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第2話「騎士団長の不器用な求愛」
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「邪魔するよ、ルカ」
カランコロン、とドアベルが軽快な音を立てる。
ルカは調合中の手元から視線を上げ、げんなりとした顔で入り口を見た。
そこには、店の狭さを際立たせるほど体格の良い男、クラウスが立っていた。今日は騎士団の制服ではなく、上質な生地の私服を身にまとっているが、隠しきれない高貴なオーラが周囲の空気を圧迫している。
「……『閉店』の札が見えないのか? あんたの目は節穴か」
「あいにくと、君の顔を見たいという欲求が視力を上回ってね」
クラウスは悪びれもせず、美しい顔でとんでもないことを言いながらカウンターに近づいてきた。その手には、色とりどりの花束と、包み紙からして高級そうな菓子折が抱えられている。
「見舞いの礼だ。君のような可憐な薬師には、花が似合うと思ってね」
「可憐、ねぇ……。俺は男だし、三十路も近い枯れかけの薬師だぞ」
ルカは呆れながらも、差し出された花束を受け取った。スラムではまずお目にかかれない、王都の庭園に咲くような鮮やかな薔薇だった。その甘い香りが、店内の薬草の臭いを一瞬で塗り替えていく。
「年齢など関係ない。君は美しい。特に、その憂いを帯びた瞳がね」
「はいはい、お上手なことで。で、何の用だ? 傷の抜糸ならまだ早いはずだぞ」
「傷の具合は順調だ。君の薬は魔法のように効く。王宮の医師たちに見習わせたいくらいだ」
クラウスはカウンターに肘をつき、ルカの作業を興味深そうに覗き込んだ。
「今日は、君を食事に誘いに来た」
「断る」
即答だった。
「つれないな。私の命の恩人をもてなしたいという純粋な気持ちなんだが」
「あんたみたいな雲の上の人と食事なんてしたら、消化不良で死ぬ。それに、俺は忙しいんだ」
ルカは乳鉢の中の粉末をすり潰す手を止めない。
クラウスは少し眉を下げ、困ったような、しかしどこか楽しんでいるような表情を見せた。
「ならば、ここで食べよう。店の裏に居住スペースがあるだろう?」
「なんで知って……いや、そもそも入れるわけないだろ。むさ苦しい男の一人暮らしだぞ」
「気にしないさ。君の入れた茶が飲みたい」
「……帰れ」
ルカの拒絶も虚しく、クラウスは強引に店の裏口へと回り込んでしまった。
「おい! 勝手に入るな!」
慌てて追いかけるルカだったが、クラウスはすでに狭い台所に鎮座し、持参したバスケットから見たこともないような豪華な料理を広げていた。
ローストビーフのサンドイッチ、冷製のスープ、そして芳醇な香りのするワイン。
古びたテーブルクロスの上に広げられたそれは、あまりに場違いで、滑稽ですらあった。
「さあ、座ってくれ。君も昼食はまだだろう?」
クラウスは満面の笑みで椅子を引いた。その仕草のあまりの自然さ、スマートさに、ルカは毒気を抜かれてしまった。
「……あんた、本当に公爵家の人間か? こんな貧乏人の台所に平気で座り込んで」
「場所など問題ではない。誰と過ごすかが重要なんだ」
ルカはあきらめて椅子に座った。
食事の間、クラウスはルカの世話を甲斐甲斐しく焼いた。ワインを注ぎ、料理を取り分け、あまつさえ口元についたソースをナプキンで拭おうとしてきた。
「自分でできる!」
ルカが顔を赤くして拒絶すると、クラウスは喉を鳴らして笑った。
「君は本当に愛らしい反応をするな。社交界のすました連中とは大違いだ」
「からかうなよ……」
ルカはサンドイッチをかじりながら、目の前の男を観察した。
整った顔立ち、優雅な所作、そして溢れ出る自信。すべてがルカとは正反対だ。アルファの中でも特別な存在である「スパダリ」と呼ばれる人種そのものだ。
なぜ、こんな男が自分に構うのか。
単なる命の恩人への義理だけではない、執着めいたものを感じる。
それがルカには恐ろしかった。
ふと、クラウスの視線が部屋の隅にある棚に向いた。そこには、ルカが自分用に調合した薬の瓶が並んでいる。
「あれは? 店の商品とは違うようだが」
「! ……あれは、失敗作の山だよ」
ルカは心臓が止まるかと思った。あれはオメガのフェロモンを完全に遮断し、発情期すら抑え込む強力な抑制剤だ。市販のものとは成分が全く違う、違法スレスレの代物。
「そうか。君は研究熱心なんだな」
