嘘つきオメガの賞味期限〜スラムの薬師はスパダリ騎士団長に溺愛されて逃げられない〜

水凪しおん

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第3話「甘い毒と優しい監獄」

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 それからというもの、クラウスの訪問は日課のようになった。
 雨の日も、晴れの日も、彼は何かしらの理由をつけて『月の雫薬局』に現れた。
 ある時は「屋根の瓦がずれていたから直しておいた」と言って大工を連れてきたり、ある時は「君の店の近くで珍しい薬草を見つけた」と泥だらけになって現れたりした。
 そのたびに、ルカの店は少しずつ快適になり、棚には高価な素材が増え、ルカの胃袋は高級食材で満たされていった。
 スラムの住人たちも、最初は警戒していたが、今では「薬屋のルカには強力なパトロンがついた」と噂し、誰も店に手出しをしなくなっていた。
 皮肉なことに、クラウスの存在はルカの生活を劇的に向上させていたのだ。
「……これじゃあ、まるで囲われている愛人じゃないか」
 ある雨の午後、ルカはカウンターで頬杖をついてつぶやいた。
 目の前には、クラウスが置いていった王都で人気の洋菓子店のクッキー缶がある。
「愛人? 誰が?」
 不意に背後から声がして、ルカは椅子から飛び上がった。
 いつの間に入ってきたのか、クラウスが笑顔で立っている。雨音にかき消されて、足音に気づかなかったのだ。
「心臓に悪いから、気配を消して入ってくるのはやめてくれ!」
「すまない。君が考え事をしている横顔があまりに綺麗で見惚れていた」
 クラウスは自然な動作でルカの隣に腰掛け、クッキー缶を開けた。
「紅茶を淹れよう。君は座っていてくれ」
 もはやどちらが店主かわからない。クラウスはこの狭い空間に完全に馴染んでいた。
 湯気が立ち上るカップを渡され、ルカは観念して一口すすった。
「……で、今日は何の用だ? 騎士団長様は暇なのか?」
「今日は君に相談があってね」
 クラウスの表情が少し真剣なものに変わった。
「最近、王都で質の悪いドラッグが出回っている。服用すると一時的に魔力が高まるが、中毒性が強く、廃人になる者が後を絶たない」
「『黒い蛇』か。ここら辺でも噂になってるよ」
 ルカは眉をひそめた。薬師として、粗悪な薬物が蔓延するのは許しがたいことだ。
「その解毒剤、あるいは緩和剤を作りたいのだが、王宮の薬師たちは頭が固くてね。既存のレシピに固執して、新しい発想が出てこないんだ」
 クラウスはルカの目をまっすぐに見た。
「ルカ、君の知識を借りたい。君なら、常識にとらわれない調合ができるはずだ」
 試されている、とルカは感じた。
 これは単なる口実ではない。クラウスは本気で民を憂い、そしてルカの才能を信じているのだ。
 その信頼が、ルカの胸をチクリと刺した。
 自分は、そんな清廉潔白な人間ではない。禁忌とされる抑制剤を作り、自分の体をごまかし続けている詐欺師だ。
「……協力してもいいけど、報酬は高いぞ」
 それでも、ルカは断れなかった。薬師としての性が、難解な調合への挑戦を拒めなかったのだ。
「もちろん、望むままだ」
 クラウスが破顔する。その笑顔の眩しさに、ルカは思わず目を逸らした。
 二人はそれから夜遅くまで、文献を広げ、成分について議論を交わした。
 時折、古い伝承にある『万病を癒やす幻の花』のようなロマンチックな話題も口にしつつ、クラウスは薬学の専門家ではないが、驚くほど頭の回転が速く、的確な質問を投げかけてきた。ルカが専門用語を使って説明しても、すぐに理解し、応用案を出してくる。
(こいつ……本当に何でもできるんだな)
 ルカは悔しいような、誇らしいような、奇妙な感覚に陥った。
 作業中、二人の距離は近かった。
 資料を覗き込むたびに肩が触れ合い、クラウスの吐息がかかる。
 そのたびに、ルカの鼻腔をあの針葉樹の香りがくすぐる。
 抑制剤のおかげで発情することはない。だが、心の奥底で、何かが溶け出していく感覚があった。
 安心感。充足感。
 ずっと一人で戦ってきたルカにとって、背中を預けられる存在がいるということが、これほど心地よいものだとは知らなかった。
「……できたかもしれない」
 深夜、ルカが最後の滴を試験管に垂らすと、液体が鮮やかな青色に変化した。
「これが、中和剤のベースになるはずだ」
「素晴らしい……! さすがルカだ!」
 興奮したクラウスが、衝動的にルカを抱きしめた。
「わっ、ちょっ……!」
 強い腕に包まれ、ルカの体はクラウスの胸板に押し付けられた。
 ドクン、ドクン、と力強い心音が聞こえる。
 熱い。アルファの体温が、服越しに伝わってくる。
 その瞬間、ルカの視界がぐらりと揺れた。
 抑制剤で抑え込んでいるはずの熱が、体の芯で燻りだしたのだ。
 これはまずい。
 クラウスのフェロモンが強すぎる。至近距離で、しかも感情が高ぶった状態のアルファの香りは、薬のバリアを貫通しかけていた。
「……はな、して……!」
 ルカは声を絞り出した。拒絶ではなく、懇願のような弱々しい声だった。
 しかし、クラウスはすぐには離さなかった。
 それどころか、顔をルカの首筋に埋め、深く息を吸い込んだのだ。
「いい匂いだ……。雨上がりの森のような、清浄な香り……」
「やめ……クラウス、だめだ……!」
 ルカが必死に抵抗すると、クラウスはようやく我に返ったように体を離した。
「……すまない。つい、興奮してしまって」
 クラウスの顔がわずかに赤い。彼もまた、ルカの香りに当てられていたのだ。
「今日はもう帰ってくれ。疲れたんだ」
 ルカは顔を背け、冷たく言い放った。動揺を悟られないように必死だった。
「ああ……そうだな。無理をさせてすまなかった。続きはまた明日にしよう」
 クラウスは名残惜しそうにルカを見つめた後、静かに店を出て行った。
 扉が閉まった瞬間、ルカはその場に膝をついた。
 荒い息を吐きながら、震える手で懐の薬瓶を取り出す。
 普段は朝に一錠飲むだけでいい薬を、追加で口に放り込んだ。
 心臓が痛いほど脈打っている。
 これは恋ではない。本能の誤作動だ。
 そう自分に言い聞かせても、抱きしめられた時の温もりが消えない。
「……賞味期限まで、あとどれくらいだ」
 ルカは天井を見上げた。
 薬の副作用か、最近、指先の感覚が鈍くなることがある。
 終わりは確実に近づいている。
 クラウスと一緒にいればいるほど、別れの時が辛くなるだけだ。
「嘘をつき続けるのは、しんどいな」
 雨音が再び強くなってきた。
 ルカの孤独な夜は、以前よりもずっと寒く、寂しく感じられた。
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