリィは、唇を噛んでルーランに振り返ると、キッと睨んだ。
 いい加減なことを言うな——と言いかけた直前だった。

「聞こえる」
 
 ルーランは言った。

「俺にも見えない。だが聞こえる。信用しろ」
「!」

 リィは息を呑んだ。
 騏驥の耳——。それは確かに特殊な能力を持っていた。

 馬の特性をそのまま引き継ぐ騏驥は、だから草食動物のその危険察知の能力も高いまま引き継いでいる。
 視力はいいし、馬の姿になれば真後ろ以外は全て見える。
 香りにも人以上に敏感だし、そして何より聴力は、人とは比べ物にならないほど高かった。その特殊性は人の姿になっている時も同じで、だからルーランが「聞こえた」と言うならリィには聞こえなかったものも聞こえた可能性が高い。

 が。
 それはこの騏驥が本当のことを言っているなら、という条件付きだ。
 ただじっとしているのが嫌なだけ、ただこの任務が嫌なだけ、という可能性も十分あるのだ。

 リィは目の前の騏驥をじっと見つめる。
 だが彼は相変わらず人を食ったような顔で見つめ返してくるだけだ。
 まるでこちらを試しているかのように。

 リィは素早く考える。
 
 もし本当に対岸に敵がいて、しかも援軍まで加わってしまう事態となれば、偵察に出ていたリィの職務怠慢が疑われかねない。
 だが、突っ込んでなにも異常がなかったら?
 そうなれば今度は、それはリィの功を焦った失策だと言われるだろう。

 第一、斥候からは未だなにも連絡がない。
 援軍の到着には気づいていないとしても、もし森の中で何か異常があれば——本当に怪しげな輩が集っていたり砦が築かれようとしているなら、報せがあるはずなのに。

「——おい」

 そうしていると、ルーランが声をあげた。
 騎士に呼びかけるにしては著しく敬意を欠く呼びかけ方だ。が、彼はそんなこと知るかという顔で平然と続けた。

「手柄を上げるためにここまで来たんだろ。突っ込まなくてどうするんだよ」
「っ——」

 煽るような物言いに、リィはルーランを睨む。
 
(そんなこと、お前に言われなくても……!)

 だがそうするにはルーランの言葉を信じなければならない。
 そして信じたとしても、勝手な判断で単騎で突っ込むわけにはいかないだろう。今回はあくまで遠征隊の一員として帯同しているのだ。
 攻撃を仕掛けるにしても、一度本隊に報告して命令が下ってから——それが手順だ。

「……本当に、聞こえたんだな」

 リィはルーランを見つめたまま訊いた。

「本当に、対岸に援軍が近づいているんだな」
「ああ」
「森の中の異常は確認できないのにか」

 リィは詰め寄る。
 そう。
 それは彼の言葉を疑ってしまう理由の一つだった。
 仮に援軍の接近が近づいているなら、森の中の異常にも気付けるのではないのか、ということが。

 視線に力を込めてリィが見つめると、ルーランは苦笑した。

「そっちは生憎な。何か理由があるんだろう。あんた送ってる斥候から何の連絡もないのも、そのせいじゃないかという気がするが……」
「…………」

 知っていたのか、とリィは少々気まずい思いをしながらフイと顔を逸らす。
 別に知られてまずいことではないが、伝えていなかったことを知られていたと思うと、こちらの手の内を見透かされているようでいい気分はしないのだ。
 たとえ相手が騏驥でも。
 否、騏驥だからこそ。
 そんなリィに、ルーランは続ける。

「俺のことを信じるかどうかは勝手だが、俺の耳は信じたほうがいい」
「……なんだそれは」

 笑いながら言うルーランにリィは顔を顰めて言い返したが、ややあって、

「わかった」

 リィはルーランの言葉を信じることに決めた。
 
 このままここに居続けても状況は変わらない。
 リィには未だ森の異常も援軍の様子もわからないが、斥候からの連絡がないままということは、確かに「何か」が起こっている可能性はあるのだ。
 
