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17. 想いよ、伝われ
しおりを挟む私が演奏を始めると、そこかしこで「この曲は……」なんて声が聞こえてきた。
ここにいる大半の生徒はきっと、ミハイル殿下の演奏を聴いたことがあるのだろう。
(いいなぁ……)
私なんて五年も婚約者をやっていたのに、一度だって殿下のピアノを聴いたことがない。
~~~~~~~~~~
君に聴かせてあげることは出来なかったけれど、この想いが届くといいな。
『祝福の歌』(変イ長調)
~~~~~~~~~~
この『祝福の歌』という曲は私の先生のレパートリーだったから、何度も聴いたことがあった。そして副題についてもさらりと聞かされていた。
(想いってそういうことよね?)
だから殿下のお手紙を読んだ時、「逢いたい」と言われたようで天にも昇る気持ちになった。
それから自分も、この「祝福の歌」を弾いてみたくなった。
この曲は、全体的に明るく穏やかな印象を受ける。ゆっくりとしたテンポで耳馴染みのよいメロディが何度も繰り返されるので、わりと弾きやすそうに感じるのだが、そこに騙されてはいけない。
実際に弾いてみると、右手と左手とが複雑に重なり合って、主旋律を際立たせるのがとっても難しかった。
(けれど、ミハイル殿下のあの大きな手なら……)
私の手は小さいから、メロディーが途切れないようたくさん練習した。
なんだったら、この一年こればかり弾いていたと言ってもいいくらいに。
練習だけでなく、この曲の副題『あなたに逢いたい』が一体どこから来ているのか、それについてもちゃんと調べてみた。
そしてわかったこと。
『あ・い・た・い』
『あ・い・た・い』
『あ・い・た・い』
繰り返される主題に隠された、この暗号のようなメッセージ。
音を文字表記することにより浮かび上がってくるそれは、作曲家が胸に秘めていた想いではないかと言われている。
殿下もここで、このピアノを弾きながら「逢いたい」と、私を想ってくださったのだろうか。
(ああ、泣いてしまいそう……)
この椅子に殿下も腰掛けていらっしゃった、そう考えるだけで私の胸はずっと高鳴っている。
それに殿下が弾いて以来、誰も弾いていないだなんて。
(一音たりとも弾き損じるわけにはいかないわ)
現在、私の身に起きている入れ替わりという不可思議な現象はとても受け入れ難いことだ。
けれど、今この瞬間だけは満ち足りていた。
四年間の文通で、殿下から直接的なお言葉を頂いたことは一度もなかった。
卒業間近の、あのお手紙が唯一それっぽい表現を含んでいたように思う。
実は私からは数度、お手紙に想いを乗せたことがある。
それに対して、殿下からのお返事は頂けなかったけれど。
社交辞令として受け取られたのかもしれないし、私の気持ち自体が迷惑だったのかもと悩んだ時期もあった。
その後も、殿下との文通は何事もなかったかのように続いた。
殿下のお心が知りたかったけれど、それ以上手紙で何かを伝える気になれなかった。
だから私は決めた。殿下に想いを伝えるのは直接会った時にしようと。
でも、結婚式までの顔合わせはたったの三度だ。まだお名前すら呼べない私に、告白なんて大胆な行動がとれるはずもなかった。
そうして迎えた結婚式。
(あの夜、私はちゃんと言えたのかしら……)
気になったけれど、頭痛が来る前にサッと思考を切り替えた。
曲は今、まさにクライマックスを迎えている。
低音から高音へと忙しなく移動する主旋律。私はそこに自分の感情を乗せながら、一音一音丁寧に、ロマンティックに響かせていった。
『あ・い・た・い』
『あ・い・た・い』
『あ・い・た・い』
フェリハの振りとか、ジェム皇太子のこととか、余計なことは考えたくなかった。
今この瞬間、私はただミハイル殿下に逢いたくて、切なさで胸が張り裂けそうだった。
「うぅ……」
堪えきれなくなった想いが、涙となって次々と溢れ出す。
演奏は少しずつ終わりに近づいていった。
この曲は「祝福の歌」だ。
大切な人の門出を祝う曲として作られたらしいが、私が終盤、弾きながらいつもイメージするのは穏やかな海と一隻の船だった。
(星月夜にはどうか、殿下の隣に立てますように……)
そんなことを願いながら、私は最後の一音まで優しく鍵盤を撫でるように弾ききった。
鍵盤から離した両手で、そのまま胸元の指輪に触れる。
周りは異様に静まり返っていた。
ふぅと大きく息を吐いた後、空を見上げた私はそのまま固まってしまった。
なぜならここ円形ステージの真上に、サブリエのポムポムピアノと私の姿が大画面で映し出されていたのだから。
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