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30 懐かしい再会
しおりを挟むそうしていると、やがてルーランの治療が終わる。
リィはふうっと息をついた。
いつの間にかルーラン本人よりこちらの方が集中してしまっていたようだ。
自分で思っていた以上に彼の怪我が気がかりだったらしい。
また、ニコロの魔術も素晴らしかった。
「ありがとうございます」
魔術の名残か、まだ指先からふわふわと金銀の渦を放出しているニコロに、リィはお礼を伝える。
医師は恐縮したように「そんなそんな」と頭を振った。
「大したことはしてませんから。リィ様は律儀ですね」
「……律儀でない者の代わりです」
自らの騏驥にチラリと視線を流しながらリィが言うと、
「ああ……」
医師もルーランを見て苦笑を深める。
「でもやはり律儀ですよ。僕はこの仕事が好きなので、何も苦ではありませんが、やはりこうして騎士の方にお礼をおっしゃっていただけると励みになります」
にっこりと、ニコロは笑う。
そうしていると童顔がますます幼く見える。
「それに、今回は色々あったようですが、ルーランは優秀です。ほとんど怪我をしない。遠征後の検査でも異常が出ることはありませんし……。そういう騏驥に触れられるのは、僕も貴重な経験をしていると思っています。いい騏驥ですよね」
「……え、ええ。そう、ですね。健康状態はいいと、思います」
普段から騏驥と関わってる医師に、それも大勢の騏驥と関わっているだろうニコロからの率直な褒め言葉に、なんだかリィの方が気恥ずかしくなる。
口籠もった上にたどたどしく返事をすると、即座にルーランから横槍が入った。
「健康状態『も』だろ。俺の一番はそこじゃない」
「……」
「どんな騏驥より乗り味が良くて、速くて強い」
臆面もなく言うと、ルーランは「だろ?」と伺うようにリィを見つめてくる。
面白がっているようその瞳から、リィはふん、と顔を逸らした。
「その分気性が悪いんだから、差し引きすればお前は自分で思っているほど良くはない。むしろ悪いぐらいだ」
「またまた。イイから俺に乗ってるんだろうに」
「運動能力の良し悪しが騏驥の評価の全てだと思うなよ? それをちゃんと活かせてこその——」
「活かすのは騎士の仕事だろ。乗りこなせないんなら降りれば」
「お前……」
挑戦的なルーランの言葉に、リィもつい感情的になりかけた時。
「……あの……」
どこからか、小さな細い声がした。
キョロキョロするリィに対し、ルーランは一点に目を向けている。
慌てて、リィもそちらを見た。
あの騏驥がいる。あの、女性の……。
「ひょっとして、君も怪我を?」
だったら一緒に治療しなければ、とリィが尋ねると、彼女は「大丈夫です」と狼狽えたように首を振る。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。私は大丈夫です」
言葉はリィに向けられているが、彼女の視線はルーランに向けられている。
リィが首を傾げ、ルーランが不思議そうに瞬きした時。
「もしかして……ルーラン?」
彼女は、意を決したように言った。
肩にかかる茶の髪が、さらりと揺れる。何筋か銀色が混じっている。差し毛の騏驥だ。
「ん?」
ルーランが首を傾げる。
「そうだけど……」
それが? とルーランは彼女を見つめ、彼女もルーランを見つめ続ける。
二人は不思議そうに見つめあっている。
「……知り合いか?」
リィが尋ねた数秒後。
「……もしかして、ルシー……なのか?」
ルーランがそろそろと、不安そうに、確かめるように尋ねる。
途端、その女性の騏驥はパッと破顔した。
「ああ——やっぱりルーラン!」
「ルシー!? ほんとにルシーか! え? な、なんでこんなところに!?」
珍しく、ルーランが慌てている。
興味深く見守るリィの視線の先で、ルシーと呼ばれた女性の騏驥は「ああ……」とホッとしたように息をついて微笑んだ。
「ああ、もう……ちょっと前から『もしかしてもしかして』って思ってたの。確かめられてよかったわ。思い切って尋ねてみてよかった」
「え、あ……いや、うん……。でもあんたがなんでこんなところに」
「知り合い、だったのか?」
旧知の仲、といった様子の二人に、リィは再び尋ねる。
するとルシーが「はい」と頷いた。
明るめの茶色の髪。肩のあたりで揺れるそれは、よく見ればところどころが銀色だ。年はルーランより上だろう。
やや小柄だが、グラマラスで実に女性らしい柔らかそうな身体をしている。
こんな騏驥と、ルーランが知り合いだったとは。
(聞いたことがなかったな)
友人や知り合いの話など、今まで口にしなかったルーランだ。
だから特にリィも聞かなかったのだが、こんな知り合いがいたとは。
視界に映るルーランは、なんとなく照れているような、恥ずかしがっているような面持ちだ。
そんな顔も、初めて見る。
説明を求めるように見つめたが、彼は何も言わない。
なんとなくリィが居心地の悪さを感じた時、
「昔、私は彼のリードホースをしていたんです」
ルシーが柔らかな声で言った。
彼女は「ご説明しますね」とリィに向けて話すことの許可を取ると、二人が知り合いになった経緯を話してくれた。
それによれば、どうやら知り合ったのは育成施設でのこと。
騏驥としてそこに入所してきたはいいが、反抗してばかりで手に負えなかったルーランの騏驥仲間兼先輩兼指導員だったのがルシーだというのだ。
「それは、珍しいケースではないのか? 男の騏驥に女性の騏驥が、というのは。普通は……」
リィは不思議に思って訊ねた。
リードホースの存在とその意義は、リィも騎士として騏驥を知る上での知識として学んでいる。
騎士を乗せる正式な騏驥になるための第一段階として、騏驥はまず育成施設に入れられる。だがそこに来たばかりの騏驥は、振る舞い方や暮らし方について、しばらく慣れないものだという。
それまで人だったのに、いきなり馬の姿に替わってしまうことになったのだから当然だが、裸で暮らすようになり、鞭打たれるようになり、草を食べる自分の変化に動揺し、混乱し、初期の馴致もなかなかままならないらしいのだが、そんな新人の騏驥たちを同じ立場で宥め、慣れるようにそれとなく世話をして接するのがリードホースなのだ。
彼ら/彼女らは気性が良く、付き合いが上手い。
人から驥騏になったルーランのような者たちの先達として、育成施設や調教施設であれこれと世話をしてくれる存在だ。
一頭で一頭の面倒を見ることもあれば、一頭が数頭を一緒に世話することもある。
そんな生活では一緒にいる時間も長くなるから、普通は同性の騏驥が担当するものなのだが。
すると、リィの疑問にルシーは「はい」と頷いた。
「おっしゃる通り、普通は『色々と問題』が起きないように、同性の騏驥がリードホースになるものです。ただ……ルーランの場合はそれだと喧嘩が絶えないということで……それで、私に」
「……」
騏驥である自分を認めず、抵抗して、育成施設ではずいぶん係員を手こずらせた、というルーランの噂は聞いていた。
しかしその憤りが仲間であるはずの騏驥にまで向き、先輩であるリードホースと喧嘩までしていたとは知らなかった。
(だから言い辛かったのだな……)
リィは自らの騏驥を見る。
と、そのルーランが口を開いた。
「ルシーは優しかったからな」
ぽつりと言うと、苦笑する。
「最初はアレだ。俺も『女とかラッキー』って思ってたんだよな。間違いがどうこうってより、ちょっと脅せばいなくなるだろうと思ってさ。施設に慣れる気なんかないのに、そんな監視みたいな奴がいても鬱陶しいだけだと思ってたし」
「……」
大事な仲間であり先輩であるはずのリードホースのことを、この騏驥はそんなふうに思っていたのか……。
(本当に……なんというか……)
我の強い特殊な性格だな、と思うリィの視界の端で、ニコロが同じように思っているに違いない顔をしている。
ルーランが続ける。
「なのにルシーはいつも優しくてさ。いつの間にか、俺もほだされたわけ」
言葉は少ないが、表情はいつになく柔らかだ。
リィは想像するしかないが、きっと姉のような存在だったのだろう。
ルーランの気性を把握して、理解して、宥めて……。
時には周りから守り、時には架け橋になって。
そうやって、彼を一人前の騏驥に導いたのだろう。
彼女がいなければ、今のルーランはいなかった、というわけだ。
(特別な、親しい騏驥、か)
いたのだな、そんな相手が。
そう思うと、それを目の当たりにすると、なんだかとても……寂しいような、取り残されたような気持ちになる。
リィは密かに視線を落とした。
いたのだ。彼には、そんな相手が。
自分が知らなかっただけで。
自分には知らされていなかっただけで。
(別に……)
知りたかったわけじゃないけれど。
知らさなければならない義務があるわけでもないけれど。
でも。
まるで裏切られたかのようにも感じてしまう……。
「…………」
リィは、慌てて頭を振った。
そんな風に考えるなんて間違っている。間違っているし、おかしい。
おかしいとわかっているのに考えてしまうから、顔が上げられない。
「でも、じゃあどうしてこんなところに? 誰か騎士から特別に指名が?」
すると、傍からニコロが声をあげる。
彼は騏驥に興味がある医師だ。育成施設でリードホースをやっていたような騏驥が、どうして実戦の伴う遠征に帯同してきたのか不思議なのだろう。
と、ルシーは苦笑して答えた。
「特に誰かの騏驥としてというわけではないのです。若い女の子たちの引率のようなものというか……。少し前に育成施設から東の厩舎に移っていたのですが、今回は初めて遠征に参加する子もいるので、そのフォローで」
「ああ、なるほど。遠征でもリードホースっていうわけだね」
「一応まだ現役とはいえ、まさか今になって遠征に参加するなんて思ってなかったんですが……」
ルシーは照れたように苦笑する。
「そのせいで勝手が分からずに迷ってしまって……。ごめんなさい、ルーラン。あなたにも迷惑を……」
「いいよ、そんなの」
声が小さくなっていくルシーに対し、ルーランは気安い口調だ。
「むしろあんただったなら尚更助けられて良かったよ。まったく、人が多いと下らない騎士も増えて迷惑するよな」
しかし続くその言葉には、全員が沈黙するしかない。
そうしていると、リィの視線の先で、ルシーがふと目を細めてルーランを見つめるのに気づく。優しい目だった。
「でも本当に懐かしいわ。育成施設を出て以来ね。あのころはホントに大変だったけど、今や大活躍みたいじゃない。まあ、問題アリっていう話もそれ以上に聞くけど」
言うと、ルシーはくすくす笑う。
だがそうして笑われていても、ルーランは平気そうな様子だ。むしろ、どこか嬉しがっているような。
リィは、ここに居続けることが辛くなり始めていた。
ルーランの昔の話を聞きたい気持ちはある。けれど、同時に聞きたくない。
そんなリィの葛藤をよそに、ルシーは眩しいものを見るような表情でルーランを見て続けた。
「でも、あなたが活躍するのも当然なのかも。最初から、あなたは違っていたものね」
しみじみとした口調で言う彼女に、ルーランは目を瞬かせる。
リィも息を呑む。
ルシーは微笑んで言葉を継ぐ。
「ものすごく抵抗していたもの。こんなのは嫌だ、って顔してた」
「……まあ……それはほら……やっぱり鞭で叩かれたりって嫌だろ」
「ううん、そうじゃないの」
ルシーは首を振った。
「そんな小さなことじゃなくて……そんな一つ一つのことじゃなくて……。『こんな運命は嫌だ』って顔してた。『こんなのは違う、こんなのは嫌だ』って」
「………………」
「流されたくないって顔してた。だからこの子はわたしたちとは違って、いろんなものに抵抗して、でもきっと自分の力でいろんなものを選び取って、掴み取っていくんだろうな、って思ったの。それだけの烈さを持ってる特別な騏驥なんだろうな、って。……まあ、『処分』されなければ――って注釈付きだけどね」
そうしたら今や、私が思っていた以上に有名になっちゃって。
ルシーはそう言って笑う。
リィはルシーの言葉に胸を打たれながらも、ルーランの顔を見られなかった。
今の彼がどんな顔をしているのか、見たくなかった。知りたくなかった。
自分の知らない彼のことを話すルシー。
彼女と同じところにいたくない。
咄嗟に踵を返し、天幕を出て行こうとした時。
その身体が、ドン、と何かにぶつかる。
「おっ……と」
頭上から声がする。
GDだった。
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