「ではまず本隊に報告だ。一旦戻るぞ」

 しかし、リィがそう言ったとき。

「冗談だろ」

 踵を返したリィの前に、ルーランが立ち塞がった。
 
「一旦戻る? 報告する? 何のために俺たちが敵に一番近いここにいると?」
「偵察の命令を受けたからだ。どけ!」
「一番最初に突っ込んで一番多く手柄を上げるためだろ」
「ルーラン!」

 退かせようとしても退かない騏驥に、リィは声を荒らげる。
 だがそれでもルーランは引かない。

「報告なんかしてたら後手に回った挙句、あんた前線から外されるぞ。『なるほど。ではその報告を参考に対岸に突撃しよう。では貴殿と騏驥は後方で援護を』——そうなりたいのかよ?」
「規律は規律だ!」
「いいように使われて手柄は持っていかれる規律なんぞどうでもいいだろ」
「そ……」
「勝手した罰より手柄の方が上回ればいいだけだ。ほら——いくぞ。俺は暴れたいんだよ」
「ルー……」
「どうしても後方の本隊に伝えておきたいなら、信号石でも打ち上げとけ。気づくだろ、それで」
「お前、いい加減に——」

 リィが激しく叱りかけた寸前。

「ここまで言ってもまだ尻込みなさるとは。随分とお優しいですね、殿下」
「!!」

 一番聞きたくない言葉が耳を掠める。
 気付くと、リィは帯びていた鞭を騏驥に突きつけていた。
 打たなかった理性が残っていたのが不思議なほどだ。
 ここでその呼び方をされることになるとは。
 しかも——しかも騏驥に。 

「貴様……」

 目の前が赤くなるような感覚を覚えながら、リィが唸るように声を上げると、ルーランは自身の眼前に向けられた鞭の先と、そしてリィの顔と、また鞭の先とに視線を移す。
 次いでふっと息をつくと、リィの足元に片膝をついて頭を垂れた。

「失礼しました」

 今度は、以前の気持ちのない謝罪とはまるで違う声音だ。
 そのまま、ルーランは微動だにせず頭を下げ続ける。


「……立て」

 ややあって、リィは短く言った。ルーランが音もなく立ち上がる。
 背の高いリィよりもまだ背の高い男。
 彼を僅かに見上げると、リィは静かに言った。

「……使ってやる」

 ルーランの目元が、ピクリと震えた。
 それを見つめたまま、リィは続ける。

「だったら嫌というほど使ってやる。わたしが止めるまで走れ。喋れなくなるぐらい働かせてやる」
「…………」
「途中で根をあげるなよ。まさかわたしを乗せておいてそこらの駄馬のような真似はしないだろうな」
「御心のまま」

 声がしたかと思うと、次の瞬間、長身の男の姿は雄大な馬体に——騏驥の姿に変わる。
 月明かりに、首と右前脚、そして左後脚の「輪」が煌く。
 ずば抜けた能力と引き換えの、最低の底を抜く荒ぶる気性。
 この世で唯一の三つ輪の騏驥。 
 
 リィはその騏驥に頭絡をかけると、信号石を打ち上げた後に騎乗する。
 本隊にもわかるはずだ。これで。森に異常があったことは。
 但し、このタイミングでそれを知らせて、果たして到着が間に合うかは解らないが。

(下手をしたら吊し上げられるな……)

 命令を受けておきながら、無報告での勝手な単騎突入。
 どんな理由をつけたところで、処罰されないわけがない。
 あとはそのマイナスをどれほど挽回できるかだ。

 ——この騏驥が言ったように。

 自重するつもりだったのに、結局煽られてこんなことになってしまった。
 確かに——確かに報告などすれば、そこでこの遠征の自分の仕事は終わってしまっていただろうと思いつつも、こいつの言う通りになってしまったなんて、と眉を寄せていると、

<考え事してると、落とされるぜ>

 くくっと笑いながらのルーランの声がした。
 手綱を伝わって直接頭の中に響くその声は、これからの時間に向けての期待に上擦っている。
 敵に対しても、騎乗者に対しても向けられる闘争心。
 
