天使様の愛し子

東雲

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フォルセの果実

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バサリと響いた音に振り返れば、星明かりの夜空を背景に広がる、真っ白な翼が見えた。
淡く発光しているようにも見える輝く白は美しく、現状も忘れて見惚れた。


「アドニス様!!」
「……エルダ…?」

ザザッとやや乱暴な音を立てて地面に着地したエルダの表情は強張り、少しだけ息が上がっていた。

(…エルダ? なんで、ここに…)

勝手に部屋を抜け出したことを忘れた訳ではないのに、不思議なほどに気持ちは凪いでいた。
焦りも戸惑いもなく、何故エルダが今ここにいるのか、イヴァニエの元に帰っていたのではないのか、そんな疑問が浮かぶだけだった。

「……アドニス様、どちらへ行かれるのですか」

問い掛けているのに、その問いには目に見えない『答え』が含まれているのが分かった。
僅かに険のある静かな声音に、胸が竦んだが、驚くほど気持ちは静かなままだった。

(……ダメだ。エルダはここにいちゃ、ダメ…)


自分が外に出たこと───それをエルダに知られたらダメなのだ。


知らなければ、エルダの知らないところで自分が勝手に行動したことなら、「なぜ止めなかった」「なぜ逃がした」と、エルダが責められるようなことにはならないはず…だからこそ、エルダは知らないままでなければいけなかった。

「……エルダ、どうしたの? 寝てる時間、でしょう?」
「…ッ」

エルダが小さく息を呑んだのが分かった。

「…、…アドニス様も、お休みになるお時間です」
「…昼間、いっぱい寝たから…大丈夫だよ」
「…アドニス様、帰りましょう。今夜はずっと、お側にいますから…!」
「………」

必死な面持ちのエルダを前にしても、心は凪いだままで、本当に自分はどこか壊れてしまったのだろうかと、頭の片隅でぼんやりと思った。

「……エルダは、寝てるでしょう?」
「…え…?」

(…そう…エルダは…本当は寝てる時間だから……)

エルダは寝てるから、何も見ていない。
何も知らない───そうでなければ、いけないのだと、胸が軋む音を遠くに聞きながら、少しだけ笑ってみせた。

「エルダは、寝てるから…ここにいないよ」
「アドニス様…? なにを…」
「…寝てるから…エルダは、なんにも知らないよ」
「…!?」

言葉の意味が伝わったのか、大きな瞳が更に大きく見開かれた。

「アドニス様…!!」
「…おやすみ、エルダ」
「ッ…!」

(…泣くな)

「おやすみ」と口にした途端、涙が滲みそうになったが、歯を食いしばって耐えた。

(…自分のせいだ)

自分が作り出した今のせいで泣くなんて、おかしな話だ。
泣く権利などないのだと、深く息を吸い込むと、目の前で茫然と立つエルダにもう一度微笑んだ。

「……おやすみなさい」

それだけ言うと、くるりと踵を返した。
息が苦しくて、今にも涙が零れそうだったが、胸に渦巻く感情は複雑で、自分が何を感じているのかもよく分からなくなっていた。

(……酷いこと、言っちゃった)

どうしてエルダが此処にいるのかは分からなかったが、馬鹿な自分でも、己の身を案じて駆けつけて来てくれたことぐらいは分かる。
本当に馬鹿だ…そう思いながら足を踏み出せば、背後で羽ばたく音がした。
何、と振り返る暇もなく、自分の体を飛び越したエルダが、まるで行く手を阻むかのように、目の前に降り立ち、両手を広げた。

「……いけません。アドニス様、お戻り下さい」

今にも泣き出しそうな潤んだ翠色の瞳に、ギュウッと胸が締め付けられ、吐く息は浅くなった。

「お願いです、アドニス様。どうかお戻り下さい。ご不安も、ご心配も、私にお話しして下さいませ。きっとお力になってみせますから…!」

(……エルダは、いつもいっぱいお話しを聞いて、いつもいっぱい…心配してくれた…)

