8 / 16
第4章
後編
しおりを挟む
翌日、古い木製のドアをくぐると、温かい琥珀色の照明が優しく迎えてくれる喫茶店「ひだまり」。壁にはセピア色の年代物のポスターと絵画が並び、アンティークの真鍮の時計が静かに時を刻む。窓際の席にはふんわりとしたクリーム色のクッションが置かれ、テーブルには季節の花が彩りを。カウンター越しには、白髪交じりの短髪のマスターが手際よくコーヒーを淹れる姿が見え、深い香りが店内に広がる。穏やかなジャズの音楽が流れ、心地よい時間がゆっくりと流れていた。
待ち合わせた優子が来る前に、優子に連絡して許可を取ってから、「探偵社アネモネ」の三人で珈琲を頼んだ。
「あの……水樹、私の気にすぎかもしれないのですが」
水樹が珈琲を一口含んだところで、理人が右隣の席から声をかけて来た。
「神崎大学で、考古学部で皆さんとお話していた時、妙な視線を感じました」
「妙な視線?」
「ええ、今も」
水樹は全く気付いていなかったので、小首を傾げ、声を潜めて聞き返す。陽希も巨大なBLTサンドにかじりつき、理人の顔を覗き込んだ。
理人は辺りを見回してから、口元に手をやり、しばし考えこんでから答える。
「視線を感じたのは、我々が優子さんと待ち合わせした瞬間でした。そう考えると……優子さんに特別な好意を抱いている方からの嫉妬かもしれません」
水樹と陽希は、ガクッと体を前に倒した。
「……それなら別に、構わないでしょう。簡単です。今回の依頼が解決すれば、誤解は解けますから」
「そうですね。お騒がせしました」
其処へ、優子がやって来た。
「遅くなってしまって申し訳ありません」
白いブラウスは、柔らかくもありながらきちんとした印象を与える。襟元は程よく開き、控えめなパールのネックレスが輝きを添えている。その上に羽織ったネイビーのカーディガンは、袖を少しだけ捲り、手首に見えるのはシルバーのスリムな腕時計。「探偵社アネモネ」の三人は、軽く腰を浮かせて、頭を下げた。
優子は先ず珈琲を頼み、それが届く前に鞄から資料を取り出した。
「私の両親と兄弟、私の小学校の時の資料です」
「ありがとうございます」
卒業アルバムや文集に目を通す。小学生たちの作文も、頭に叩き込んでいく。水樹は文章を読むのは得意だった。だが、特段、捜査の進展になりそうな資料は見当たらない。理人と陽希にも視線を送り、何かないか確認するが、二人同時に首を左右に振るだけだった。
諦めかけた時、ふと、学級通信が目に留まる。近年は、資源の保全の為か生徒たちに配布されていないのかもしれないが、当時はクラスの活動の様子を、時折担任教師がまとめてプリントとして配っていたのだ。
それぞれの学級で、その月に起きたイベントが、それらのプリントに、写真付きで紹介されている。校庭で雪だるまを作る雪だるま大会、春の遠足から、学習発表会など。
「行事が多くて、楽しそうな学校ですね」
理人が穏やかに感想を述べると、優子はプリントを自分以外が見やすいように並べつつ、頷いた。
「神崎小学校では、卒業式の後、校庭の裏庭に、タイムカプセルを埋めるっていう行事もあるんです。遺跡の話が出たうえ、更に小学校自体が廃校になってしまったから、もう掘り起こす機会はないのかもしれませんが……」
「この写真は?」
水樹が指を指した先には、数人の子供が和気あいあいと何かの作業をしている写真があった。優子もそれを軽く覗き込んで、ああ、と声を出す。
「これは、父の写真ですね。神崎小学校では、三年生と四年生の時に、『先輩と遊ぶ会』という会が年一回開かれるので、その時の写真だと思います。それぞれの学年の時に、六年生が教室へ来てくれるんです」
「この子が持っているマグカップ、見たことありませんか」
理人も陽希も顔を寄せる。一人の男児の手に握られたマグカップ、其処には確かに、幼児が描いたような兎の絵がある。優子が、あっ、と声を上げた。
