きみよ奇跡の意味を知れ 【本編完結・番外プチ連載5/14完結】

桜以和果

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42 一方、騎士は

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◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「よしよし、もう少しだからな」

 側に繋いでいる馬が、「もう待てない」というようにヒンヒンと声を上げる。
 リィは微笑むと、宥めるようにその馬の首をひと撫でして、仕上げに入った。

 騎士学校の広大な敷地内に点在する厩舎のうちの一つ。
「白の厩舎」と呼ばれる、二十頭ほどの馬が飼われている厩舎の一つの馬房で、リィは大きなスコップのようなフォークのような道具を手に、慣れた様子で寝藁を丁寧に、かつ素早く整えていく。
 住処が綺麗に快適になっていくのが嬉しいのだろう。
 汗を流してぴかぴかになった姿で傍らに繋がれている馬は、リィに声をかけられてもまだそわそわと落ち着かない様子だ。
 その様子を見て、リイは再び小さく笑った。

 乾草と馬の香りの混じった独特の香りの漂う厩舎。
 どれだけ清潔にしていても感じられるこの香りは、慣れない者からすれば一種の異臭にも思えるだろう。
 だがリィは、ここでしか嗅ぐことのできないこの香りがとても好きだった。
 騎士だった父の香りとして記憶に刻まれているからだろうか? とにかく落ちつくのだ。

 遠征から王都へ戻って行われた審議の後。
 リィは、ルーランがゾイエに怪我をさせかけたことについて下された裁定——騎乗実技のやり直しのため、たびたび騎士学校を訪れていた。
 とはいえ、形式的な「やり直し」のため、本来なら、ここで何度か騏驥に騎乗すれば済むことだった。だが、リィはせっかくの機会だからと騏驥への騎乗もおざなりにはしなかった。

 自分の原点となった場所で、自分を育ててくれた騏驥たちに跨り、騎乗していると、初心に戻れる新鮮さがあったし、また、騎士学校の素直な騏驥たちを相手にしていると、いつの間にか付いた自分の騎乗の癖のようなものを改めて感じることができて、今後の糧になったからだ。

 そしてまた、リィは騎乗後の騏驥のケアと世話も怠らなかった。それどころか、さらに時間を作っては普通の馬にも乗り、本来なら騎士学校の生徒がやるような、馬の世話もしてから帰るようにしていた。
 そんなリィに対し、教官たちは、「お前は乗るだけ乗って、そのあとのことは生徒に任せていいんだぞ」と言ってくれたが、リィは、「迷惑でないなら」と、すすんで騏驥や馬の厩舎作業をやっていた。
 自分を乗せてくれた騏驥や馬たちへのささやかなお礼のため。また、こうして世話に夢中になっていると、自分を取り巻く様々なことを忘れられたからだ。
 現実逃避か、と思うと苦笑が漏れるが、思えば昔からそうだった。

 普段から馬の世話は好きだったけれど、騎士学校でも、父のことで他の生徒からちくちくといじめられたときは、特に熱心に馬の世話をしていたものだ。
 多分、好きなものに没頭して嫌なことを忘れたいのだ……。

 リィは馬房を綺麗にし終えると、作業道具を元あったところへ戻し、「待たせたな」と声をかけながら、繋いでいた馬を馬房に戻してやる。
 騏驥と違って本物の馬とは言葉が通じない。けれど、馬房に戻るなり、嬉しそうに寝藁に転がる馬を見ていると、言葉が通じる以上に嬉しくなる。
 真新しい寝藁がよほど気持ちいいのか、忙しなく馬房の中で転げ回る馬の様子は、寝具の心地よさに何度も寝返りを打つ子供を思わせる愛らしさだ。
 リィは馬房の外から馬栓棒ごしにその光景を眺め、頬を綻ばせる。いつまでも眺めていたいとさえ思うほどだ。
 だが……。

 ここでこうして馬の世話をしているという事実は、同時に、自分に制裁が科せられた証でもある。
 これが、騎士としての自分の今後にどう影響してくるか……。
 それを考えると不安になる。家名のために手柄を立てることだけを考えていたはずの自分が、まさか事実をねじ曲げてまで騏驥を庇うことになるなんて……。

 けれど今こうして改めて考えても、「庇わない」という選択肢はなかったと思う。仮に過去に戻ったとしても、同じ選択をしただろう。
 騎士だからこそ、庇わなければと強く思ったのだ。
 騏驥が代わりの聞く兵器——道具だとしても、せめて自分が騎士として騎乗しているときくらいは、彼の行動について責任を取らなければ、と。
 それは騏驥への思い入れのためではなく、騎士の義務だと思うから。

 とはいえ、自分の置かれている状況が、決していいものではないことも事実だ。
 ゾイエに以前にも増して嫌われたことは仕方のないこととして(むしろ好かれたくないので願ったり叶ったりだ)、戦場で騏驥を御しきれなかった騎士という不名誉な裁定が下された自分は、今後どうすれば挽回できるのか……。

 リィが微かに眉を寄せたとき。

「お疲れさん。相変わらず厩舎が好きだな、お前は」

 長靴の足音と共に声がした。
 ヴォエン正教官だ。気づけば、その背後にさらに二人。少年と少女がいる。動きやすそうな格好に乗馬用の長靴——ということは、今から馬に乗るのだろうか。

(でも、生徒二人だけの授業?)

 リィが軽く首を傾げると、察した正教官が言った。

「うちの生徒たちなんだが、お前を見てたら自分たちももっと乗りたいと言い出してな。まあ、いわゆる自主練習だ。お前もよくやってたやつだよ」

「あ……」

「しかもこいつらは、お前と違ってちゃーんと俺に『やりたいです』って相談してきた。そんなわけで、ここに連れてきたわけだ。意欲があるのはいいが、馬にも人にも何かあると困るからな」

 ヴォエンは、過去のリィをからかうように言って笑う。リィは苦笑せずにいられなかった。

 まだここの学生だったころ、リィは授業の実技練習だけでは物足らず、夜中にこっそりと馬に乗る練習をしていたことがあったのだ。隠れて上手くやっていたつもりだったのだが、いつしか「夜中にどこからともなく馬の駆ける音がする」と校内で噂になってしまい、教官にバレてしまったのだ。他の生徒たちには事の顛末を秘密にしてくれたが、「なにかあったらどうするんだ」とえらく怒られてしまった(でも褒められもした)。

 甘酸っぱく、懐かしい思い出。

 改めて生徒たちに目を向けると、二人ははにかむような表情でぺこりと頭を下げる。
「頑張って」と優しくエールを送ると、「はい!」と気持ちのいい返事が揃って返ってくる。
 二人はそのまま厩舎の奥の馬房へ向かうと、やがて、引き出してきた馬に鞍をつけ、共に外の練習用の馬場へ出ていく。きびきびとした気持ちのいい動きだ。
 微笑ましく思いながら、リィが見るともなく目で追っていると、

「懐かしいか?」
 
 ヴォエンが楽しそうに尋ねてきた。
 そして彼は傍らの馬房に目を移すと「綺麗になったな」と目を細めた。
 リィが寝藁を入れ替え、掃除して綺麗にした馬房。まだ馬が転げ回っている馬房だ。

「お前が作業すると、馬房が本当に綺麗になって、見違えるよ。これだけ喜んでるってことは、馬にもよくわかるんだろう。馬の世話や馬に関わる作業の大事さは、生徒たちにも厳しく言ってるつもりなんだが……なにが違うんだろうな。やっぱりこれも熱心さの差なのか……。いや——馬ヘの愛情か」

 ヴォエンは頬を緩めて言うと、リィに向き、「騏驥にも好かれてるみたいじゃないか」と意味深に続ける。
 リィは一瞬戸惑ったものの、彼がなにを言わんとしているのかに思い至り、苦笑した。





