5 / 15
第4話「心の萌芽」
しおりを挟む
リアムから紫紺の宝石があしらわれたブレスレットを贈られて以来、エールの日常に微かな変化が訪れた。
彼は、一日に何度も手首のそれを眺めるようになった。陽光に当たってきらりと光る宝石は、まるでリアムの瞳の色のようだった。それを見るたび、エールの胸の奥で、今まで感じたことのない、くすぐったいような、温かいような感覚が生まれるのを不思議に思っていた。
それは、まだ名前のつけられない、小さな感情の芽生えだった。
リアムもまた、エールの些細な変化に気づいていた。
夜、彼を抱くとき、以前は微動だにしなかったエールの身体が、リアムの指が触れるたびに、かすかに小さく震えるようになった。リアムが彼の名を呼ぶと、その肩がかすかに強張る。それは拒絶ではなく、むしろ戸惑いと緊張の色を帯びていた。
リアムは、その反応の一つ一つを、まるで貴重な発見のように楽しんでいた。硬い蕾が、少しずつ綻びを見せる様を観察しているかのようだった。
そして、その観察は次第に、リアムの独占欲を煽る結果となった。
ある日、リアムが離宮を訪れると、若い侍従がエールに薬湯を運んでいるところに遭遇した。
「エール様、お身体を温める薬湯でございます」
侍従は恭しく盆を差し出しながら、わずかに頬を染めてエールを見つめていた。エールの人形めいた美しさは、たとえ相手が感情のない存在だとわかっていても、見る者を惹きつけてしまう魔力があった。
エールは無表情のまま薬湯を受け取ろうと手を伸ばした。
その瞬間、凍てつくような声が響いた。
「誰の許しを得て、それに触れようとしている」
侍従は悲鳴を上げんばかりに飛び上がり、その場に平伏した。リアムが、音もなく背後に立っていたのだ。その紫紺の瞳は、絶対零度の光を宿し、侍従を射抜いていた。
「こ、皇帝陛下! も、申し訳ございません!」
「エールの身の回りの世話は、侍従長以外には私が許していないはずだが」
「は、はい! ですが、侍従長が急な腹痛で…私が代理で…」
「言い訳は聞かぬ。下がれ。二度とエールの前に顔を見せるな」
冷酷な宣告に、侍従は顔面蒼白になりながら、震える足でその場を逃げ去った。
リアムは、侍従が置いていった盆を一瞥すると、それを足で蹴り飛ばした。陶器の器が床に落ちて甲高い音を立てて砕け、湯気の立つ薬湯が床に広がった。
エールは、その一連の出来事を、ただ黙って見ていた。その瑠璃色の瞳が、わずかに揺れている。
リアムはエールに向き直り、彼の細い腕を掴んだ。
「お前は、私が与えるもの以外、口にしてはならない。私が触れること以外、誰にも身体を許してはならない。わかったか」
「…はい」
「返事だけでは足りぬ。理解したかと聞いている」
リアムはエールの顎を掴み、無理やり顔を上向かせた。その瞳の奥には、燃え盛るような嫉妬の炎が揺らめいていた。
エールは、リアムの瞳に映る激しい感情に、初めて「怖い」という感覚を覚えた。心臓が早鐘を打ち、呼吸が浅くなる。それと同時に、自分以外の者に向けられたリアムの敵意に、胸の奥がちりりと痛むような、奇妙な感覚も覚えていた。
「…理解、いたしました」
かろうじて絞り出した声は、わずかに震えていた。
その震えに満足したかのように、リアムはふっと表情を和らげ、エールの頬を優しく撫でた。先程までの激情が嘘のような、穏やかな手つき。
「それでいい。お前は、私のものなのだから」
その言葉は、まるで呪詛のように甘く響いた。
リアムは、砕けた器の残骸には目もくれず、エールを抱きかかえると、寝室へと向かった。
その夜の交わりは、いつもよりずっと激しく、執拗だった。リアムは、まるでエールの身体に自分の所有印を刻みつけるかのように、何度も彼を求めた。エールは、リアムの独占欲の奔流にただ身を任せるしかなかった。
だが、その夜、エールは初めてリアムに抱かれながら、涙を流した。
それは、痛みや恐怖からではなかった。リアムの激しい腕の中で、なぜか胸が締め付けられるように苦しく、そして同時に、満たされるような温かさを感じたからだ。
相反する感情の嵐に、エールの心は混乱していた。
リアムは、エールの頬を伝う涙に気づくと、動きを止めた。彼は驚いたように目を見開き、そっとその涙を指で拭った。
「…なぜ、泣く」
「…わかりません」
エールは、しゃくりあげながら答えた。
「胸が、おかしいのです。痛いような、でも、温かいような…」
その言葉を聞いたリアムは、しばらく黙り込んだ後、壊れ物を抱くように、そっとエールを胸に抱き寄せた。
「…そうか」
リアムは、それ以上何も言わなかった。ただ、いつもよりずっと優しく、エールの銀の髪を撫で続けた。