きっと今回だって…でも、自分が今抱いている不安の真ん中にいるのはエルダ達のことなのだ。

(…嫌われるのが怖いなんて…言えないよ…)

「嫌わないでほしい」なんて、自分がどんな存在かも分からないのに、相手の感情を縛り付けることなんて出来ない。言えやしない。

好きだからこそ、側にいたい。
好きだからこそ、傷つける前にいなくなりたい。
好きだからこそ、傷つく前にいなくなりたい…

相反した感情に視界が歪んだが、涙は零すまいと、細く、長く、息を吸った。

(……逃げ出したのは、エルダのせいじゃないよ)

両腕を広げたまま立つエルダを見つめながら、そっと足を動かした。

「…ッ」

途端にエルダの体が強張ったが、その場から動こうとはしなかった。

「アド───」



ほんの数歩で縮まった距離、何か言おうと口を開いたエルダの目の前まで近づくと、少年の細い体を、両腕でキツく抱き締めた。



「───」

(……小っちゃい…)

華奢な身体付きだと知っていたのに、初めて抱き締めた体は自分が思っていたよりもずっと細くて、柔らかくて、こんなに小さな体で、今までずっと自分のことを守ってきてくれたのだと思ったら、自分の愚かさに憤りすら感じて、また涙が出そうになった。

(泣くな…!)

きっと、泣くことだって許されないのだ。
受けた恩を、優しさを、彼の心も無駄にする自分が泣いていいはずがない。
ただ今は、溢れる感情を言葉に乗せ、彼への想いだけを口にした。


「…好きだよ」
「…ッ!」

抱き締めた腕の中、エルダの体が僅かに跳ねたのが分かった。

「大好き……大好きだよ、エルダ」

「大好き」と繰り返しながら、細い体を抱き締める腕に力を込める。

「大好き…、大好き……大好きだよ。…ごめんね……ごめ…ね…っ」

声が震えそうになるのを、唇を噛んで堪えた。
「大好き」と言葉にするたび、愛しいという感情が湧いて止まらなくなるのだ。
それと同時に、寂しさと悲しさが込み上げて、どうして今こうしているのかも分からなくなる。

「ごめんね……ありがとう…いっぱい……いっぱい、たくさん…ありがとう、エルダ」

───いつか、遠くなった記憶が蘇る。
ずっと独りで過ごしていた部屋に、ある日突然現れたエルダ。
最初の頃は、側にいるだけで怖くて、申し訳なくて、ただ遠ざけようとしていた。
それが、赤ん坊達からの花の贈り物をキッカケに関係が変わって行き、エルダに抱く感情も変わっていった。

笑ってくれるようになった。
手を繋いでくれるようになった。
いつだって、側にいてくれた。

ただ言葉を交わすこと…たったそれだけのことがどれほど嬉しく、幸せだったか───その想いを伝えたいのに、気持ちばかりが膨れるだけで、上手く言葉が出てこなかった。

「大好きだよ、エルダ。…大好き…ずっと、ずっと、大好きだよ……ありがとう、エルダ」

顎を引けば、ふわふわとしたエルダの髪が目下で揺れていた。
今まで、軽く触れたことしかなかった柔らかな毛先に唇を近づけると、小さな天使達に贈るのと同じように、額近くにキスをした。

チュ…と、小さく響いたリップ音が、やけに大きく聞こえる。
そのままゆっくりと体を引けば、俯いたままのエルダと、項垂れるように垂れた両腕が見えた。

「……おやすみ、エルダ」

別れの言葉なんて言えない。言える訳がない。
細い体を包んでいた腕を解くと、立ち尽くすエルダの横をゆっくりとすり抜けた。

(……本当に、嫌われちゃったかな…)

エルダに背を向け、一歩、二歩と足を進めながら、零れそうになる涙をグッと堪えた。
あんなに心配して来てくれたのに、泣きそうな顔をしていたのに、側にいてくれると言ったのに───その全部を拒絶した自分がとても嫌な生き物に思えて仕方なかった。

それでも、転がるように動き出してしまった足を止めることが出来なくて、機械的に左右の足は交互に前へ前へと進んで行く。

(……ちゃんと、休んでくれるかな)

エルダだって、この数日は気を揉んでいたはず…そこまで考えて、はたと自分が眠っていたという一月の間、エルダがどう過ごしていたのか聞いていなかったことを思い出し、早くも後悔が滲んだ。

(自分のことばっかりだ……)

何度後悔しても、自分のことしか考えられない…湧き上がる自己嫌悪に、涙を堪えるあまり喉の奥が痛くなったが、強く奥歯を噛み締めた。

(…好きって、言えたけど……もしかしたら…)


───それも、迷惑だったかな…


じわじわと侵食していく重い感情に、歩みが止まりそうになった時だった。




パタパタ…と、耳に馴染む小さな羽音が背後から聞こえ、ハッと顔を上げた。

(…あの子達?)

まさか、戻ってきたのだろうか?
あり得ないとは言い切れない考えが頭を過り、反射的に振り返った。

バッと振り返った先、そこには予想していた通り、一人の赤ん坊の天使がいた。





透き通るような白い肌に、ふわふわとした白に近い金の髪、そして───水気を帯びたエメラルド色の綺麗な瞳。


「…………え…?」


に、思考が止まった。





小さな小さな赤ん坊の天使───その子が羽ばたいていた場所は、つい先ほどまで、エルダが立っていた場所だった。










「…………エル、ダ…?」

まさか…と思いながら、口からはポツリと彼の名が零れた。















(………え……え…?)

直前まで抱いていた不安も忘れ、ポカンとしたままふよふよと浮いている純天使赤ん坊を見つめる。

どう見てもエルダには見えないのに、どう見ても赤ん坊なのに、何故かそこにいるのは『エルダ』だと、脳は認識していた。
一瞬とも数十秒とも思える間、停止した思考と体のまま固まっていると、赤ん坊の姿をしたエルダがパタパタと小さな羽を動かし、一直線にこちらに飛んできた。

「…!」

驚いている間に互いの距離は一気に縮み、体は反射的に向かってくる小さな体を受け止めようと腕を広げていた。

「っ…」

ポスッという軽い衝撃と共に、温かくて柔らかな体が腕の中に収まる。
僅かに足元が蹌踉めいたが、胸元にしがみつく体を落とさぬ様に、両腕はしっかりと小さな体を抱き締めていた。

「…エ……エルダ…?」

不思議と、この幼い天使がエルダだという確信があった。
それでも頭は混乱していて、確認するように恐る恐る彼の名前を呼んだ。

(……あ)

胸元にしがみついていたエルダが、ゆっくりと顔を上げる。
その顔はくしゃくしゃに歪み、綺麗なエメラルドの瞳には、今にも零れそうなほどの厚い涙の膜が張っていた。


泣く───そう思った瞬間、翠色の瞳からはボタボタと大粒の涙が零れ落ち、頬は真っ赤に染まった。


「…っ、ああぁあぁぁっ!」
「あ、あ、うそ…っ、エルダ…!」

いつもの物静かなエルダからは想像もできないほどの大きな泣き声に、驚きと動揺と焦りが一挙に押し寄せる。
大きな瞳から零れ落ちる涙で頬は濡れ、ポタポタと落ちる雫が自身の服をも濡らした。

「あぁあぁぁ…っ、ひっ、ああぁぁっ!」
「ごめん…! ごめんね…っ、ごめんねエルダ…!」

混乱した頭で、それでもがむしゃらに小さな体を抱き締めると、泣かせてしまったことを何度も何度も謝った。

「ああぁぁぁっ、ぁあぁあぁあぁ…っ!」
「ごめん、ごめんね…ごめんね…、…ごめんね…っ」

静かな夜を裂くような泣き声は痛々しくて、悲しくて、胸が詰まった。
小さな体を抱き込むようにその場に蹲ると、泣き声の振動が伝わる滑らかな背を必死に撫でた。
それと同時に、ずっとモヤが掛かったようにぼんやりとしていた頭がスゥッと冴えていくのが分かった。
霧が晴れていくような感覚の中で、はたとあることに気づいた。


(……自分だけが、寂しいんじゃない……)


どうして、そんな当たり前のことに気づけなかったのだろう。

命の湖に還るのは、与えられた生に満足し、楽しかったと心が満ちたりたから…だから天使達にとって、それは悲しいことではないと教えられた。
だからこそ、自分ばかりが寂しいと、皆と離れるのが悲しいと、そう思っていた。
だが震えるエルダの体からは、「寂しい」「悲しい」「行かないで」という気持ちが、痛いほど伝わってきた。

好きだから離れたくない───そう思うのは自分だけだと、ずっとずっとエルダと一緒にいて、どうしてそう思えたのだろう。

(…ああ、本当になんで……)

エルダのことが大事だった。大切だった。大好きだった。

それと同じくらい、エルダも自分のことを想ってくれていると知っていたのに、だからこそ必死に引き留めようとしてくれたのに…どうして寂しくなるのは自分だけだなんて、薄情なことが思えたのだろう。


「あぁあぁぁ…っ、ッ…、…けふっ…ああぁぁ!」
「エルダ……エルダ、エルダ…! ごめんね…!」

エルダの泣き声につられるように、我慢していた涙が、堰を切ったように溢れた。

「ごめんね…っ、悲しい、気持ちにさせて…、ごめんね…!」
「ひっ…っ、あぁぁ…ああぁぁ…っ」
「ごめんね、エルダ…、嫌な、気持ちにさせちゃって、ごめんね…っ」

手の平にすっぽりと収まる丸い頭を胸元に引き寄せ、小さな体全部を包むように抱き締めれば、エルダが声を上げて泣くたび、熱い息が、服一枚隔てた肌に当たった。

「あぅぁぁっ…、あぁぁ…!」
「ごめんね……ごめんなさい…!」

泣き続けるエルダの小さな手は、自身の服をギュッと掴んでいた。
離すまい、離れまいとするその拳が愛らしくて、愛しくて…後悔と共に、喜びにも似た感情が溢れ出し、後から後から涙が零れた。


自分がいなくなることを悲しんで、泣いてくれる人がいる───幸せと呼ぶには苦しく、嬉しいと感じるには切ない気持ちで、胸がいっぱいになった。


「大好き……大好きだよ、エルダ…! 勝手に、いなくなっちゃ…て、ごめんね…っ」

それ以上の言葉が出てこなくて、小さなエルダの体を目一杯抱き締めた。
ふわふわと揺れる柔らかな髪に鼻先を埋めると、赤ん坊の甘い匂いのする頭部に啄むようなキスを何度も贈り、想うままの気持ちを伝えた。

「大好きだよ、エルダ……大好き…いっぱい、いっぱい、大好きだよ…」
「あぅぅぅ…っ」

少しずつ弱くなり始めた泣き声に安堵しながら、ぐずり続けるエルダの柔らかな体を、離れぬようにずっと抱き締め続けた。





ふにゃふにゃと泣き続けるエルダをあやすように、手の平ほどの小さな背をトントンと優しく叩きながら過ごして、どれほど時間が経っただろう。
静寂が戻ってきた星空の下、その場に座ってゆらゆらと体を揺らしていると、腕の中で丸まっていたエルダがもぞりと動いた。

「……エルダ?」

俯いたまま動かないその顔を覗き込めば、耳まで真っ赤に染め、くちゃくちゃになった可愛らしい顔が見えた。

「…いっぱい泣かせちゃったね」
「んん…っ」
「あ、まって…」

丸い頬がびしょびしょに濡れるほど泣いた痕を拭うように、小さな拳でぐしぐしと目元を擦る手をやんわりと止めた。
肘近くまで手の中に収まってしまいそうな、ぷにぷにと柔らかな小さな小さな手。その手を除けると、頬に残る涙の痕を指先でそっと拭った。

