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65 応
しおりを挟む「ぁ……」
何かのきっかけでふっと意識が引き戻され、リィは小さく声を零した。
なんとか瞼を上げるが、視界ははっきりせず滲んでいる。
まただ。
またぼんやりしていた。
リィはそんな自分に眉を寄せ、キュッと唇を噛んだ。
逃げることを諦めた訳でもないのに、どうしてこんなに……「しっかりしていなければ」という気力を削がれるのだろう。
何もないところに、ほぼずっと一人にされ続けているにしてもだ。
こんなに滅入り、しかも意識が朦朧としてしまうなんて。
(何もない……)
そう。この牢のような場所は確かに何もない。
三方が岩で、それだけだ。
そしてそこには意味のない模様が描かれていて……。
「……」
リィは虚ろにそれを見やる。
意味のない模様。
本当にそうだろうか。そうだっただろうか。
どこかで見たような気がするのだ。
でも思い出せない。
気を変えるように、後ろ手に拘束されている両手を振ってみる。
外れないかと期待するが、繋がれたままだ。
この分では、逃げる機会があるとすればここから出される時しかないだろう。
彼らが自分を本当に売る気なのかどうかはわからないが、ずっとここに留め置くのでない限りは、必ずどこかに移動する。逃げるならその時だ。
だから。
その時まで意識をしっかりと保っておかなければならないのに。
「っ」
リィは「しっかりしろ」と自分に言い聞かせると、そのためにも何か考えよう、試みる。
何か考えよう。考えるのだ。そうしていれば意識も保てるだろう。
なんでもいい。逃げるための算段でも逃げた後のことでも。なんなら今までで一番楽しかったことでも頭にきたことでもいいではないか。
とにかく考えて、正気でいることが肝心だ。
リィは息をつくと、過去に、未来に想いを馳せる。
ここから逃げたら、王都で自分に起こったことの報告をする必要があるだろう。
捕えられた恥を口にするのは勇気がいるが、今後のためを思えば仕方がない。
なるべく詳しく話して、自分のような者を二度と出さないようにしなければ。
もしまたこんなことがあれば、傷つく騏驥だってまた出てくるかもしれないのだから。
騏驥——。
そうだ、ダンジァは……。
想像すると、あの若い男が口にした嘲りの言葉が蘇ってくる。
『廃用』
『自己満足に付き合わせて、死への一本道を走らせたご気分はどうですか』
リィはその言葉を散らすように頭を振った。
大丈夫だ。
ダンジァは、きっと大丈夫だ。
きっと無事にどこかの村に辿り着いて、きちんと治療を受けられているはずだ。
あの足だって、身体だってちゃんと元に戻る。
廃用になんかならない。
処分なんかされない。
素質のある素晴らしい騏驥なのだ。
素直で忠実で……。
それゆえに自分を守ろうしてあんな……。
「——大丈夫だ」
再び襲ってきそうになる鬱々とした想像を吹き飛ばすように、リィは敢えて声に出して言う。
そうしていないと、不安に押しつぶされそうになる。
そして気づけば、また鬱蒼とした昏さの中に引き込まれそうになる。
(なんだこれは)
なんなのだ。
どうしてこんなに意識が混濁する?
まるでこの場所自体が影響しているかのようだ。
不安や恐怖や混乱や困惑。そんなものが、気を抜けばすぐに胸の中に流れ込んでくる。
リィはぎゅっと拳を握りしめた。
そこにある見えない手綱を握りしめるように。
手綱。
手綱——。
そうだ。この先は、いつも騏驥に繋がっていた。
騏驥。
だから安心できた。
——そうだ。
(私が置いてきた騏驥)
あれはどうしているのだろうか。
リィの脳裏をルーランの姿が過ぎる。
自分以外の騎士を乗せているのだろうか。
私ではない騎士を乗せて、駆けているのだろうか。
あの、素晴らしい速さで。素晴らしい乗り味を、他の誰かにも……。
——嫌だ。
リィは唇を噛んだ。
彼を死なせたくはない。彼が処分されるのは嫌だ。
けれど彼が他の誰かを乗せるのもどうしても嫌だ。
嫌だ。
帰りたい。
王都に。
彼の背の上に。
けれど私は彼を見捨てた。
彼を手放したのだ。
私を拒絶した彼を、それでも従える自信がなくて。
そして。
何かを踏み越えそうな自分が怖くて。
あの時が、結局彼と会った最後になってしまった……。
思い返し、リィは深くうなだれる。
「そういえば……」
最後に呼ばれた気がしたな、と思い出す。
彼の馬房を出た瞬間。
彼に呼ばれた気がした。
呼ばれた気がして……けれど振り返れなかった。
聞き間違いかもしれないと思って。
気のせいかもしれないと思って。
振り返った先の彼の顔を見るのが怖くて。
「……」
思い出すと、目の奥がじわじわ熱くなる。泣きたくなくて、きつくきつく唇を噛む。
振り向けばよかった。
聞き間違いだったとしても。気のせいだったとしても。彼がどんな顔をしていたとしても。
もう二度と会えなくなってしまったかもしれないのに。
最後に見た彼は、途方に暮れたような顔をしていた。捨てられたような寂しげな目をしていた。
自分の騏驥にそんな顔をさせたくはなかったのに。
あんな表情の彼が最後の記憶になるなんて。
振り向けば良かった。
応えればよかった。
もし今同じように呼ばれれば、何があっても絶対に応えるのに。
そう、思った時。
「リィ——」
どこからか、名前を呼ぶ声が聞こえた。
リィはびくりと身を竦ませた。
気のせいか。幻聴か?
いや——。
「リィ」
その声は、何度も聞いた声だ。
聞き覚えがあるどころではない。何度となく、百度も千度も聞いた声だ。
生意気で偉そうで強かで反抗心強く、こちらに従う気などさらさらない声。
けれど何より頼もしく、誰より深く繋がっていた声だ。
「——リィ」
聞こえるはずがない。
でも聞こえる。
絶対に間違えない。
私の騏驥の声。
ならば、それは夢でも幻でもなく事実で正解だ。
「ルーラン……」
リィは応じるように声を上げた。
一人きりの牢の中。けれど絶対に届くと信じて。
「ルーラン!」
私の騏驥。
お前の騎士はここにいる。
早くここにやって来い。
すぐにお前に乗ってやる。
お前に乗ることを待ち侘びている騎士がここにいる。
「っ……ルーラン——!!」
繋がれたまま、リィは声に限りに叫ぶ。
幾度となく舌に乗せた名。
それは、私に特別な悦びを与えてくれるただ一頭の騏驥の名前。
次の瞬間。
ドォン———……と、天が落ちたかのような地が裂けたかのような、辺りの空気を揺らすほどの聞いた事がないほどの激しい破壊音が轟く。
残響が尾を引く中、囚われている牢の壁の一つが、見る間にガラガラと崩れ落ちていく。
唖然とするリィの前、立ち込めるもうもうとした土煙の中、瓦礫を踏みわけ蹴散らし、悠然と姿を見せたのは——。
緑がかった毛色の馬体。首に右前、左後ろに三つの輪。
他でもない。
この世で唯一のリィの騏驥。
——ルーランだった。
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