15 / 30
第14話「決意の帰還、運命の足音」
しおりを挟む
長野から東京へ戻る高速バスの中、僕は窓の外を流れる景色を眺めながらずっと考えていた。
蓮に会って、何を話せばいいのだろうか。
「ごめんなさい」とただ謝るだけでは、きっと何も伝わらない。僕がなぜ嘘をつかなければならなかったのか。彼をどれだけ大切に想っているか。自分の言葉で、正直にすべてを伝えなければいけない。
それで彼が僕を許してくれなくても、仕方がない。それは僕が犯した過ちの、当然の報いなのだから。
東京に着いたのは、夜になってからだった。
健太は「俺は野暮用があるから」と、僕を一人にしてくれた。彼の、さりげない優しさだった。
僕は一度、自分の古いアパートに戻った。荷解きもせずに、蓮との思い出が詰まった段ボール箱を置いただけの殺風景な部屋。
シャワーを浴びて、着替える。鏡に映った自分の顔は数日前に比べて、少しだけ覚悟が決まった顔をしているように見えた。
深呼吸を一つして、僕はアパートを出た。
向かう先は一つしかない。
僕たちが、短い間だったけれど共に暮らした、あのタワーマンションだ。
マンションのエントランスに着いた時、僕は自分の体が微かに震えているのに気づいた。
怖い。
蓮に会うのが怖い。
彼の冷たい瞳を、もう一度見るのが怖い。
何度も引き返そうかと思った。だが、その度に健太の「このまま後悔したまま生きていくのか?」という言葉が、僕の背中を押してくれた。
僕は意を決して、エントランスのオートロックのインターフォンを鳴らした。部屋の番号を押す指が、震える。
数回のコールの後、スピーカーから聞き慣れた低い声が聞こえてきた。
『…誰だ』
「…僕だ。湊だ」
僕が名乗ると、スピーカーの向こう側は長い沈黙に包まれた。
もう切られてしまうかもしれない。そう思った時、小さな電子音と共にオートロックが解除された。
彼は、僕に会ってくれるつもりらしい。
僕は震える足でエレベーターに乗り込み、最上階へと向かった。
部屋の前に立つ。
心臓が今にも口から飛び出してきそうだ。
僕はゆっくりと、ドアをノックした。
数秒の間をおいて、ドアが静かに開かれた。
そこに立っていたのは、数日ぶりに見る蓮だった。
彼は以前よりも少し痩せたように見えた。無精髭がうっすらと生え、着ている部屋着も少しよれている。僕が知っている完璧な神楽坂蓮とは、かけ離れた姿だった。
けれど僕を見つめるその青い瞳だけは、以前と同じ鋭い光を放っていた。
「…何の用だ」
彼の声は、地を這うように低く冷たかった。
「…話が、したい」
「話すことなど、何もないはずだが」
彼は僕を部屋に入れようとせず、ドアの前で壁のように立ちはだかっている。
「お願いだ。五分だけでいい。僕の話を、聞いてほしい」
僕は頭を下げた。
蓮はしばらくの間何も言わずに僕を見下ろしていたが、やがて大きなため息をつくと体をずらして、僕が通るだけの隙間を作った。
「…入れ」
部屋の中は僕が出て行った時と、何も変わっていなかった。
ただ、そこには生活の匂いが全く感じられなかった。テーブルの上にはコンビニ弁当の空き容器が、無造作に置かれている。僕がいた頃は毎日手作りの料理を並べていた、あのテーブルに。
その光景が、僕の胸を締め付けた。
「で、話というのは何だ? 手短に頼む」
蓮はソファにも座らず、腕を組んだまま僕を睨みつけている。
僕は彼の前に立ち、まっすぐに彼の目を見つめ返した。
「今まで、嘘をついていて、本当にごめんなさい」
僕はもう一度、深く頭を下げた。
「君を騙すつもりじゃなかった。ただ…僕は、君に迷惑をかけたくなかったんだ」
僕は自分がオメガであることを隠していた理由を、正直に話した。
アルファである君の世界に、僕のようなオメガが踏み込むことは君にとってマイナスにしかならないと思ったこと。運命の番だなんて、そんなおこがましいこと考えられなかったこと。
「君に憧れていた。遠くから見ているだけで、幸せだった。それなのに、事故で記憶を失った君は僕にだけ優しくしてくれた。それが本当に嬉しくて…僕は、その幸せな時間に溺れてしまったんだ」
涙が、頬を伝う。
「君が記憶を取り戻したらこの関係は終わるって、分かってた。分かってたのに、僕は君に本当のことを言えなかった。君を失うのが、怖かったから」
僕は自分の弱さを、すべてさらけ出した。
「本当に、ごめんなさい。君を傷つけて、裏切って、最低なのは分かってる。でも、これだけは信じてほしい」
僕は顔を上げた。涙で滲む視界の中で、蓮の顔がぼんやりと揺れている。
「僕は、君のことが、好きです。昔も、今も、ずっと」
僕の、精一杯の告白。
それを聞いた蓮の表情は、変わらなかった。
彼は何も言わない。ただ冷たい瞳で、僕を見つめているだけだ。
ああ、やっぱりダメだったんだ。
僕の言葉は、もう彼の心には届かない。
絶望が僕の心を支配した、その時。
ぐらり、と僕の視界が大きく揺れた。
立っていられないほどの強烈なめまい。そして体の芯から、抗いようのない熱が一気に突き上げてきた。
「…っ、ぁ…う…」
息が熱い。
喉の奥から、甘い吐息が漏れる。
忘れていた。いや、考えないようにしていた。
ヒートの周期が、もうすぐそこまで来ていたことを。
そして運命の番である蓮のフェロモンを、これほど間近で浴びたことが引き金になってしまったのだ。
「…湊? おい、どうした!」
蓮の焦ったような声が、遠くに聞こえる。
僕の体から、自分でも分かるほど濃厚な甘いフェロモンが一気に香り立った。
それはもう、抑制剤ではどうにもならない、オメガとしての本能の叫びだった。
意識が、朦朧としていく。
僕はその場に、崩れ落ちた。
運命の足音が、すぐそこまで迫ってきている。
それは僕たちを、もう二度と引き返せない場所へと導こうとしていた。
蓮に会って、何を話せばいいのだろうか。
「ごめんなさい」とただ謝るだけでは、きっと何も伝わらない。僕がなぜ嘘をつかなければならなかったのか。彼をどれだけ大切に想っているか。自分の言葉で、正直にすべてを伝えなければいけない。
それで彼が僕を許してくれなくても、仕方がない。それは僕が犯した過ちの、当然の報いなのだから。
東京に着いたのは、夜になってからだった。
健太は「俺は野暮用があるから」と、僕を一人にしてくれた。彼の、さりげない優しさだった。
僕は一度、自分の古いアパートに戻った。荷解きもせずに、蓮との思い出が詰まった段ボール箱を置いただけの殺風景な部屋。
シャワーを浴びて、着替える。鏡に映った自分の顔は数日前に比べて、少しだけ覚悟が決まった顔をしているように見えた。
深呼吸を一つして、僕はアパートを出た。
向かう先は一つしかない。
僕たちが、短い間だったけれど共に暮らした、あのタワーマンションだ。
マンションのエントランスに着いた時、僕は自分の体が微かに震えているのに気づいた。
怖い。
蓮に会うのが怖い。
彼の冷たい瞳を、もう一度見るのが怖い。
何度も引き返そうかと思った。だが、その度に健太の「このまま後悔したまま生きていくのか?」という言葉が、僕の背中を押してくれた。
僕は意を決して、エントランスのオートロックのインターフォンを鳴らした。部屋の番号を押す指が、震える。
数回のコールの後、スピーカーから聞き慣れた低い声が聞こえてきた。
『…誰だ』
「…僕だ。湊だ」
僕が名乗ると、スピーカーの向こう側は長い沈黙に包まれた。
もう切られてしまうかもしれない。そう思った時、小さな電子音と共にオートロックが解除された。
彼は、僕に会ってくれるつもりらしい。
僕は震える足でエレベーターに乗り込み、最上階へと向かった。
部屋の前に立つ。
心臓が今にも口から飛び出してきそうだ。
僕はゆっくりと、ドアをノックした。
数秒の間をおいて、ドアが静かに開かれた。
そこに立っていたのは、数日ぶりに見る蓮だった。
彼は以前よりも少し痩せたように見えた。無精髭がうっすらと生え、着ている部屋着も少しよれている。僕が知っている完璧な神楽坂蓮とは、かけ離れた姿だった。
けれど僕を見つめるその青い瞳だけは、以前と同じ鋭い光を放っていた。
「…何の用だ」
彼の声は、地を這うように低く冷たかった。
「…話が、したい」
「話すことなど、何もないはずだが」
彼は僕を部屋に入れようとせず、ドアの前で壁のように立ちはだかっている。
「お願いだ。五分だけでいい。僕の話を、聞いてほしい」
僕は頭を下げた。
蓮はしばらくの間何も言わずに僕を見下ろしていたが、やがて大きなため息をつくと体をずらして、僕が通るだけの隙間を作った。
「…入れ」
部屋の中は僕が出て行った時と、何も変わっていなかった。
ただ、そこには生活の匂いが全く感じられなかった。テーブルの上にはコンビニ弁当の空き容器が、無造作に置かれている。僕がいた頃は毎日手作りの料理を並べていた、あのテーブルに。
その光景が、僕の胸を締め付けた。
「で、話というのは何だ? 手短に頼む」
蓮はソファにも座らず、腕を組んだまま僕を睨みつけている。
僕は彼の前に立ち、まっすぐに彼の目を見つめ返した。
「今まで、嘘をついていて、本当にごめんなさい」
僕はもう一度、深く頭を下げた。
「君を騙すつもりじゃなかった。ただ…僕は、君に迷惑をかけたくなかったんだ」
僕は自分がオメガであることを隠していた理由を、正直に話した。
アルファである君の世界に、僕のようなオメガが踏み込むことは君にとってマイナスにしかならないと思ったこと。運命の番だなんて、そんなおこがましいこと考えられなかったこと。
「君に憧れていた。遠くから見ているだけで、幸せだった。それなのに、事故で記憶を失った君は僕にだけ優しくしてくれた。それが本当に嬉しくて…僕は、その幸せな時間に溺れてしまったんだ」
涙が、頬を伝う。
「君が記憶を取り戻したらこの関係は終わるって、分かってた。分かってたのに、僕は君に本当のことを言えなかった。君を失うのが、怖かったから」
僕は自分の弱さを、すべてさらけ出した。
「本当に、ごめんなさい。君を傷つけて、裏切って、最低なのは分かってる。でも、これだけは信じてほしい」
僕は顔を上げた。涙で滲む視界の中で、蓮の顔がぼんやりと揺れている。
「僕は、君のことが、好きです。昔も、今も、ずっと」
僕の、精一杯の告白。
それを聞いた蓮の表情は、変わらなかった。
彼は何も言わない。ただ冷たい瞳で、僕を見つめているだけだ。
ああ、やっぱりダメだったんだ。
僕の言葉は、もう彼の心には届かない。
絶望が僕の心を支配した、その時。
ぐらり、と僕の視界が大きく揺れた。
立っていられないほどの強烈なめまい。そして体の芯から、抗いようのない熱が一気に突き上げてきた。
「…っ、ぁ…う…」
息が熱い。
喉の奥から、甘い吐息が漏れる。
忘れていた。いや、考えないようにしていた。
ヒートの周期が、もうすぐそこまで来ていたことを。
そして運命の番である蓮のフェロモンを、これほど間近で浴びたことが引き金になってしまったのだ。
「…湊? おい、どうした!」
蓮の焦ったような声が、遠くに聞こえる。
僕の体から、自分でも分かるほど濃厚な甘いフェロモンが一気に香り立った。
それはもう、抑制剤ではどうにもならない、オメガとしての本能の叫びだった。
意識が、朦朧としていく。
僕はその場に、崩れ落ちた。
運命の足音が、すぐそこまで迫ってきている。
それは僕たちを、もう二度と引き返せない場所へと導こうとしていた。
41
あなたにおすすめの小説
のほほんオメガは、同期アルファの執着に気付いていませんでした
こたま
BL
オメガの品川拓海(しながわ たくみ)は、現在祖母宅で祖母と飼い猫とのほほんと暮らしている社会人のオメガだ。雇用機会均等法以来門戸の開かれたオメガ枠で某企業に就職している。同期のアルファで営業の高輪響矢(たかなわ きょうや)とは彼の営業サポートとして共に働いている。同期社会人同士のオメガバース、ハッピーエンドです。両片想い、後両想い。攻の愛が重めです。
森で助けた記憶喪失の青年は、実は敵国の王子様だった!? 身分に引き裂かれた運命の番が、王宮の陰謀を乗り越え再会するまで
水凪しおん
BL
記憶を失った王子×森の奥で暮らす薬師。
身分違いの二人が織りなす、切なくも温かい再会と愛の物語。
人里離れた深い森の奥、ひっそりと暮らす薬師のフィンは、ある嵐の夜、傷つき倒れていた赤髪の青年を助ける。
記憶を失っていた彼に「アッシュ」と名付け、共に暮らすうちに、二人は互いになくてはならない存在となり、心を通わせていく。
しかし、幸せな日々は突如として終わりを告げた。
彼は隣国ヴァレンティスの第一王子、アシュレイだったのだ。
記憶を取り戻し、王宮へと連れ戻されるアッシュ。残されたフィン。
身分という巨大な壁と、王宮に渦巻く陰謀が二人を引き裂く。
それでも、運命の番(つがい)の魂は、呼び合うことをやめなかった――。
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*本編完結しました
欠陥αは運命を追う
豆ちよこ
BL
「宗次さんから番の匂いがします」
従兄弟の番からそう言われたアルファの宝条宗次は、全く心当たりの無いその言葉に微かな期待を抱く。忘れ去られた記憶の中に、自分の求める運命の人がいるかもしれないーー。
けれどその匂いは日に日に薄れていく。早く探し出さないと二度と会えなくなってしまう。匂いが消える時…それは、番の命が尽きる時。
※自己解釈・自己設定有り
※R指定はほぼ無し
※アルファ(攻め)視点
竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜
レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」
魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。
彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。
運命を知らないアルファ
riiko
BL
オメガ嫌いの西条司は女性アルファとしか付き合わない、そんな中やたらと気になるオメガを見つけた。
運命やフェロモンという不確かなモノではなく、初めて本気で惹かれた唯一のオメガにはとんでもない秘密があった!?
オメガ嫌い御曹司α×ベータとして育った平凡Ω
オメガ主人公がお好きな方は『運命を知っているオメガ』をお読みくださいませ。こちらはその物語のアルファ側のお話です。このお話だけでも物語は完結しますが、両方読まれると答え合わせが楽しめます。
性描写が入るシーンは
※マークをタイトルにつけます、ご注意くださいませ。
コメント欄はそのまま載せておりますので、ネタバレ大丈夫な方のみご覧くださいませ。
物語、お楽しみいただけたら幸いです。
今からレンタルアルファシステムを利用します
夜鳥すぱり
BL
大学2年の鳴水《なるみ》は、ずっと自分がオメガであることを隠して生きてきた。でも、年々つらくなる発情期にもう一人は耐えられない。恋愛対象は男性だし、男のアルファに会ってみたい。誰でも良いから、定期的に安全に話し相手をしてくれる人が欲しい。でもそんな都合のいい人いなくて、考えあぐねた結果たどり着いた、アプリ、レンタルアルファシステム。安全……だと思う、評価も星5で良いし。うん、じゃ、お問い合わせをしてみるか。なるみは、恐る恐るボタンを押すが───。
◆完結済みです。ありがとうございました。
◆表紙絵を花々緒さんが描いてくださりました。カッコいい雪夜君と、おどおど鳴水くんです。可愛すぎますね!
幼馴染みのハイスペックαから離れようとしたら、Ωに転化するほどの愛を示されたβの話。
叶崎みお
BL
平凡なβに生まれた千秋には、顔も頭も運動神経もいいハイスペックなαの幼馴染みがいる。
幼馴染みというだけでその隣にいるのがいたたまれなくなり、距離をとろうとするのだが、完璧なαとして周りから期待を集める幼馴染みαは「失敗できないから練習に付き合って」と千秋を頼ってきた。
大事な幼馴染みの願いならと了承すれば、「まずキスの練習がしたい」と言い出して──。
幼馴染みαの執着により、βから転化し後天性Ωになる話です。両片想いのハピエンです。
他サイト様にも投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる