捨てられた花屋のオメガは、雨の日に現れたスパダリ社長に溺愛される~抑制剤をやめたら、運命の番に捕まりました~

水凪しおん

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第6話「曇りガラス越しの光」

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 あの日、バックヤードで泣きじゃくってしまった後、俺と蓮の関係はまた少し変わった。気まずくなるかと思っていたが、蓮は何もなかったかのように、いつも通り店に顔を出した。ただ、以前よりもほんの少しだけ、彼との距離が縮まった気がした。

 俺も、彼に対して頑なに心を閉ざすのをやめた。もちろん、まだ怖い。アルファという存在が、心の奥底で植え付けられた恐怖の対象であることに変わりはない。でも、橘蓮という人間は、俺が知っているどのアルファとも違う。それを、認めざるを得なかった。

「藍沢さん、今度の日曜日、空いているか」

 ある日の閉店後、蓮が唐突にそう切り出した。

「え……?」

「もし迷惑でなければ、一緒に出かけてほしい場所があるんだ」

 デートの誘いだろうか。そう思うと、途端に心臓が早鐘を打つ。

「仕事が……」

「もちろん、君の都合が最優先だ。無理なら構わない」

 断ることもできた。でも、「迷惑でなければ」という彼の控えめな言い方と、どこか期待するような眼差しに、俺は「いいえ」と言えなかった。

「……大丈夫です。日曜は休みなので」

 そう答えると、蓮は子供のように嬉しそうに目を細めた。彼がそんな表情をするのを、俺は初めて見た。

 そして、日曜日。
 待ち合わせ場所に現れた蓮は、いつもと違うラフな格好をしていた。上質なニットに細身のパンツ。それだけなのに、彼のスタイルの良さと育ちの良さが滲み出ている。隣に並ぶのが気後れするほどだ。

「行こうか」

 蓮が連れて行ってくれたのは、都心から少し離れた場所にある、大きな植物園だった。
 ガラス張りの巨大な温室の中は、湿度が高く、青々とした植物の匂いで満ちている。

「ここなら、君も少しは楽しめるかと思って」

 彼の気遣いが、胸に温かく響いた。確かに、色とりどりの珍しい花や植物に囲まれていると、自然と心が安らいだ。

 俺たちは、他愛のない話をしながら、ゆっくりと園内を歩いた。
 彼が経営する会社のこと。最近ハマっているという古い映画のこと。俺は、花の育て方のコツや、それぞれの花が持つ花言葉について話した。
 蓮は、俺の話をとても興味深そうに聞いてくれた。相槌を打ち、質問を投げかけてくれる。誰かとこんなに穏やかな時間を過ごすのは、本当に久しぶりだった。

「橘さんは……その、番とかは、いないんですか」

 ふと、気になっていたことを尋ねてしまった。聞かなければいいのに、口が勝手に動いていた。
 蓮は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに静かに首を振った。

「いない。今まで、そういう相手に巡り会えなかった」

「あなたほどのアルファなら、引く手あまたでしょうに」

「家柄や財産目当てで近づいてくる者は多かったが、心を許せる相手はいなかった」

 彼の声には、かすかな寂しさが滲んでいた。
 この人も、孤独なのかもしれない。何もかも手に入れているように見えて、本当に欲しいものは、まだ手に入れていないのかもしれない。
 そう思うと、彼との間にあった見えない壁が、また少しだけ薄くなった気がした。

 温室を抜けると、広い庭園に出た。空は薄曇りだったが、時折、雲の切れ間から太陽の光が差し込んでいる。

「俺は、ずっと一人だった」

 蓮が、ぽつりと言った。

「幼い頃に両親を亡くして、親戚の家を転々としていた。誰もが俺を、橘家の跡継ぎとしてしか見ていなかった。本当の俺を見てくれる人はいなかった」

 初めて聞く、彼の過去。
 彼のあの静かな瞳の奥に隠されていた寂しさの理由が、少しだけ分かった気がした。

「だから、君の気持ちが少しだけ分かる。信じていたものに裏切られる辛さも、一人で生きていく孤独も」

「……俺のこと、何か知ってるんですか」

「いや、何も。ただ、君を見ていると、そう感じるんだ。君は、まるで分厚い曇りガラスの向こう側にいるみたいだ。本当は、とても綺麗で繊細なのに、誰もそれに触れることができない」

 彼の言葉は、的確に俺の核心を突いていた。
 俺はずっと、自分で自分を曇りガラスの中に閉じ込めていた。傷つかないように。誰にも触れられないように。

「俺は、そのガラスを無理やり壊すつもりはない。でも、いつか君が自分の手で扉を開けてくれるのを、待ちたいと思っている」

 雲の切れ間から、柔らかな光が差し込んだ。それは、蓮の横顔を優しく照らしていた。
 俺は、彼の言葉に何も返すことができなかった。
 ただ、胸の奥が、じんわりと温かくなっていくのを感じていた。

 この人となら、もしかしたら。
 そんな淡い期待が、芽生え始めていた。
 それはとても甘く、同時に、猛毒のようにも思えた。
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