エールの心に芽生えた小さな芽は、リアムという太陽の、あまりに強すぎる光と熱を受けて、歪ながらも確かに成長を始めていた。喜びも、悲しみも、嫉妬も、愛しさも、まだ何も知らない純粋な心。
その心が、これからどんな花を咲かせるのか。
リアムは、そのすべてを自分だけのものにしたいと、暗い欲望と共に強く願っていた。
彼は、一日に何度も手首のそれを眺めるようになった。陽光に当たってきらりと光る宝石は、まるでリアムの瞳の色のようだった。それを見るたび、エールの胸の奥で、今まで感じたことのない、くすぐったいような、温かいような感覚が生まれるのを不思議に思っていた。
それは、まだ名前のつけられない、小さな感情の芽生えだった。
リアムもまた、エールの些細な変化に気づいていた。
夜、彼を抱くとき、以前は微動だにしなかったエールの身体が、リアムの指が触れるたびに、かすかに小さく震えるようになった。リアムが彼の名を呼ぶと、その肩がかすかに強張る。それは拒絶ではなく、むしろ戸惑いと緊張の色を帯びていた。
リアムは、その反応の一つ一つを、まるで貴重な発見のように楽しんでいた。硬い蕾が、少しずつ綻びを見せる様を観察しているかのようだった。
そして、その観察は次第に、リアムの独占欲を煽る結果となった。
ある日、リアムが離宮を訪れると、若い侍従がエールに薬湯を運んでいるところに遭遇した。
「エール様、お身体を温める薬湯でございます」
侍従は恭しく盆を差し出しながら、わずかに頬を染めてエールを見つめていた。エールの人形めいた美しさは、たとえ相手が感情のない存在だとわかっていても、見る者を惹きつけてしまう魔力があった。
エールは無表情のまま薬湯を受け取ろうと手を伸ばした。
その瞬間、凍てつくような声が響いた。
「誰の許しを得て、それに触れようとしている」
侍従は悲鳴を上げんばかりに飛び上がり、その場に平伏した。リアムが、音もなく背後に立っていたのだ。その紫紺の瞳は、絶対零度の光を宿し、侍従を射抜いていた。
「こ、皇帝陛下! も、申し訳ございません!」
「エールの身の回りの世話は、侍従長以外には私が許していないはずだが」
「は、はい! ですが、侍従長が急な腹痛で…私が代理で…」
「言い訳は聞かぬ。下がれ。二度とエールの前に顔を見せるな」
冷酷な宣告に、侍従は顔面蒼白になりながら、震える足でその場を逃げ去った。
リアムは、侍従が置いていった盆を一瞥すると、それを足で蹴り飛ばした。陶器の器が床に落ちて甲高い音を立てて砕け、湯気の立つ薬湯が床に広がった。
エールは、その一連の出来事を、ただ黙って見ていた。その瑠璃色の瞳が、わずかに揺れている。
リアムはエールに向き直り、彼の細い腕を掴んだ。
「お前は、私が与えるもの以外、口にしてはならない。私が触れること以外、誰にも身体を許してはならない。わかったか」
「…はい」
「返事だけでは足りぬ。理解したかと聞いている」
リアムはエールの顎を掴み、無理やり顔を上向かせた。その瞳の奥には、燃え盛るような嫉妬の炎が揺らめいていた。
エールは、リアムの瞳に映る激しい感情に、初めて「怖い」という感覚を覚えた。心臓が早鐘を打ち、呼吸が浅くなる。それと同時に、自分以外の者に向けられたリアムの敵意に、胸の奥がちりりと痛むような、奇妙な感覚も覚えていた。
「…理解、いたしました」
かろうじて絞り出した声は、わずかに震えていた。
その震えに満足したかのように、リアムはふっと表情を和らげ、エールの頬を優しく撫でた。先程までの激情が嘘のような、穏やかな手つき。
「それでいい。お前は、私のものなのだから」
その言葉は、まるで呪詛のように甘く響いた。
リアムは、砕けた器の残骸には目もくれず、エールを抱きかかえると、寝室へと向かった。
その夜の交わりは、いつもよりずっと激しく、執拗だった。リアムは、まるでエールの身体に自分の所有印を刻みつけるかのように、何度も彼を求めた。エールは、リアムの独占欲の奔流にただ身を任せるしかなかった。
だが、その夜、エールは初めてリアムに抱かれながら、涙を流した。
それは、痛みや恐怖からではなかった。リアムの激しい腕の中で、なぜか胸が締め付けられるように苦しく、そして同時に、満たされるような温かさを感じたからだ。
相反する感情の嵐に、エールの心は混乱していた。
リアムは、エールの頬を伝う涙に気づくと、動きを止めた。彼は驚いたように目を見開き、そっとその涙を指で拭った。
「…なぜ、泣く」
「…わかりません」
エールは、しゃくりあげながら答えた。
「胸が、おかしいのです。痛いような、でも、温かいような…」
その言葉を聞いたリアムは、しばらく黙り込んだ後、壊れ物を抱くように、そっとエールを胸に抱き寄せた。
「…そうか」
リアムは、それ以上何も言わなかった。ただ、いつもよりずっと優しく、エールの銀の髪を撫で続けた。
エールの心に芽生えた小さな芽は、リアムという太陽の、あまりに強すぎる光と熱を受けて、歪ながらも確かに成長を始めていた。喜びも、悲しみも、嫉妬も、愛しさも、まだ何も知らない純粋な心。
その心が、これからどんな花を咲かせるのか。
リアムは、そのすべてを自分だけのものにしたいと、暗い欲望と共に強く願っていた。
1
あなたにおすすめの小説
貧乏子爵のオメガ令息は、王子妃候補になりたくない
こたま
BL
山あいの田舎で、子爵とは名ばかりの殆ど農家な仲良し一家で育ったラリー。男オメガで貧乏子爵。このまま実家で生きていくつもりであったが。王から未婚の貴族オメガにはすべからく王子妃候補の選定のため王宮に集うようお達しが出た。行きたくないしお金も無い。辞退するよう手紙を書いたのに、近くに遠征している騎士団が帰る時、迎えに行って一緒に連れていくと連絡があった。断れないの?高貴なお嬢様にイジメられない?不安だらけのラリーを迎えに来たのは美丈夫な騎士のニールだった。
殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?
krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」
突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。
なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!?
全力すれ違いラブコメファンタジーBL!
支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。
ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました
あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」
完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け
可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…?
攻め:ヴィクター・ローレンツ
受け:リアム・グレイソン
弟:リチャード・グレイソン
pixivにも投稿しています。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
娼館で死んだΩですが、竜帝の溺愛皇妃やってます
めがねあざらし
BL
死に場所は、薄暗い娼館の片隅だった。奪われ、弄ばれ、捨てられた運命の果て。けれど目覚めたのは、まだ“すべてが起きる前”の過去だった。
王国の檻に囚われながらも、静かに抗い続けた日々。その中で出会った“彼”が、冷え切った運命に、初めて温もりを灯す。
運命を塗り替えるために歩み始めた、険しくも孤独な道の先。そこで待っていたのは、金の瞳を持つ竜帝——
「お前を、誰にも渡すつもりはない」
溺愛、独占、そしてトラヴィスの宮廷に渦巻く陰謀と政敵たち。死に戻ったΩは、今度こそ自分自身を救うため、皇妃として“未来”を手繰り寄せる。
愛され、試され、それでも生き抜くために——第二章、ここに開幕。
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
【完結済】極上アルファを嵌めた俺の話
降魔 鬼灯
BL
ピアニスト志望の悠理は子供の頃、仲の良かったアルファの東郷司にコンクールで敗北した。
両親を早くに亡くしその借金の返済が迫っている悠理にとって未成年最後のこのコンクールの賞金を得る事がラストチャンスだった。
しかし、司に敗北した悠理ははオメガ専用の娼館にいくより他なくなってしまう。
コンサート入賞者を招いたパーティーで司に想い人がいることを知った悠理は地味な自分がオメガだとバレていない事を利用して司を嵌めて慰謝料を奪おうと計画するが……。
いい加減観念して結婚してください
彩根梨愛
BL
平凡なオメガが成り行きで決まった婚約解消予定のアルファに結婚を迫られる話
元々ショートショートでしたが、続編を書きましたので短編になりました。
2025/05/05時点でBL18位ありがとうございます。
作者自身驚いていますが、お楽しみ頂き光栄です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる