捨てられたオメガの参謀、野良犬王子に拾われる。言葉の魔法で選挙に勝ったら、次期国王に溺愛されて逃げられません!

水凪しおん

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第2話「野良犬と運命」

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 男は俺の問いには答えず、無遠慮な視線で俺の全身を舐めるように観察した。

 濡れたシャツが肌に張り付いているのが不快だったが、それ以上に、彼の視線が服を通してその下の肉体まで見透かしているようで、俺は身を縮こまらせた。

「誰かと聞いている」

 恐怖を押し殺し、俺は精一杯の虚勢を張って睨み返した。

 男は意外そうに眉を上げ、それから愉快そうに口の端を吊り上げた。その笑顔は野性的で、獰猛な獣が牙を剥いた瞬間に似ていた。

「この国で俺の顔を知らないとは、よほどの世捨て人か、あるいは政治に絶望して目と耳を塞いだ敗北者か。……まあ、今のあんたは後者に見えるがな」

 男は懐からハンカチを取り出すと、無造作に俺に投げ渡してきた。

 白く清潔な布が、泥水に汚れそうな俺の手元に落ちてくる。とっさに受け取ると、そこには見覚えのある紋章――剣と薔薇を組み合わせた意匠が刺繍されていた。

「……民衆改革党、コウガ・ヴァン・ハイル」

 俺はその名前を呆然とつぶやいた。

 最大野党の党首。現政権の腐敗を激しく追及し、国会中継では常に怒号を飛ばしている「狂犬」。王族の血を引きながら、その地位を捨てて民衆側に立った異端児。

 テレビや新聞で見る彼はいつも怒りの形相を浮かべていたが、目の前にいる彼は、どこか冷めた、それでいて底知れない熱量を秘めた目をしていた。

「正解だ。褒美に雨宿りの場所を提供してやる。ついて来い」

「は? 待ってください、俺はあんたに関わるつもりは……」

「身体が火照っているんじゃないか? 抑制剤が切れかかっている。このまま雨に打たれていれば、そのうち路上の野良犬たちに嗅ぎつけられて食い物にされるぞ」

 コウガの指摘に、俺は息をのんだ。

 確かに、先ほどから身体の奥底が熱い。ジェラルドに解雇されたショックと、目の前の強力なアルファのフェロモンに当てられ、オメガとしての周期が狂い始めているのだ。

 俺は唇を噛み締め、屈辱と焦燥に耐えながら彼を睨んだ。

「……あんたも、その野良犬の一匹だろう」

「俺をそこらの雑種と一緒にするな。俺は美味い餌を前にしても、芸の一つも見せないうちは食いつかない主義だ」

 コウガはコートの裾を翻し、歩き出した。

 拒否権はないと言わんばかりの態度だ。だが、彼が向かう先には、高級そうな黒塗りの魔導車が停まっていた。

 今の俺に選択肢はなかった。所持金はわずか、住む場所も危うい、そしてヒートの予兆。

 俺は濡れた原稿を抱きしめ直し、覚悟を決めて彼の後を追った。

 車内は静寂に包まれていた。

 革張りのシートの感触と、空調の効いた快適な空気。

 コウガは向かいの席に座り、脚を組んで俺を見つめている。閉鎖空間の中で、彼の香りがより一層濃密に感じられた。

 不思議なことに、その香りは俺の発情を煽るだけでなく、どこか安心させるような、鎮静作用に似た効果も持っていた。

 本能が告げている。「運命のつがい」という馬鹿げた御伽噺が、現実味を帯びて俺に迫ってくる。

「名前は?」

「……浅木ミナトです」

「ミナトか。港、船が帰る場所。悪くない名だ」

「からかわないでください。それで、野党第一党の党首様が、こんなどこの馬の骨とも知れない元秘書を拾って、何のつもりですか」

 俺はあえて刺々しい口調で尋ねた。

 コウガは窓の外の景色に目を向けたまま、低い声で言った。

「見ていたんだよ。議員会館の廊下で、お前がジェラルドに原稿を叩きつけられているところをな」

 心臓が跳ねた。あの惨めな姿を見られていたのか。

 顔から火が出るような恥ずかしさに、俺は膝の上で拳を握りしめた。

「俺はあの豚――ジェラルドの演説が大嫌いでな。中身が空っぽで、美辞麗句で飾り立てた砂糖菓子のような演説だ。だが、ここ数ヶ月、奴の演説が妙に大衆の心をつかみ始めていた。論理的で、それでいて情に訴える、力強い言葉。……あれを書いたのは、お前だな?」

 予想外の指摘に、俺は目を見開いた。

 俺の仕事は黒子だ。名前が出ることはない。評価されるのは常にそれを読み上げる議員だけ。

 だが、この男は俺の「言葉」に気づいていたというのか。

「……だとしたら、どうだと言うんです」

「俺には野望がある。この腐った国を根底からひっくり返し、生まれや性別に関係なく、誰もが尊厳を持って生きられる社会を作る。今回の選挙は、そのための決戦だ」

 コウガは視線を戻し、俺の目を真っすぐに射抜いた。

 その瞳には、嘘偽りのない、燃え盛る炎のような意志が宿っていた。

「だが、俺には欠けているものがある。俺の言葉は強すぎて、人々を怯えさせてしまう。理屈よりも感情が先行し、敵を増やしすぎる。……俺には、俺の牙を研ぎ、正しく獲物の喉笛へと導く『頭脳』が必要だ」

 コウガは身を乗り出し、俺の手元にある濡れた原稿の束を指差した。

「俺を買え、ミナト。お前の言葉を、俺という拡声器を使って世界に轟かせてみろ。ジェラルドを見返したいんだろう? お前を捨てた世界に、復讐したいと思わないか」

 悪魔の誘惑だった。

 あるいは、泥沼に沈みかけた俺に差し伸べられた、唯一の蜘蛛の糸。

 アルファとオメガ。支配者と被支配者。本来なら交わるはずのない二つの線が、政治という戦場で交差しようとしている。

 俺の身体の熱は、いつしか興奮へと変わっていた。

「……条件があります」

「言ってみろ」

「俺はオメガです。ヒートの時期は役に立たないかもしれない。それでも雇用を保証すること。そして――もし政権を取ったら、ヒート抑制剤への税金を撤廃し、貧困層への無償配布を実現すること」

 それは、俺自身のためでもあり、この国の片隅で震えるすべてのオメガのための願いだった。

 コウガは一瞬きょとんとした後、腹の底から響くような声で笑った。

「ははは! 自分の給料の交渉かと思えば、いきなり政策提言か! いいだろう、面白い。その条件、のんだ」

 コウガは大きな手を俺の前に差し出した。

 その手は分厚く、傷だらけで、けれど温かかった。

 俺は迷いを振り払い、その手を強く握り返した。

 電流のような痺れが指先から駆け巡る。

 これが、俺たちの革命の始まりだった。
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