鏡開きと恋のぜんざい~無愛想な和菓子職人はスランプ作家を甘く溶かす~

水凪しおん

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第10話「遠い街からの反響と亀裂」

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 約束の一週間は、瞬く間に過ぎ去った。
 湊は睡眠時間を削り、魂を削って原稿を書き上げた。タイトルは『雪解けの古都と、鏡開きの再生』。
 写真も厳選した。雪をかぶった瓦屋根、湯気を上げるぜんざい、そして、真剣な眼差しで菓子を作る蓮の横顔。もちろん、顔がはっきりとは分からないように配慮したが、その凛とした佇まいは写真越しにも伝わってくるはずだ。
 送信ボタンを押した瞬間、湊は深い脱力感と共に、強烈な達成感を味わった。
「……できた」
 これ以上のものは書けない。今の自分の全てだ。
 翌日、編集者の佐々木から連絡があった。
『読みました。……素晴らしい。文句なしです。すぐにWebメディアで公開します』
 その日の夕方、記事が公開されると、瞬く間にSNSで拡散された。
「泣ける」「食べたい」「この職人さん、素敵すぎる」「文章が美しい」
 コメント欄は称賛の嵐だった。アルファポリスや他のニュースサイトでもトップ記事として扱われ、アクセス数はうなぎ登りだ。
 湊は興奮して『月光堂』へ向かった。この喜びを、一番に蓮に伝えたかった。
「蓮さん! 見ましたか? 記事が公開されて、すごい反響なんです!」
 店に入ると、蓮は帳場で電話対応に追われていた。
「はい……はい、ありがとうございます。発送は来週以降に……はい、申し訳ありません」
 受話器を置くと、すぐにまた別の電話が鳴る。
「……どうなってるんだ」
 蓮は疲弊した顔で頭を抱えていた。
「蓮さん?」
「湊さん……これは、一体どういうことですか」
 蓮がスマホの画面を見せる。そこには、湊が書いた記事と、店の住所が拡散されている様子が映っていた。
「記事がバズったんです! これでお客さんも増えますよ。あの大口キャンセルの赤字なんて、すぐに取り戻せます!」
 湊は得意満面に言った。良かれと思ってやったことだ。これで店が救われると信じていた。
 しかし、蓮の反応は予想外のものだった。
「……勝手なことを」
 蓮の声は震えていた。
「え?」
「俺は、メディアは嫌いだと言いましたよね。静かに商売ができればいいと」
「でも、経営が苦しいって言ってたじゃないですか! 宣伝すれば助かるって!」
「限度があります! こんなに一気に注文が来ても、一人で捌ききれるわけがない! 俺の手は二つしかないんです!」
 蓮の怒鳴り声が店内に響いた。
 湊は殴られたような衝撃を受けた。
「僕は……あなたのために……」
「俺のため? それはあなたの自己満足でしょう。良い記事を書いて、手柄を立てて、東京に戻るための」
 蓮の言葉は鋭利な刃物となって、湊の心臓を抉った。
 違う。そんなつもりじゃない。ただ、あなたの作るお菓子を、世界中の人に知ってほしかっただけなのに。
「……そう見えていたんですね」
 湊の声が震える。
「迷惑でしたか。僕がしたことは、全部」
 蓮はハッとした表情をした。言い過ぎたと気づいたのだろう。
「いや、迷惑とかそういう意味じゃ……」
「分かりました。もう、店には来ません」
 湊は踵を返し、店を飛び出した。
「湊さん!」
 蓮が呼ぶ声が聞こえたが、湊は振り返らなかった。涙が溢れて視界が滲む。
 雪道を走りながら、湊は自分の浅はかさを呪った。
 職人の領分を侵してしまった。彼のペースを、大切にしている静寂を、土足で踏み荒らしてしまったのだ。
 記事は大成功だった。ライターとしての評価も戻った。
 けれど、一番大切な人の信頼を失ってしまった。
(馬鹿だ、僕は。本当に大馬鹿だ)
 湊は祖母の家に帰り着くと、そのまま布団に潜り込んだ。
 スマホの通知が鳴り止まない。称賛の言葉など、今は何の慰めにもならなかった。
 翌日から、湊は家に引きこもった。
 窓の外を見ると、『月光堂』の前に行列ができているのが見えた。若い女性客や、遠方から来たと思われる車が増えている。
 蓮は忙殺されているだろう。僕のせいで。
 このままでは合わせる顔がない。
 湊は荷物をまとめ始めた。
 東京に戻ろう。これ以上ここに居たら、蓮を苦しめるだけだ。編集部も戻ってこいと言っている。ここでの生活は、ただの美しい夢だったのだ。
 そう自分に言い聞かせても、胸の痛みは消えなかった。
 キャリーバッグに荷物を詰め終え、湊は最後に部屋を見渡した。
 机の上には、蓮からもらった梅の蕾が生けてある。
 まだ硬い蕾。
「……さよなら、蓮さん」
 湊は鍵を置き、家を出た。
 駅へと向かう道すがら、どうしても『月光堂』の前を通らなければならない。
 素通りしようと思った。けれど、足が勝手に止まった。
 店の奥から、リズミカルな音が聞こえてくる。小豆を洗う音だ。
(会いたい)
 その思いが込み上げてくる。でも、会って何を言えばいい?
 湊が立ち尽くしていると、店の引き戸がガラリと開いた。
 出てきたのは、エプロン姿の老婆――近所の常連さんだ。
「あら、湊ちゃんじゃないか。どうしたの、そんな大荷物で」
「あ……おばあちゃん。ちょっと、東京に戻ることになって」
「ええっ? もう行っちゃうのかい? 蓮ちゃんは知ってるの?」
「……いえ。黙って行きます。その方がいいんです」
「何を言ってるんだい! 蓮ちゃん、昨日の夜、あんたの家の前でずっと立ってたんだよ」
「え?」
 湊は耳を疑った。
「雪の中、傘もささずにさ。声をかけようかと思ったけど、入れないみたいで……朝方までいたみたいだよ」
 蓮が、僕の家の前に?
 どうして。忙しくて疲れているはずなのに。
「あの子、不器用だからねえ。言葉にするのが苦手なんだよ。でも、あんたが来てからのあの子は、本当に楽しそうだった。先代が死んでから、あんな顔見たことなかったよ」
 老婆は湊の手を握った。
「このまま行っちゃったら、後悔するよ。あの鏡餅みたいに、二人の心もひび割れたままでいいのかい?」
 その言葉に、湊はハッとした。
 ひび割れた鏡餅。それを割って、中身を取り出すために必要なのは、二人の力だった。
 逃げてはいけない。ここで逃げたら、一生後悔する。
「……ありがとうございます、おばあちゃん!」
 湊はキャリーバッグをその場に放り出し、店へと駆け込んだ。
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