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第2話「人喰い狼の誤解と、温かいスープ」
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城門の中に入ると、そこは外の猛吹雪が嘘のように静まり返っていた。
分厚い石壁が風を遮断しているのだ。それでも空気は冷たく、吐く息は白いままだが、肌を刺すような痛みはない。
私は依然として、グリーグ将軍の腕の中に抱かれたままだった。
下ろしてください、と言おうとしたが、彼の歩幅があまりにも大きく、地面を歩く自信がなくて口をつぐんだ。それに正直なところ、彼の体から伝わってくる熱がありがたかったのだ。オメガである私は寒さに弱い。もし今、この腕から放り出されたら、たちまち震え上がってしまうだろう。
兵士たちが、ギョッとした顔で私たちを見ている。
「将軍! そ、その方は……」
「王都から送られてきた客だ。部屋を用意しろ。一番、火の気がいい部屋だ」
「は、はいっ!」
兵士が慌てて走り去る。
グリーグ将軍は、私を抱えたまま屋敷の中へと進んでいく。石造りの廊下は武骨で飾り気がないが、あちこちに松明が灯され、揺れる炎が影を踊らせていた。
「……寒くはないか」
唐突に、彼が問いかけてきた。
至近距離で見上げる彼の顔は、やはり怖かった。古傷が走る顔立ちは険しく、眉間に深いしわが刻まれている。けれど、その黄金色の瞳だけは、どこか不安げに揺れているようにも見えた。
「は、はい。将軍のおかげで、少し温まりました」
私が正直に答えると、彼はわずかに目を見開き、それから「そうか」と短くつぶやいた。
その反応が意外だった。
噂では、気に入らない相手は即座に噛み殺すとか、オメガを道具のように扱う残忍な男だとか聞いていたけれど、今のところ暴力を振るわれる気配はない。むしろ、壊れ物を扱うように慎重に抱えられている気がする。
案内されたのは、屋敷の奥にある一室だった。
大きな暖炉にはすでに赤々と火が燃えており、部屋全体がぽかぽかと温かい。家具は最低限のものしかなく、質実剛健といった雰囲気だが、清潔なシーツがかけられたベッドが用意されていた。
将軍は私をベッドの縁にそっと下ろすと、一歩下がって距離を取った。
「ここは俺の私室の近くだ。他の兵士たちは立ち入らせない。……安心しろ、俺も必要以上には近づかん」
彼は低い声でそう告げた。
その言葉の裏には、「オメガであるお前を襲ったりはしない」という意思表示が含まれているように聞こえた。
「あ、ありがとうございます。あの、私はジュリアン・エルロッドと申します。これからお世話になります」
私は居住まいを正し、貴族としての礼儀をもって頭を下げた。
罪人として送られてきた身とはいえ、礼節を忘れてはいけない。それが私の矜持だ。
将軍は、私の挨拶に少し驚いたように眉を上げた。
「……グリーグだ。ここの長をやっている」
名乗りはそれだけだった。
沈黙が落ちる。気まずい空気が流れた。
何を話せばいいのか分からない。彼はじっと私を見つめている。値踏みされているのだろうか。それとも、処遇を考えているのだろうか。
その時、グゥ、と私の腹が小さな音を立てた。
王都を出てからまともな食事をとっていなかったことを思い出す。顔から火が出るほど恥ずかしい。
「も、申し訳ありません……!」
私が顔を赤くして謝ると、グリーグ将軍は口元に手を当て、ほんの少しだけ肩を震わせた。
笑ったのだろうか?
いや、あの厳つい顔で笑うわけがない。見間違いだ。
「待っていろ」
彼はそう言って部屋を出て行った。
一人残された私は、ふうと息を吐き出して体の力を抜く。
暖炉の火を見つめていると、緊張の糸が切れたのか、どっと疲れが押し寄せてきた。
『とりあえず、殺されることはなさそうね』
前世の記憶にある「スローライフ」という言葉が頭をよぎる。辺境の生活は厳しいだろうが、彼のような上司の下なら、案外悪くないのかもしれない。
しばらくして、扉がノックされた。
「入るぞ」
戻ってきたグリーグ将軍の手には、湯気を立てる木製の盆が握られていた。
そこに乗っていたのは、硬そうな黒パンと、山盛りのスープ。
彼はそれをサイドテーブルに置くと、無骨な手つきでスプーンを私に渡した。
「食え。毒は入っていない」
「あ、ありがとうございます」
毒など疑ってはいない。私は礼を言ってスプーンを受け取り、スープを口に運んだ。
とろりとした濃厚なスープだ。根菜と干し肉がたっぷりと煮込まれており、口に入れた瞬間、複雑な旨味が舌の上に広がった。
「……おいしい」
思わず声が出る。
冷え切った体に、熱いスープが染み渡っていく。涙が出そうなほど美味しい。
王都の洗練された料理とは違う、野性味あふれる力強い味。けれど、とても丁寧に作られているのが分かった。
夢中でスプーンを動かしていると、視線を感じて顔を上げた。
グリーグ将軍が、腕を組んで壁に寄りかかり、私が食べる様子をじっと見守っていたのだ。
「口に合ったか」
「はい、とても。こんなに美味しいスープは初めてです」
私が笑顔で答えると、彼はふいっと視線を逸らした。
耳の先が、少しだけ赤くなっているように見える。
「……それは、俺が作ったものだ」
「えっ?」
「料理番が風邪でな。……見苦しいものを出した」
「いえ! 本当に美味しいです。将軍は料理がお上手なんですね」
意外だった。この巨体で、こんな繊細な味付けのスープを作るなんて。
彼は「ふん」と鼻を鳴らしたが、その表情は先ほどよりもずっと柔らかくなっていた。
その時、私は気付いた。
彼は「食人狼」などではない。
ただ不器用で、言葉足らずで、少しばかり顔が怖いだけの、心優しい人なのではないだろうか。
スープの温かさと共に、胸の奥にも小さな灯火がともったような気がした。
分厚い石壁が風を遮断しているのだ。それでも空気は冷たく、吐く息は白いままだが、肌を刺すような痛みはない。
私は依然として、グリーグ将軍の腕の中に抱かれたままだった。
下ろしてください、と言おうとしたが、彼の歩幅があまりにも大きく、地面を歩く自信がなくて口をつぐんだ。それに正直なところ、彼の体から伝わってくる熱がありがたかったのだ。オメガである私は寒さに弱い。もし今、この腕から放り出されたら、たちまち震え上がってしまうだろう。
兵士たちが、ギョッとした顔で私たちを見ている。
「将軍! そ、その方は……」
「王都から送られてきた客だ。部屋を用意しろ。一番、火の気がいい部屋だ」
「は、はいっ!」
兵士が慌てて走り去る。
グリーグ将軍は、私を抱えたまま屋敷の中へと進んでいく。石造りの廊下は武骨で飾り気がないが、あちこちに松明が灯され、揺れる炎が影を踊らせていた。
「……寒くはないか」
唐突に、彼が問いかけてきた。
至近距離で見上げる彼の顔は、やはり怖かった。古傷が走る顔立ちは険しく、眉間に深いしわが刻まれている。けれど、その黄金色の瞳だけは、どこか不安げに揺れているようにも見えた。
「は、はい。将軍のおかげで、少し温まりました」
私が正直に答えると、彼はわずかに目を見開き、それから「そうか」と短くつぶやいた。
その反応が意外だった。
噂では、気に入らない相手は即座に噛み殺すとか、オメガを道具のように扱う残忍な男だとか聞いていたけれど、今のところ暴力を振るわれる気配はない。むしろ、壊れ物を扱うように慎重に抱えられている気がする。
案内されたのは、屋敷の奥にある一室だった。
