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4 彼の過去現在
しおりを挟む思い返せば、ルーランは騏驥に「なってしまって」以来、ずっと二つのことだけを考えていた。
死んでしまいたい。
殺してやりたい。
そんなことばかりを。
普通の——ただの人間でいたのはいつごろまでだったか。
ルーランはもうはっきり覚えていない。
ごくごく普通に暮らしていたことは覚えている。
家族と、友人と、小さな村で幸せに。日々学び、家の仕事の手伝いをして、夜更けまで友達と遊び、親密な相手とは夜明けまで一緒に過ごした。
それが。
昨日まで普通の人間として生活していたのに、一夜明けると全てが変わってしまっていたのだ。
見慣れていたはずの自分の姿は見たこともない大きな馬の姿に変わり、誰もがルーランを異物を見る目で見つめていて。
そのまま、騏驥の育成施設に送られたのだ。
この国で生きていて、もちろん騏驥の存在は知っていた。
騎士と共に国を護る特別な兵器。けれどそれがまさか自分の身に降りかかってくるなんて、想像もしていなかった。
思い出して、ルーランは顔を顰める。
無意識に、首の「輪」に触れた。
鬱陶しい。邪魔臭い。けれど絶対に外れない騏驥の証。
この国を護る生贄の証——。
(しかもそれが、あと二つもある)
それは完全にルーランの気性のせいなのだが。
育成施設はルーランのように騏驥に「なってしまった」者たちばかりが集められていて、優れた騏驥になるべく、様々な馴致が行われていた。
「馬の姿の時はなにも着ていないのだからそれに慣れろ」と人の姿の時から裸に剥かれ、従わなければ鞭で打たれた。
施設から出ることを禁じられ、自由であることを奪われ、馬房で暮らすことを命じられた。
ただただ、お前たちの存在理由は騎士のために尽くすことだけだと言い聞かされた。
そうしているうち、耐えられなくなった仲間が一人、二人と消えていった。
もしくは何かを「奪われた」もしくは「与えられた」かのように、怖いほどに従順になった。自らの意思など持たないかのように。
また、そうしているうち、風の便りに、家族は村を離れたと聞いた。
その理由が、息子が異形に姿を変えたことで周囲から向けられる目に耐えられなかったためなのか、もしくは息子を差し出したその代償に、両腕に溢れるほどの黄金をもらったからなのかは確かめていない。
どうでもいい話だ。
ただただ、死んでしまいたいと思っていた。
馬の姿になるたびに。
自分は人ではなくなってしまったのだと思い知らされるたびに。
そして同じぐらい、殺してやりたいと思っていた。
自分をこんな目に遭わせた誰かを。
こんな自分を従える気でいる、騎士を。
——騎士なんか、大嫌いだ。
預かり知らぬところで乗り心地や脚力についてずいぶん褒められていたようだが、そんなこともどうでもよかった。
誰が大人しく言うことを聞いてやるかと思っていた。
乗られるたびに振り落としてやろうと思っていた。
そのうち誰も乗ろうとしなくなって——。
リィだけが去らなかった。
思い出しながら、ルーランは改めてリィを見る。
隙のない、潔癖なほど頑なな、冷たい綺麗な横顔。
本当に好みの顔だ。
そして何より——彼は驥騏を嫌っている。
嫌っている者同士なのに、その身体に乗ったり乗せたりするなんて妙なものだ。
今までのことを、彼との関係を改めて思い、小さく苦笑した直後。
「!?」
対岸から、風に乗って微かな異音が届く。
ルーランは深く眉根を寄せた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ルーランがようやく静かになったのはよかったものの、いつまでも変化のない対岸の様子にリィは胸騒ぎを感じずにいられなかった。
なにもない——ならばいい。
本当に「なにもない」ならば。
けれど。
(ならばどうして斥候からの連絡が途絶えている?)
今回、この任務を受けたとき。
リィは自ら様子を探ると同時に、密かに対岸に斥候を送っていた。
この辺りの土地に詳しい者たちが志願してきたのだ。
騎士であるリィの役に立つことで自らを売り込みたかったのだろう。珍しいことではない。
だからリィは、彼らに加護の魔術を施した上で対岸へと送り込んだ。
何か少しでも異常があればすぐに知らせるように。
しかしそこではなにもせず、ただ知らせるだけでいい、それで充分に手柄になるのだから、と。
そしてもちろん、なにもなければ早々に引き上げろ、と言い含めて。
それなのに。
(なぜ、「なにもない」?)
そう。なんの連絡もないのだ。
もうかなりの時が経っているのに、異常が「ある」とも「ない」とも連絡がない。そして戻ってこない。
リィは目を凝らして遠眼鏡越しの様子を見やる。
焦りと不安が胸の中をじわじわ侵食し始めるのを感じたとき。
「おい——やっぱり突っ込むぞ」
頭上から声がした。
思わず振り返れば、既に立ち上がっているルーランがクイと対岸に向けて顎をしゃくる。
「お前……さっきのわたしの話を——」
「聞いてたよ。聞いてたし、あんたが上からの命令に反抗しない性格なのも知ってる」
「……命令に反抗しないのは性格の問題じゃない!」
思わず立ち上がる。
お前は規律をなんだと思っているんだ、と声を荒らげると、ルーランは肩を竦める。
(この——)
リィはルーランを睨みつけた。
驥騏は姿こそ馬となっても考えることは人のそれだから、本来の馬のように群れ出なければ不安がるようなことはない。
個別に行動できるし、だから今回のリィとルーランのように、一頭だけが本隊の援護という形で遠征に帯同する事もままあった。
だがだからといって、隊を指揮する者の指示に従わなくていいということではないのだ。
初めての遠征、帯同でもあるまいし、そんなこと解っているだろうに——解っているだろうに、そういう言い方をしてこちらを挑発してくるのが頭にくる。
そんな口を聞いても構わない、と思われているのかと思うと、聞き流せない。
と、ルーランは微かに口の端を上げ、
「失礼」
と短く言った。
全くそう思っていない口調で、声で、微笑みで。
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