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第12話「すれ違う心、聞こえない本音」
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神楽坂家を飛び出した後、僕は雨の中を当てもなくさまよった。
冷たい雨が容赦なく僕の体を叩き、体温を奪っていく。けれどそれ以上に、僕の心は凍えるように冷え切っていた。
『触るな』
蓮の、あの軽蔑に満ちた瞳と氷のように冷たい声が、何度も頭の中でこだまする。
僕が彼にしてきたことは結局、彼を深く傷つけ裏切る行為でしかなかったのだ。彼が僕を探してくれていたなんて知らなかった。僕がオメガであることを隠しベータのふりをしていたことが、彼をどれだけ苦しめていたかなんて考えもしなかった。
どれくらい歩き続けたのか、分からない。
気づいた時には、僕は僕たちが暮らしていたタワーマンションの前に呆然と立ち尽くしていた。もう僕が帰る場所は、ここにはない。
けれど、僕の荷物はまだあの部屋に残ったままだ。それだけは、取りに戻らなければ。
重い足取りでエントランスを抜け、エレベーターに乗る。部屋の前に着くと、ドアは施錠されていなかった。
僕は静かにドアを開け、中へと入った。
リビングの明かりは消えていて、部屋の中は薄暗かった。
蓮は窓の外の夜景を、背中を向けて眺めていた。その背中は以前よりもずっと大きく、そして絶望的に遠く感じられた。
僕が入ってきたことに気づいているはずなのに、彼は一言も話さない。ただ、そこにあるのは息が詰まるような重い沈黙だけだった。
「…荷物、取りに来ただけだから」
僕は喉の奥から絞り出すように言った。
蓮は、それでもこちらを振り返ろうとはしなかった。
僕は自分の寝室に向かい、数少ない私物を段ボール箱に詰め始めた。服、本、日用品。そのどれもに、この部屋で過ごした蓮との甘い記憶が染み付いているようで胸が締め付けられた。
荷造りを終えリビングに戻ると、蓮はまだ同じ場所に立ったままだった。
「…今まで、ありがとう。お世話になりました」
僕は彼に背を向けたまま、最後の挨拶をした。このまま何も言わずに立ち去ろう。それが僕にできる、唯一の償いだから。
そう思って玄関のドアに手をかけた、その時だった。
「どこへ行くつもりだ?」
背後から低い声が投げかけられた。
僕は振り返らずに答えた。
「…君には、関係ないだろ」
「関係なくない。お前は、俺の番(つがい)だ」
「…は?」
僕は思わず振り返った。
蓮はいつの間にか僕のすぐ後ろに立っていた。彼の青い瞳が、暗闇の中で鋭く光っている。
「番…? 何、言ってるの…」
「お前は、忘れてるかもしれないがな。あの夏の日、俺たちはひまわり畑で誓ったはずだ。『大人になったら、結婚しよう』って。子供の戯言だと、笑うか?」
彼の言葉に、僕は息をのんだ。
そうだ。そんな約束、確かにした。幼い僕たちはそれがどれだけ重い意味を持つ言葉かも知らずに、無邪気に笑い合っていた。
「俺は、忘れたことなんて一度もなかった。お前が、俺の運命の相手だってずっと信じてた。だから、探したんだ。何年も、ずっと」
彼の声には、今まで感じたことのない深い痛みが滲んでいた。
「やっと見つけたと思ったら、お前は俺の知らない顔をして、俺から逃げようとする。…俺が、お前に何をした?」
「……」
「なあ、答えろよ、湊」
彼の声が、僕を追い詰める。
僕は本当のことを言えなかった。
君がアルファだから。僕がオメガだから。君に迷惑をかけたくなかった。君の世界を僕なんかが汚してはいけないと思った。
そんな本音、彼に伝わるはずがない。
「…昔のことなんて、もう忘れたよ」
僕は心にもない冷たい言葉を吐き出した。自分でもなんて酷いことを言っているんだろうと思う。だが、こうするしか彼を僕から引き離す方法は思いつかなかった。
僕の言葉を聞いた瞬間、蓮の顔からすっと表情が消えた。
そして、彼は静かに、しかしはっきりと言った。
「そうか。…なら、もういい」
その言葉は僕たちの関係に対する、最終的な死刑宣告のように響いた。
彼は僕の前からふらりと身をかわし、リビングのソファに深く腰掛けた。もう僕のことなど、視界にすら入っていないようだった。
僕は今度こそ、本当に終わりなのだと悟った。
胸にぽっかりと大きな穴が開いたような、途方もない喪失感。涙が後から後から溢れてきて、止まらなかった。
僕は段ボール箱を抱え、逃げるようにその部屋を後にした。
ドアが閉まる、その瞬間。
ソファに座る蓮の肩が小さく震えているのが見えたような気がした。だが、それはきっと僕の気のせいだ。
すれ違う心。聞こえない本音。
僕たちは、お互いを想っているはずなのに、どうしてこんなにも遠くなってしまったのだろう。
運命の番だというのなら、神様はどうして僕たちにこんなにも残酷な試練を与えるのだろうか。
答えの出ない問いを抱えたまま、僕は一人、暗い夜の街へと消えていった。
冷たい雨が容赦なく僕の体を叩き、体温を奪っていく。けれどそれ以上に、僕の心は凍えるように冷え切っていた。
『触るな』
蓮の、あの軽蔑に満ちた瞳と氷のように冷たい声が、何度も頭の中でこだまする。
僕が彼にしてきたことは結局、彼を深く傷つけ裏切る行為でしかなかったのだ。彼が僕を探してくれていたなんて知らなかった。僕がオメガであることを隠しベータのふりをしていたことが、彼をどれだけ苦しめていたかなんて考えもしなかった。
どれくらい歩き続けたのか、分からない。
気づいた時には、僕は僕たちが暮らしていたタワーマンションの前に呆然と立ち尽くしていた。もう僕が帰る場所は、ここにはない。
けれど、僕の荷物はまだあの部屋に残ったままだ。それだけは、取りに戻らなければ。
重い足取りでエントランスを抜け、エレベーターに乗る。部屋の前に着くと、ドアは施錠されていなかった。
僕は静かにドアを開け、中へと入った。
リビングの明かりは消えていて、部屋の中は薄暗かった。
蓮は窓の外の夜景を、背中を向けて眺めていた。その背中は以前よりもずっと大きく、そして絶望的に遠く感じられた。
僕が入ってきたことに気づいているはずなのに、彼は一言も話さない。ただ、そこにあるのは息が詰まるような重い沈黙だけだった。
「…荷物、取りに来ただけだから」
僕は喉の奥から絞り出すように言った。
蓮は、それでもこちらを振り返ろうとはしなかった。
僕は自分の寝室に向かい、数少ない私物を段ボール箱に詰め始めた。服、本、日用品。そのどれもに、この部屋で過ごした蓮との甘い記憶が染み付いているようで胸が締め付けられた。
荷造りを終えリビングに戻ると、蓮はまだ同じ場所に立ったままだった。
「…今まで、ありがとう。お世話になりました」
僕は彼に背を向けたまま、最後の挨拶をした。このまま何も言わずに立ち去ろう。それが僕にできる、唯一の償いだから。
そう思って玄関のドアに手をかけた、その時だった。
「どこへ行くつもりだ?」
背後から低い声が投げかけられた。
僕は振り返らずに答えた。
「…君には、関係ないだろ」
「関係なくない。お前は、俺の番(つがい)だ」
「…は?」
僕は思わず振り返った。
蓮はいつの間にか僕のすぐ後ろに立っていた。彼の青い瞳が、暗闇の中で鋭く光っている。
「番…? 何、言ってるの…」
「お前は、忘れてるかもしれないがな。あの夏の日、俺たちはひまわり畑で誓ったはずだ。『大人になったら、結婚しよう』って。子供の戯言だと、笑うか?」
彼の言葉に、僕は息をのんだ。
そうだ。そんな約束、確かにした。幼い僕たちはそれがどれだけ重い意味を持つ言葉かも知らずに、無邪気に笑い合っていた。
「俺は、忘れたことなんて一度もなかった。お前が、俺の運命の相手だってずっと信じてた。だから、探したんだ。何年も、ずっと」
彼の声には、今まで感じたことのない深い痛みが滲んでいた。
「やっと見つけたと思ったら、お前は俺の知らない顔をして、俺から逃げようとする。…俺が、お前に何をした?」
「……」
「なあ、答えろよ、湊」
彼の声が、僕を追い詰める。
僕は本当のことを言えなかった。
君がアルファだから。僕がオメガだから。君に迷惑をかけたくなかった。君の世界を僕なんかが汚してはいけないと思った。
そんな本音、彼に伝わるはずがない。
「…昔のことなんて、もう忘れたよ」
僕は心にもない冷たい言葉を吐き出した。自分でもなんて酷いことを言っているんだろうと思う。だが、こうするしか彼を僕から引き離す方法は思いつかなかった。
僕の言葉を聞いた瞬間、蓮の顔からすっと表情が消えた。
そして、彼は静かに、しかしはっきりと言った。
「そうか。…なら、もういい」
その言葉は僕たちの関係に対する、最終的な死刑宣告のように響いた。
彼は僕の前からふらりと身をかわし、リビングのソファに深く腰掛けた。もう僕のことなど、視界にすら入っていないようだった。
僕は今度こそ、本当に終わりなのだと悟った。
胸にぽっかりと大きな穴が開いたような、途方もない喪失感。涙が後から後から溢れてきて、止まらなかった。
僕は段ボール箱を抱え、逃げるようにその部屋を後にした。
ドアが閉まる、その瞬間。
ソファに座る蓮の肩が小さく震えているのが見えたような気がした。だが、それはきっと僕の気のせいだ。
すれ違う心。聞こえない本音。
僕たちは、お互いを想っているはずなのに、どうしてこんなにも遠くなってしまったのだろう。
運命の番だというのなら、神様はどうして僕たちにこんなにも残酷な試練を与えるのだろうか。
答えの出ない問いを抱えたまま、僕は一人、暗い夜の街へと消えていった。
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