大きな暖炉にはすでに赤々と火が燃えており、部屋全体がぽかぽかと温かい。家具は最低限のものしかなく、質実剛健といった雰囲気だが、清潔なシーツがかけられたベッドが用意されていた。
将軍は私をベッドの縁にそっと下ろすと、一歩下がって距離を取った。
「ここは俺の私室の近くだ。他の兵士たちは立ち入らせない。……安心しろ、俺も必要以上には近づかん」
彼は低い声でそう告げた。
その言葉の裏には、「オメガであるお前を襲ったりはしない」という意思表示が含まれているように聞こえた。
「あ、ありがとうございます。あの、私はジュリアン・エルロッドと申します。これからお世話になります」
私は居住まいを正し、貴族としての礼儀をもって頭を下げた。
罪人として送られてきた身とはいえ、礼節を忘れてはいけない。それが私の矜持だ。
将軍は、私の挨拶に少し驚いたように眉を上げた。
「……グリーグだ。ここの長をやっている」
名乗りはそれだけだった。
沈黙が落ちる。気まずい空気が流れた。
何を話せばいいのか分からない。彼はじっと私を見つめている。値踏みされているのだろうか。それとも、処遇を考えているのだろうか。
その時、グゥ、と私の腹が小さな音を立てた。
王都を出てからまともな食事をとっていなかったことを思い出す。顔から火が出るほど恥ずかしい。
「も、申し訳ありません……!」
私が顔を赤くして謝ると、グリーグ将軍は口元に手を当て、ほんの少しだけ肩を震わせた。
笑ったのだろうか?
いや、あの厳つい顔で笑うわけがない。見間違いだ。
「待っていろ」
彼はそう言って部屋を出て行った。
一人残された私は、ふうと息を吐き出して体の力を抜く。
暖炉の火を見つめていると、緊張の糸が切れたのか、どっと疲れが押し寄せてきた。
『とりあえず、殺されることはなさそうね』
前世の記憶にある「スローライフ」という言葉が頭をよぎる。辺境の生活は厳しいだろうが、彼のような上司の下なら、案外悪くないのかもしれない。
しばらくして、扉がノックされた。
「入るぞ」
戻ってきたグリーグ将軍の手には、湯気を立てる木製の盆が握られていた。
そこに乗っていたのは、硬そうな黒パンと、山盛りのスープ。
彼はそれをサイドテーブルに置くと、無骨な手つきでスプーンを私に渡した。
「食え。毒は入っていない」
「あ、ありがとうございます」
毒など疑ってはいない。私は礼を言ってスプーンを受け取り、スープを口に運んだ。
とろりとした濃厚なスープだ。根菜と干し肉がたっぷりと煮込まれており、口に入れた瞬間、複雑な旨味が舌の上に広がった。
「……おいしい」
思わず声が出る。
冷え切った体に、熱いスープが染み渡っていく。涙が出そうなほど美味しい。
王都の洗練された料理とは違う、野性味あふれる力強い味。けれど、とても丁寧に作られているのが分かった。
夢中でスプーンを動かしていると、視線を感じて顔を上げた。
グリーグ将軍が、腕を組んで壁に寄りかかり、私が食べる様子をじっと見守っていたのだ。
「口に合ったか」
「はい、とても。こんなに美味しいスープは初めてです」
私が笑顔で答えると、彼はふいっと視線を逸らした。
耳の先が、少しだけ赤くなっているように見える。
「……それは、俺が作ったものだ」
「えっ?」
「料理番が風邪でな。……見苦しいものを出した」
「いえ! 本当に美味しいです。将軍は料理がお上手なんですね」
意外だった。この巨体で、こんな繊細な味付けのスープを作るなんて。
彼は「ふん」と鼻を鳴らしたが、その表情は先ほどよりもずっと柔らかくなっていた。
その時、私は気付いた。
彼は「食人狼」などではない。
ただ不器用で、言葉足らずで、少しばかり顔が怖いだけの、心優しい人なのではないだろうか。
スープの温かさと共に、胸の奥にも小さな灯火がともったような気がした。
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