きみよ奇跡の意味を知れ 【本編完結・番外プチ連載5/14完結】

桜以和果

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【番外】二人で紡ぐ未来 ——年が変わっても—— *有*

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(足りないものはなかったかな)

 手にしている籠の中のものを頭の中で確認しながら、リィは騎士学校の敷地内にある「館」を目指していた。
 落ち着かなければと思っていても、ついつい早足になる。
 自らの騏驥であり、今やそれ以上に大切な関係となったルーランが待っている、と思うとどうしても気が逸ってしまうのだ。
 早く乗りたい、早く会いたい——そんな風に思ってしまって。

 
 そもそも、この年明けの初めての騎乗も、実のところは一日早い。
 本当の馬場開きは明日なのだ。
 年が変わって五日目である明日の朝、厩舎地区や騎士学校、王城の全ての馬用と騏驥用の馬場が一斉に開放され、新しい年の初の調教が開始される——というのが恒例の流れだ。
 だから、今日ここへくるまでの間も、他の騎士には誰にも会わなかった。
 リィも、去年まではそれに従っていた。四日までは休日で、五日からまた騏驥たちに調教をつける——それが当たり前のことだと思っていたから。

 けれど今年は。
 この年明けは違っていた。

 五日までじっとしているのが我慢できなくて、早く彼に乗りたくて、騎士学校に無理を言って馬場を使わせてもらえるようにしたのだった。
 しかも、

『わたしの騏驥は大人しくしているのが苦手なんだ。気性もあまり良くないし、万が一、何かあってからでは遅いし、騒ぎを起こす前に少しガス抜きをしてやりたい』

 ——なんて、我ながらよく言ったものだと思う。
 確かに、ルーランならその可能性はあるが、これではまるで脅しだ。
 こんなことまで言って、早く彼に会おうとしている自分が自分で信じられない。
 もしかして、ルーランに毒されてきているのだろうか。
 あの、奔放な騏驥に……?

(……)

 想像すると、ちょっと怖い。 
 ともあれ、希望は通った。今日はルーランに乗れる。騎士学校のあまり広くはない馬場でだが、それでも彼に跨がれるなら嬉しい限りだ。
 想像すると、自然と頬が緩む。

 乗るのは十日ぶりぐらいだろうか。
 騎士が乗っていない時でも、騏驥は最低限の運動をしているはずだ。だから、身体が鈍っているようなことはないだろうが……。
 
(機嫌の方はどうだろうか……)

 なにしろ、じっとしていることに苦痛を覚える騏驥だ。
 年変わりの数日間、本当にじっとしていただろうか。
 していたならいいが……。いいが、だとすれば今日はその反動が心配でもある。
 
(まさか騎士学校の馬場から逃げようなんて考えないだろうな……)

 ルーランには、既に今日乗ることは伝えてある。
 迎えにいくから待っていろ、と伝えてある。
 その時に騎士学校の馬場で乗れるようになったことも伝えたから、彼もその心づもりでいる、と思いたいが……。

(遠乗りなんか期待していないだろうな)

 流石に、馬場開き前にそんなに目立つことはできない。
 考えながら、リィが「館」に近づいていると、

「——リィ!!!!」

 不意に、大きな声で名前が呼ばれる。朝の張り詰めた空気を破るような快活な声だ。と同時に、誰かが走って近づいてくるのが見える。
 遠くから、グングン近づいてくる影。
 それは、他でもない。
 今まさに会いに行こうと思っていた男、ルーランだった。

 待ちきれなかったのだろうか?
 部屋にいるだろうと思っていたのに——と、驚くリィをよそにルーランは跳ねるような勢いで真っ直ぐに駆けてくると(どうやら彼は人の姿の時でも足が速いようだ)、腕が届くところまで来るや否や、挨拶すらなく、きつくリィを抱きしめた。

「リィ——!」

 会いたかった会いたかった会えて嬉しい——と、どんな言葉で伝えるより雄弁にその腕と全身で告げるように、ルーランはぎゅっとリィを抱きしめてくる。

「ル……」

 息もできなくなるほどの、強い抱擁。
 それは苦しく、けれど喩えようもないほどの幸せをつれてくる。
 リィは一瞬、「往来でなんてことを!」とルーランを引き剥がそうとしたが、その考えは半秒もたたないうちに霧散した。
 会いたかったのは、リィも同じだ。
 明日まで待てなかったのも。ついつい急ぎ足になってしまったのも。
 そして何より、こうして彼に抱き締められることは嬉しい。
 しばらくされるままになり、お返しのようにルーランの背に手を回すと、リィの耳の少し上から「ふふ」と笑ったような声がした。

「久しぶりだから、なんかめちゃくちゃ嬉しい」

「……部屋で待ってろと言っただろう」

「待てなかったんだよ。っていうか、せっかく迎えに出てきたのにその言い方はないだろ」

「……」

「心配しなくても、誰も見てない。学校の敷地内って言っても、こんな外れまで来るやつなんかいないさ。そもそも生徒たちはほとんど帰省してるんだろ」

「……」

 まあ——それは確かに。
 だがそれでも、ここは往来なのだ。二人きりの部屋とは違う。
 今の状態ならまだ「年明けの再会を喜ぶ騎士と騏驥の抱擁」で済むが、これ以上親密なところを見られては何を噂されるかわかったものではない。
 リィはそう判断すると、ルーランの背に回していた腕を解く。と、彼もリィのその様子で察したのだろう。
 リィの身体を甘く拘束していた腕を解く。
 そして改めて見つめてきた。

「久しぶり、リィ」

「久しぶり……だな。大人しくしていたか」

 走ってきたせいだろう。乱れている前髪を整えてやりながらリィが言うと、ルーランは目を細めて微笑む。
 質問への答えになっていない。けれどその笑みは本当に嬉しそうで、だからリィも答えなんかどうでもよくなってしまう。

 約十日ぶりにみる彼は、相変わらずの端正な貌だ。
「館」での暮らしが合っているのだろうか。厩舎地区で暮らしていた頃よりもいくらか大人っぽくなったようにも感じられる。
 外見は——だが。
 それとも、年が変わって一つ歳をとったからそう思うのだろうか。*
(*注:馬は個体の誕生日がどうあれ、年が明けると一斉に一つ歳をとったとみなされます)
 


(でも……)

 待ちきれずに駆け寄って来る辺りは変わっていないな。

 リィは胸の中で苦笑する。
 おそらく、彼の耳にはリィの足音が聞こえたのだろう。騏驥は耳がいい。しかも、彼が言っていたように普段騎士学校にいる生徒たちはほとんどが帰省しているから、校内はいつもより静かだ。
 そんな中で足音が聞こえたなら、気になって当然——というところか。
 普段は我儘で尊大な様子も見せる彼だが、一方でこうした可愛らしさもある。そこがたまらなく魅力的だった。

(まあ、そんな魅力はこちらの気苦労にも繋がるのだがな……)

 長所と短所は表裏一体——とはよく言ったものだ。
 リィが「うんうん」と頷いていると、その手がグイと引っ張られた。

「ほら、さっさと行こうぜ。早くあんたに乗ってもらいたくて、ウズウズしてたんだよ」

「ちょっ、ちょっと待て、荷物が……」

「荷物?」

「ああ。お前の部屋に、一度……」

「今から戻るのなんかかったるいよ。後回しでいいだろ。だめ?」

「だめ……ではないが……」

 そんなに性急に乗ることになると思っていなかったから、気持ちの切り替えができていない。
 予定では、彼の部屋を訪ねて荷物を置いて一息ついて改めて一緒に馬場へ向かうつもりだったのだが。

 だが、視線の先のルーランはもうすっかり「乗ってもらう気」のようだ。
 走る気満々の様子だ。
 
「ほら、行こうぜ」

 そして再び手を引かれると、リィも「それなら……」という気になる。
 籠の中のものが気になるとはいえ、別にすぐにどうこうというものでもない。
 それに、ルーランに乗るために、乗りたくてここへやってきたのだ。
 彼もまたやる気なら、それに水を差す気はない。

「わかった、行こう」

「ん。それ、持ってやるよ」

 そしてルーランはリィの手から籠を取る。
 途端、彼の鼻が微かに動いた。嬉しそうにリィを見る。

「鼻がいいな」

 リィが言うと、彼は「部屋に戻ってからも楽しみがあるなんて最高だ」と笑った。





 そんなふうにして思いがけず早まった調教だったが、いざ跨ってみればルーランの乗り味は相変わらずの素晴らしさだった。
 本当に——信じられないほどの良さだ、と毎回リィは思う。

