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98 攻防
しおりを挟むさすがに寒気を覚えるダンジァに、シュウインは頬を歪めてみせた。
普段は秀麗な貌が、そうすると別人のように邪悪に見える。
「一体どこまで僕の邪魔をするのか……。しかも、覚えていたのは僕だけ。きみは、名乗ったところで僕のことなど記憶してもいなかった」
「っ……それで……どうしてシィン様まで巻き込むような真似を——」
ダンジァは、込み上げてくる憤りのままに声を荒らげた。
彼の考えは、行為は、ただの逆恨みだ。
だが。
恨みなどそんなものなのだろう。彼自身が言ったように。
そしてダンジァが名前を覚えていなかったことが、彼に一線を越えさせたのだ。
彼が根深く抱き続けていた妬み、羨望、それが転じた悪意。少しずつ少しずつ溜まっていったそれらが、最後の一滴でとうとう溢れ出すように。
けれどどうして他人を巻き込むようなことを?
他の騏驥を。そしてシィンを。王の騏驥である彼らにとって大切な騎士を。
考えるほどに混乱するダンジァの隙をつくようにして、シュウインが斬り込んでくる。
彼の剣技は最低限なんかじゃない。速いし狙いが的確だ。柔軟で、これだけやり合っていてもまだ疲れた様子を窺わせない。
未だダンジァは手加減するしかない状況とはいえ、加減を間違えたら即座に殺されるだろう。決して侮れない。
交わる刃の音に混じって、シュウインの声が届く。彼はダンジァの問いに、「なぜそんなことを」といいたげに応じる。
「その方がきみの評判を落とせると思ったからだよ。決まってる。きみに汚名を着せたかった。殿下に毒を盛った上、それが禁止薬物だったなら——きみはもう終わりだ。処分されて、後世まできみの名は忌み嫌われるだろうよ」
想像したのか、シュウインの口調が熱を増す。
しかし直後、思い出したように眉を寄せる。そしてチラ、と視線を流した。
その先には、さっきダンジァが横たえた、王の騏驥の亡骸がある。
「なのにあれときたら——殿下に異常があったとわかった途端に、手がつけられなくなるほど取り乱して、『そんなつもりじゃなかった』だの『そんな薬だなんて聞いてない』だの騒ぎ出して……。しかも、あちこちに行動を記録できる魔術石が巻かれていたと知ってからは、自分がやったことがバレるんじゃないかとそれはそれは狼狽してね……。隠すのが大変だった。挙げ句の果てに、自分はやらされただけだから、問い詰められる前に本当のことを全部話して楽になりたいと言い出して……。見苦しい狼狽えようだったな……。頭が悪い上に、いざとなったら肝の座ってない子だ」
今にも舌打ちせんばかりの言いようだ。
だが、それでダンジァにも、うっすらと事の次第がわかるような気がしてきた。
薬を混入したのは、確かにあの騏驥なのだろう。ダンジァを妬んでいた、あの騏驥。待機場所の世話係をしていた、今はもう生きていない、あの王の騏驥。
けれど彼の目的は、多分ダンジァだけだったのだ。
自分の使った薬が——使うように指示された薬が、自らの主人となる騎士——王子であるシィンにまで害が及ぶとは考えていなかったに違いない。
もしかしたら、禁止薬物だとさえ思っていなかったかもしれない。
なにしろ、以前ダンジァに絡んできたときだって稚拙なやり口だった。
とてもではないが、ダンジァへの恨みのためにシィンまで巻き添えにする度胸はないだろう。
そんなこと、ずっと一緒にいたシュウインならわかっていたはずだ。
わかっていて——なのに利用して、挙句……。
憤りが、改めてふつふつと湧いてくる。個人的な逆恨みのために、一体どれだけ周囲を巻き込めば気が済むのか。
「……見苦しいのはあなたの方です」
堪らず、ダンジァは言い返した。シュウインが不快そうに眉を寄せた。
構わず続けた。
「どう言い張ったところで、あなたのやったことはただの自分勝手な逆恨みです。しかも、陰で糸を引くような卑怯な真似をして……。さっき自分に斬りかかってきたときだって、罠にかけるような真似をした上に不意打ちだ。あなたの方が、よほど見苦しいじゃないですか」
憤りを込めたダンジァの声に、シュウインは無言のまま目を眇める。
その目を睨み返しまま、ダンジァは続けた。
「これからどうする気ですか。自分に何かあれば、ユェンさんがあなたと一緒だったと言うはずです」
「……まったくね。あの調教師がいたのは予定外だった。でも——記録のない証言なんて、どうにでもなる」
「…………」
「死人に口なしだ。ここできみを殺してしまえば、それで終わり——。事実がどうなのかなんて問題じゃない。本当のことがどうであれ、きみがたまたま出くわしたこの死んでる騏驥を疑い、僕を振り切って追いかけ、こんなところまでやってきて揉めて殺し合うに至ったらしい——という目撃者であるわたしの話を信じる者がいれば、それが全部だ」
「…………」
「つまり——きみがこの状況を打破したいと思うなら、その剣でわたしを斬るしかないんだよ。殿下から下賜された美しい大切な剣でね。きみにそんなことができるのかな」
嘲笑うように言うその声音に、表情に、ダンジァはきつく唇を噛んだ。
自分に何かあれば、ユェンは絶対に自身を責めるだろう。
ひどく悲しむだろう。この上、彼まで巻き込みたくない。
そしてこの剣を——シィンから渡されたこの剣を、こんな奴の血で汚したくない。
「——」
ダンジァは決心すると、手にしていた剣を鞘に納める。
シュウインは一瞬唖然とした顔を見せ、数秒後、憤怒の形相で睨みつけてきた。
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