「これ、鷹見教授が持っていらっしゃるマグカップ?」
其処から全員がしばし無言になったことが、優子のつぶやきに対する同意であった。
「鷹見教授も、神崎小学校の出身者だった。なのに、あの時に会話に混ざって来なかったのは、僕としては少し違和感があります」
「俺たちが夢中になって話してたから入りにくかったんじゃない?」
「……なら、良いのですが」
「……優子さんは、麻理香さんが行方不明になったことについて、どう考えていらっしゃいますか?」
理人が、オーボエのような声を潜めて、優子に問う。優子は俯き、指を組んで小さな声で答えた。
「恐ろしいな、と思います。ただ……」
言い淀んだところで、優子のスマートフォンが鳴った。優子は申し訳なさそうに、眉と頭を下げて店の出入り口の付近へ一度出ていく。
残された「探偵社アネモネ」の三人は、目を見合わせて、優子が言い淀んだ先を考えた。水樹の脳内には、優子が、「麻理香の失踪について」何かを知っているのではないかという閃きが浮かんでいた。
珈琲をまた口に含んだら、ちょうどここで飲み終わってしまった。店員に声をかけ、もう一杯のコーヒーを注文。それが届いて、なお――優子が席に戻って来ない。「探偵社アネモネ」の三人で麻理香の件について話をし、流石にそれも尽きたほど待ったが、戻らない。胸騒ぎを覚えて、水樹が杖を持って立ち上がると、理人も陽希も腰を上げた。
店の出入り口に来て、水樹は茫然としてしまった。優子がいなくなっていたからだ。
辺りを見回している間に、陽希が、「俺、探して来る」と、飛び出して行った。理人も、「一人きりになるのは危険です」と叫んでついて行く。水樹は走れないので、店内に残り、先ず優子にメッセージを送信。支払いを済ませつつ店員に、さりげなく「優子を見なかったか」と質問した。
「嗚呼、同席されていた女性の方なら、先ほど、出て行かれましたよ。男性の方と一緒に」
「男性? どんな男性でしたか? 服装や、年齢、特徴があれば何でも良いです」
店員は困惑したように首を左右に振る。彼女のポニーテールが揺れた。
「い、いえ……青っぽい毛糸の帽子と、ベンチコート、マスクを着けていらしたので、体形も顔も良く分かりかねます。申し訳ございません」
其処へ、理人と陽希が走って戻って来た。水樹の安全も心配していたようだった。矢張り優子の姿は何処にもないということだった。念のために水樹はスマートフォンを確認したが、メッセージは既読にすらなっていなかった。
待ち合わせた優子が来る前に、優子に連絡して許可を取ってから、「探偵社アネモネ」の三人で珈琲を頼んだ。
「あの……水樹、私の気にすぎかもしれないのですが」
水樹が珈琲を一口含んだところで、理人が右隣の席から声をかけて来た。
「神崎大学で、考古学部で皆さんとお話していた時、妙な視線を感じました」
「妙な視線?」
「ええ、今も」
水樹は全く気付いていなかったので、小首を傾げ、声を潜めて聞き返す。陽希も巨大なBLTサンドにかじりつき、理人の顔を覗き込んだ。
理人は辺りを見回してから、口元に手をやり、しばし考えこんでから答える。
「視線を感じたのは、我々が優子さんと待ち合わせした瞬間でした。そう考えると……優子さんに特別な好意を抱いている方からの嫉妬かもしれません」
水樹と陽希は、ガクッと体を前に倒した。
「……それなら別に、構わないでしょう。簡単です。今回の依頼が解決すれば、誤解は解けますから」
「そうですね。お騒がせしました」
其処へ、優子がやって来た。
「遅くなってしまって申し訳ありません」
白いブラウスは、柔らかくもありながらきちんとした印象を与える。襟元は程よく開き、控えめなパールのネックレスが輝きを添えている。その上に羽織ったネイビーのカーディガンは、袖を少しだけ捲り、手首に見えるのはシルバーのスリムな腕時計。「探偵社アネモネ」の三人は、軽く腰を浮かせて、頭を下げた。
優子は先ず珈琲を頼み、それが届く前に鞄から資料を取り出した。
「私の両親と兄弟、私の小学校の時の資料です」
「ありがとうございます」
卒業アルバムや文集に目を通す。小学生たちの作文も、頭に叩き込んでいく。水樹は文章を読むのは得意だった。だが、特段、捜査の進展になりそうな資料は見当たらない。理人と陽希にも視線を送り、何かないか確認するが、二人同時に首を左右に振るだけだった。
諦めかけた時、ふと、学級通信が目に留まる。近年は、資源の保全の為か生徒たちに配布されていないのかもしれないが、当時はクラスの活動の様子を、時折担任教師がまとめてプリントとして配っていたのだ。
それぞれの学級で、その月に起きたイベントが、それらのプリントに、写真付きで紹介されている。校庭で雪だるまを作る雪だるま大会、春の遠足から、学習発表会など。
「行事が多くて、楽しそうな学校ですね」
理人が穏やかに感想を述べると、優子はプリントを自分以外が見やすいように並べつつ、頷いた。
「神崎小学校では、卒業式の後、校庭の裏庭に、タイムカプセルを埋めるっていう行事もあるんです。遺跡の話が出たうえ、更に小学校自体が廃校になってしまったから、もう掘り起こす機会はないのかもしれませんが……」
「この写真は?」
水樹が指を指した先には、数人の子供が和気あいあいと何かの作業をしている写真があった。優子もそれを軽く覗き込んで、ああ、と声を出す。
「これは、父の写真ですね。神崎小学校では、三年生と四年生の時に、『先輩と遊ぶ会』という会が年一回開かれるので、その時の写真だと思います。それぞれの学年の時に、六年生が教室へ来てくれるんです」
「この子が持っているマグカップ、見たことありませんか」
理人も陽希も顔を寄せる。一人の男児の手に握られたマグカップ、其処には確かに、幼児が描いたような兎の絵がある。優子が、あっ、と声を上げた。
「これ、鷹見教授が持っていらっしゃるマグカップ?」
其処から全員がしばし無言になったことが、優子のつぶやきに対する同意であった。
「鷹見教授も、神崎小学校の出身者だった。なのに、あの時に会話に混ざって来なかったのは、僕としては少し違和感があります」
「俺たちが夢中になって話してたから入りにくかったんじゃない?」
「……なら、良いのですが」
「……優子さんは、麻理香さんが行方不明になったことについて、どう考えていらっしゃいますか?」
理人が、オーボエのような声を潜めて、優子に問う。優子は俯き、指を組んで小さな声で答えた。
「恐ろしいな、と思います。ただ……」
言い淀んだところで、優子のスマートフォンが鳴った。優子は申し訳なさそうに、眉と頭を下げて店の出入り口の付近へ一度出ていく。
残された「探偵社アネモネ」の三人は、目を見合わせて、優子が言い淀んだ先を考えた。水樹の脳内には、優子が、「麻理香の失踪について」何かを知っているのではないかという閃きが浮かんでいた。
珈琲をまた口に含んだら、ちょうどここで飲み終わってしまった。店員に声をかけ、もう一杯のコーヒーを注文。それが届いて、なお――優子が席に戻って来ない。「探偵社アネモネ」の三人で麻理香の件について話をし、流石にそれも尽きたほど待ったが、戻らない。胸騒ぎを覚えて、水樹が杖を持って立ち上がると、理人も陽希も腰を上げた。
店の出入り口に来て、水樹は茫然としてしまった。優子がいなくなっていたからだ。
辺りを見回している間に、陽希が、「俺、探して来る」と、飛び出して行った。理人も、「一人きりになるのは危険です」と叫んでついて行く。水樹は走れないので、店内に残り、先ず優子にメッセージを送信。支払いを済ませつつ店員に、さりげなく「優子を見なかったか」と質問した。
「嗚呼、同席されていた女性の方なら、先ほど、出て行かれましたよ。男性の方と一緒に」
「男性? どんな男性でしたか? 服装や、年齢、特徴があれば何でも良いです」
