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3 彼は騏驥である。だから口にできないことばかりを考えている。
しおりを挟む(父様……)
リィが覚えている父は、いつも穏やかに微笑んでいた。
失われた国の血を引き、騎士としても高名で、けれど決して威張ることはなかった。
いつもいつも優しく、母とも仲睦まじく、リィは本当に父が好きだったのだ。
なのに——。
なのに父は、いなくなってしまった。
消えた。
消えてしまったのだ。
ある日不意に、リィと母を置いて。
——騏驥とともに。
一頭の、牝の騏驥とともに。
過日を思い出すと、胸の中が重たくなる。
あの日から全てが変わってしまった。
それまでは辛うじて名誉を保てていた家名はあの日を境に地の底に落ち、あからさまに蔑まれるようになった。
母は心を病み、家族はバラバラになった。
だからリィ騎士になったのだった。
父になにがあったのかを知るために。不名誉な噂は嘘だと打ち消すために。
自らの手で、家名を再興するために。
だからリィはルーランを求めたのだった。
誰も乗らなかった——乗せなかった、けれど抜きん出た能力を持つ彼を。
そして事実、リィは騎士として様々な形でこの国に貢献してきたつもりだ。
他の騎士が嫌がるような、遠方や怪しげな土地への遠征も頼まれれば応じていた。
今回もまたそうだったのだが。
(なにもわからないままでは話にならない……)
リィは、きゅっと唇を噛んだまま対岸の様子を窺い続ける。
都合よく使われているのは承知している。
それに不満がないわけでもない。ルーランの言う通りだ。
でも。
それでも自分は手柄を上げなければならない。
家のために。そして自分のために。
可愛げのない、こちらに従わない騏驥に騎乗してでも。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
相変わらずつまらない仕事を続けているリィを見つめながら、ルーランはやれやれと胸の中で息をついた。
横顔から首筋、そして細い腰に。そこにある鞭へと視線を流していく。
少しだけ、ほっとした。
打たれなくてよかった。
言いすぎた自覚はあるのだ。訂正する気も謝る気もないが。
そしてあの鞭は痛い。
違うな。リィが鞭打つのが上手いのだ。
さすが若くして騎士になっただけのことはある。
打つ場所と力加減が絶妙で、痛く打つときは本当に痛く打つ。
だから言うことを聞いてしまう。そして、だからこそ言うことを聞きたくない。
騎乗している時もそうだ。
どんな時に鞭打てばいいのかよく分かっている。
鞭を使うタイミングがいい。
もっとも、そんなもの使われなくても、どんな騏驥より速く走る自信はあるのだが——。
今はそれを披露する機会もない。
全く残念だ。偵察などせず、まずは突っ込んでみればいいものを。
敵がいたら、その時はそのとき。蹴散らせばいいだけだろうに。
(腕はいいのにな。殿下ときたら要領が悪い)
口にすると、それこそ目にも止まらぬ速さで激怒の鞭が振り下ろされる敬称を胸の中だけで使って呼んでみる。
そして、密かに笑った。
騏驥の身では、噂を拾う程度のことしかできないが、それでも、この呼ばれ方を彼がとても嫌っていることは知っていた。
だからこそ、いつか呼んでやろうと思っているのだが——まだ命が惜しいのでそれは試していない。
そう。
彼は騎士としての腕はいいのに、世渡りが下手だ。
自らの背に唯一乗せ続けている騎士を見ながら、ルーランは思う。
リィからすれば「わたしの苦労の半分以上お前のせいだ」と言うところだろうが、それはともかく、もう少しうまく立ち回ればいいのに、とつい思ってしまうのだ。
本人に言えば、これまた打たれるだろうから言わないが。
それにしても綺麗な貌だ。
リィの横顔を見つめたまま、ルーランはしみじみ思う。
騏驥になってしまってからは限られた場所でしか暮らせないから、普通の男や女を見る機会はグッと減った。
それでも、たまに見る着飾ったそこらの貴族の子女よりよほど美しいと思うし、まだ普通に暮らしていた頃親しくしていた女や男たちとは比べ物にならない綺麗さだ。
透き通った玉のようだ、と思う事がよくあった。
自分が騏驥になってしまったことを受け入れられず、暴れ、反抗し、どんな騎士に乗られることも嫌っていたせいで、そろそろ廃棄されるのではと騏驥たちの間で噂されていたルーランがリィを乗せ続けているのは、彼の騎乗が非常に巧みなためもあるが、何より顔が好みなのだ。
目鼻立ちが整っていることや滑らかな肌の様子はもちろんだが、気の強そうなところがいい。
そして育ちの良さそうなところがいい。
なにより、こっちに媚びてこないのがいい。
あくまでこちらを従わせようとする気位の高さがいいのだ。
そういう騎士の矜持をへし折ってやるのが、何より好物だから。
揶揄うのは挨拶のようなものだ。もしくはただの前戯。
暴れて狼狽させてやりたいし、なんなら泣き喚かせてやりたい。
あの凛とした綺麗な顔が歪むのを見るのは、どれほど気持ちがいいだろう?
悪趣味なのは承知している。
けれどそんな欲を駆り立ててくれるから、彼を乗せ続けている。取り敢えず従っている。
そうしているうちは、死んでしまいたいと思わずに済むから。
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