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第10話「賞味期限の宣告」
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意識が戻ったとき、部屋の中は重苦しい沈黙に包まれていた。
ルカはぼんやりとした頭で、ベッドの周りに数人の人影があるのを認識した。白衣を着た医師らしき老人と、そしてベッドの脇で石像のように固まっているクラウス。
クラウスの顔色は、死人のように蒼白だった。
「……クラウス?」
ルカが掠れた声で呼ぶと、クラウスが弾かれたように顔を上げた。その瞳には、今まで見たこともないほどの恐怖と動揺が浮かんでいた。
「ルカ! 気がついたか!」
クラウスがルカの手を握りしめる。その手は氷のように冷たく、震えていた。
「私だ、わかるか? ここは私の部屋だ」
「ああ……わかるよ。ごめん、倒れちゃったみたいで」
ルカは努めて明るく振る舞おうとしたが、医師の厳格な声がそれを遮った。
「無理をしてはいけません、ルカ様。あなたの体は、今、崖っぷちに立っている状態なのですから」
医師は眼鏡の位置を直し、クラウスに向き直った。
「閣下、先ほどご説明した通りです。この患者の体内には、長期間にわたる劇薬の服用による毒素が蓄積されています。特に肝臓と心肺機能の低下が著しい。これは、通常のスラム街の栄養失調などではありません」
医師の言葉が、死刑宣告のように響く。
「……ルカ、君が飲んでいたあの『抑制剤』のことか?」
クラウスの声は震えていた。怒りではなく、深い悲しみの色を帯びて。
ルカは観念して目を閉じた。
「……そうだよ。あれは、ただの抑制剤じゃない。オメガの機能を根こそぎ殺して、ベータに偽装するための毒薬だ」
「なぜ……なぜそんなものを飲み続けたんだ!」
「生きるためだよ!」
ルカは叫んだ。
「スラムで男のオメガが生きていくのがどういうことか、あんたにわかるか!? レイプされて、売り飛ばされて、ボロ雑巾みたいに死ぬのがオチだ! 俺は自分の尊厳を守りたかった。そのためなら、寿命が縮んだって構わなかったんだ!」
部屋に沈黙が落ちた。
クラウスは痛ましげに顔を歪め、ルカを抱きしめた。
「すまない……。君がそこまで追い詰められていたとは知らずに……私は、のんきに愛を語っていたのか」
「……あんたのせいじゃない」
「それで、先生。治るのか? 金ならいくらでも出す。最高の薬を、最高の魔術師を呼んでもいい」
クラウスは医師にすがりついた。
医師は重く首を横に振った。
「残念ながら、現代の医学では……。解毒は可能ですが、すでに傷ついた臓器を修復するのは困難です。余命は、もってあと半年……早ければ数ヶ月でしょう」
半年。
その言葉が、ルカの胸に突き刺さった。予想はしていたが、改めて数字で突きつけられると、現実味が重くのしかかる。
クラウスの手から力が抜けた。
あの屈強な騎士団長が、子供のように無力に見えた。
「……そんな、嘘だろ……。やっと見つけたのに。やっと、私の腕の中にいるのに」
クラウスの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
それを見て、ルカの心も決壊した。
自分が死ぬことよりも、クラウスをこんな顔にさせてしまったことが何よりも辛かった。
「ごめん……本当に、ごめん……」
二人は抱き合い、泣いた。
その夜、クラウスはルカのベッドの傍を離れなかった。
ルカが眠りについた後も、ずっとその手を握り続けていた。
深夜、ふと目を覚ましたルカは、クラウスが古びた書物を必死に読み漁っている姿を見た。
机の上には、医学書や薬草図鑑、伝説や伝承の本が山積みにされている。
「……クラウス?」
「起こしてしまったか。すまない」
クラウスの目は赤く充血していたが、そこには絶望ではなく、燃えるような執念の光が宿っていた。
「あきらめないぞ、ルカ。私は絶対に君を死なせない」
「でも、医者が……」
「医者がなんだ。運命がなんだ。私は神に逆らってでも君を守る」
クラウスは一冊の本をルカに見せた。
「これを見てくれ。北の果て、万年雪に閉ざされた『銀の森』に咲くという幻の花、『雪月花(せつげつか)』の伝承だ」
そこには、あらゆる毒を浄化し、生命力を活性化させる奇跡の霊薬の原料として、白く輝く花の絵が描かれていた。
「おとぎ話だよ、それは」
「いや、王家の書庫にある記録に、過去に一度だけ採取された記述があった。可能性はゼロじゃない」
クラウスはルカの手を両手で包み込んだ。
「私が採ってくる。必ず見つけ出して、君を治してみせる」
「無理だ! あそこは魔物の巣窟だし、この時期は猛吹雪だぞ。死にに行くようなもんだ!」
ルカは反対した。自分のためにクラウスを失うなんて耐えられない。
「君を失うくらいなら、死んだ方がマシだ」
クラウスはきっぱりと言い放った。
その表情は、かつてないほど真剣で、そして美しかった。
「待っていてくれ、ルカ。君の『賞味期限』なんてふざけた嘘、私が撤回させてやる」
翌朝、クラウスは最小限の装備と、最も信頼できる数名の部下を連れて旅立った。
引き止めるルカに、彼は満面の笑みで「行ってきますのキス」をねだった。
「必ず戻る。雨が止む頃には」
そう言い残して去っていくクラウスの背中を見送りながら、ルカは初めて神に祈った。
