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第9話「雨上がりの朝と残酷な真実」
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目が覚めたとき、ルカは天蓋付きの巨大なベッドの中にいた。
シーツは最高級のシルクで、肌触りが恐ろしいほど滑らかだ。
窓からは柔らかな朝の光が差し込み、小鳥のさえずりが聞こえる。スラムの湿っぽい朝とはまるで違う、天国のような光景だった。
「……ここは?」
体を起こそうとして、ルカはうめき声を上げた。全身が軋むように痛い。特に腰周りと、背後のうなじが熱を持っていた。
記憶が蘇る。
昨夜の狂乱。クラウスとの結合。そして、生涯消えることのない「番の契約」。
ルカは震える手で自分のうなじに触れた。そこには確かに、歯形が残っていた。
「やってしまった……」
絶望と幸福がないまぜになった複雑な感情が胸を締め付ける。
「目が覚めたか、ルカ」
サイドテーブルの椅子に座っていたクラウスが、心配そうな顔で覗き込んできた。
彼はいつもの騎士服ではなく、リラックスしたシャツ姿だった。その首筋にも、ルカが夢中でつけたひっかき傷やキスマークが残っているのを見て、ルカは顔を真っ赤にした。
「気分はどうだ? 水飲むか?」
クラウスは甲斐甲斐しく水を差し出し、ルカの背中を支えた。その眼差しは、砂糖菓子が溶けるほどに甘い。
「……あぁ。ありがとう」
水を飲み干し、ルカは気まずそうに視線を逸らした。
「あの、昨日のことは……その、薬のせいで……」
「薬のせいだけじゃないだろう?」
クラウスは優しく、しかし確信を持って言った。
「君も私を求めてくれた。違うか?」
「……違わない、けど」
「ならいい。これで君は正式に私の番だ。もう誰にも渡さないし、どこへも行かせない」
クラウスはルカの手を取り、指先にキスをした。
「ここは私の屋敷だ。今日から君はここで暮らすんだ」
「はあ!? 勝手なことを言うな! 俺には店があるし……」
「店なら、部下に命じて整理させてある。必要な道具はすべてこちらの研究室に移したよ」
「なっ……!」
あまりの手回しの良さに、ルカは言葉を失った。これが権力者のやり方か。
「怒らないでくれ。君をあの場所に返したくなかったんだ。あんな危険な目に遭わせたくない」
クラウスの表情が曇る。昨夜の誘拐事件は、彼にとってもトラウマになっているようだ。
「……わかったよ。しばらくは世話になる」
ルカはあきらめてため息をついた。
それからの数日間は、夢のような日々だった。
使用人たちはルカを「未来の公爵夫人」として丁重に扱い、クラウスは公務の合間を縫ってはルカの元へ飛んで帰り、甘やかな時間を過ごした。
美味しい食事、温かい風呂、そして愛する人の腕の中での睡眠。
ルカが幼い頃から夢見ていた「幸せ」そのものが、ここにはあった。
しかし、光が強ければ強いほど、影もまた濃くなる。
ルカの体調は、回復するどころか日に日に悪化していた。
番になったことで精神的な安定は得られたが、長年服用してきた違法な抑制剤の副作用は、すでに内臓を深く蝕んでいたのだ。
特に、夜になると襲ってくる激しい倦怠感と、指先の痺れ。
ルカはそれをクラウスに隠し続けた。
「顔色が悪いな。やはり医者を呼ぼう」
「いや、平気だ。環境が変わって疲れただけだよ」
ルカは笑顔でごまかした。
もし医者に見せれば、ボロボロの体の状態がバレてしまう。余命わずかだと知られれば、クラウスはどうなるだろうか。
彼を悲しませたくない。
せめて、動けなくなるその日まで、彼の隣で笑っていたい。
それがルカの最後の「嘘」だった。
ある晴れた午後、ルカは屋敷の庭園を散歩していた。
色とりどりの花が咲き乱れる美しい庭。クラウスがルカのためにと、わざわざ薬草園まで作ってくれていた。
「馬鹿だな、あいつは……」
ルカは薬草の葉を撫でながら、愛おしさと切なさで胸がいっぱいになった。
この幸せな時間は、砂時計の砂のように刻一刻と落ちていく。
ふと、視界がぐらりと歪んだ。
地面が急激に近づいてくる。
「あ……れ?」
膝から力が抜けた。
呼吸ができない。心臓が早鐘を打ち、冷たい汗が吹き出す。
遠くで、庭師の叫び声が聞こえた気がした。
意識が闇に飲み込まれる直前、ルカの脳裏に浮かんだのは、雨の中で自分を見つけてくれたクラウスの蒼い瞳だった。