クラウスは疑う様子もなく納得したようだ。ルカは胸をなでおろした。
だが、その安堵は長くは続かなかった。
食後、クラウスは真剣な表情でルカに向き直った。
「ルカ。単刀直入に言う。私は君が気に入った」
「……はあ。どうも」
「私の専属薬師にならないか? 屋敷に研究室を用意しよう。資金も惜しまない」
それは、薬師としては破格の待遇だった。夢のような申し出だ。
しかし、ルカは首を横に振った。
「ありがたい話だけど、断るよ。俺はこの店が気に入ってるんだ」
「なぜだ? ここでの生活は決して楽ではないはずだ」
「俺には……ここがお似合いなんだよ。それに」
ルカは視線を伏せ、自嘲気味に笑った。
「俺の薬は、長くは持たないんだ。効果も、俺自身の情熱もね」
「どういう意味だ?」
「俺は嘘つきで、飽き性で、いい加減な男だってことさ。あんたみたいな立派な騎士様に仕える器じゃない」
それは半分本心で、半分は嘘だった。
公爵家に入れば、身体検査は避けられない。オメガであることが露見すれば、ルカの自由は終わる。それどころか、偽って生きてきた罪で処罰されるかもしれない。
何より、クラウスのそばに居続ければ、いつか惹かれてしまう自分が怖い。
「……そうか。今はまだ、その時ではないということか」
クラウスは意外にもあっさりと引き下がった。だが、その瞳の光は消えていない。
「だが、あきらめないよ。私は欲しいものは必ず手に入れる主義なんだ」
立ち上がり、クラウスはルカの手を取った。そして、その甲にうやうやしく口づけを落とす。
唇の熱さが、皮膚を通してルカの全身を駆け巡った。
「また来る。何度でもね」
クラウスが去った後、ルカはその場に崩れ落ちるように座り込んだ。
手首に残る熱。鼻腔に残る針葉樹の香り。
抑え込んでいるはずのオメガの本能が、奥底で小さく疼いた気がした。
「……厄介なことになったな」
ルカは棚の奥から小瓶を取り出し、一粒、錠剤を飲み込んだ。
苦い味が口いっぱいに広がる。
この薬の副作用で、ルカの体は少しずつ蝕まれている。医者には「三十歳までは生きられないかもしれない」と宣告されていた。
それが、ルカの言う「賞味期限」の正体だった。
あと数年。それまでは誰にも縛られず、誰の物にもならず、静かに消えていくはずだったのに。
雨上がりの空を見上げながら、ルカは自分がついた嘘の重さに、小さく息を吐いた。
カランコロン、とドアベルが軽快な音を立てる。
ルカは調合中の手元から視線を上げ、げんなりとした顔で入り口を見た。
そこには、店の狭さを際立たせるほど体格の良い男、クラウスが立っていた。今日は騎士団の制服ではなく、上質な生地の私服を身にまとっているが、隠しきれない高貴なオーラが周囲の空気を圧迫している。
「……『閉店』の札が見えないのか? あんたの目は節穴か」
「あいにくと、君の顔を見たいという欲求が視力を上回ってね」
クラウスは悪びれもせず、美しい顔でとんでもないことを言いながらカウンターに近づいてきた。その手には、色とりどりの花束と、包み紙からして高級そうな菓子折が抱えられている。
「見舞いの礼だ。君のような可憐な薬師には、花が似合うと思ってね」
「可憐、ねぇ……。俺は男だし、三十路も近い枯れかけの薬師だぞ」
ルカは呆れながらも、差し出された花束を受け取った。スラムではまずお目にかかれない、王都の庭園に咲くような鮮やかな薔薇だった。その甘い香りが、店内の薬草の臭いを一瞬で塗り替えていく。
「年齢など関係ない。君は美しい。特に、その憂いを帯びた瞳がね」
「はいはい、お上手なことで。で、何の用だ? 傷の抜糸ならまだ早いはずだぞ」
「傷の具合は順調だ。君の薬は魔法のように効く。王宮の医師たちに見習わせたいくらいだ」
クラウスはカウンターに肘をつき、ルカの作業を興味深そうに覗き込んだ。
「今日は、君を食事に誘いに来た」
「断る」
即答だった。
「つれないな。私の命の恩人をもてなしたいという純粋な気持ちなんだが」
「あんたみたいな雲の上の人と食事なんてしたら、消化不良で死ぬ。それに、俺は忙しいんだ」
ルカは乳鉢の中の粉末をすり潰す手を止めない。
クラウスは少し眉を下げ、困ったような、しかしどこか楽しんでいるような表情を見せた。
「ならば、ここで食べよう。店の裏に居住スペースがあるだろう?」
「なんで知って……いや、そもそも入れるわけないだろ。むさ苦しい男の一人暮らしだぞ」
「気にしないさ。君の入れた茶が飲みたい」
「……帰れ」
ルカの拒絶も虚しく、クラウスは強引に店の裏口へと回り込んでしまった。
「おい! 勝手に入るな!」
慌てて追いかけるルカだったが、クラウスはすでに狭い台所に鎮座し、持参したバスケットから見たこともないような豪華な料理を広げていた。
ローストビーフのサンドイッチ、冷製のスープ、そして芳醇な香りのするワイン。
古びたテーブルクロスの上に広げられたそれは、あまりに場違いで、滑稽ですらあった。
「さあ、座ってくれ。君も昼食はまだだろう?」
クラウスは満面の笑みで椅子を引いた。その仕草のあまりの自然さ、スマートさに、ルカは毒気を抜かれてしまった。
「……あんた、本当に公爵家の人間か? こんな貧乏人の台所に平気で座り込んで」
「場所など問題ではない。誰と過ごすかが重要なんだ」
ルカはあきらめて椅子に座った。
食事の間、クラウスはルカの世話を甲斐甲斐しく焼いた。ワインを注ぎ、料理を取り分け、あまつさえ口元についたソースをナプキンで拭おうとしてきた。
「自分でできる!」
ルカが顔を赤くして拒絶すると、クラウスは喉を鳴らして笑った。
「君は本当に愛らしい反応をするな。社交界のすました連中とは大違いだ」
「からかうなよ……」
ルカはサンドイッチをかじりながら、目の前の男を観察した。
整った顔立ち、優雅な所作、そして溢れ出る自信。すべてがルカとは正反対だ。アルファの中でも特別な存在である「スパダリ」と呼ばれる人種そのものだ。
なぜ、こんな男が自分に構うのか。
単なる命の恩人への義理だけではない、執着めいたものを感じる。
それがルカには恐ろしかった。
ふと、クラウスの視線が部屋の隅にある棚に向いた。そこには、ルカが自分用に調合した薬の瓶が並んでいる。
「あれは? 店の商品とは違うようだが」
「! ……あれは、失敗作の山だよ」
ルカは心臓が止まるかと思った。あれはオメガのフェロモンを完全に遮断し、発情期すら抑え込む強力な抑制剤だ。市販のものとは成分が全く違う、違法スレスレの代物。
「そうか。君は研究熱心なんだな」
クラウスは疑う様子もなく納得したようだ。ルカは胸をなでおろした。
だが、その安堵は長くは続かなかった。
食後、クラウスは真剣な表情でルカに向き直った。
「ルカ。単刀直入に言う。私は君が気に入った」
「……はあ。どうも」
「私の専属薬師にならないか? 屋敷に研究室を用意しよう。資金も惜しまない」
それは、薬師としては破格の待遇だった。夢のような申し出だ。
しかし、ルカは首を横に振った。
「ありがたい話だけど、断るよ。俺はこの店が気に入ってるんだ」
「なぜだ? ここでの生活は決して楽ではないはずだ」
「俺には……ここがお似合いなんだよ。それに」
ルカは視線を伏せ、自嘲気味に笑った。
「俺の薬は、長くは持たないんだ。効果も、俺自身の情熱もね」
「どういう意味だ?」
「俺は嘘つきで、飽き性で、いい加減な男だってことさ。あんたみたいな立派な騎士様に仕える器じゃない」
それは半分本心で、半分は嘘だった。
公爵家に入れば、身体検査は避けられない。オメガであることが露見すれば、ルカの自由は終わる。それどころか、偽って生きてきた罪で処罰されるかもしれない。
何より、クラウスのそばに居続ければ、いつか惹かれてしまう自分が怖い。
「……そうか。今はまだ、その時ではないということか」
クラウスは意外にもあっさりと引き下がった。だが、その瞳の光は消えていない。
「だが、あきらめないよ。私は欲しいものは必ず手に入れる主義なんだ」
立ち上がり、クラウスはルカの手を取った。そして、その甲にうやうやしく口づけを落とす。
唇の熱さが、皮膚を通してルカの全身を駆け巡った。
「また来る。何度でもね」
クラウスが去った後、ルカはその場に崩れ落ちるように座り込んだ。
手首に残る熱。鼻腔に残る針葉樹の香り。
抑え込んでいるはずのオメガの本能が、奥底で小さく疼いた気がした。
「……厄介なことになったな」
ルカは棚の奥から小瓶を取り出し、一粒、錠剤を飲み込んだ。
苦い味が口いっぱいに広がる。
この薬の副作用で、ルカの体は少しずつ蝕まれている。医者には「三十歳までは生きられないかもしれない」と宣告されていた。
それが、ルカの言う「賞味期限」の正体だった。
あと数年。それまでは誰にも縛られず、誰の物にもならず、静かに消えていくはずだったのに。
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