 メインの騏驥はあくまでルーラン一頭だが、騎士という仕事柄、リィは調教時には何頭もの騏驥に乗る。これまでも、これからもだ。
 牡にも牝にも、大柄なものにも小柄なものにも、評判のいい騏驥にも、まだまだこれからと思われる騏驥にも、さまざまなものに。
 けれどどんな騏驥に乗っても、これほどの感激と感動と……そして驚きは味わえないと思うのだ。

 とにかく柔らかい。背が柔らかい。だからどれほど乗っていても疲れない。それでいて、安定している。駆けても駆けても、それもどんな場所を駆けても騎乗者にほとんど揺れを感じさせない。
 柔軟性と安定感とが奇跡のようなバランスで両立している。
 スピードもスタミナも優れているし、本当に、これで気性がまともだったなら、稀代の名騏驥として名を残しただろう。
 五変騎の一頭であるだけでも十分な名誉には違いないが……それ以上に。

 だが残念ながら、彼は彼、なのだ。年が変わっても。

(まったく……)

 戻ってきた「館」のルーランの部屋。湯を使って汗を流した後、髪を拭きながら、リィは思い出してため息をつく。
 予想通りと言うべきか、彼は調教の途中で「外に走りに行こう」と無理を言い出した。宥めようとしたリィに抵抗して「行く。行きたい」と、散々ごねて暴れてくれた。
 挙句、言うことを聞かず強引に馬場から出ようとして……。
 
 なんとか抑えられてよかった——。リィはまだ痺れたように痛む腕を撫でながら、ほっと息をつく。
 あのまま外に飛び出していたら、また反省文の可能性さえあっただろう。
 年が変わって少しは大人になったかと思えば、全くなっていない。相変わらず、言うことを聞かない騏驥のままだ。

 だが……。

 リィは髪を拭き終えると、着替えとしてそこに置かれている単衣をぼんやりと見つめる。
 肌触りの良さそうな生地だ。これも、ルーランがリィの好みを気にして用意してくれたのだろう。
 思えば湯の温度も心地の良いものだった。この、髪や身体を拭く毛巾も柔らかでふわふわしている。
 何から何まで、リィがここで過ごしやすくなるためのしつらえだ。
 あの、いい加減で面倒くさがりの彼が、自分にはこんなに気を遣ってくれて……と思うと感激しかない。

 でも……。
 一緒に湯を使ったから、てっきり……。

(うわわ……)

 想像して、リィはぶんぶんと首を振る。
 頬が熱いのは、きっと湯上がりのせいだろう。
 不埒な想像のせいではない。決して。

 けれど本当に、てっきりそういうことなのかな、と思ったのだ。
 一緒に湯を使うことになった時には。
 なのに彼は、リィが呆気に取られるほどすんなりと、先に浴室を出て行ってしまった。
 リィの髪を、身体を、それこそ傷つきやすい貴石を磨くかのように丁寧に洗ってくれた後に。
 リィも彼の髪を洗いはしたが、だが……なんだか期待外れだ。
 久しぶりに会ったのだし、もっと……。

(うわわわわ)

「もっ——もっと話せるかな、と思ったんだけど」

 リィは、邪な思いを抱いた自分を牽制するかのようにわざと声に出してそう言うと、落ち着かなければ、と大きく深呼吸を繰り返す。
 けれどその息すら、密かに熱い。
 
 久しぶりに見た彼の体躯は、相変わらず程よく引き締まった綺麗なものだった。
 馬の姿の時の見事さから、人の姿になった時の様子も想像はつくのだが、実際に目にするとやはり感嘆してしまう。リィはどちらかといえば細い方だから、彼のような男らしい体格に尚更憧れるのかもしれないが……。

 とにかく、見惚れるような体躯だったのだ。逞しくてしなやかで……。
 だからリィも知らず知らずのうちに胸を高鳴らせていたのだが。

(そういうところは、彼も大人になった、ということ……なのかな)

 我慢できるようになったということなのだろうか?
 
「そんなところは、別に……」

 大人にならなくても……と我知らず唇を尖らせて呟きつつ、リィは用意されていた単衣に袖を通す。白地に淡く紫がかった模様のそれは、重すぎず軽すぎずの気持ちのいい着心地だ。そしてやはり肌触りがいい。
 人の家で単衣だけなんて心許ないものの、ルーランといるだけならそれでもいいか、と思ってしまう。むしろ、彼の前でならそんなふうに寛げるようになった自分が嬉しくもある。
 今までは誰の前でも「きちんとした格好をしなければ」と思っていたから。
 
 ルーランの部屋で、彼と二人きり——。
 それはもう何度も経験したことなのに、改めて考えるとじわりと頬が熱くなる気がする。年が変わって、自分の気持ちもなんとなく新たになっているのだろうか。
 リィは熱を覚ますように両手で何度か頬を押さえると、髪を緩く結び直し、ルーランが待つ居間へ向かう。
 と、そこでは既に食事の用意が整えられていた。

「わ……」

 卓子に並べられている皿の数々に、目を丸くしてしまう。
 一品一品の量はさほど多くないものの、二人で食べるには十分過ぎるほどの料理が、ずらりと並べられていのだ。

「すごい……」

 何皿もの冷菜に温菜、縁起物の菓子の数々に新鮮な果実。数種類の飲み物。
 美味しそうな、そして目にも鮮やかな料理は、朝から調教に乗った後のリィのお腹を刺激する。

 でも、これらを一体どこから……?

 不思議に思い、立ち尽くしていると、いつしかリィの背後に回ってきたルーランに「まあ、まずは座って」と促される。
 言われるままリィが腰を下ろすと、その隣にルーランが座った。

「とにかく食べてよ。食べようぜ。あんたも腹が減ってるだろ」

 彼はそう言うと、いそいそとリィの分を取り分けてよそってくれる。
 そして自身はといえば、「俺はまずこれ」と、一番近くの皿にいそいそと手を伸ばす。
 そこには、リィが持ってきた籠の中のものがあった。

 綺麗に焼けた、林檎の焼き菓子。
 以前、リィが作ろうとして散々失敗したものだ。
 だが今回は、ずっとばあやに側についてもらいながら作ったから、以前よりは上手くできている。
 年が変わってルーランに会う時に、彼に食べてもらおうと思って持ってきたものだった。
 
 彼は「待ちきれない」というようにそれを頬張ると「美味しい」と目を細める。
 その笑みに、リィはホッとすると同時に、胸が温かくなる気がした。

「美味しいならよかった。前に作ったものより、ちゃんとできているだろう?」

「ん? 前のも美味かったよ。これも美味いけど同じぐらい美味い」

「…………」

「どっちも美味いよ。でも、わざわざ作ってくれたんだ? 俺のために?」

「べ、別に『わざわざ』というほどじゃない。休みで少し時間があったから……」

 実のところは昨日の夕食後、結構な時間をかけて作ったのだがそれは黙っておく。ばあやを少しばかり寝不足にしてしまったのだが、それも。

 と、ルーランはクスリと笑ったのち、

「あ、ほら——リィも食って食って。大丈夫、ちゃんとしたメシだよ」

 言いながら更に取り分けてくれると、リィの前に皿を寄せて勧めてくる。目移りする種類と量だ。

「あ、ぁあ……うん。でも、これは一体……」

 リィが尋ねると、ルーランは苦笑した。

「材料はあちこちの部屋から。でもって作ったのは俺」

「お前が!?」
 
 思わずリィが声をあげてしまうと、ルーランも声をあげて笑った。

「そんなに驚くことないだろ。騏驥になる前は普通に暮らしてたんだし、料理ぐらいできるさ」

「…………」

「ほら——食べて。張り切って作ったんだぜ。それとも、俺が作ったものだと心配?」

「い、いや」

 それよりも、「材料はあちこちの部屋から」という方が気になるといえば気になるのだが……。
 今はそんな疑問よりも空腹の方が勝る。
 リィは、「じゃあ……」と、まずはさっきからいい香りを漂わせているスープに手を伸ばした。それは、澄んだ金色で、少しとろりしている。具は肉団子と数種の香味野菜だろうか。とにかく香りがいい。飲む前から芳香が鼻をくすぐる。
 そして一口飲んでみれば、それは喉越しよく滋味あふれた味わいだった。

「美味しい……!」

 ばあやが作るスープにも負けない美味しさだ。
 驚いてルーランを見ると、彼は満足そうに、嬉しそうにリィを見つめ返してくる。

「口にあったようでよかった。まだたっぷりあるから好きなだけどうぞ。他のも全部食べてよ。俺も食うし。朝から結構走ったから腹減ってるんだよね」

「外に走りに行かなくて正解だろう。行っていたらもっとお腹を空かせることになっていたぞ」

「ん? それは別。あんたに乗ってもらって思い切り走るのは、他のことと比べ物にならないぐらい気持ちいいんだからさ」

 空腹より、断然そっちだよ。

 皿の上の料理を次々平らげながらもそう言うルーランに、リィは少しばかりの照れを感じながら「そうか」と返す。
 リィも、それは同じだ。
 ルーランに乗っていると他のことは全て忘れられる。
 気持ちが良くて、このままずっとどこまでも駆けていきたい……と、そのことだけで頭の中がいっぱいになる。胸の中も。
 そんな、特別の騏驥と——特別の相手と、年が変わっても一緒にいられる幸せを噛み締めながら、リィはチラリとルーランを見る。
 目が合うと、彼も幸せそうに微笑んだ。







 そんな風にして、どのくらい経っただろうか。
 会えなかった間の話をして、お互い飲んだり食べたり食べさせあったりして次第に皿を空にしていると、楽しいのに——美味しいのに——嬉しいのに、だからこそなんだか物足らなくなってきてしまう。

「…………」

 リィはルーランに寄りかかった姿勢でゆるゆると茶を飲みながら、チラリと彼の顔を盗み見る。
 我ながら、だらけた格好をしているなと思うものの、彼に肩を抱かれ、身を委ねているのは堪らなく心地いい。
 ゆったりと寄りかかれる相手がいることが、自分を受け止めてくれる相手がいることが、こんなに心安らぐものだったとは……。
 自分にとっての彼の存在の大きさはわかっていたつもりだが、こうしていると改めてそれを感じる。

 彼の顎から頬にかけての稜線が好きだ。
 時々意地悪に歪む唇が好きだ。
 首筋の浮き出た血管も、その肌も。
 
 リィはじりっと身じろぐと、ルーランの肩に頬を擦り寄せる。
 もっと、くっつきたい。
 こうして肩を寄せ合って話しているのも楽しいけれど、けれど……。

 とはいえ、恥ずかしさのために自分から誘うことはどうしてもできず、リィが「どうしよう……」と惑っていると、

「顔が赤い」

 そんなリィの頬を撫でて、ルーランが言った。
 
「酒は用意してなかったはずなんだけどな。料理にも使わなかったし」

「…………」

「暑い?」

「……暑くない。……ルーラン、お前、もしかしてわざとか」

「ん?」

 リィの問いに、ルーランは微苦笑で応える。それで確信する。
 この騏驥は、こちらを焦らして楽しんでいるのだ!

 リィが睨むと、ルーランはおかしそうに目を細める。
 次いで「やれやれ」というように息をつくと、不意に立ち上がる。

「あっ」

 寄りかかっていた彼がいなくなったせいで、リィの身体が傾ぐ。
 だが次の瞬間、その身体はルーランの腕にふわりと抱き上げられていた。

「!?   ルーラン!?」

「半分は正解。でも半分は不正解、かな」

 そしてルーランは、リィを寝室へ運んでいく。

「じ、自分で歩いて……」

「何言ってるんだよ。俺の楽しみなんだから」

 いつもいつもこうして運ばれることがなんだか恥ずかしくて、リィは抵抗を試みたが、それはルーランの「当然」とでも言いたげな声と笑みによって却下される。
 そして運ばれた寝室は、数日前と同じ落ち着く雰囲気だ。
 いや——少しだけ違う。心なしか香りが華やかだ。そして寝台を囲む薄布も少しばかり鮮やかな色合いになっている。白が基調なのは変わらないが、桃花色や紅紫色といった気分が浮き立つような色合いが混じっている。年が変わったからだろうか。
 いずれにせよ、リィには快い雰囲気だ。
 そっと下された夜具の色は、薄桃色。
 同じような色に頬を染めながら、リィは傍に腰を下ろしたルーランを見上げる。少しだけ、睨むようにして。

「半分は正解で、半分は不正解とは……どういう意味だ」

 頬を撫でてくるルーランに、さっきの彼の言葉の意味を尋ねる。と、彼はくっと笑った。

「その通りの意味だよ。わざとはわざと。でもあんたを焦らすため、って訳じゃない。もしかしたら、結果的にそんなふうになったのかもしれないけど」

「…………」

「どっちかというと、俺が機会を掴み損なった、って感じかな」

 言いながら、ルーランも寝台に上がってくる。
 ゆっくりとのしかかってくる彼の重み。重すぎず、心地いい重さだ。温もり。そして香り——。全部が懐かしくて全部が愛しい。
 離れていたのはほんの十日ほど。それなのに、こうしてくっついていると、その十日がどれほど長く、自分かどれほど彼に飢えていたのかを思い知らされる。
 リィは自分の貪欲さにますます頬を染める。が、視界に映るルーランの顔はあくまで優しい。
 ルーランは、まるで甘えるようにリィの胸に頬を寄せてくる。その頭を抱え、髪を撫でてやると、彼は嬉しそうに鼻を鳴らして続ける。

「あんたに乗ってもらえるって知った時からずっとドキドキしてた。何かしてないと興奮しすぎて暴れそうで、だから飯作ってたんだよ」

「…………」

 では、あの山のような料理は、彼の興奮の結果というわけか。
 それを思うと、彼が料理ができたことに改めて感謝する。もしできなかったら、その興奮をどうやって解消しようとしていたのか……。想像すると怖い。
 ルーランは続ける。

「今朝も滅茶苦茶早く目が覚めるし……待ってられなくてさ。じっとしてられなくて……あんたの足音が聞こえたら我慢できなかった。しかも、久しぶりに会っても相変わらず綺麗だし、なんか俺のために持ってきてくれてるし、乗ってもらったら気持ちいいしさ……」

 あーやっぱり外に走りに行きたかったなぁ、とぼやくルーランに、リィは胸の中で「それはやめてくれ」と呟く。
 そうしながらも髪を撫で続けていると、ルーランは「だから……」と少し言い淀むようにして続けた。

「だから本当は、ここに戻ってきてすぐ、あんたのこと抱き締めたかった。抱き締めて、口付けて、メシも汗流すのも全部後回しにして、ここで……とかさ。どうせまた汗かくんだし、とか。でも……」

 そこまで言うと、ルーランは微かに顔を上げる。
 上目遣いの彼と視線が絡んだ。
 普段は周囲のことなど意に介さないと言わんばかりの尊大な、挑発的な瞳が、今は子供のそれのように見える。甘えたがりの、大きな子供。
 ルーランは「もっと撫でて」というようにリィの胸元に頭を擦り付けながら続ける。
(その仕草は「馬っぽい」とリィは思ったが口には出さなかった。「馬っぽくて可愛い。好きだ」と思ったからだ。リィは馬が好きなのだ)

「でも、久しぶりに会ったのにそんな……急くみたいな、慌ただしいようなのって、ちょっとな……とか思ってさ。あんたが嫌がるかな、とか。せっかく俺のために美味しそうなの持ってきてくれたのに、それほっといて交尾ってのも……とか」

「…………」

 交尾。
 ……交尾 。

 いや、まあそこは気にすまい。

 要するに——。

 リィはルーランを見る。

 要するに、彼は彼でリィと共に寝室へ来るためのきっかけを探していた、というわけか。久しぶりに会うことや、こちらの気持ちを気にした結果、そのきっかけを掴み損なっていた、と。

 なるほど。

 そう思えば可愛いと思えないこともない。
 でも結局、こちらは焦らされていたことになるじゃないか!