(ごめん、クラウス。……賞味期限、きちゃったみたいだ)
シーツは最高級のシルクで、肌触りが恐ろしいほど滑らかだ。
窓からは柔らかな朝の光が差し込み、小鳥のさえずりが聞こえる。スラムの湿っぽい朝とはまるで違う、天国のような光景だった。
「……ここは?」
体を起こそうとして、ルカはうめき声を上げた。全身が軋むように痛い。特に腰周りと、背後のうなじが熱を持っていた。
記憶が蘇る。
昨夜の狂乱。クラウスとの結合。そして、生涯消えることのない「番の契約」。
ルカは震える手で自分のうなじに触れた。そこには確かに、歯形が残っていた。
「やってしまった……」
絶望と幸福がないまぜになった複雑な感情が胸を締め付ける。
「目が覚めたか、ルカ」
サイドテーブルの椅子に座っていたクラウスが、心配そうな顔で覗き込んできた。
彼はいつもの騎士服ではなく、リラックスしたシャツ姿だった。その首筋にも、ルカが夢中でつけたひっかき傷やキスマークが残っているのを見て、ルカは顔を真っ赤にした。
「気分はどうだ? 水飲むか?」
クラウスは甲斐甲斐しく水を差し出し、ルカの背中を支えた。その眼差しは、砂糖菓子が溶けるほどに甘い。
「……あぁ。ありがとう」
水を飲み干し、ルカは気まずそうに視線を逸らした。
「あの、昨日のことは……その、薬のせいで……」
「薬のせいだけじゃないだろう?」
クラウスは優しく、しかし確信を持って言った。
「君も私を求めてくれた。違うか?」
「……違わない、けど」
「ならいい。これで君は正式に私の番だ。もう誰にも渡さないし、どこへも行かせない」
クラウスはルカの手を取り、指先にキスをした。
「ここは私の屋敷だ。今日から君はここで暮らすんだ」
「はあ!? 勝手なことを言うな! 俺には店があるし……」
「店なら、部下に命じて整理させてある。必要な道具はすべてこちらの研究室に移したよ」
「なっ……!」
あまりの手回しの良さに、ルカは言葉を失った。これが権力者のやり方か。
「怒らないでくれ。君をあの場所に返したくなかったんだ。あんな危険な目に遭わせたくない」
クラウスの表情が曇る。昨夜の誘拐事件は、彼にとってもトラウマになっているようだ。
「……わかったよ。しばらくは世話になる」
ルカはあきらめてため息をついた。
それからの数日間は、夢のような日々だった。
使用人たちはルカを「未来の公爵夫人」として丁重に扱い、クラウスは公務の合間を縫ってはルカの元へ飛んで帰り、甘やかな時間を過ごした。
美味しい食事、温かい風呂、そして愛する人の腕の中での睡眠。
ルカが幼い頃から夢見ていた「幸せ」そのものが、ここにはあった。
しかし、光が強ければ強いほど、影もまた濃くなる。
ルカの体調は、回復するどころか日に日に悪化していた。
番になったことで精神的な安定は得られたが、長年服用してきた違法な抑制剤の副作用は、すでに内臓を深く蝕んでいたのだ。
特に、夜になると襲ってくる激しい倦怠感と、指先の痺れ。
ルカはそれをクラウスに隠し続けた。
「顔色が悪いな。やはり医者を呼ぼう」
「いや、平気だ。環境が変わって疲れただけだよ」
ルカは笑顔でごまかした。
もし医者に見せれば、ボロボロの体の状態がバレてしまう。余命わずかだと知られれば、クラウスはどうなるだろうか。
彼を悲しませたくない。
せめて、動けなくなるその日まで、彼の隣で笑っていたい。
それがルカの最後の「嘘」だった。
ある晴れた午後、ルカは屋敷の庭園を散歩していた。
色とりどりの花が咲き乱れる美しい庭。クラウスがルカのためにと、わざわざ薬草園まで作ってくれていた。
「馬鹿だな、あいつは……」
ルカは薬草の葉を撫でながら、愛おしさと切なさで胸がいっぱいになった。
この幸せな時間は、砂時計の砂のように刻一刻と落ちていく。
ふと、視界がぐらりと歪んだ。
地面が急激に近づいてくる。
「あ……れ?」
膝から力が抜けた。
呼吸ができない。心臓が早鐘を打ち、冷たい汗が吹き出す。
遠くで、庭師の叫び声が聞こえた気がした。
意識が闇に飲み込まれる直前、ルカの脳裏に浮かんだのは、雨の中で自分を見つけてくれたクラウスの蒼い瞳だった。
(ごめん、クラウス。……賞味期限、きちゃったみたいだ)
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