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番外編「とある日の優しい時間」
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「湊、今日は店を休め」
朝、ベッドの中でまどろんでいた僕の耳に、戒吏さんの低い声が響いた。
珍しいこともあるものだ。彼は、僕が花屋の仕事に誇りを持っていることを理解して、口出しすることはほとんどなかったからだ。
「どうしたんですか、急に。予約も入ってますし……」
「それは高遠に連絡させておく。いいから、今日は一日、俺に付き合え」
有無を言わさぬ口調。でも、その声にはどこか弾むような響きがあって、僕は不思議に思いながらもうなずいた。
彼に連れてこられたのは、都心から少し離れた、海辺の小さな街だった。
潮の香りが、心地よく鼻をくすぐる。
僕たちが降り立ったのは、小さな白い教会の前だった。
「ここは……?」
「昔、母が気に入っていた場所だ」
彼は、少しだけ遠い目をして言った。
僕は、彼のお母さんの話をほとんど聞いたことがなかった。彼が幼い頃に亡くなったとだけ。
「母は、オメガだった。身体が弱く、父と結ばれた時も、周囲からは反対されたらしい。だが、父は全てを投げ打って母を選んだ。……この場所は、二人がささやかな式を挙げた、思い出の場所だと聞いている」
彼の横顔は、いつもより少しだけ、幼く見えた。
彼もまた、愛する人を失った痛みを知っているのだ。
教会の中は、静かで厳かな空気に満ちていた。
ステンドグラスから差し込む光が、床に美しい模様を描いている。
誰もいない礼拝堂の真ん中で、戒吏さんは僕に向き直ると、その場に跪いた。
「え、か、戒吏さん!?」
僕が驚いていると、彼は僕の手を取り、その甲にそっと口づけを落とした。
「湊。俺は、君の両親がしてやれなかったことを、君にしてやりたい。君が、誰からも祝福される未来を、俺が作る」
彼のポケットから取り出されたのは、小さなベルベットの箱だった。
その蓋が開けられる。
中にあったのは、月の光を溶かし込んだような、柔らかな輝きを放つプラチナの指輪だった。シンプルなデザインだが、その気品は一目で分かる。
「水瀬湊。俺と、結婚してくれないか」
金色の瞳が、真っ直ぐに僕を見つめている。
その瞳には、不安と、期待と、そして僕への深い愛が、溢れんばかりに湛えられていた。
視界が、涙で滲む。
嬉しくて、嬉しくて、言葉にならない。
「……はい」
僕は、うなずくのが精一杯だった。
「喜んで……!」
僕の返事を聞くと、彼は心の底から安堵したように、柔らかな笑みを浮かべた。
僕の左手の薬指に、冷たい感触。ぴったりと収まった指輪が、キラリと光を反射した。
その帰り道。
僕たちは、近くの海辺を、手を繋いで歩いた。
夕日が、海と空を茜色に染めている。
「……綺麗ですね」
「ああ。だが、お前の方が、もっと綺麗だ」
さらり、とそんなことを言う。この人は、本当に……。
僕が照れて俯くと、彼はくすくすと笑いながら、僕の肩を抱き寄せた。
「なあ、湊」
「なんですか」
「子供は、欲しいか」
不意打ちの質問に、心臓が跳ねる。
僕と、この人の、子供。
考えたこともなかった。でも、想像しただけで、胸の奥が温かくなる。
「……欲しい、です。戒吏さんに似た、アルファの男の子と、雫みたいに優しい、オメガの女の子」
「欲張りだな」
彼はそう言って笑うと、僕のお腹に、そっと手を当てた。
「……ここに、俺と君の未来が宿る日が来たら、俺は、世界一の幸せ者だ」
その声は、愛おしさに満ちていた。
僕も、彼の手の上に自分の手を重ねる。
いつか、この腕の中に、新しい命を抱く日が来るのだろうか。
その日を、この人と一緒に迎えられるのなら、それ以上の幸せはない。
寄せては返す波の音が、僕たちの未来を祝福する、優しい歌のように聞こえていた。
朝、ベッドの中でまどろんでいた僕の耳に、戒吏さんの低い声が響いた。
珍しいこともあるものだ。彼は、僕が花屋の仕事に誇りを持っていることを理解して、口出しすることはほとんどなかったからだ。
「どうしたんですか、急に。予約も入ってますし……」
「それは高遠に連絡させておく。いいから、今日は一日、俺に付き合え」
有無を言わさぬ口調。でも、その声にはどこか弾むような響きがあって、僕は不思議に思いながらもうなずいた。
彼に連れてこられたのは、都心から少し離れた、海辺の小さな街だった。
潮の香りが、心地よく鼻をくすぐる。
僕たちが降り立ったのは、小さな白い教会の前だった。
「ここは……?」
「昔、母が気に入っていた場所だ」
彼は、少しだけ遠い目をして言った。
僕は、彼のお母さんの話をほとんど聞いたことがなかった。彼が幼い頃に亡くなったとだけ。
「母は、オメガだった。身体が弱く、父と結ばれた時も、周囲からは反対されたらしい。だが、父は全てを投げ打って母を選んだ。……この場所は、二人がささやかな式を挙げた、思い出の場所だと聞いている」
彼の横顔は、いつもより少しだけ、幼く見えた。
彼もまた、愛する人を失った痛みを知っているのだ。
教会の中は、静かで厳かな空気に満ちていた。
ステンドグラスから差し込む光が、床に美しい模様を描いている。
誰もいない礼拝堂の真ん中で、戒吏さんは僕に向き直ると、その場に跪いた。
「え、か、戒吏さん!?」
僕が驚いていると、彼は僕の手を取り、その甲にそっと口づけを落とした。
「湊。俺は、君の両親がしてやれなかったことを、君にしてやりたい。君が、誰からも祝福される未来を、俺が作る」
彼のポケットから取り出されたのは、小さなベルベットの箱だった。
その蓋が開けられる。
中にあったのは、月の光を溶かし込んだような、柔らかな輝きを放つプラチナの指輪だった。シンプルなデザインだが、その気品は一目で分かる。
「水瀬湊。俺と、結婚してくれないか」
金色の瞳が、真っ直ぐに僕を見つめている。
その瞳には、不安と、期待と、そして僕への深い愛が、溢れんばかりに湛えられていた。
視界が、涙で滲む。
嬉しくて、嬉しくて、言葉にならない。
「……はい」
僕は、うなずくのが精一杯だった。
「喜んで……!」
僕の返事を聞くと、彼は心の底から安堵したように、柔らかな笑みを浮かべた。
僕の左手の薬指に、冷たい感触。ぴったりと収まった指輪が、キラリと光を反射した。
その帰り道。
僕たちは、近くの海辺を、手を繋いで歩いた。
夕日が、海と空を茜色に染めている。
「……綺麗ですね」
「ああ。だが、お前の方が、もっと綺麗だ」
さらり、とそんなことを言う。この人は、本当に……。
僕が照れて俯くと、彼はくすくすと笑いながら、僕の肩を抱き寄せた。
「なあ、湊」
「なんですか」
「子供は、欲しいか」
不意打ちの質問に、心臓が跳ねる。
僕と、この人の、子供。
考えたこともなかった。でも、想像しただけで、胸の奥が温かくなる。
「……欲しい、です。戒吏さんに似た、アルファの男の子と、雫みたいに優しい、オメガの女の子」
「欲張りだな」
彼はそう言って笑うと、僕のお腹に、そっと手を当てた。
「……ここに、俺と君の未来が宿る日が来たら、俺は、世界一の幸せ者だ」
その声は、愛おしさに満ちていた。
僕も、彼の手の上に自分の手を重ねる。
いつか、この腕の中に、新しい命を抱く日が来るのだろうか。
その日を、この人と一緒に迎えられるのなら、それ以上の幸せはない。
寄せては返す波の音が、僕たちの未来を祝福する、優しい歌のように聞こえていた。
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