30 / 98
29 騏驥のお医者さん
しおりを挟むリィがルーランを連れて天幕に足を踏み入れると、すぐにニコロと目が合った。
おそらく、ここから急に出ていったルーランのことをずっと気にしていたのだろう。
ここへ来る道中、リィはルーランから医師の元を飛び出してきたと聞き、目眩がする思いだった。
「検査は全部終わってたから大丈夫!」——と彼は偉そうに言っていたが、終わったなら大人しく厩舎に戻っていろと言うのだ。
「ルーラン!」
ニコロはルーランの姿を見るや駆け寄ってくると、リィに礼を取りつつも怒りも露わにルーランを睨む。背伸びをして。
「あれから厩舎の方に何回も問い合わせをしたんだよ!? なのにそのたび『戻ってない』って言われて……。勝手なことして、もし何かあったら——」
「悪い」
ニコロの言葉の途中で、ルーランが言う。
「すまない」
リィも続けてニコロに謝った。
順番としては「続けて」だが、口先だけとすぐにわかるルーランの謝罪(になっていない謝罪)と違い、リィの方は本気の謝罪だ。
医師は騏驥にとってだけでなく、騎士にとっても大切な存在だ。
彼らの適切な治療や検査があることで、騏驥は戦闘での傷を癒やすことができるし、体調の安定が保たれる。
そんな良い健康状態であればこそ、騎士も騏驥の力を引き出し、存分に乗りこなすことができるのだ。
どれほど素質のある騏驥でも健康でなければその能力を発揮できない。
なのにその医師にこんな心配をかけるとは。
すると、ニコロは恐縮したように「いいえ」と頭を振った。
「リィ様のせいではないです。じっとしていないこの騏驥が悪いのですよ」
「だが騏驥の不始末は私の不始末だ。それに、実は……」
「そうなんだよ。実はさ」
言い淀んだリィに対し、ルーランはあっけらかんと「ほら、ここ」と肩を見せる。
背の高さの違いのせいでそこが見えていなかったニコロは、一目見るなり「ひいっ」と声を上げた。
「な——なんでそんなことに!? ちょっ——は、早く脱いで! ちゃんと見せて!」
「大丈夫だよ。見た目ほどじゃ——」
「それはこっちが判断することなの! あ、ダメ! やっぱり動かないで! 僕が脱がせるからじっとしてて!」
ニコロは声を上げると、近くの椅子にルーランを座らせる。
そしてそろそろと、ルーランの負担にならないようにゆっくりと服を脱がせていく。
「触れるよ」
一言断ると、鞭打たれた肩から背へそっと触れる。
側から見ていても、その真剣さと丁寧さがひしひしと伝わってくる。
しばらく触れると、
「うん……」
彼は唸るように言い、ほっと息をこぼした。
「確かに酷い怪我ではないみたいだね。これならすぐ治るよ」
「だろ」
「だろ、じゃないの! もう……なんでこんなことに。これ、鞭の傷だろう」
「……」
さすがにルーランが黙る。
ニコロは溜息をついた。
だが彼はリィの方はチラリとも見ようとしない。
リィが打ったわけではない、とわかっているからだろう。
そうした聡さと観察眼も、この医師が若くとも騎士や騏驥から一目も二目も置かれている理由だ。
「きみにしては下手に打たれたね」
「下手が打ったんだよ」
「わたしを庇ったからだ。庇わなければ、かわせていた」
二人の会話にリィが割って入る。ニコロが「えっ?」という顔をした。
それはそうだろう。
騎士であるリィが鞭打たれることになる状況など、普通はあり得ない。
「色々あったんだよ」
しばし静かになった三人の空気を破って言ったのはルーランだった。
「色々あって、こうなった。でもまあリィに怪我はなかったし、俺も大したことはないし。問題ないだろ」
軽口のように続くルーランの言葉に、ニコロはため息をつきかけて——止める。
直後、真剣な目で彼を見て言った。
「あのね、ルーラン。騎士と騏驥のことについて首を突っ込むつもりはないし、ましてや騎士同士のことは僕たちには想像もできない。する気もない。けど……僕たち医師は常に君たち騏驥を万全の状態で送り出すために頑張ってるんだ。そのことは忘れないで欲しいな」
「……あー……うん……」
流石に心に響いたのか、ルーランは神妙な面持ちだ。
しかし数秒後、
「でもまあ、こっちはこっちでその時になってみないとわからないんだけどな」
と苦笑する。
悪びれていないその様子に、ニコロは「もう!」と苛立ったような声をあげるが、騏驥は——またはルーランはそういう性質なのだと諦めているのだろう。
仕方ないなあ、というように笑う。
(その時になってみないと——か)
リィは二人の様子を見つめながら、ルーランに庇われた時のことを思い出していた。
鞭打たれそうになっていた彼を助けたくて、それだけしか考えられなかった。
よくよく考えれば無謀だったのだ。振り下ろされる鞭の前に飛び込むなど。
けれど彼もまた、自分の身体の全てでリィを護ってくれた。
彼なら避けられただろうに。リィを盾にすれば、打たれずに済んだだろうに、わざわざ庇って……。
抱きしめられて窮屈になった身体。
息苦しくて、けれど温かで苦しいはずなのになんだか心地よくて……。
(あんな感覚は初めてだったな……)
世間では、抱きしめられたり抱きしめたりすることを抱擁というらしい。
親子で、または恋人同士で。愛しく思う者同士で行えばとても心地のいい行為——らしい。
確かにリィも、幼い頃父母に抱きしめられるのは大好きだった。
温かでいい香りがして安心できて。
今回ルーランにされたことは「庇われた」のであって「抱擁」ではないと思うけれど、決して悪くはなかったな、と思う。
以前、厩舎に林檎を持って行った時、彼の悪ふざけに巻き込まれて似たようなことをされたが、あの時よりももっと窮屈で、でも悪くなかった。
見ているだけの時よりも、彼の胸の逞しさだとか腕の靭さだとかがより一層はっきりと伝わってきて驚いたけれど。
両親に抱きしめられた時とは少し違っていて……でも悪くなかった。
とはいえ、あんな不覚をとることはもうないようにしなければと思うが。
「少しじっとしてて。動かないでね」
そうしていると、ニコロが治療を始める。
「ん」とルーランが素直に頷くと、ニコロはリィに「少し離れて下さい」と告げてくる。
頷いたリィが二歩、三歩下がると、ニコロは手を添えたまま僅かに唇を動かす。
途端、彼の掌がポウッと光を発した。金、銀、橙、白……。眩しいような温かいような光が彼の掌とルーランの傷の間で緩く渦を巻いている。
やがて、その渦と、彼の髪からキラキラと金の粉のようなものが舞い始める。
綺麗だ。
(すごいな……)
リィは胸の中で感嘆した。
ニコロの魔術力や治癒能力は医師たちの中でもずば抜けていると噂では聞いていた。
もちろん、残念ながら彼でも治せない傷や病はあるものの、彼に処置をしてもらえるかどうかでその後の回復がまるで違うのだ、と。
確かに、実際に見ると驚くばかりだ。
なんの媒介も使っていないし詠唱もほとんどしていないのに、発動されている魔術は強力で、離れていても影響を感じるほどだ。
ルーランも完全にされるままで、信頼しているのが伝わってくる。
だったら、そもそももっとちゃんと医師の言うことを聞けばいいのにと思うが、相手が医師だろうが騎士だろうが好き勝手にやる性分だからルーランなのだ。
気性に難アリ、と今でも言われる騏驥。
(でもよかった)
この分なら、ニコロが言っていた通り傷はあとを引かずに治りそうだ。
リィは心からほっとした。
0
あなたにおすすめの小説
ヒールオメガは敵騎士の腕の中~平民上がりの癒し手は、王の器に密かに溺愛される
七角@書籍化進行中!
BL
君とどうにかなるつもりはない。わたしはソコロフ家の、君はアナトリエ家の近衛騎士なのだから。
ここは二大貴族が百年にわたり王位争いを繰り広げる国。
平民のオメガにして近衛騎士に登用されたスフェンは、敬愛するアルファの公子レクスに忠誠を誓っている。
しかしレクスから賜った密令により、敵方の騎士でアルファのエリセイと行動を共にする破目になってしまう。
エリセイは腹が立つほど呑気でのらくら。だが密令を果たすため仕方なく一緒に過ごすうち、彼への印象が変わっていく。
さらに、蔑まれるオメガが実は、この百年の戦いに終止符を打てる存在だと判明するも――やはり、剣を向け合う運命だった。
特別な「ヒールオメガ」が鍵を握る、ロミジュリオメガバース。
俺のファルハ 《黒豹獣人と俺》
大島Q太
BL
《黒豹獣人×異世界転移者》 マナトは子供を助けてトラックにひかれそうになった瞬間、異世界転移し、ついた先はジャングルの中だった。マナトを拾ったのは褐色の黒豹獣人ナミル。ナミルは俺を「ファルハ」と呼び甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。流されやすい主人公とそれを溺愛する原住民の話。
塔の上のカミーユ~幽囚の王子は亜人の国で愛される~【本編完結】
蕾白
BL
国境近くにあるその白い石の塔には一人の美しい姫君が幽閉されている。
けれど、幽閉されていたのはある事情から王女として育てられたカミーユ王子だった。彼は父王の罪によって十三年間を塔の中で過ごしてきた。
そんな彼の前に一人の男、冒険者のアレクが現れる。
自分の世界を変えてくれるアレクにカミーユは心惹かれていくけれど、彼の不安定な立場を危うくする事態が近づいてきていた……というお話になります。
2024/4/22 完結しました。ありがとうございました。
聖者の愛はお前だけのもの
いちみりヒビキ
BL
スパダリ聖者とツンデレ王子の王道イチャラブファンタジー。
<あらすじ>
ツンデレ王子”ユリウス”の元に、希少な男性聖者”レオンハルト”がやってきた。
ユリウスは、魔法が使えないレオンハルトを偽聖者と罵るが、心の中ではレオンハルトのことが気になって仕方ない。
意地悪なのにとても優しいレオンハルト。そして、圧倒的な拳の破壊力で、数々の難題を解決していく姿に、ユリウスは惹かれ、次第に心を許していく……。
全年齢対象。
ちびドラゴンは王子様に恋をする
カム
BL
異世界でチート能力が欲しい。ついでに恋人も。そんなお願いをしたら、ドラゴンに生まれ変わりました。
卵から孵してくれた王子様に恋をして、いろいろ頑張るちびドラゴンの話。(途中から人型になります)
心優しい第三王子×時々チートな働き者のドラゴン
表紙イラストはしけつ(ck2)さまにいただきました。ありがとうございます。
愛しの妻は黒の魔王!?
ごいち
BL
「グレウスよ、我が弟を妻として娶るがいい」
――ある日、平民出身の近衛騎士グレウスは皇帝に呼び出されて、皇弟オルガを妻とするよう命じられる。
皇弟オルガはゾッとするような美貌の持ち主で、貴族の間では『黒の魔王』と怖れられている人物だ。
身分違いの政略結婚に絶望したグレウスだが、いざ結婚してみるとオルガは見事なデレ寄りのツンデレで、しかもその正体は…。
魔法の国アスファロスで、熊のようなマッチョ騎士とツンデレな『魔王』がイチャイチャしたり無双したりするお話です。
表紙は豚子さん(https://twitter.com/M_buibui)に描いていただきました。ありがとうございます!
11/28番外編2本と、終話『なべて世は事もなし』に挿絵をいただいております! ありがとうございます!
捨てられた生贄オメガ、魔王城で極上の『巣作り』始めます!~不眠症の魔王様、私のクッションで爆睡して溺愛モードに突入~
水凪しおん
BL
「役立たずのオメガ」として冷遇され、血も涙もない魔王への生贄として捨てられたリノ。
死を覚悟して連れてこられた魔王城は、寒くて硬くて、居住性最悪のブラック環境だった!?
「こんなところで寝られるか!」
極限状態で発動したオメガ特有の『巣作り本能』と、神業レベルの裁縫スキルが火を噴く!
ゴミ同然の布切れをフカフカのクッションに、冷たい石床を極上のラグマットにリフォーム。
すると、不眠症で常にイライラしていた魔王ザルドリスが、リノの作った「巣」のあまりの快適さに陥落してしまい……?
「……貴様、私を堕落させる気か」
(※いいえ、ただ快適に寝たいだけです)
殺されるどころか、魔王様に気に入られ、気付けば城中がリノの虜に。
捨てられた生贄オメガが、裁縫一つで魔王城を「世界一のマイホーム」に変える、ほのぼの逆転溺愛ファンタジー!
転生したら、主人公の宿敵(でも俺の推し)の側近でした
リリーブルー
BL
「しごとより、いのち」厚労省の過労死等防止対策のスローガンです。過労死をゼロにし、健康で充実して働き続けることのできる社会へ。この小説の主人公は、仕事依存で過労死し異世界転生します。
仕事依存だった主人公(20代社畜)は、過労で倒れた拍子に異世界へ転生。目を覚ますと、そこは剣と魔法の世界——。愛読していた小説のラスボス貴族、すなわち原作主人公の宿敵(ライバル)レオナルト公爵に仕える側近の美青年貴族・シリル(20代)になっていた!
原作小説では悪役のレオナルト公爵。でも主人公はレオナルトに感情移入して読んでおり彼が推しだった! なので嬉しい!
だが問題は、そのラスボス貴族・レオナルト公爵(30代)が、物語の中では原作主人公にとっての宿敵ゆえに、原作小説では彼の冷酷な策略によって国家間の戦争へと突き進み、最終的にレオナルトと側近のシリルは処刑される運命だったことだ。
「俺、このままだと死ぬやつじゃん……」
死を回避するために、主人公、すなわち転生先の新しいシリルは、レオナルト公爵の信頼を得て歴史を変えようと決意。しかし、レオナルトは原作とは違い、どこか寂しげで孤独を抱えている様子。さらに、主人公が意外な才覚を発揮するたびに、公爵の態度が甘くなり、なぜか距離が近くなっていく。主人公は気づく。レオナルト公爵が悪に染まる原因は、彼の孤独と裏切られ続けた過去にあるのではないかと。そして彼を救おうと奔走するが、それは同時に、公爵からの執着を招くことになり——!?
原作主人公ラセル王太子も出てきて話は複雑に!
見どころ
・転生
・主従
・推しである原作悪役に溺愛される
・前世の経験と知識を活かす
・政治的な駆け引きとバトル要素(少し)
・ダークヒーロー(攻め)の変化(冷酷な公爵が愛を知り、主人公に執着・溺愛する過程)
・黒猫もふもふ
番外編では。
・もふもふ獣人化
・切ない裏側
・少年時代
などなど
最初は、推しの信頼を得るために、ほのぼの日常スローライフ、かわいい黒猫が出てきます。中盤にバトルがあって、解決、という流れ。後日譚は、ほのぼのに戻るかも。本編は完結しましたが、後日譚や番外編、ifルートなど、続々更新中。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる