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第6話「運命の兆しと、心の変化」
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カイゼルが雪熊討伐に出てから、三日が過ぎた。
城の中は静まり返り、残された者たちは皆、主の無事を祈りながら静かに自分の務めを果たしていた。
僕も、手の火傷が癒えたのを機に、厨房に立つことを許された。何かをしていないと、不安で押しつぶされそうだったからだ。
彼らが帰ってきた時に、温かいものが食べられるように。僕にできるのは、それくらいだった。
カイゼルのいない食卓は、がらんとしていて寂しかった。
いつも彼が座っていた席を眺めながら、僕は自分がどれだけ彼の存在に慣れてしまっていたかに気づかされる。
無口で、不器用で、何を考えているか分からない人。
けれど、彼の眼差しはいつも真摯で、その行動には不器用な優しさが溢れていた。
僕を「所有物」だと言いながら、誰よりも大切に扱ってくれる。
僕を「運命の番」かもしれないと言ってくれた、あの時の真剣な瞳。
『俺の本能が、魂が、お前こそが唯一だと叫んでいる』
彼の言葉を思い出すたびに、胸の奥が甘く疼く。
そんなはずはない、と理性が否定する。僕のような者に、そんな価値はないと。
でも、心のどこかで、それを信じたいと願っている自分もいた。
もし、本当にカイゼルが僕の運命の番だとしたら?
そう考えただけで、顔に熱が集まるのが分かった。
***
討伐隊が帰還したのは、四日目の夕暮れ時だった。
城門が開く大きな音に、僕は厨房を飛び出した。城の者たちが、皆、中庭に集まってくる。
雪と泥にまみれた騎士たちが、疲れ切った様子で帰ってきた。その先頭に、カイゼルの姿があった。
彼は愛馬――おそらくあの銀狼が姿を変えたものだろう――から降りると、僕の姿を認め、まっすぐにこちらへ歩いてきた。
彼の体からは、血と獣の匂いがした。頬には新しい切り傷ができている。壮絶な戦いだったことが、一目で分かった。
「……カイゼル!」
僕は思わず、彼の元へ駆け寄っていた。
「怪我は……ご無事ですか?」
「かすり傷だ。問題ない」
彼はぶっきらぼうにそう答えたが、その声には隠しきれない疲労が滲んでいる。
僕の心配そうな顔を見て、カイゼルはふっと口元を緩めた。それは、僕が初めて見る、彼の本当の笑顔だったかもしれない。
「ただいま、リヒト」
「……お、かえりなさい」
その一言が、僕たちの間の空気を変えた。
ここは、僕が「おかえり」と言っていい場所なのだ。僕が、彼の帰りを待っていていいのだ。
その事実が、たまらなく嬉しかった。
その夜の夕食は、僕が腕によりをかけて作った。
討伐の成功を祝う、ささやかな宴だ。疲れた体を癒す滋養たっぷりのスープと、柔らかく煮込んだ肉料理、そして、甘い焼き菓子。
カイゼルも騎士たちも、夢中で料理にがっついていた。
「リヒト様の飯は最高だぜ!」
「これを食うために帰ってきたようなもんだ!」
騎士たちの気さくな言葉に、僕の頬は自然と緩む。
この城に来て、僕は初めて「仲間」と呼べるような人たちに囲まれていた。
食事が終わった後、カイゼルは僕を自室に呼んだ。
暖炉の火がぱちぱちと音を立てる、静かな部屋。
カイゼルはソファに深く腰掛け、目を閉じていた。よほど疲れているのだろう。
僕は彼の隣にそっと座り、温かいハーブティーを差し出した。
「お疲れ様でした」
「……ああ」
彼は目を開けると、僕からカップを受け取った。その指先が、僕の指に触れる。びくりと肩が跳ねた。
「リヒト」
静かな声で、彼は僕の名前を呼んだ。