「ごめんね…エルダみたいに、拭く物、持ってなくて…」
「…んぅ」
「ふふ…いつもと逆だね」

いつもはエルダが、泣いてばかりの自分の涙を拭ってくれていた…そう思ったら、自然と笑いが零れた。
手も頬も頭も、全部が小さくて柔らかな体のエルダは、どう見ても赤ん坊あの子達と同じで、でもエルダだと分かるのがとても不思議な感じだった。
そうしている間にも、頭は少しずつ冷静さを取り戻し、気持ちは少しずつ固まり始めた。


(……逃げちゃ、ダメなんだ)

何もかも怖くなって逃げだしたが、それが一番いけないことなのだと、今なら分かる。

(ちゃんと…向き合わなきゃ、ダメなんだ)

怖くないと言ったら嘘になる。
でも、このままいなくなったら、全部有耶無耶になってしまう。
たくさん泣いて、妙にスッキリとした胸には、現実と向き合おうという勇気と、気力が少しだけ湧いていた。

(逃げるんじゃなくて…もし…もしも、自分がみんなに嫌われるような…元の自分になっちゃったら……その時は、嫌われちゃう前に…みんなに嫌なことをしちゃう前に…命の湖に還して下さいって、お願いしよう)

この先をどう生きるかは自分次第───ならば、自分の願いも聞き入れてもらえるかもしれない。

未来に不安がない訳じゃない。
どう在りたいかなんて未だに分からない。
それでも、エルダやイヴァニエやルカーシュカ、小さな天使達…大好きな彼らと共に在りたいという、祈りにも似た願いがあるのだ。

(……バルドル様と、お話ししなきゃ…)

望む願いを伝える為にも、バルドル神と言葉を交わし、自分自身のことを知らなければいけない。

その上で、自分にとって一番悲しい未来を避けられるように、先に自身の望みを伝えておけば、もしもの時、例え遠回りにはなっても『命の湖に還りたい』という願いは叶うはずだ。

(…ちゃんと、お話しをしよう)

今までだって、そうしてきたはずだ。
自分のことを知って、何を望むのかを伝えて、何が悲しいのかを伝えて…そうしてからでも、命の湖に還るのは遅くない気がした。
落ち着いて考えれば随分と簡単なことが、先ほどまでの自分には、どうしても考えられなかった。
思考が鈍り、視野が狭まり、衝動と暴走で浮かされていた熱が、急速に覚めていくのが分かった。

(……イヴァニエ様とルカーシュカ様にも、謝らなきゃ…)

たくさん心配してくれた。
その気持ちを理解しているつもりで、まったく理解していなかった。
嘘ばかり重ねてしまった愚かさに、持ち直し始めた気持ちがまた沈んだが、不安を払うようにフルフルとかぶりを振った。

(…いっぱい…いっぱい、謝ろう)

怒られても、許してもらえなくても、誠心誠意謝ろう。
そうして、直前までずっと、自分のことを案じてくれていたことへの感謝と、自分の想いも伝えよう。
そう心に決め、深く深呼吸をすると、ゆっくりと立ち上がった。


「………帰ろっか」


ポツリと呟けば、腕に抱いたままのエルダがこちらを見上げた。

「……帰ろう」

本当は、まだ怖い。
でもこのまま何も告げず、勝手にいなくなるという選択が間違っていることには気づけた。
何を願うのか、何が怖いのか、何を伝えたいのか、それもきちんと理解した。

『こう在りたい』という自分は分からないけれど、『こうしたい』と願う自分は見つけた。
今ならきっと、大丈夫───そう、強く言い聞かせた。


「…エルダも、おやすみしなきゃね」

どれほど時間が過ぎたかは分からないが、本来は寝ているであろう時間に変わりはない。
エルダのふくふくとしたまろい頬を撫で、気持ちを落ち着かせると、元来た道を帰ろうと足を踏み出した。



「………ん」



───その時、エルダの体がおもむろに身動ぎ、小さな指がある方角を真っ直ぐに指差した。


「……エルダ?」
「…ん」


言葉にせずとも、ただ「あっち」という気持ちだけが、触れた肌から伝わってくる。



薄く柔い爪先が指す向こう側───その指は、命の湖がある方角を指していた。
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