 彼は騏驥のくせに——騎士に従うべき存在でありながら、なのに騎士を試すのだ。
 身の程知らずにも問うてくるのだ。

「お前は俺に乗る資格はあるのか」——と。

 リィが促すと、ルーランは一歩一歩崖の端に近づいていく。
 芯の入った大きな完歩。柔らかな背中。
 足場は決してよくないのに、全く揺れないこの乗り心地に、リィは思わず熱い息をついた。心の底から堪能する。
 悦楽としか言いようのないこの感覚は、決して他人に説明できない。


 背後から、微かに馬の嘶きが聞こえてくる。
 本体の先鋒が動き始めたのだろう。
 全く間に合わないわけではなさそうだと思えば少し安堵するが、その分、手柄を奪われる機会もできてしまったと言うわけだ。
 
(これで全く手加減ができなくなった……)

 リィは思いつつ、高さのある崖の端から眼下を見下ろす。
 明かりは月だけ。下は見えないほど暗い。対岸の森も暗いまま。
 だが——。

 リィは手綱を握り直すと、微かに重心を変えて座り直す。
 騏驥は夜目が効く。走らせれば、どこまでも走る。なにを恐れることもなく。
 合図のタイミングを見計らうリィの呼吸に合わせるように、ルーランがググッと首を沈めた直後——。


「行け!!」


 リィは彼の疾走を許すように、その腹に一つきゃくを入れた。*


 刹那、ルーランは歓喜の嘶きをあげると、一気に崖を駆け下りる。
 雄大な馬体と伸びやかな四肢が繰り出す襲歩。
 その跳びの大きさと安定感に、リィは一瞬で心を奪われる。
 興奮が胸の奥から尽きることなく溢れ、騎乗者として、この上ない恍惚に目眩を覚える。
 

 素晴らしい。震えるほど。
 

 馬の姿をしているの騏驥は、人間で言えば足の指一本で立っているような状態だ。
 しかも全力で走るときは四肢が完全に宙に浮くから、着地時はその指一本だけで全体重を受け止め、バランスを取ることになる。
 なのにこの騏驥は、その瞬間ですらぐらつきや違和感を全く感じないのだ。
 信じられないほどの柔軟性と強靭さ。

 手放しで褒めたくなる乗り心地。
 けれどそれだって、跨るこちらの脚の力加減で、腰の動きで、手綱で、彼を扶助し、制御してこそだ。
 さらには、いつでも打てるように手にしている鞭あってのもの。
 もし騎乗者が隙を見せれば、スピードはそのまま凶器になる。
 それでも——。

(気持ちがいい——)

 リィは噛み締めるように思う。

 こうしてルーランの背に跨り、その類い希な速さを全身で感じていると、戦場だということを忘れてどこまでも行ってしまいたくなる。
 心ごと持っていかれそうになる。


 そうしているうち、ルーランはあっという間に崖を駆け下りる。
 目の前には音を立てて流れる川が広がっている。その奥には、夜そのもののような闇を抱えた森が。
 だがルーランはスピードを緩めない。リィ緩めようと思わない。
 この馬なら、こんなもの、苦もなく渡りきるだろう。
 それどころか、平気で飛び越えるに違いない。
 自らの跳躍力を誇るように。


「はっ——!」


 ルーランが踏み切るタイミングに合わせて声をかけると、その馬体は一際大きく跳躍し、リィを乗せたまま一瞬で川を飛び越す。まっすぐに森の中に突入していった。








—————
*脚を入れる……馬の動きを扶助するために、騎乗者の脚(膝から下の内側部分)を使って合図すること。ふくらはぎを使ったりといろいろ方法はあるのですが、今回は踵の内側部分で、馬姿のルーランの腹部を叩いた(押した)感じです。
(個体差もありますが)普通、馬は軽く刺激すれば反応するのですが、リィは相手が相手なのでわりとはっきり叩いています。


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