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31 始祖の血を引く騏驥

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「あ……」

 人にぶつかってしまうなんて、周囲を見ていたつもりで見ていなかった証拠のようなものだ。そんな軽率な自分の行動に、リィは赤面する。
 しかも相手がGDなんて。

「す、すまない。ちょっと考え事をしていて」

 慌てて謝りながら、リィはそのまま外に出ようとする。
 だがその動きは、思いがけずGDの声に阻まれた。

「待った。出て行かれるのは困るな。きみを探していたのに」
「?」

 GDが自分を?

 首を傾げるリィに、GDは頷く。次いで、苦笑しながら肩を竦めた。

「明日、もう一度改めて軍議があるらしい。その連絡だ」
「ぐ……また?」

 さっき終わったばかりなのに、またなのか。
 嘘だろう、と言いたい思いでGDを見ると、彼は苦笑を深める。そして続けた。

「編成が大きく変わるようで、それについての案を各自考えておくように——と先ほど通達があってね。それできみを探してた」
「あ……も、申し訳ない。その、少し前までは辺りを歩いて地図を作っていたんだが、それから色々あって……」
「らしいな」
「!」

 さっきの揉め事を知っているのか!?
 そんなに大きな騒ぎになってしまったのだろうか。
 リィが困ったなと思っていると、「心配ない」とGDは微笑んだ。

「野次馬だった兵士たちが話をしているのを少し耳に挟んだだけだ。きみが悪く言われていたわけではないし。おかげでここにいることがわかった。ちょうどよかったよ。——レイ=ジン、先生に例の件を」

 GDが呼ぶと、ひっそりと彼の背後に従っていた美貌の騏驥が姿を見せる。
 もう何度も見ているのに、見るたびドキリとしてしまう。
 ——父と消えた騏驥に、似ているから。

 とはいえレイ=ジンは特別だ。
 今、この国にいる全ての騏驥の中で最も美しいと言われる漆黒の騏驥。
 始祖の血を引くごく少数の騏驥の中でもさらに特別な一頭。五変騎の一頭である「始源の黒」。

 青みがかった黒い瞳。腰まである濃い黒髪を一つに結んだ隙のないその佇まいは、確かに、始祖の血に相応しい凛とした近寄りがたい美しさに満ちている。
「黒美」「黒佳」という異名で呼ばれているのも納得だ。 


 騏驥は通常、騎士を選べないが、始祖の血を引く騏驥だけは別だ。
 彼、もしくは彼女らは、ルーランたちのようにある日突然騏驥になってしまったのではなく、騏驥同士の交配で生まれる。
 言わば、生粋の騏驥だ。
 それゆえか、個体が持つ各種の能力に大きな波がなく、非常に高い位置で安定している。
 そんな騏驥は稀で、だから騎士を選ぶことができる。

 GDは特に牝の騏驥から「乗って欲しい」と人気の騎士だが、それは全て「せめて調教に乗って欲しい」という慎ましい願いで、誰も、レイ=ジンを差し置いて乗ってもらえるとは思っていない——らしい。
 調教師たちが、そう言っていたのを聞いたことがある。
 どの驥騏も、自分は彼に劣ると——美しさも能力も——わかっているから、そこは張り合わないのだ、と。

 そう。彼の頭抜けた能力は美しさだけではなかった。
 全ての能力が揃って高いだけでなく、騎士に対しての忠誠心がとにかく強いのだ。
 そのためか、GDなどレイ=ジンに騎乗するときはまったく鞭を使わないほどだ。
 そんなもの必要ないほど騎士の意を汲んで動き、そしてどれほど駆けようが跳ぼうが、乗り手を絶対に落馬させない。
 
 ルーランとは真逆だ。

 しかも。
 それだけでなく彼ら「始祖の血」を持つものは、その「血」故か戦闘時に相手の弱点を一目で察する。
 人であろうが、馬であろうが、騏驥であろうが。

 つまり——「始祖の血を持つ騏驥」に「乗って欲しい」と選ばれた騎士は、『相手の弱点を確実に攻撃できる位置まで的確に導いてくれる絶対安全な自動運転の強力な兵器』に乗っているようなものだ。

 GDのように剣技に秀でた騎士がそんなものに乗れば敵なしなのは当然で、戦闘が苛烈を極め酷い混戦になったときでも、彼は手綱すら持たずレイ=ジンを駆り、次々敵を打ち倒して行く。
 自らが敵を蹴散らすよりも、騎乗者の戦いやすさに重きを置いた、まさに騎士のための騏驥。
 それが「始祖の血を引く騏驥」で、その頂点がこの「始源の黒」——レイ=ジンだった。

(忠誠——忠誠心、か……)

 始祖の血を引く騏驥がそんなにも強い忠誠心を持つと知ったのは、父がまさにその騏驥に選ばれ、騎乗するようになってからだ。
 夢のように美しかった彼女は、いつも父の側にいた。
 影のように。いつもいつも。

 リィには、そんな経験はない。
 けれど想うことはあるのだ。

 もし。
 もしこの世の者とも思えぬ美しい騏驥が——美しい者が、ただただ従順に、自分のためだけに、一身に、全身全霊をかけて尽くしてくれるのだとしたら。
 果たして、騎士はその誘惑から逃れることはできるのだろうか、と。
 
 父が道を踏み外したとは思いたくない。

 思いたくはないが、想像して怖くなることはある。
 優れた騎士だった父だからこそ、彼女から離れられなくなることもあるのでは、という考えから。
 
 とはいえ、始祖の血を引く騏驥に選ばれた騎士であっても、現在過去ともそのほとんど全員は適切な距離感を保っている以上、父がいなくなった理由を騏驥に求めることはできない。
(それ以前にリィとしては、父は騏驥とともに消えたとは思っていないし思いたくないが)

 GDにしてもだ。

 彼はレイ=ジンととてもいい関係を築いているように見える。
「始祖の血を引く騏驥から選ばれた騎士」の鑑ともいえる対応だ。


 そんなレイ=ジンは、リィに目礼すると、GDに言われたようにニコロの方へ向かう。
 つい目で追っていると、「騏驥も色々と大変だ」とGDが言った。

「予定外が重なって、彼らも振り回されてる。落ち着きがなくなり始めている騏驥も出てきたようだし……参るな、こういうのは」
「レイ=ジンは平気だろう?」

 リィが言うと、GDは「当然」というように頷いた。

「ただ、平気であっても、普段はなるべく楽な状態にしておいてやりたいからな。あれは相当に我慢強いだけで、繊細な分、感じるストレスはかなりのもののはずだから……」
 
 自らの騏驥を優しく見つめながらGDは言う。
 互いを理解しあっている関係だと、その視線だけで伝わってくるようだ。
 
「……」

 羨ましいな、とリィは思った。
 今まではそんなこと思わなかったのに、今はなぜかそう感じてしまう。
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