 それは、ルーランが謹慎になって程なくのことだった。

 その日、リィは、普段はあまり交流のない東の厩舎地区のとある調教師の元を訪れていた。
 その調教師は、騎士を相手にしていてもざっくばらんな応対をすることで有名で——と同時に、数多くの有力な騏驥を育てたことでも有名で、勲章も授与されている名伯楽だったのだが、彼曰く「ぜひ乗ってみてほしい騏驥がいる」ということで、「一度見るだけでもいいから」と乞われてやってきたのだった。

 騎士は、騏驥の所属が西だろうが東だろうが関係なく騎乗するが(そもそも、西と東に大きな違いはない。若干の地形の違いにより、調教方法に少々違いがある程度だ)、リィはルーランに騎乗してばかりだったため、自然と東厩舎からは足が遠のいていた。
 ルーラン以外の騏驥の騎乗調教をするときも、なんとなく、西の騏驥にばかり乗ることが多かったのだ。
 
 だからしばらくルーランに乗れなくなり、新たにメインの騏驥を探さなければならなくなったときも、多かったのは西の調教師からの誘いだった。
 それまで何度か訓練や調教で乗っていた騏驥の中から改めて選んでみてはどうか、と打診されたのだ。
 リィの好みや乗り方の癖、そして騏驥との相性を、調教師たちもある程度把握していたからだろう。
 
 にもかかわらず、今回、東厩舎へ来た理由は二つある。

 まず一つは、ルーランの「彼の後釜」とも言える騏驥を、彼もいる西の厩舎で見つけることに抵抗を感じていたからだった。
 別にどこから選んだところで問題はないし、そもそも騎士が騏驥に配慮する必要もないのだが、どうしてもリィは引っかかりを感じ、西ではなかなか選べずにいたのだ。

 そんな折、たまたまとはいえ、東から「見てみないか」と誘いがあった。
 それが、理由の二つ目だった。

 調教師は、騎士に比べて騏驥に関わる時間が長い分、彼らに大きな影響を与えることになる。
 相性のいい調教師や腕のいい調教師のもとで過ごせば、それぞれの能力が引き出されやすくなるし、その逆も然りだ。
 騏驥に与える食べ物ひとつとっても調教師ごとに考え方が違い、だから有能な調教師は時に騎士にも意見することがある。
 
 立場的にはどちらが上ということもないが、リィは若い分、全ての調教師が自分よりも騏驥に対してベテランと言っていい。
 そんな調教師に誘われれば断るのも申し訳なく、「それならば」とやってきたのだった。

 放牧場に出ているというその騏驥のもとへ向かう最中、伯楽はリィの来訪を喜び、弾む声で話してくれた。

『本来なら始祖の血を引く騏驥でもない一介の騏驥の方から、騎士についてあれこれ希望を出すのは御法度とはわかってるんだがな。彼はあんたの騎乗を熱望していて……。まあ、調教師としてはできれば叶えてやりたいわけだ。自慢の騏驥の一頭だし、下手な奴に任せたくないんでね』


 そしてリィの前に現れた騏驥。
 そこにいたのは、いかにも躾の行き届いた、若い牡の騏驥だった。

 健康そうな均整の取れた体躯。
 すっきりと伸びた背中に、綺麗に梳かれた髪。
 澄んだ茶色の瞳からは、聡明さや従順さが伝わってくる。
 人間ならば「好青年」の見本というところか。
 
 彼は、『よろしくお願いします』と、礼儀正しくリィに挨拶すると、ダンジァと名乗った。

『ダンと呼んで下さい』

 聞き取りやすい声音や佇まいも清々しく、対面していて気持ちがいい。

 見た目も態度も、東厩舎の若手の中では一番、という評価に偽りはないようだ。
 傍で見守っている調教師も、自信満々と言った顔だ。

 きっと馬の姿になっても良さは際立っているのだろう。心身共に健やかで、鞍上の指示をよく聞き入れる、いい騏驥に違いない。
 リィがよく知る騏驥とはまるで違うのだろう。

 そんなダンジァを好ましく思いながら、リィは「よろしく」と挨拶を返した。


 ◇


 それからというもの、リィはほぼ毎日東厩舎に赴き、彼に騎乗するようになった。
 その回数が十を超えた今では、もうダンジァは「リィのお手騏驥」と言っていいだろう。*
 調教師も、周囲もそう思っているに違いない。
 
 リィは新たにダンジァをメインの騏驥として選んだ。
 ダンジァはリィに選ばれた、と。
 
 実際、彼はいざ騎乗しても、リィの想像を裏切ることのない乗りやすい騏驥だった。
 安定感も速さも抜群で、騎士の意図をきちんと汲み、最小限の手綱の動きでよく反応し、いつも最善の動きをする。
 遠征や実戦経験こそないものの、自分のような騎士にはもったいないぐらいの——と言ってもいいほどの、良い騏驥だ。
 
 そう。
 良い騏驥——なのだ。


 でも……。
 
 ——でも。 
 
 彼に乗る回数を重ねるたび、リィはそう思わずにいられなかった。
 
 なにが悪いわけではない。
 それどころか、悪いところなど見あたらない。
 良い騏驥。
 申し分のない騏驥。
 
 でも——。
 
 それなのに、どうして「違う」と感じてしまうのだろう? 
 
 人の姿のときだって、こちらの話をよく聞き、尋ねたことには的確な答えを返してくる。
 出しゃばることは決してなく、しかし臆することもない。
 そのうえ、「ずっと乗ってもらいたかった」「乗ってもらえて嬉しい」という態度を素直に表すのだ。そんな風に慕われれば、こっちだって悪い気はしない。 
 
 なのに——。
 
 リィはそんなダンジァに乗れば乗るほど、接すれば接するほど、比べたくないのにいつの間にか、気付けばルーランと比べてしまっていた。

 あの狂気の騏驥。
 鞍上に大人しく従う気など微塵もなく、自分の好き勝手に振る舞うことだけを考えているかのような騏驥。

 けれどあれは、狂気とともに周囲を威圧するほどの生命力に溢れていた。
 ただそこに佇んでいるだけで「生」を漲らせていた。
 この騏驥となら、彼となら、どんな死地からでも絶対に生きて帰ってこられると、そう心から信じられるほどの。

 そしてあの——何にも比べられないほどの乗り味の良さ……!
 
 そんな想いが、自分でも気付かないうちに——気付かないほど深くに、ずっとずっと胸の中にあったからだろうか。





『あの……リィ様』

 昨日、それまでのようにダンジァに調教をつけた後。
 人の姿に戻り、身なりを整えて再びリィの前に姿を見せた彼を、いつものように労い、二、三言葉を交わし、では帰ろうかとしたとき。
 突然、思い詰めたような顔の彼に引き留められたのだ。

 騎乗調教といっても、走り方や性格に特に問題があるわけではない彼とのそれは、毎回、リィが実際に乗って彼を走らせてやる——という程度の軽いものだった。
 手綱や鞭を通してきちんと意思の疎通ができるか、負荷をかけても心肺機能や脚に問題はないか……。
 つまりは、心身共に健康かどうか、騏驥としてしっかりと動けるかというチェック程度のものだ。
 もちろん、ときによっては思い切りスピードを出させてみたり、起伏のあるコースを駆け回らせてみたりもするが、彼はなにをしても充分な走りぶりを見せていた。鞭だって、ほとんど使わなかったぐらいだ。
 腹に軽くきゃくを入れ、合図の見せ鞭だけで、リィの意図通り速やかに加速した。

 いつもいつも、彼の騎乗調教はスムーズだった。
 だから、なんだか困っているような顔の彼に引き留められたときは、戸惑ったほどだった。







———————————————

お手騏驥……競馬用語である「お手馬」からの作者の造語。
「お手馬」とは「ある馬にひとりの騎手がずっと騎乗していてその馬の癖、性質等を熟知している場合、その馬をお手馬という」(JRA・HPより)、となります。
乗っている本人が、と言うよりも周囲がそう認識する感じですね。
(「○○という馬は△△騎手のお手馬だ」——みたいな言い方をします)

乗り手は複数の「お手馬」を持つことができるので、この作中では、リィにとってはルーランもまた「お手騏驥」です。
(ただし、今のルーランはそういう「飼い慣らされている」ような言われ方は嫌いそうですが)
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