「お前には、話しておかねばならないことがある」
改まった口調に、僕はごくりと唾をのむ。
「お前も見たであろう、銀狼。あれは、ヴォルフガング家に代々伝わる守り神であり……俺自身の、もう一つの姿だ」
「もう一つの、姿……」
やはり、そうだったのか。獣人(ライカンスロープ)と呼ばれる、獣の姿に変身できる一族。カイゼルはその血を引いているのだ。
「俺たちは、普通の人間よりも五感が鋭く、力も強い。そして、番に対する執着も……尋常ではない」
カイゼルの銀色の瞳が、僕を捕らえて離さない。
「俺は、お前のフェロモンに惹かれている。それは、紛れもない事実だ。だが、それが本当に運命の番だからなのか、それとも、ただ俺の獣の本能が、近くにいるオメガに反応しているだけなのか……正直、俺にもまだ分からん」
彼は、自分の弱さや迷いを、初めて僕に晒してくれた。
それは、彼が僕を信頼してくれている証拠のように思えた。
「だから、決めろ。リヒト」
「決める……?」
「俺のそばにいるか、それとも、ここを去るか。お前が望むなら、王都へ帰すことも、他の安全な場所へ送ることもできる。お前の意思を、尊重する」
それは、あまりにも誠実な提案だった。
僕を力で縛り付けることもできるのに、彼は選択肢を与えてくれた。僕を一人の人間として、尊重してくれている。
実家では、僕に選択の自由などなかった。ただ、与えられた運命に従うだけだった。
でも、この人は違う。
僕の心を、僕の意思を、何よりも大切にしてくれている。
胸の奥から、温かい感情がこみ上げてくる。
それは、恐怖でも、憐憫でもない。もっと、ずっと確かな、陽だまりのような気持ち。
僕は、カイゼルの瞳をまっすぐに見つめ返した。
「……私は、ここにいたいです」
はっきりと、自分の言葉で告げる。
「カイゼルの、そばに。あなたの作る居場所が、私の還る場所になりましたから」
僕がそう言うと、カイゼルは驚いたように目を見開いた。そして、ゆっくりと、その大きな手で僕の頭を撫でた。
ぎこちない、けれど、とても優しい手つきだった。
「……そうか」
彼の口から漏れたのは、安堵のため息のようにも聞こえた。
その夜、僕たちはそれ以上何も話さなかった。ただ、暖炉の火を見つめながら、静かに寄り添って座っていた。
触れ合っている肩から伝わる彼の体温が、僕の心の氷を、また一つ溶かしてくれた。
運命かどうかは、まだ分からない。
でも、僕の心は、確かにこの人のそばにあることを選んでいた。
城の中は静まり返り、残された者たちは皆、主の無事を祈りながら静かに自分の務めを果たしていた。
僕も、手の火傷が癒えたのを機に、厨房に立つことを許された。何かをしていないと、不安で押しつぶされそうだったからだ。
彼らが帰ってきた時に、温かいものが食べられるように。僕にできるのは、それくらいだった。
カイゼルのいない食卓は、がらんとしていて寂しかった。
いつも彼が座っていた席を眺めながら、僕は自分がどれだけ彼の存在に慣れてしまっていたかに気づかされる。
無口で、不器用で、何を考えているか分からない人。
けれど、彼の眼差しはいつも真摯で、その行動には不器用な優しさが溢れていた。
僕を「所有物」だと言いながら、誰よりも大切に扱ってくれる。
僕を「運命の番」かもしれないと言ってくれた、あの時の真剣な瞳。
『俺の本能が、魂が、お前こそが唯一だと叫んでいる』
彼の言葉を思い出すたびに、胸の奥が甘く疼く。
そんなはずはない、と理性が否定する。僕のような者に、そんな価値はないと。
でも、心のどこかで、それを信じたいと願っている自分もいた。
もし、本当にカイゼルが僕の運命の番だとしたら?
そう考えただけで、顔に熱が集まるのが分かった。
***
討伐隊が帰還したのは、四日目の夕暮れ時だった。
城門が開く大きな音に、僕は厨房を飛び出した。城の者たちが、皆、中庭に集まってくる。
雪と泥にまみれた騎士たちが、疲れ切った様子で帰ってきた。その先頭に、カイゼルの姿があった。
彼は愛馬――おそらくあの銀狼が姿を変えたものだろう――から降りると、僕の姿を認め、まっすぐにこちらへ歩いてきた。
彼の体からは、血と獣の匂いがした。頬には新しい切り傷ができている。壮絶な戦いだったことが、一目で分かった。
「……カイゼル!」
僕は思わず、彼の元へ駆け寄っていた。
「怪我は……ご無事ですか?」
「かすり傷だ。問題ない」
彼はぶっきらぼうにそう答えたが、その声には隠しきれない疲労が滲んでいる。
僕の心配そうな顔を見て、カイゼルはふっと口元を緩めた。それは、僕が初めて見る、彼の本当の笑顔だったかもしれない。
「ただいま、リヒト」
「……お、かえりなさい」
その一言が、僕たちの間の空気を変えた。
ここは、僕が「おかえり」と言っていい場所なのだ。僕が、彼の帰りを待っていていいのだ。
その事実が、たまらなく嬉しかった。
その夜の夕食は、僕が腕によりをかけて作った。
討伐の成功を祝う、ささやかな宴だ。疲れた体を癒す滋養たっぷりのスープと、柔らかく煮込んだ肉料理、そして、甘い焼き菓子。
カイゼルも騎士たちも、夢中で料理にがっついていた。
「リヒト様の飯は最高だぜ!」
「これを食うために帰ってきたようなもんだ!」
騎士たちの気さくな言葉に、僕の頬は自然と緩む。
この城に来て、僕は初めて「仲間」と呼べるような人たちに囲まれていた。
食事が終わった後、カイゼルは僕を自室に呼んだ。
暖炉の火がぱちぱちと音を立てる、静かな部屋。
カイゼルはソファに深く腰掛け、目を閉じていた。よほど疲れているのだろう。
僕は彼の隣にそっと座り、温かいハーブティーを差し出した。
「お疲れ様でした」
「……ああ」
彼は目を開けると、僕からカップを受け取った。その指先が、僕の指に触れる。びくりと肩が跳ねた。
「リヒト」
静かな声で、彼は僕の名前を呼んだ。
「お前には、話しておかねばならないことがある」
改まった口調に、僕はごくりと唾をのむ。
「お前も見たであろう、銀狼。あれは、ヴォルフガング家に代々伝わる守り神であり……俺自身の、もう一つの姿だ」
「もう一つの、姿……」
やはり、そうだったのか。獣人(ライカンスロープ)と呼ばれる、獣の姿に変身できる一族。カイゼルはその血を引いているのだ。
「俺たちは、普通の人間よりも五感が鋭く、力も強い。そして、番に対する執着も……尋常ではない」
カイゼルの銀色の瞳が、僕を捕らえて離さない。
「俺は、お前のフェロモンに惹かれている。それは、紛れもない事実だ。だが、それが本当に運命の番だからなのか、それとも、ただ俺の獣の本能が、近くにいるオメガに反応しているだけなのか……正直、俺にもまだ分からん」
彼は、自分の弱さや迷いを、初めて僕に晒してくれた。
それは、彼が僕を信頼してくれている証拠のように思えた。
「だから、決めろ。リヒト」
「決める……?」
「俺のそばにいるか、それとも、ここを去るか。お前が望むなら、王都へ帰すことも、他の安全な場所へ送ることもできる。お前の意思を、尊重する」
それは、あまりにも誠実な提案だった。
僕を力で縛り付けることもできるのに、彼は選択肢を与えてくれた。僕を一人の人間として、尊重してくれている。
実家では、僕に選択の自由などなかった。ただ、与えられた運命に従うだけだった。
でも、この人は違う。
僕の心を、僕の意思を、何よりも大切にしてくれている。
胸の奥から、温かい感情がこみ上げてくる。
それは、恐怖でも、憐憫でもない。もっと、ずっと確かな、陽だまりのような気持ち。
僕は、カイゼルの瞳をまっすぐに見つめ返した。
「……私は、ここにいたいです」
はっきりと、自分の言葉で告げる。
「カイゼルの、そばに。あなたの作る居場所が、私の還る場所になりましたから」
僕がそう言うと、カイゼルは驚いたように目を見開いた。そして、ゆっくりと、その大きな手で僕の頭を撫でた。
ぎこちない、けれど、とても優しい手つきだった。
「……そうか」
彼の口から漏れたのは、安堵のため息のようにも聞こえた。
その夜、僕たちはそれ以上何も話さなかった。ただ、暖炉の火を見つめながら、静かに寄り添って座っていた。
触れ合っている肩から伝わる彼の体温が、僕の心の氷を、また一つ溶かしてくれた。
運命かどうかは、まだ分からない。
でも、僕の心は、確かにこの人のそばにあることを選んでいた。
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