どうか、彼を守ってください。
俺の命はどうなってもいいから、あの優しい人を、無事に帰してください、と。
ルカはぼんやりとした頭で、ベッドの周りに数人の人影があるのを認識した。白衣を着た医師らしき老人と、そしてベッドの脇で石像のように固まっているクラウス。
クラウスの顔色は、死人のように蒼白だった。
「……クラウス?」
ルカが掠れた声で呼ぶと、クラウスが弾かれたように顔を上げた。その瞳には、今まで見たこともないほどの恐怖と動揺が浮かんでいた。
「ルカ! 気がついたか!」
クラウスがルカの手を握りしめる。その手は氷のように冷たく、震えていた。
「私だ、わかるか? ここは私の部屋だ」
「ああ……わかるよ。ごめん、倒れちゃったみたいで」
ルカは努めて明るく振る舞おうとしたが、医師の厳格な声がそれを遮った。
「無理をしてはいけません、ルカ様。あなたの体は、今、崖っぷちに立っている状態なのですから」
医師は眼鏡の位置を直し、クラウスに向き直った。
「閣下、先ほどご説明した通りです。この患者の体内には、長期間にわたる劇薬の服用による毒素が蓄積されています。特に肝臓と心肺機能の低下が著しい。これは、通常のスラム街の栄養失調などではありません」
医師の言葉が、死刑宣告のように響く。
「……ルカ、君が飲んでいたあの『抑制剤』のことか?」
クラウスの声は震えていた。怒りではなく、深い悲しみの色を帯びて。
ルカは観念して目を閉じた。
「……そうだよ。あれは、ただの抑制剤じゃない。オメガの機能を根こそぎ殺して、ベータに偽装するための毒薬だ」
「なぜ……なぜそんなものを飲み続けたんだ!」
「生きるためだよ!」
ルカは叫んだ。
「スラムで男のオメガが生きていくのがどういうことか、あんたにわかるか!? レイプされて、売り飛ばされて、ボロ雑巾みたいに死ぬのがオチだ! 俺は自分の尊厳を守りたかった。そのためなら、寿命が縮んだって構わなかったんだ!」
部屋に沈黙が落ちた。
クラウスは痛ましげに顔を歪め、ルカを抱きしめた。
「すまない……。君がそこまで追い詰められていたとは知らずに……私は、のんきに愛を語っていたのか」
「……あんたのせいじゃない」
「それで、先生。治るのか? 金ならいくらでも出す。最高の薬を、最高の魔術師を呼んでもいい」
クラウスは医師にすがりついた。
医師は重く首を横に振った。
「残念ながら、現代の医学では……。解毒は可能ですが、すでに傷ついた臓器を修復するのは困難です。余命は、もってあと半年……早ければ数ヶ月でしょう」
半年。
その言葉が、ルカの胸に突き刺さった。予想はしていたが、改めて数字で突きつけられると、現実味が重くのしかかる。
クラウスの手から力が抜けた。
あの屈強な騎士団長が、子供のように無力に見えた。
「……そんな、嘘だろ……。やっと見つけたのに。やっと、私の腕の中にいるのに」
クラウスの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
それを見て、ルカの心も決壊した。
自分が死ぬことよりも、クラウスをこんな顔にさせてしまったことが何よりも辛かった。
「ごめん……本当に、ごめん……」
二人は抱き合い、泣いた。
その夜、クラウスはルカのベッドの傍を離れなかった。
ルカが眠りについた後も、ずっとその手を握り続けていた。
深夜、ふと目を覚ましたルカは、クラウスが古びた書物を必死に読み漁っている姿を見た。
机の上には、医学書や薬草図鑑、伝説や伝承の本が山積みにされている。
「……クラウス?」
「起こしてしまったか。すまない」
クラウスの目は赤く充血していたが、そこには絶望ではなく、燃えるような執念の光が宿っていた。
「あきらめないぞ、ルカ。私は絶対に君を死なせない」
「でも、医者が……」
「医者がなんだ。運命がなんだ。私は神に逆らってでも君を守る」
クラウスは一冊の本をルカに見せた。
「これを見てくれ。北の果て、万年雪に閉ざされた『銀の森』に咲くという幻の花、『雪月花(せつげつか)』の伝承だ」
そこには、あらゆる毒を浄化し、生命力を活性化させる奇跡の霊薬の原料として、白く輝く花の絵が描かれていた。
「おとぎ話だよ、それは」
「いや、王家の書庫にある記録に、過去に一度だけ採取された記述があった。可能性はゼロじゃない」
クラウスはルカの手を両手で包み込んだ。
「私が採ってくる。必ず見つけ出して、君を治してみせる」
「無理だ! あそこは魔物の巣窟だし、この時期は猛吹雪だぞ。死にに行くようなもんだ!」
ルカは反対した。自分のためにクラウスを失うなんて耐えられない。
「君を失うくらいなら、死んだ方がマシだ」
クラウスはきっぱりと言い放った。
その表情は、かつてないほど真剣で、そして美しかった。
「待っていてくれ、ルカ。君の『賞味期限』なんてふざけた嘘、私が撤回させてやる」
翌朝、クラウスは最小限の装備と、最も信頼できる数名の部下を連れて旅立った。
引き止めるルカに、彼は満面の笑みで「行ってきますのキス」をねだった。
「必ず戻る。雨が止む頃には」
そう言い残して去っていくクラウスの背中を見送りながら、ルカは初めて神に祈った。
どうか、彼を守ってください。
俺の命はどうなってもいいから、あの優しい人を、無事に帰してください、と。
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