きみよ奇跡の意味を知れ 【本編完結・番外プチ連載5/14完結】

桜以和果

文字の大きさ
66 / 98

65 応

しおりを挟む


「ぁ……」

 何かのきっかけでふっと意識が引き戻され、リィは小さく声を零した。
 なんとか瞼を上げるが、視界ははっきりせず滲んでいる。
 まただ。
 またぼんやりしていた。

 リィはそんな自分に眉を寄せ、キュッと唇を噛んだ。

 逃げることを諦めた訳でもないのに、どうしてこんなに……「しっかりしていなければ」という気力を削がれるのだろう。
 何もないところに、ほぼずっと一人にされ続けているにしてもだ。
 こんなに滅入り、しかも意識が朦朧としてしまうなんて。

(何もない……)

 そう。この牢のような場所は確かに何もない。
 三方が岩で、それだけだ。
 そしてそこには意味のない模様が描かれていて……。

「……」

 リィは虚ろにそれを見やる。
 意味のない模様。
 本当にそうだろうか。そうだっただろうか。
 どこかで見たような気がするのだ。
 でも思い出せない。

 気を変えるように、後ろ手に拘束されている両手を振ってみる。
 外れないかと期待するが、繋がれたままだ。

 この分では、逃げる機会があるとすればここから出される時しかないだろう。
 彼らが自分を本当に売る気なのかどうかはわからないが、ずっとここに留め置くのでない限りは、必ずどこかに移動する。逃げるならその時だ。
 だから。
 その時まで意識をしっかりと保っておかなければならないのに。

「っ」

 リィは「しっかりしろ」と自分に言い聞かせると、そのためにも何か考えよう、試みる。
 何か考えよう。考えるのだ。そうしていれば意識も保てるだろう。

 なんでもいい。逃げるための算段でも逃げた後のことでも。なんなら今までで一番楽しかったことでも頭にきたことでもいいではないか。
 とにかく考えて、正気でいることが肝心だ。

 リィは息をつくと、過去に、未来に想いを馳せる。
 ここから逃げたら、王都で自分に起こったことの報告をする必要があるだろう。
 捕えられた恥を口にするのは勇気がいるが、今後のためを思えば仕方がない。
 なるべく詳しく話して、自分のような者を二度と出さないようにしなければ。
 もしまたこんなことがあれば、傷つく騏驥だってまた出てくるかもしれないのだから。

 騏驥——。

 そうだ、ダンジァは……。

 想像すると、あの若い男が口にした嘲りの言葉が蘇ってくる。

『廃用』
『自己満足に付き合わせて、死への一本道を走らせたご気分はどうですか』
 


 リィはその言葉を散らすように頭を振った。
 
 大丈夫だ。
 ダンジァは、きっと大丈夫だ。
 きっと無事にどこかの村に辿り着いて、きちんと治療を受けられているはずだ。
 あの足だって、身体だってちゃんと元に戻る。
 廃用になんかならない。
 処分なんかされない。
 
 素質のある素晴らしい騏驥なのだ。
 素直で忠実で……。
 それゆえに自分を守ろうしてあんな……。

「——大丈夫だ」

 再び襲ってきそうになる鬱々とした想像を吹き飛ばすように、リィは敢えて声に出して言う。
 そうしていないと、不安に押しつぶされそうになる。
 そして気づけば、また鬱蒼とした昏さの中に引き込まれそうになる。

(なんだこれは)

 なんなのだ。
 どうしてこんなに意識が混濁する?

 まるでこの場所自体が影響しているかのようだ。
 不安や恐怖や混乱や困惑。そんなものが、気を抜けばすぐに胸の中に流れ込んでくる。

 リィはぎゅっと拳を握りしめた。
 そこにある見えない手綱を握りしめるように。

 手綱。
 手綱——。

 そうだ。この先は、いつも騏驥に繋がっていた。

 騏驥。
 
 だから安心できた。

 ——そうだ。

(私が置いてきた騏驥)

 あれはどうしているのだろうか。

 リィの脳裏をルーランの姿が過ぎる。

 自分以外の騎士を乗せているのだろうか。
 私ではない騎士を乗せて、駆けているのだろうか。
 あの、素晴らしい速さで。素晴らしい乗り味を、他の誰かにも……。

 ——嫌だ。


 リィは唇を噛んだ。

 彼を死なせたくはない。彼が処分されるのは嫌だ。
 けれど彼が他の誰かを乗せるのもどうしても嫌だ。
 
 嫌だ。
 帰りたい。
 王都に。
 彼の背の上に。


 けれど私は彼を見捨てた。
 彼を手放したのだ。
 私を拒絶した彼を、それでも従える自信がなくて。
 そして。
 何かを踏み越えそうな自分が怖くて。

 あの時が、結局彼と会った最後になってしまった……。


 思い返し、リィは深くうなだれる。


「そういえば……」

 最後に呼ばれた気がしたな、と思い出す。
 彼の馬房を出た瞬間。
 
 彼に呼ばれた気がした。
  
 呼ばれた気がして……けれど振り返れなかった。
 聞き間違いかもしれないと思って。
 気のせいかもしれないと思って。
 振り返った先の彼の顔を見るのが怖くて。

「……」

 思い出すと、目の奥がじわじわ熱くなる。泣きたくなくて、きつくきつく唇を噛む。

 振り向けばよかった。

 聞き間違いだったとしても。気のせいだったとしても。彼がどんな顔をしていたとしても。

 もう二度と会えなくなってしまったかもしれないのに。

 最後に見た彼は、途方に暮れたような顔をしていた。捨てられたような寂しげな目をしていた。
 自分の騏驥にそんな顔をさせたくはなかったのに。
 あんな表情の彼が最後の記憶になるなんて。


 振り向けば良かった。
 応えればよかった。

 もし今同じように呼ばれれば、何があっても絶対に応えるのに。


 そう、思った時。




「リィ——」



 どこからか、名前を呼ぶ声が聞こえた。
 リィはびくりと身を竦ませた。
 気のせいか。幻聴か?

 いや——。



「リィ」



 その声は、何度も聞いた声だ。
 聞き覚えがあるどころではない。何度となく、百度も千度も聞いた声だ。
 生意気で偉そうで強かで反抗心強く、こちらに従う気などさらさらない声。
 けれど何より頼もしく、誰より深く繋がっていた声だ。



「——リィ」

 聞こえるはずがない。
 でも聞こえる。
 絶対に間違えない。
 私の騏驥の声。


 ならば、それは夢でも幻でもなく事実で正解だ。



「ルーラン……」


 リィは応じるように声を上げた。
 一人きりの牢の中。けれど絶対に届くと信じて。



「ルーラン!」



 私の騏驥。
 お前の騎士はここにいる。
 早くここにやって来い。
 すぐにお前に乗ってやる。
 お前に乗ることを待ち侘びている騎士がここにいる。



「っ……ルーラン——!!」


 繋がれたまま、リィは声に限りに叫ぶ。
 幾度となく舌に乗せた名。
 それは、私に特別な悦びを与えてくれるただ一頭の騏驥の名前。






 次の瞬間。

 ドォン———……と、天が落ちたかのような地が裂けたかのような、辺りの空気を揺らすほどの聞いた事がないほどの激しい破壊音が轟く。
 残響が尾を引く中、囚われている牢の壁の一つが、見る間にガラガラと崩れ落ちていく。
 唖然とするリィの前、立ち込めるもうもうとした土煙の中、瓦礫を踏みわけ蹴散らし、悠然と姿を見せたのは——。



 緑がかった毛色の馬体。首に右前、左後ろに三つの輪。
 他でもない。
 この世で唯一のリィの騏驥。

 

 ——ルーランだった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ヒールオメガは敵騎士の腕の中~平民上がりの癒し手は、王の器に密かに溺愛される

七角@書籍化進行中!
BL
君とどうにかなるつもりはない。わたしはソコロフ家の、君はアナトリエ家の近衛騎士なのだから。 ここは二大貴族が百年にわたり王位争いを繰り広げる国。 平民のオメガにして近衛騎士に登用されたスフェンは、敬愛するアルファの公子レクスに忠誠を誓っている。 しかしレクスから賜った密令により、敵方の騎士でアルファのエリセイと行動を共にする破目になってしまう。 エリセイは腹が立つほど呑気でのらくら。だが密令を果たすため仕方なく一緒に過ごすうち、彼への印象が変わっていく。 さらに、蔑まれるオメガが実は、この百年の戦いに終止符を打てる存在だと判明するも――やはり、剣を向け合う運命だった。 特別な「ヒールオメガ」が鍵を握る、ロミジュリオメガバース。

俺のファルハ 《黒豹獣人と俺》

大島Q太
BL
《黒豹獣人×異世界転移者》 マナトは子供を助けてトラックにひかれそうになった瞬間、異世界転移し、ついた先はジャングルの中だった。マナトを拾ったのは褐色の黒豹獣人ナミル。ナミルは俺を「ファルハ」と呼び甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。流されやすい主人公とそれを溺愛する原住民の話。

塔の上のカミーユ~幽囚の王子は亜人の国で愛される~【本編完結】

蕾白
BL
国境近くにあるその白い石の塔には一人の美しい姫君が幽閉されている。 けれど、幽閉されていたのはある事情から王女として育てられたカミーユ王子だった。彼は父王の罪によって十三年間を塔の中で過ごしてきた。 そんな彼の前に一人の男、冒険者のアレクが現れる。 自分の世界を変えてくれるアレクにカミーユは心惹かれていくけれど、彼の不安定な立場を危うくする事態が近づいてきていた……というお話になります。 2024/4/22 完結しました。ありがとうございました。 

聖者の愛はお前だけのもの

いちみりヒビキ
BL
スパダリ聖者とツンデレ王子の王道イチャラブファンタジー。 <あらすじ> ツンデレ王子”ユリウス”の元に、希少な男性聖者”レオンハルト”がやってきた。 ユリウスは、魔法が使えないレオンハルトを偽聖者と罵るが、心の中ではレオンハルトのことが気になって仕方ない。 意地悪なのにとても優しいレオンハルト。そして、圧倒的な拳の破壊力で、数々の難題を解決していく姿に、ユリウスは惹かれ、次第に心を許していく……。 全年齢対象。

ちびドラゴンは王子様に恋をする

カム
BL
異世界でチート能力が欲しい。ついでに恋人も。そんなお願いをしたら、ドラゴンに生まれ変わりました。 卵から孵してくれた王子様に恋をして、いろいろ頑張るちびドラゴンの話。(途中から人型になります) 心優しい第三王子×時々チートな働き者のドラゴン 表紙イラストはしけつ(ck2)さまにいただきました。ありがとうございます。

愛しの妻は黒の魔王!?

ごいち
BL
「グレウスよ、我が弟を妻として娶るがいい」 ――ある日、平民出身の近衛騎士グレウスは皇帝に呼び出されて、皇弟オルガを妻とするよう命じられる。 皇弟オルガはゾッとするような美貌の持ち主で、貴族の間では『黒の魔王』と怖れられている人物だ。 身分違いの政略結婚に絶望したグレウスだが、いざ結婚してみるとオルガは見事なデレ寄りのツンデレで、しかもその正体は…。 魔法の国アスファロスで、熊のようなマッチョ騎士とツンデレな『魔王』がイチャイチャしたり無双したりするお話です。 表紙は豚子さん(https://twitter.com/M_buibui)に描いていただきました。ありがとうございます! 11/28番外編2本と、終話『なべて世は事もなし』に挿絵をいただいております! ありがとうございます!

捨てられた生贄オメガ、魔王城で極上の『巣作り』始めます!~不眠症の魔王様、私のクッションで爆睡して溺愛モードに突入~

水凪しおん
BL
「役立たずのオメガ」として冷遇され、血も涙もない魔王への生贄として捨てられたリノ。 死を覚悟して連れてこられた魔王城は、寒くて硬くて、居住性最悪のブラック環境だった!? 「こんなところで寝られるか!」 極限状態で発動したオメガ特有の『巣作り本能』と、神業レベルの裁縫スキルが火を噴く! ゴミ同然の布切れをフカフカのクッションに、冷たい石床を極上のラグマットにリフォーム。 すると、不眠症で常にイライラしていた魔王ザルドリスが、リノの作った「巣」のあまりの快適さに陥落してしまい……? 「……貴様、私を堕落させる気か」 (※いいえ、ただ快適に寝たいだけです) 殺されるどころか、魔王様に気に入られ、気付けば城中がリノの虜に。 捨てられた生贄オメガが、裁縫一つで魔王城を「世界一のマイホーム」に変える、ほのぼの逆転溺愛ファンタジー!

転生したら、主人公の宿敵(でも俺の推し)の側近でした

リリーブルー
BL
「しごとより、いのち」厚労省の過労死等防止対策のスローガンです。過労死をゼロにし、健康で充実して働き続けることのできる社会へ。この小説の主人公は、仕事依存で過労死し異世界転生します。  仕事依存だった主人公(20代社畜)は、過労で倒れた拍子に異世界へ転生。目を覚ますと、そこは剣と魔法の世界——。愛読していた小説のラスボス貴族、すなわち原作主人公の宿敵(ライバル)レオナルト公爵に仕える側近の美青年貴族・シリル(20代)になっていた!  原作小説では悪役のレオナルト公爵。でも主人公はレオナルトに感情移入して読んでおり彼が推しだった! なので嬉しい!  だが問題は、そのラスボス貴族・レオナルト公爵(30代)が、物語の中では原作主人公にとっての宿敵ゆえに、原作小説では彼の冷酷な策略によって国家間の戦争へと突き進み、最終的にレオナルトと側近のシリルは処刑される運命だったことだ。 「俺、このままだと死ぬやつじゃん……」  死を回避するために、主人公、すなわち転生先の新しいシリルは、レオナルト公爵の信頼を得て歴史を変えようと決意。しかし、レオナルトは原作とは違い、どこか寂しげで孤独を抱えている様子。さらに、主人公が意外な才覚を発揮するたびに、公爵の態度が甘くなり、なぜか距離が近くなっていく。主人公は気づく。レオナルト公爵が悪に染まる原因は、彼の孤独と裏切られ続けた過去にあるのではないかと。そして彼を救おうと奔走するが、それは同時に、公爵からの執着を招くことになり——!?  原作主人公ラセル王太子も出てきて話は複雑に! 見どころ ・転生 ・主従  ・推しである原作悪役に溺愛される ・前世の経験と知識を活かす ・政治的な駆け引きとバトル要素(少し) ・ダークヒーロー(攻め)の変化(冷酷な公爵が愛を知り、主人公に執着・溺愛する過程) ・黒猫もふもふ 番外編では。 ・もふもふ獣人化 ・切ない裏側 ・少年時代 などなど 最初は、推しの信頼を得るために、ほのぼの日常スローライフ、かわいい黒猫が出てきます。中盤にバトルがあって、解決、という流れ。後日譚は、ほのぼのに戻るかも。本編は完結しましたが、後日譚や番外編、ifルートなど、続々更新中。

処理中です...