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第2話「辺境の騎士団長と、温かいスープ」
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王都を出発してから、揺れる馬車に身を任せること十数日。窓の外の景色は、華やかな街並みから険しい山々へと変わり、空気もひんやりと肌寒くなってきた。そしてついに、俺がこれから暮らすことになるシュヴァルツ辺境領に到着した。
馬車を降りて見上げた空は、どこまでも青く澄み渡っていた。噂に聞いていたような荒涼とした土地ではなく、雄大な自然に囲まれた、静かで美しい場所だった。領都は質素だが活気があり、人々はたくましく暮らしているようだった。
俺に与えられたのは、領都の端にある小さな一軒家だった。古いけれど手入れは行き届いており、一人で暮らすには十分すぎる広さだ。小さな畑までついている。ここなら、望んでいた静かな生活が送れそうだ。俺は安堵のため息をついた。
生活を始めるにあたり、まずは領主である辺境伯兼騎士団長に挨拶に行くのが筋だろう。俺は手土産代わりに、王都から持ってきた数少ない荷物の中から、焼き菓子をいくつか包んだ。
騎士団の詰所は、領都の中心にある砦の中にあった。屈強な騎士たちが厳しい訓練に励む中、俺は場違いな自分を感じながらも、受付の兵士に面会の取り次ぎを頼んだ。
通されたのは、質素だが重厚な執務室だった。やがて、部屋の扉が開き、一人の男が入ってくる。その圧倒的な存在感に、俺は息を呑んだ。
背が高く、鍛え上げられた分厚い体躯。着込んだ黒い騎士服が、その屈強さをさらに際立たせている。短く刈られた黒髪に、獲物を射抜くような鋭い金色の瞳。頬には古い傷跡があり、その風貌はまさしく百戦錬磨の戦士のものだった。彼こそが、この地を治めるカイ・フォン・シュヴァルツ騎士団長。最高位のアルファだ。
「……追放されてきた、リヒト・フォン・ヴァイスか」
地を這うような低い声が、部屋の空気を震わせる。その威圧感に、俺の体は無意識に強張った。『氷の騎士』の異名は伊達ではないらしい。
「は、はい。この度は、お世話になります」
俺は緊張で震える声をなんとか絞り出し、深々と頭を下げた。
「ここでは貴族も何もない。静かに暮らすというのなら、何もしなくていい。だが、問題を起こせば容赦はせん」
カイ団長は感情の読めない瞳で俺をじっと見つめ、それだけを告げた。手土産の焼き菓子を差し出すと、彼は一瞬だけ眉を動かしたが、無言で受け取った。どうやら、あまり歓迎はされていないらしい。まあ、当然か。
挨拶もそこそこに詰所を後にした俺は、ひとまず市場へ向かった。辺境ならではの珍しい野菜や、新鮮な肉が並んでいる。俺は前世の知識を活かせそうな食材をいくつか買い込み、家に戻った。
その日の夕食は、野菜と干し肉をたっぷり使った具沢山のポトフにした。じっくり煮込んだスープは、体の芯から温めてくれる。一人で食べる食事は少し寂しいけれど、誰にも気兼ねなく、自分の好きなものを作って食べられる自由は、何物にも代えがたい喜びだった。
数日後、家の前の畑を耕していると、門の前に見慣れない人影があることに気づいた。そこに立っていたのは、先日会ったばかりのカイ団長だった。私服姿の彼は、騎士服の時とは少し違う、どこか落ち着いた雰囲気をまとっていた。
「……この前の菓子、うまかった」
ぼそりと、彼は言った。予想外の言葉に、俺は目を丸くする。
「団員たちにも分けたが、好評だった。礼を言いに来た」
「い、いえ、そんな…お口に合ってよかったです」
不愛想な態度は相変わらずだが、わざわざ礼を言いに来てくれるとは、意外と律儀な人なのかもしれない。
その時、ぐぅ、と静かな音がお腹から鳴った。俺のではなく、カイ団長のお腹からだ。彼は気まずそうに顔をそむけたが、その耳はかすかに赤くなっていた。その様子がなんだかおかしくて、俺は思わずくすりと笑ってしまった。
「あの、もしよろしければ…昨日の残りのポトフですが、温め直したものでもよければ、召し上がりませんか?」
気づけば、そんな言葉が口をついて出ていた。
馬車を降りて見上げた空は、どこまでも青く澄み渡っていた。噂に聞いていたような荒涼とした土地ではなく、雄大な自然に囲まれた、静かで美しい場所だった。領都は質素だが活気があり、人々はたくましく暮らしているようだった。
俺に与えられたのは、領都の端にある小さな一軒家だった。古いけれど手入れは行き届いており、一人で暮らすには十分すぎる広さだ。小さな畑までついている。ここなら、望んでいた静かな生活が送れそうだ。俺は安堵のため息をついた。
生活を始めるにあたり、まずは領主である辺境伯兼騎士団長に挨拶に行くのが筋だろう。俺は手土産代わりに、王都から持ってきた数少ない荷物の中から、焼き菓子をいくつか包んだ。
騎士団の詰所は、領都の中心にある砦の中にあった。屈強な騎士たちが厳しい訓練に励む中、俺は場違いな自分を感じながらも、受付の兵士に面会の取り次ぎを頼んだ。
通されたのは、質素だが重厚な執務室だった。やがて、部屋の扉が開き、一人の男が入ってくる。その圧倒的な存在感に、俺は息を呑んだ。
背が高く、鍛え上げられた分厚い体躯。着込んだ黒い騎士服が、その屈強さをさらに際立たせている。短く刈られた黒髪に、獲物を射抜くような鋭い金色の瞳。頬には古い傷跡があり、その風貌はまさしく百戦錬磨の戦士のものだった。彼こそが、この地を治めるカイ・フォン・シュヴァルツ騎士団長。最高位のアルファだ。
「……追放されてきた、リヒト・フォン・ヴァイスか」
地を這うような低い声が、部屋の空気を震わせる。その威圧感に、俺の体は無意識に強張った。『氷の騎士』の異名は伊達ではないらしい。
「は、はい。この度は、お世話になります」
俺は緊張で震える声をなんとか絞り出し、深々と頭を下げた。
「ここでは貴族も何もない。静かに暮らすというのなら、何もしなくていい。だが、問題を起こせば容赦はせん」
カイ団長は感情の読めない瞳で俺をじっと見つめ、それだけを告げた。手土産の焼き菓子を差し出すと、彼は一瞬だけ眉を動かしたが、無言で受け取った。どうやら、あまり歓迎はされていないらしい。まあ、当然か。
挨拶もそこそこに詰所を後にした俺は、ひとまず市場へ向かった。辺境ならではの珍しい野菜や、新鮮な肉が並んでいる。俺は前世の知識を活かせそうな食材をいくつか買い込み、家に戻った。
その日の夕食は、野菜と干し肉をたっぷり使った具沢山のポトフにした。じっくり煮込んだスープは、体の芯から温めてくれる。一人で食べる食事は少し寂しいけれど、誰にも気兼ねなく、自分の好きなものを作って食べられる自由は、何物にも代えがたい喜びだった。
数日後、家の前の畑を耕していると、門の前に見慣れない人影があることに気づいた。そこに立っていたのは、先日会ったばかりのカイ団長だった。私服姿の彼は、騎士服の時とは少し違う、どこか落ち着いた雰囲気をまとっていた。
「……この前の菓子、うまかった」
ぼそりと、彼は言った。予想外の言葉に、俺は目を丸くする。
「団員たちにも分けたが、好評だった。礼を言いに来た」
「い、いえ、そんな…お口に合ってよかったです」
不愛想な態度は相変わらずだが、わざわざ礼を言いに来てくれるとは、意外と律儀な人なのかもしれない。
その時、ぐぅ、と静かな音がお腹から鳴った。俺のではなく、カイ団長のお腹からだ。彼は気まずそうに顔をそむけたが、その耳はかすかに赤くなっていた。その様子がなんだかおかしくて、俺は思わずくすりと笑ってしまった。
「あの、もしよろしければ…昨日の残りのポトフですが、温め直したものでもよければ、召し上がりませんか?」
気づけば、そんな言葉が口をついて出ていた。
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