 リィがぷっと頬を膨らませると、ルーランは弱ったな、と言うように苦笑した。

「そんな顔するなよ。久しぶりに会ったのに。まあ、俺はどんな顔のあんたも好きだけど」

「……そんな言葉で誤魔化されると思うなよ」

「別に誤魔化そうなんて思ってないよ。本当のことだ。俺は、あんたがあんたなら、どんなあんたでも好きだ」

「っ…………」

「年が変わっても、好きなのは変わらない。……違うな。もっと好きだ。会えなかった間、ずっとあんたのこと考えてた」

「ん……っ……」

 直前まで、リィの身体の上にぴったりと身体を添わせてルーランが、僅かに身を起こして口付けてくる。
 久しぶりの口付け。そっと触れただけなのに、その温かさと柔らかな感触に、ぞくりと全身が震える。
 間近で視線が絡む。ほんの一回、軽く口付けられただけなのに身体がぞわぞわして視界が潤む。期待にさざめく自身の淫蕩さにリィが真っ赤になると、眼前のルーランが目を細めて微笑んだ。
 
「ずっと触れたかった……。ずっと触れて……口付けたかった……」

「ル……ん……っ」

「ちょっとは我慢ができるようになったとこ、見せようかと思ってたんだけどな……」

「っふ……ん、ぁ……」

「らしくないことすると、ろくなことがないな。でも、先にメシ食っといたのはやっぱり正解だったよ。あんたとこんなこと始めたら、せっかくあんたが作って持ってきてくれたものも後回しになっちまうし——」

「ん、っァ……ルーラン……っ」

 唇に、頬に、額に、鼻先に、そしてまた唇に。
 囁きと共に、幾度となく口付けの雨が降ってくる。
 それは優しく、柔らかで、愛しさが込み上げてくると同時にもどかしさも募っていく。思わずしがみつくと、宥めるように髪を梳き上げられ、額にちゅっと口付けられる。そのまま、額にルーランの額がそっと触れた。
 
「……久しぶりだからかな……いつもよりぞくぞくする」

「ん……」

「あんたもそう?」

 額を離し、首を傾げるようにしてルーランが尋ねてくる。リィは身体の中でうねる淫らな欲望を堪えながら、なんとかこくりと頷いた。
 早く早く——もっともっと——と胸の中ではとても口にできない欲求が渦巻き続けてくる。わざとじゃないのかもしれないが、ここにきてまだ焦らすかのようにゆっくりと触れてくるルーランが憎たらしいほどだ。

「ルーラン……っ……」

「ん?」

「ルーラン……わたしは……もぅ……」

 言いながら、リィはぎゅっと彼の服を掴む。これが精一杯だ。
 と、ふっと笑った気配があったかと思うと、熱くなっている頬をさらりと撫でられる。直後、微笑みの形の唇がしっとりとリィの唇を覆ってきた。

「ん……ふ……」

 そのまま唇を舌でなぞられ、むず痒いような快感に背筋が震える。
 薄く開いた唇の隙間から、舌が挿し入ってきた。

「ふァ……ん……」

 その途端、まるで待ち侘びていたかのように甘ったるい声が出てしまうのが恥ずかしい。
 けれど望んでいた深い口付けに、悦びの喘ぎが次々溢れてしまう。
 抱き締められ、舌で舌を擦られ舐られると、その生々しさにますます身体が熱くなる。くちゅくちゅと、普段は聞くことのない淫らな水音が聞こえるせいでなおさらだ。
 口付けが深く濃くなるほどに、全身がみるみる熱を孕んでいく。
 恥ずかしいのに、ルーランにしがみついて自ら身体を擦り寄せてしまうのを止められない。

「は……ぁ……んん……っ」

 布越しの抱擁がもどかしい。
 けれど離れるのも嫌で、ぎゅうぎゅうと抱きついていると、そんなリィの興奮を優しくほぐすように、ルーランの唇が喉元へ、そして耳朶や肩口へ降りていく。くすぐったいような温かいような快感に思わず抱きついていた腕を緩めると、すでに乱れていた襟元を大きく開かれ、露わにされた肌にも口づけが落とされる。

「んっ……」

 鎖骨を辿り、その窪みに、そして心臓の上に。
 ルーランの唇は密かな音と確かな熱をリィの肌に幾つも残していく。
 
「ん……ァ……」

 やがて。胸の突起をちゅっと啄まれると、自分でも赤面するような蕩けた声が零れた。咄嗟にリィは口元を抑えたが、一方は舌先で捏ねるようにして刺激され、もう一方は指先で柔らかく捩るようにして刺激されると、そんな抵抗はすぐさま抵抗ではなくなってしまう。

「っぁ……あ、ぁ、ん、あァ……っ——」

 緩急をつけた巧みな刺激に、口の端から高い声が漏れるのが止められない。ビクビクと身体が跳ねる。恥ずかしいのに、駄目だと思うのに、自分からルーランの身体に腰を擦りつけてしまう。
 
「んぅ……ん、ぁ……ぁん……ァ……」

 ちゅうっ……と音を立てて吸い上げられたかと思えば、敏感になったそこを擽るようにして弄られ、込み上げてくる熱に頭の芯まで痺れるようだ。
 抱き合うのが久しぶりだから……だろうか。どこを触れられても気持ちが良くて、感じ過ぎて、その敏感さに戸惑ってしまう。
 ルーランの温もり、重み、香り、息づかい——。全部が「こんなに」と思うほど好きで好きでたまらない。
 
 ずっと触れたかった、と彼は言ったけれど、それは自分も同じだったようだ。いや、もしかしたら彼以上に。彼よりももっと、こうして二人きりで睦み合うことを望んでいたのかもしれない。性的な欲望だけではない理由で。

「ん……ぁ……ルーラン……っ……」

「気持ちいい? ここ、固くなってる」

「ンンッ——」

「舐めたり弄ったりしてると、だんだん固くなってくるんだよ。知ってた? 小さな果実みたいで、触ってて楽しい」

 俺、ずっと舐めていられるよ、と嬉しそうに言うルーランに、リィは顔から火が出る思いだ。
 そんなこと嬉しそうに言うな。
 だいたい、なにが「知ってた?」だ。
 知っている訳がない。そんなところがこんなに感じるなんて、ルーランに触れられるまで知らなかった。彼に愛されるまで、何一つ。自分の身体の欲深さも、どれほど彼を求めているかも。

「ぁ……ん……んッ——」

「リィの身体は全部好きだ……。全部触って、全部舐め回して、全部俺のものにしたい——」

「ぁア……あッ——」

 ちゅっ——と強く吸い上げられ、大きく背がしなる。
 もうとっくに全部お前のものだと——そう言ってやりたい。やりたいのに——気持ちが良すぎて声は言葉にならない。

「ぁう……ァ……あ、ああっ……」

「可愛い……。すべすべしてていい匂いがして、大好きだ……」

 戯れるように——けれど間違いなくそれ以上の熱を持って、ぺろぺろと胸元を舐めながら、ルーランは繰り返し甘く囁く。

 可愛いとかすべすべとかいい匂いとか——。

 そんなこと、別の誰かから言われていたらリィはきっと激怒しただろう。侮られていると感じて睨みつけていたに違いない。
 なのに……。
 なのにそんな言葉にすら嬉しくなって、胸が跳ねてしまう。

 ああもう——これでは騎士の威厳も何もあったものではない。
 年が変わった早々に、自分は一体何をやっているのか。わざわざ一日早く彼に会いにきて、昼間からこんな……こんな淫らなことに耽るなんて。
 
 でも——。

「……ルーラン……」

「ん?」

「会いたかった……」
 
 抱き合い、身体を擦り寄せ合いながらリィが囁くと、ルーランが嬉しそうに微笑む。その唇に口付け、額に落ちかかっている髪を梳き上げると、会いたかった……と繰り返した。

「離れていたのは数日なのに……な……。お前に会いたくてたまらなかった」

「うん……。うん、俺もだよ。一人でいるのなんか平気だったのに……。あんたの声が聞きたくて堪らなかった。怒る声でもいいから聞けないかな——なんて考えたりさ」

「…………」

 やめてくれ。
 リィはそう言う代わりに、苦笑を零す。
 怒るようなことをしたときというのは、要するに何か面倒を起こした時なのだから、こちらの胃が痛くなるようなことを考えないで欲しい。

 と。ルーランはそんなリィに笑って、

「でも大人しくしてだろ?」

 と、口の端を上げて言った。

「年変わり早々あんたに愛想尽かされたくないからさ」

 言いながら、ルーランはリィの纏っていた単衣を器用に脱がせていく。
 辛うじて腕に引っかかっていただけのそれは、するすると取り去られ、リィはあっという間に生まれたままの姿にされた。
 そして同じように、身につけていたものを全て脱ぎ落としたルーランに改めて抱き締められる。
 
「ん……そう——しっかり掴まって。……ほんと可愛いな、あんた。ほら、もっとくっつこうぜ」

「……ぁ……ルーラン……っ」

 二人を隔てるものが何もなくなり肌と肌で抱き合うと、その心地よさは格別だ。
 しっとり汗ばんだ肌は互いに吸い付くようで、きつく抱き合うほどに混じり合って溶けていくような気さえする。

 どうしてこんなに気持ちがいいのだろう……?

 抱き締められ、見つめられ、口付けられ、繰り返し髪を梳かれながら、リィはうっとりとそう思う。先刻の愛撫で高められたままの身体は、相変わらずじんじんと疼き続けている。
 もっと強い刺激を求める気持ちももちろんある——けれど、こうして抱き合っているだけで、胸の中がいっぱいになるほどの幸福感に包まれる。

「好きだ……」

 そして、次々沸き上がる想いは、とうとう胸の中だけに留めおくことができなくなる。なのにそうして言葉にすると、一層想いが増した。

「好きだ、ルーラン……」

 お前のことが、好きだ。

 リィが繰り返し言うと、ルーランはこの上なく嬉しそうに目を細める。
 
「俺も好きだよ。好きだ……リィ。このままここに閉じ込めて帰したくないぐらい好きだ」

「…………」

 熱烈すぎて物騒な望みの吐露に、リィの頬がついピクリと引き攣る。
 と、ルーランが声を上げて笑った。

「嘘だよ。流石にそんなことしない」
 
 そしてルーランはリィの頬に口付けの雨を降らせる。

「流石の俺でもそこまではな。だって閉じ込めたらあんたに乗ってもらえないし……」

 言いながら、ルーランはちゅっ、ちゅっと音を立ててリィの頬に口付ける。
 ずっとくっついたままそんな風にされていると、心地良すぎて溶けてしまいそうだ。
 そう。
 まるで、ここに閉じ込められどこへも行けなくなってしまうかのように。

 だから。

「……お前になら……いい……かも……」

 リィはそう囁いていた。
 小さな小さな声で。
 けれどその声はルーランの耳にははっきりと届く。騏驥は耳がいい。それは、リィももちろん知っている——。

 ルーランが驚いたようにリィを見つめる。
 リィは火照る身体のまま、ルーランを見つめ返した。
 潤んだ視界の中のルーランの貌が、刻々と雄の色香を増していく。

「……っ……そういうこと言うと……本気にするぞ」

「……」

「なんとか言えよ。なんだよ……年変わり早々ドキドキさせるなよな。それとも仕返ししてんのかよ」

 少し前、リィが「焦らしているのか」と責めたことを言っているのだろう。
 リィは「いいや」と苦笑した。

「そんなつもりじゃない。ただ……」

 今日ぐらいはいいかなと思ったんだ。
 お前の腕の中に、ずっと閉じ込められるのも……。

 リィが、そう言い終えた直後。

「リィ——」

「ァ……!」

 ルーランの喉仏が大きく動いたかと思うと、彼は唸るような、獣のような声でリィを呼び、再び深く口付けてきた。

「ん、んっ——」

 しかも今度の口付けは、さっきまでの比ではない。優しく柔らかなそれじゃなく、貪るような、食べ尽くそうとするかのような口づけだ。
 苦しさにリィがつい踠いても口付けは止まず、むしろより深く激しくなっていく。

「は……ぁ……ん、んんッ——」

「リ……ィ……っ——」

 そうしながら、ルーランはリィの身体中を撫で回し始める。
 肩、腕、背、腰、臀部——。
 口付けたまま、手の届くところは全て触れなければ気が済まないとでも言うように、大きな手が、蠢く指が、リィの全身を辿っていく。

「あんたが言ったんだ……『いい』って……」

 譫言のようなルーランの声は熱を持って低く掠れている。
 そんなことは出来はしないと——きっと互いにわかっている。
 わかっていてもルーランはそれを望み、リィはそれに応じたかった。仮初めでも、ほんのひとときでも、それほど思い合っていることを伝えたかった。伝えずにいられなかった。
 
 時折触れる彼の中心は、まるで熱塊のようだ。
 硬く反り返り、猛って脈打つそのさまを思い知らされるたび、リィは興奮に燃えるようだった。
 自分が求めているように彼もまた——それを感じるたび、腰の奥から欲望が込み上げてくる。

「ルーラ、ン……ああッ——」

 やがて、グイと強引に脚を開かされたかと思うと、いつもの彼にしては荒々しいと思える手つきで後孔を探られる。
 そう。今までの彼はこんなふうではなかった。もっと余裕があって、普段他人に見せているいい加減さなど嘘のように、丁寧に——丁重にリィの身体を暴こうとしていた。
 でも今は——。その配慮よりも情熱の方が先走っているかのような有様だ。
 切なげに寄せられた眉根が艶かしい。荒い息遣いが愛おしい。乱暴にされているのに昂りは増すばかりだ。
 彼が余裕をなくす様を、こんなに嬉しいと思うなんて。

「ん……ぅ、ん……」

「っ……リィ……ごめん、大丈夫か」

「ん……」

「苦しいよな……その……あんたのその……アレで、そう痛くはないと思うんだけど……」

 中を探りながらのルーランの台詞に、リィは真っ赤になった。
 気遣っているつもりなのだろうが(そして実際そうなのだろうが)、アレとかソレとか言うのは止めてほしい。
 わかっているのだ。自分でも。最初に口付けた時からもう自身の性器は如実に反応していて、胸元を弄られたときには達してしまうかと思うほど感じ入っていた。
 吐精には至っていないものの、その前触れの体液はそれはもう恥知らずなほどに零れ、双丘の奥の窄まりまでしとどに濡らしていただろうことぐらいは。

 とはいえそれを口に出すこともできず、リィは赤くなったままルーランの首筋にしがみつき、頬を擦り付ける。
 こうしていれば、苦しくても耐えられる。彼に触れ、彼のそばでその温もりを、その香りを感じられていれば何が起きても平気だと思える。それどころか——今リィに与えられているのは、これから先、より深い官能へ続く苦しくとも甘美な快楽だ。
 それをどうして厭うことがあるのか。
 リィは大丈夫だと告げるように、より一層ぎゅうっと抱きしめる。
 途端、そのせいでルーランの指を締め付けてしまい、リィがびくりと慄くと、ルーランが小さく笑う。けれどそれは揶揄うような笑いではなく、慈しむようなそれだ。
 彼もいくらか落ち着いてきたのだろうか。
 先刻までよりは慎重に、ゆっくりと指を動かし始める。

「ん……」

 長い指が身体の奥を探るたび、ぞくぞくとした震えが背筋に走る。
 柔らかなそこを、身体の内側を他人に触れられる恐怖は……まったくないと言えばそれは嘘だ。けれどそんな怖さより、彼の指が、俺の一部が自分の中にある悦びのほうがより大きい。少しでも彼の近くにいたい、彼と繋がっていたい——そんな気持ちばかりがどんどん強くなるから。

「中……熱い……。……俺の入れたら溶けちゃうかも」

 と——。
 その長い指で執拗に内壁を抉りながら、ルーランは呟いて頬を緩める。
 悪戯っぽい声と表情に、リィはルーランにしがみついたまま、その背をぽかぽか叩いた。頬が熱い。誰のせいでそんなふうになっていると思っているのか。
 溶ける?
 それはこちらの方こそだ。入れるもなにも、その前から、もう今からこちらの体は溶けそうになっているのに。
 
 いや——もう溶けているかもしれない。

「っ……ルーラン……っ」

 早く——早く——と、リィはルーランを急かすように腕に力を込める。
 開かされている脚は、弄られ続けている後孔は、決定的な刺激を待ち侘びて震えている。注がれ続ける緩やかな刺激のせいで、身体が快感の飽和状態だ。焦がれる思いでむずがるようにいやいやを繰り返すと、後孔に埋められてた指が忙しなく抜かれ、代わりに、それよりももっと熱く大きなものが押し当てられた。

「力——抜いて、リィ……っ——」

 そして上擦ったような掠れた声がしたかと思うと、その熱の塊はグイとリィの中に挿し入ってきた。

「——!」

 その衝撃に、思わずずり上がってしまう。
 わかっていたはずなのに、むしろ待っていたはずなのに、そこを穿つ肉の圧迫感に慄いてしまう。
 だがその身体は易々と引き戻され、猛ったものがじりじりと埋められていく。

「ぁ……ふぁ……あ、ぁ……」

 覚えのある形に、熱さにじわじわと穿たれるのが堪らない。
 苦しいのに快感に背が震え、ルーランが腰を進めるほどに体奥から喉の奥までいっぱいにされるかと思うほどだ。
 彼の屹立を包む肉壁が、繋がっている部分が、全身が歓喜にさざめていている。

「ア……ァ……っ——」
  
 きつく抱き締められ、最奥まで彼を感じ、その悦びに大きく背をしならせた瞬間——。

「っ~~~~~~~~~」

 不意に突き上げてきた喜悦に、リィは耐えられず大きく背をしならせていた。

「ぁ…………」

 身体が震える。以前も経験した、零していないのに達した時と同じように頭の中が真っ白になるような感覚だ。身体の奥だけがずっと——じんじんと感じていて……。

 自分の身体がどうなっているのかわからず、不安のままルーランにしがみついていると、 
 
「リィ……」

 気遣うようにその顔を覗きこまれる。
 リィは真っ赤になって頭を振った。恥ずかしいような思いが込み上げ、衝動的に涙が溢れる。自分では抑えられないほど淫蕩な身体になってしまったのかと思うと怖い。隠すようにルーランの肩口に顔を埋めると、優しく背を撫でられた。  

「リィ——大丈夫だよ。大丈夫」

「…………」

「気持ちよくなっただけだ。……そうだろ?」

「っ……ひ、久しぶり、だったから……っ……」

 顔を埋めたままリィが言うと、ルーランは「ん」と短く頷く。
 手は相変わらず、リィの背を優しく撫でている。
 埋められているものが、ゆっくりと身体に馴染んでくるのがわかり、ぞくりと背を震わせると、

「動いていい?」

 それを待っていたかのように、ルーランが耳元で囁いた。
 潜められた声は、情欲に掠れている。耳殻に触れる吐息が熱い。リィは顔を見せないまま小さく頷いた。

「す、きに、して、いい」

「…………」

 と、ルーランはちゅっと耳殻に口付けて言った。

「じゃ、いっぱい声出して。我慢せずに——さ」

「っぁ……」

「今は俺だけのものになってくれるんだろ……? なら恥ずかしがらずに、いっぱい声出してよ。俺も、あんたのこともっともっと気持ちよくできるように頑張るから——さ」

「ん……っぁ、ぅ……っ」

 ゆっくり動きながら、ルーランは言う。けれどもう、そのゆったりとした動きにすら感じてしまう。一度達してしまったからだろうか? 全身が今までよりずっと感じやすくて戸惑うほどだ。

「っ……ルーラン……っ……」

「うん……大丈夫だよ、変じゃない。すごく可愛い……。俺のこと嬉しがらせてくれてるだけだよ」

「ぉ、前、の……?」

「ん。俺とこうしてて、あんたが感じてくれてるのは嬉しい」

 ゆるゆるとリィを突き上げ、追い上げながら、ルーランはそんなふうに言って微笑む。額に汗が滲んでいる。寄せられた眉根は衝動を堪えようとしているからだろうか。こんな時でもこちらを気遣ってくれていると思うと、リィの胸の中に甘酸っぱさが満ち、きゅんと疼く。

「ぁ……ぁ、ルーラン……」

 短く喘ぎながらルーランにしがみつくと、リィは彼の耳元で囁いた。

「嬉しい……わたしも……お前と、こうして、いるのは……」

「……気持ちいい?」

「ん……っ」

「じゃ、もっと——な。あんたに会えなかった間、俺、ずっとやらしいことばっかり考えてたから」

「っ……ば……ぁ、ぅ……ん——っ!」

 何を言うんだ、とリィが真っ赤になって叱りかけたその寸前、にやりと笑ったルーランが激しく動き始めた。
 まったく——情緒も何もあったものじゃない。けれどそんなふうに意地悪くされるのも、本能のままに求められるのも、彼にならば全て喜びに繋がっていく。

「ぁ……あ、あ、ああっ……ああぁァぁっ——」

 声が止まらない。
 抑えようとしても止められない。
 突き上げられるたび、中を抉られるたび、あられもない声が口をついて次々と溢れていく。ルーランに言われたせいじゃない。でもルーランのせいだ。彼のせいでこんなに淫らになっている。こんなに——いつもよりずっとずっと恥知らずに——。

「っァ……っ——」

 両脚を抱え直され、苦しい姿勢にされてもなお気持ちがいい。
 律動に合わせて揺れる足に、内踝に、ルーランが口付けるのが見える。愛おしそうに頬擦りされ、そんなところまで……思うと胸がぎゅっと軋む。
 身体と心と両方愛されている。
 繋がっている身体の内側も触れられている外側も見えるところも見えないところも——全部。

「ぁ……アァ……っ!」

 そして一際深く突き込まれた途端。背筋に、頭の芯に、また覚えのある甘い痺れが走った。
 もう駄目だ。今日は。今日は——もう駄目だ。
 身体の隅から隅まで快感に浸りきっていて自分のものじゃなくなっている。
 一体何度達するのか——どれほど淫らになるのか怖いのに、同時に、もっともっととねだっている自分がいて——。

「ぁ……ふぁ……ん……ルーラ……ん……っ」

「ん……」

 熟れては熱く柔らかくなっていく内壁の感触を愉しむようにより激しく穿ち、突き上げ、抉りながら、ルーランはリィの求めに応じて口付けてくる。
 抱き締め合い、繋がって、その上唇や息まで求める貪欲さにリィは耳まで赤くなる思いだが、ルーランは嬉々としてそれを叶えてくれる。
 
「ふ……ん……ぅ……ん……」

 口づけが深くなるほどに、どちらのものともわからない荒い息音と濡れた音がひっきりなしに耳を打つ。その上ゆるゆると動かれているから、下肢からは繋がっている部分が立てる秘めやかな水音が寝室に溢れ、リィの羞恥をなお煽る。
 恥ずかしい——けれどやめられない。

「ルーラン……っ……ル……ん……」

「気持ちいい? このまま達していいいよ。口付けたまま、さ……」

 ぴちゃぴちゃとリィの舌を舐りながら、ルーランは言う。心地よさに頭がぼうっとしてくるようだ。けれどリィは「んん……」と口付けたまま頭を振った。

「んん?」

 同じように口付けたまま、ルーランが尋ねてくる。
 伝えたいことはあるのに口付けをやめたくないのだ。多分、二人とも。
 リィはそれを嬉しく思いながら、それでも惜しむようにしながら僅かに唇を離す。

「わたしだけ、なんて、嫌だ……」

「……」

「何度、も……」

「リィ——」

「お、お前と一緒が、いい……」

 真っ赤になったリィが俯きながら小さな小さな声で言うと、ルーランはしばし黙る。
 直後、

「リィ……!」

「ァんっ——」

 グンッと突き上げられ、リィは悲鳴のような声をあげて仰け反った。
 跳ねる身体を抱きしめられたかと思うと、そのまま二度、三度と突き上げられる。奥の奥まで埋めようとするかのようなその動きに、リィが縋るように目の前の身体にしがみつくと、

「あんたはまた……そういうこと言って……」

 拗ねたような、ルーランの声がした。

「そういう誘い方をどこで覚えてくるんだか……っていうか『素』だよな。これだから箱入りの天然は……」

「なに……ぁ……」

「そういうこと言われると、クラクラすんだけど。ただでさえ俺のチ×コ、ずっとガチガチのまんまなのにどうすんの、これ」

 ったく——とルーランは言うと、むぅっと唇を尖らせて見せる。
 しかし直後、笑うとちゅっとリィに口付けてきた。

「年変わり早々、やってくれるよなあ、あんたは」

「……」

 なんだそれは。

 リィは赤くなりながら間近からルーランを睨んだが、彼は訂正する気はないらしい。それどころかリィを見つめ返すと、ふに、と頬を摘んできた。
 悪戯のような優しい手つき。その目も柔らかく細められている。

「ずっとずっと好き、ってことだよ。あんたのこと、大切で大切で堪んない……」

「…………」

 その声は甘くも真摯で、リィの胸に静かに染み渡っていく。
 そして気づけば、今もルーランの一部はリィの中で脈打っている。挿し入ってきたときと変わらない熱さと硬さで。いや——それ以上の欲を湛えて。
 恥ずかしいような胸が一杯になるような思いに駆られて俯くように頷くと、その髪に口付けが落とされる。
 次いで汗の浮いた額を、戯れるようにぺろ、と舐められた。動物みたいだ。馬だ。そしてリィは、馬がとても好きだ。

 ルーランが続ける。

「じゃ……一緒に気持ちよくなろうか。で、あんたは口付けたまんま達しちゃう、ってのはどう?」 

「な……」

「好きだろ、あんた。年が変わって最初の交尾だからさ、あんたの一番好きなことしてやりたいの」

 待てないのか、じりじりと腰を揺すりはじめながらルーランは言う。

「俺は、あんたが気持ちよくしてんの見るのが好きだし……いい案だろ。なぁ——リィ、今日は俺に閉じ込められてくれるんだろ? だったらさ、あんたの全部、俺の腕の中に抱えさせてよ。あんたを——ここに閉じ込める。でもって、二人で気持ち良くなろ」

 言うと、ルーランはリィの答えを待たずに口付けてくる。
 と同時に再開される律動は、先刻までよりも濃厚なそれだ。巧みに角度を変えながら突き上げてきたかと思うと、リィが声を上げた箇所を狙って執拗にそこを刺激し、瞬く間にリィを高みへと押し上げていく。

「ぁ……ァんっ……ぅ、んっ——」

 そのまま深くなる口付けに、リィは口内で暴れる舌に夢中で応えた。
 ルーランは常にどちらかの腕でリィを抱き締めながら、しかしもう一方の手でリィを翻弄した。頬、耳殻、肩、腕、そして胸元——。撫でてはそこここに愛を伝え、リィをより深い官能の沼へ沈めていく。

「リィ——可愛い。あんたの全部が好きだ……」

「んぅ……ん、んんんっ——」

 律動とともに乳首を弄られ、リィは強すぎる刺激に抵抗するように首を振る。が、その間もルーランの唇は離れない。
 リィの声を奪い、息を奪い、快感を注ぎ続ける。
 
「ふぁ……っ、ぅん……っ——」

 そしてリィもまた、ルーランの声を、息を、自分のものにするかのように彼にきつくしがみつく。
 半端に揺れる脚をルーランの身体に絡み付かせると、埋められている彼の肉が悦ぶように大きさを増す。その刺激に、リィの腰がびくんと跳ねた。
 ルーランの腹に擦れる性器は、もうたっぷりと濡れている。それが先走りなのか吐精に近いものなのかリィには判断できかねた。ただただルーランに突き上げられ、揺さぶられ、捏ねられ抉られるたびに、自分の身体が自分のものじゃないような快感が繰り返し押し寄せ、包まれ、溶かされていく。

 気持ちいい気持ちいい——と、頭の中はそればかりだ。
 気持ちがいい——好き。気持ちがいい——ルーラン気持ちがいい——。
 音を立てて舌を擦り合わせながら、頭の中を巡っているのはそんなことばかりだ。

「ん、ん、ん……ルーラ……ぅん……」

「……リ、ィ……ッ……」

「ぅ、ん、ん……ふ……ぁ」

「な、リィ……俺のが、あんたの中で嬉しがってんの、わかる? あんたの中が、すげー、イイ、から……」

「ん、んぅん、ふァ……ぁんっ——」

「……好きだ……リィ……好き……すき……」

 ひっきりなしに繰り返し突き上げられ、もみくちゃにされる中、リィの耳には切れ切れにルーランの呻くような声が届く。口付けの合間に囁かれるそれは、普段のルーランからは想像もできないような甘く切ない声だ。聞いているだけで胸が引き絞られるような声。リィだけに届くリィだけに向けられた求めるような甘えるような声は、強い抱擁と相まって身体を内側から溶かしていく。

「っあ……ル、ぁ、ぁぁ、ん……っ」

「可愛い声……リィ、ここ……好き?」

「ん……っ」

「ん?」

「……っ、す、き……すき……おく、熱ぃ……っ」

 感じる部分を内側から刺激され、堪らず舌足らずな声を上げると、その唇にむしゃぶりつかれた。溢れる涎をぺろぺろと舐められる。そんな些細な刺激にも感じてしまう。
 あったはずの羞恥は、もうどこかへ消え去ってしまった。いや——まだあることはあるのだ。恥ずかしい気持ちも僅かには。けれどそんな気持ちより、もっと触れたい、触れられたい、弄って欲しい擦って欲しい突き上げて奥までいっぱいにしてほしい——。そんな気持ちの方が勝ってしまう。

「ふぁ……あ、あ、っ——」

 絶頂が近い。ルーランに手を引かれ導かれるように、リィは快感の階を駆け上っていく。身体中が、胸の中も頭の中も彼のことでいっぱいになる。心地よさでいっぱいになる。
 より深い口付けを求めてルーランを抱きしめると、その背を抱く腕にも、一層の力が込められた。
 逞しい腕。広い胸。熱い口付け。激しい律動。
 彼の全部——。
 
 好きだ。
 好き——好き。ずっとこのままがいい。ずっとこのまま彼の腕の中に閉じ込められていたい。一番好きな一番気持ちのいい場所に、ずっとずっとずっと——。

「っ——リィ……ッ——」

「んんっ……! ん、ぅん……んん~~~~~~~~ッ——」

 次の瞬間。これ以上ないほど深く——奥深くまで穿たれたかと思うと、刹那、リィの性器から耐えられなくなったように熱いものが迸る。
 墜落するような一気に引き上げられるような目眩のような高揚感の中、同時に、背が軋むほど強く抱き締められ、体奥で熱が弾けたのを感じる。
 愛しい相手の精が長く長く注がれる、目が眩むようなその悦び——。
 しがみついたまま背を震わせていると、

「リィ……愛してる……」

 そんなリィの耳に、荒い息混じりの熱い囁きが吹き込まれる。
 快感に潤む瞳で間近から見つめたリィの唇に、ルーランのそれがゆっくりと重なった。




 



 
「美味しい?」

 傍から尋ねられ、リィはモグモグと口を動かしながら頷く。
 最初の睦事を終えてから、どれくらい経っただろうか。
 今、二人は寝台の上に身を起こし、足を伸ばして座っている。
「なにも着なくていいじゃん」とルーランは言ったものの、リィは裸のままでいることに耐えられず(ただの裸でも恥ずかしいのに、今は情交の跡がありありと残っているのだから尚更だ)、とりあえず単衣を肩に羽織った姿だ。
 
 そして夜具で隠れた二人の脚の上にはルーランが運んできた二つの盆。
 そこには果物と飲み物が乗っている。

 一通り食事は済ませたはずが、あの後、二度、三度と情を交わしてしまうと流石にお腹が減ってしまい、急遽、寝台の上で再度の食事となったのだった。
(ちなみにこの「情を交わす」という言い方は、リィの提案だ。「交尾」では流石に……とリィが抗議して二人で話し合った結果、これに落ち着いた。リィは生々しさに赤面せずに済むようになったし、ルーランは「やることは同じ」なので呼び名はどうでもいい——ので丸く収まったというわけだ)

 といっても、実のところリィは食べ物にも飲み物にも手を出してはいない。
「あんたは疲れてるんだからそんなことしなくていーの」と言い張るルーランに押し切られ、食べ物も飲み物も彼の手から、もしくは唇から摂取しているような状況だった。

(これではまるで子供ではないか……)
 
 楽しそうなルーランから口移しで供される果実を食べながら、リィは微かに眉を寄せる。果実は美味しいし飲み物も……喘ぎすぎて枯れた喉に心地いい。
 だがこんな……。

(しかも寝台の上で食事など……)

 だらしないにも程があるというものだ。
 物心ついてからというもの、こんなことしたことがない。

 なのに……。

『えー。一日ぐらいいいじゃん。今日だけ今日だけ。特別特別。年が変わって初めて会った日なんだしさ』

 ——ルーランににこにことそう言われると「そうかな……」という気になってしまう。

 いけない、いけない。

 リィは慌てて首を振った。
 一度の堕落が永の堕落への第一歩なのだ。

 しかしそう思っているのに、

「リィ、これも美味いよ」

 声と共に「ん」と傍から差し出される果実を食んだ唇はとても魅力的で、ついリィは口付けに応えてしまう。甘い果実と唇。愛しい相手に肩を抱かれ寄り添って過ごす時間は、情事の後の気だるい甘さとも相まって、蜜のようにリィを蕩していく。
  
 ひとときでも。かりそめでも。
 この寝室に閉じ込められて過ごす時間は幸せなものだ。  
 ルーランもきっと、リィと共にいるこの時間を、特別なものにしてくれようとあれこれ手を尽くしてくれているのだろう。
 ならば今は、その優しさと気遣いに浸っていよう……。
 リィはそう決めると、「お前も食べろ」と一つ取った果物をルーランの口に押し込む。

「えー。口移しじゃないの」

 思っていた通りそうぼやく唇に唇を押し当てて黙らせると、ルーランはひとしきりリィの唇を味わった後、

「あ、そうだ」

 何かを思い出したように声を上げた。

「ちょっと待ってて。肝心なものを忘れるところだった」

 そして言うなり、脚の上の盆を傍に退けて寝台を降りる。
 そのまま寝室を出て——。程なく戻ってきた彼の手には、予想外のものがあった。

「はい、これ」
 
 再び寝台に上がってきた彼が、それをリィに差し出す。
 それは、騎士が普段から身につけているもの——。
 ——鞭だった。

 だが、どうしてそれをルーランが??

 騏驥は鞭なんか嫌いなはずだ。しかもルーランは特に……。

 不思議に思いながらそれを受け取り——リィは瞠目した。
 その鞭は、一見しただけで名品とわかるものだったのだ。

「ルーラン、これはいったい……」

 尋ねる声が上ずる。触れているだけで、嬉しいような興奮するような心地にゾクゾクする。

 騏驥に騎乗するときには必ず必要とする——ある意味、騎士の証でもある鞭だが、その使い方は騎士によって千差万別だ。騏驥によって使い分ける者もいれば、一つの鞭で通す者もいる。
 どちらの手で持つか、順手で打つか逆手で打つか、騏驥の体のどこをどの程度の強さで叩いて合図を出すか……。とにかく、状況によって、騏驥によって、一番いい使い方を考えなければならないから、「自分に合う鞭」や「手に馴染む鞭」に出会えるとその喜びはとても大きい。

 もちろんさしてこだわりのない騎士もいるのだが——実はリィは鞭に目がなかった。
 良い物があると聞けば遠くまででも買い求めに行くし、馴染みの職人もいる。逸品を見る機会があれば時間を作ってでも訪れるし、単なる道具という以上に、一つの「作品」として鞭が好きなのだった。
 そうするうちにいつしか知識と見る目も養われ、今や他の騎士から鞭についての助言を求められることさえあるほどなのだが……。

 しかしまさか、騏驥が鞭を差し出してくるとは。
 彼らにとっては手綱同様、自身の自由を制限する「嫌なもの」だろうに。

 リィの問いに、ルーランは居間の方向へ向けて、クイとアゴをしゃくってみせた。

「年末に片付けしてて見つけたんだよ。まだ残ってる荷物の中からさ。俺にとっちゃ欲しくもないものだけど、あんたは気になるかと思って。——どう? 気に入った?」

「…………」

「あんた鞭には詳しいんだろ。古そうだけど、なんか雰囲気あるしさ。あんたが持つと似合うかな、なんて。使えそうなら持ってれば」

 あんまりペチペチ叩かれるのは嫌だけど……まさか俺がやったもので俺のこと叩いたりしないだろ?

 ニッと笑ってルーランは言う。
 要するに、彼はたまたま見つけたこの鞭をリィに渡すことで、叩かれないようにしようとしているわけだ。

 だが。

 リィは鞭を凝視する。
 だがこれは……。

 これは、そんなふざけた理由でやり取りしていいものではないのではないだろうか……?

 リィはじっくりと鞭を眺める。

 確かに古い、だが作りは間違いなくいいものだ。使われている革が素晴らしい。おそらく、今では稀少になっているか手に入らない類のものだろう。
 重さ、感触、しなり具合……。ざっと見ただけでも非の打ち所がない。
「名品」と言って差し支えないクラスのものだ。
 高名な騎士が携えるに相応しい品質の……。

 しかし。

(銘がない……)

 そう。
 このクラスものなら、物自体に銘があるか、もしくは誰が作ったかもしくはどの工房で作ったか印されていそうなものなのに、それがないのだ。
 となれば名人が趣味で作ったか、もしくは名を明かせぬ理由で作ったか……。
 いずれにせよ、意味深で不思議だ。それもまた、リィの興味をそそる。
 
 しかもその上、この鞭は魔術の施された形跡もない。
 つまり、これは本当に全くの未使用の鞭だ。
 未使用で、銘のない名品……。

 リィがあまりにじっと見つめていたからだろう。

「夢中だね」
 
 ルーランが笑いながら顔を覗き込んできた。
 慌てて、リィは鞭から目を逸らした。けれど触っているだけで、沸き立ってくるような興奮がある。
 落ち着こう、と深呼吸したのち、リィはルーランを見つめ返す。
 傍の彼は——ルーランは、キラキラとした瞳をしていた。

 きっとこれは、彼が自分のために、と見せてくれたものだろう。
 自分が喜ぶ顔を期待して。
 そして確かに、これだけの品を見られるのは嬉しい。
 嬉しい、が……。

(これはこのままわたしが持っているというわけには……)

 いかない——かもしれない。
 あまりに良すぎるし、しかも不思議な点が多いからだ。

 でも……。
 せっかくルーランが……。

 ぐるぐるとリィは惑う。

 やがて密かに——リィが彼にしてはとても「悪いこと」を思いついたとき。
 鞭を持つその手に、そっと手が重ねられる。
 はっと息を呑んだその肩が、ルーランの空いている手にぎゅっと抱き寄せられる。そして彼は、リィの耳元でこっそり、というように言った。

「これ——さ。とりあえずは俺とリィの秘密にしとく、ってのはどう」

「!?」

 びくり、とリィは慄く。それは、今まさにリィが考えていたことだったからだ。
 そっとルーランを見ると、彼は悪戯っぽく笑って続ける。

「俺は詳しくないんだけどさ、これ、ここにあったってことは魔術師絡みの可能性もあるわけじゃん。なんか曰くありげだし、すぐに持ち歩けないんなら、俺たちだけの秘密にして、ここに置いとく、ってのはどう?」

「ここ、に……」

「そ。二人だけの秘密、ってことでさ。ここに置いとけば、リィはいつでも見にこられるし、触れるだろ? そういうの、どう? だってさ、元々ここにあって、俺が見つけたからこうして出てきたんだし……ここに置いて置く分にはいいじゃん」

「……み、見なかったことに、して……というわけか……?」

「見ちゃったけどね。っていうか、俺が見せちゃったのか」

 言うと、ルーランは笑う。
 そしてリィの顔を再び覗き込んできた。

「リィとしては、やっぱ気になる? 騎士会に見せたり、調べたり……そういうことしないと、って思う?」

 揶揄うような様子でも不満があるような様子でもなく、ルーランはリィを見つめて尋ねてくる。
 リィはルーランを見つめ返し——鞭を見つめ——ルーランを見る。俯いて、言葉を押し出す。

「そう……したほうがいいのかもしれない……とは思う……。でも……」

 そこで言葉を切ると、リィは意を決したように「ん」と一つ頷く。そして顔を上げると、ルーランを見つめて言った。

「でも、これはここへ置いておこう。ここにあったものなら、それでいいだろう」

「……いいの?」

「いい。もう決めた。見たけれど、秘密にしておく。それでいい」

「あんたにしては、随分悪いことするんだな。大丈夫?」

 クスクス笑いながら、けれど嬉しそうにルーランは言う。ぎゅっと抱きしめられ、リィも苦笑した。

「お前が言い出したことだろう。でも——うん、それでいい。わたしも、そうしようと思っていたから……」

 リィが言うと、「悪い子だなぁ」とルーランが笑う。笑って頬に口付けてくる。その擽ったさにリィは肩を竦めた。

「年変わり早々、秘密を抱えることになるとは、な。これからが思いやられるようだ」

「二人の仲がより親密になったってことじゃん。それに、リィがここに来る楽しみが増えただろ?」

 鞭を持つリィの手を撫でさすりながら言うルーランに、リィは「そうだな……」と頷く。けれど直後、「でも」と続けた。

「でも、あの鞭がなくても、わたしはここにくるのが楽しみだぞ」

 言って、にっこり笑う。笑って、続ける。
 
 お前といるのは幸せだ。
 だから今日だって、待ちきれずに、馬場開きよりも一日早くお前に会いにきただろう——?

 リィが言うと、ルーランは嬉しそうに笑ってリィに頬を擦り付けてくる。
 
 馬っぽい、とリィはされるままになりながら笑う。
 
 リィは馬が大好きなのだ。

 リィはルーランが大好きなのだ。
 年が変わっても秘密が増えても。

 ——ずっとずっとずっと。

 

END
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