店員は困惑したように首を左右に振る。彼女のポニーテールが揺れた。
「い、いえ……青っぽい毛糸の帽子と、ベンチコート、マスクを着けていらしたので、体形も顔も良く分かりかねます。申し訳ございません」
其処へ、理人と陽希が走って戻って来た。水樹の安全も心配していたようだった。矢張り優子の姿は何処にもないということだった。念のために水樹はスマートフォンを確認したが、メッセージは既読にすらなっていなかった。
0
あなたにおすすめの小説
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
毒小町、宮中にめぐり逢ふ
鈴木しぐれ
キャラ文芸
🌸完結しました🌸生まれつき体に毒を持つ、藤原氏の娘、菫子(すみこ)。毒に詳しいという理由で、宮中に出仕することとなり、帝の命を狙う毒の特定と、その首謀者を突き止めよ、と命じられる。
生まれつき毒が効かない体質の橘(たちばなの)俊元(としもと)と共に解決に挑む。
しかし、その調査の最中にも毒を巡る事件が次々と起こる。それは菫子自身の秘密にも関係していて、ある真実を知ることに……。
梵珠山に、神は眠らない ―八峰 遥の豪運―
事業開発室長
ミステリー
神の気まぐれか、何かの意思か――
八峰 遥が遭遇する不可思議な出来事と強運の連続。
彼女を呼ぶ声は一体? 現実とオカルトが交錯する、
全10話完結の短編ミステリー。
シリーズ第2弾【十二湖は、今日も蒼い ―八峰 遥の天運―】 公開中
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
【完結】限界離婚
仲 奈華 (nakanaka)
ミステリー
もう限界だ。
「離婚してください」
丸田広一は妻にそう告げた。妻は激怒し、言い争いになる。広一は頭に鈍器で殴られたような衝撃を受け床に倒れ伏せた。振り返るとそこには妻がいた。広一はそのまま意識を失った。
丸田広一の息子の嫁、鈴奈はもう耐える事ができなかった。体調を崩し病院へ行く。医師に告げられた言葉にショックを受け、夫に連絡しようとするが、SNSが既読にならず、電話も繋がらない。もう諦め離婚届だけを置いて実家に帰った。
丸田広一の妻、京香は手足の違和感を感じていた。自分が家族から嫌われている事は知っている。高齢な姑、離婚を仄めかす夫、可愛くない嫁、誰かが私を害そうとしている気がする。渡されていた離婚届に署名をして役所に提出した。もう私は自由の身だ。あの人の所へ向かった。
広一の母、文は途方にくれた。大事な物が無くなっていく。今日は通帳が無くなった。いくら探しても見つからない。まさかとは思うが最近様子が可笑しいあの女が盗んだのかもしれない。衰えた体を動かして、家の中を探し回った。
出張からかえってきた広一の息子、良は家につき愕然とした。信じていた安心できる場所がガラガラと崩れ落ちる。後始末に追われ、いなくなった妻の元へ向かう。妻に頭を下げて別れたくないと懇願した。
平和だった丸田家に襲い掛かる不幸。どんどん倒れる家族。
信じていた家族の形が崩れていく。
倒されたのは誰のせい?
倒れた達磨は再び起き上がる。
丸田家の危機と、それを克服するまでの物語。
丸田 広一…65歳。定年退職したばかり。
丸田 京香…66歳。半年前に退職した。
丸田 良…38歳。営業職。出張が多い。
丸田 鈴奈…33歳。
丸田 勇太…3歳。
丸田 文…82歳。専業主婦。
麗奈…広一が定期的に会っている女。
※7月13日初回完結
※7月14日深夜 忘れたはずの思い~エピローグまでを加筆修正して投稿しました。話数も増やしています。
※7月15日【裏】登場人物紹介追記しました。
2026年1月ジャンルを大衆文学→ミステリーに変更しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる