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プティ・フレールの愛し子
116.誓いと望み(後)
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大地と安寧を司る大天使・シルヴェスト。
明るく朗らかで、快活とした彼だが、その性格は非常に穏やかだ。
繊細で大人しい性格のアドニスでも、あまり緊張せずに話せる相手だろう、とアドニスの初めての話し相手に選んだ。
「なるほど。シルヴェスト様がお相手であれば、アドニス様もそれほど緊張せずにお話しできるかもしれませんね」
彼のおおらかな性格は、皆が知っていることだ。オリヴィアも『納得』という表情で頷いた。
(まぁ、性格だけで彼を選んだのではないですけどね)
勿論、アドニスのことを考え、一番負担にならない相手を選んだが、それ以上に、シルヴェストを選んだのには理由があった。
大天使アドニスの葬斂の儀が行われたあの日、同時に新たな魂として生まれたアドニスのことも、皆の知るところとなった。
あの時、ほとんどの者はアドニスの存在に対して懐疑的であり、バルドル神が広間を去った後、詰め寄るように自分達の元へと集まってきた。
『本当にアドニスは死んでしまったのか?』
『新たな魂に生まれ変わったというが、本当なのか?』
『どうやってそれを知ったのか?』
『アドニスに騙されているんじゃないのか?』
矢継ぎ早に飛んできたそんな質問に、心底げんなりした。
彼らの疑念はもっともだ。例えバルドル神からの言だったとしても、肉体はそのままに、魂だけが入れ替わるように生まれたなど、到底信じられるものではないだろう。
もしも自分が彼らの立場なら、同じように詰め寄っていたかもしれない。
だが、アドニスという美しくも愛らしい存在を知った今、彼らのそんな態度はあの子を否定しているように見えて、顔を顰めずにはいられなかった。
バルドル神の言葉に間違いはなく、すべて事実だと告げると、まだ何か聞きたそうにする者達から逃げるように、三人で広間を出た。
モヤモヤとした気持ちを抱えたまま、アドニスの元へ向かうため、足早に回廊を進めば、背後から駆けてくる足音が聞こえた。
『ちょっと、待ってくれ!』
呼び掛ける声に立ち止まり、振り返れば、そこにはシルヴェストの姿があった。
『……なんです?』
『そんなおっかない顔するなよ。ちょっと聞きたいことがあるだけだって』
先ほどのやりとりでうんざりしていたせいか、自然と眉間に皺が寄ったが、シルヴェストは苦笑いするだけだった。
そうしてどこか苦しげな表情のまま、彼はおもむろに口を開いた。
『その、アドニス…えーっと……生まれたばかりの、アドニスは…今は、元気なのか?』
それは、思ってもみなかった一言だった。
自分は勿論、ルカーシュカも、そしてエルダも、驚愕から言葉を失い、短い沈黙が流れた。
『……ええ。まだ少し不安定ですが、元気ですよ』
一拍の沈黙の後、正直に答えれば、強張っていたシルヴェストの表情がホッと和らぎ、笑みの形に崩れた。
『そうか……良かった、って俺が言っていいのか分からんが、元気に過ごしてるなら良かったよ。引き止めて悪かったな』
そう言うと、シルヴェストは踵を返し、元来た道を帰っていった。
それだけ、たったそれだけだったが、彼の表情から、声から、アドニスの身を案じる気持ちが伝わってきて、胸が詰まった。
皆が『アドニス』という存在を疑う中で、シルヴェストだけが、純粋にあの子のことを案じてくれた───衝撃にも似た出来事は、確かな喜びとして、記憶に刻まれた。
(だからこそ、彼なんですよね)
アドニスが他の者達との交流を望んだ時、三人同時に同じ人物を思い浮かべたのは、偶然ではなく必然だった。
今後、第三者の介入は免れない。ならばせめて、あの子にとって最良で最善となる相手を選びたい───言葉にせずとも、望むことは皆同じだ。
思えば、大天使アドニスとアドニスが別人だと分かる前から、シルヴェストの態度は他の者達と少し違っていた。
誰もが『アドニス』に対する憎悪を剥き出しにする中、彼だけは憐憫の情を残し、改心したのでは…という僅かな希望を抱いていた。
(…優しい男だ)
アドニスにとって害にならないという点においては、オリヴィア同様、安全な存在だろう。
ただ正直、だからこそアドニスの側に寄せることに対する不安もあるのだが、それを言い出したらキリがない。
僅かに残る不安は、彼の良心を信じる気持ちで打ち消した。
「…シルヴェストなら、恐らく問題ないでしょう。他の、細かい部分の取り決めは、バルドル様との話し合いが終わってからにしましょうか」
「ああ、そうしよう。…オリヴィアも、今日はありがとうな。色々と面倒を掛けるが、これからもよろしく頼む」
「お任せ下さい」
話し合いという名の報告会の終わりが見え、ふっと息を吐く。
少しずつ、だが確実に、アドニスの世界を広げるための準備が整っていく。
腹を括っても尚、気持ちは後ろ向きだが、アドニスの安全のため、己の精神の安寧のため、やれることは全部やろうと考えられるようにはなっていた。
(…アニーのためです)
愛しいあの子の笑顔のため、きっと永遠に消えることのない欲をそっと胸の内に隠すと、気合いを入れるように、大きく息を吸い込んだ。
数日後、ルカーシュカ、エルダと共にバルドル神の元へと向かい、アドニスの願いと、これからの動向について報告した。
それと同時に、こちらからの要望である奥の宮への事前の立ち入り許可と、オリヴィアの能力を用いての情報共有を願えば、意外なほどすんなりとお許しがもらえた。
「お前達は本当に心配性だな」
そう言って苦笑するだけのバルドル神に拍子抜けしつつ、その傍らに立つオリヴィアにチラリと視線を流せば、彼が頷くように瞳を伏せた。
(…オリヴィアに感謝ですね)
バルドル神の私的空間である奥の宮に、緊急時のみとはいえ、都度の断りなく立ち入る許可など、そう簡単に頂けるはずがない。
恐らくは、オリヴィアからバルドル神へ、事前にある程度の話しが通っており、それとなく説得してくれたのだろう。
一番の難関であったバルドル神からの許可が下り、ホッと胸を撫で下ろすと、早くもアドニスとの再会を望む父への明確な返答を避け、その場を後にした。
「ひとまず、なんとかなったな」
宮廷の回廊を進みながら、隣を歩くルカーシュカが安堵の息を吐いた。
「そうですね。安心とは言い切れませんが、最大限のことはできたでしょう」
極端にバルドル神からアドニスを遠ざけるのは、かえって危ないという状況の中、アドニスの安全を確保しつつ、バルドル神と最適な距離感で交流してもらうための、最大限の予防線は張れた。
完全に安心できる訳ではないが、アドニスのひとまずの安全は保証されただろう。
「耳飾りの用意は?」
「もうできてる」
ルカーシュカ達と話し合い、アドニスに加護を付与した耳飾りを贈ることは決まっている。
反撃するようなものはアドニスが怖がる危険性があるため、防御一択になったが、腕輪との二重掛けの上、大天使二人分の守護結界だ。万が一、不測の事態が起こったとしても、相手を弾き飛ばすくらいはできるだろう。
「あとは、シルヴェストに話を通すだけですか…」
「それなんだが、アニーのことは伏せて呼び出さないか?」
「…アニーのことを伏せて、ですか?」
ルカーシュカからの不可解な提案に首を傾げる。
「まずは、アニーにシルヴェストの姿を見てもらうことが目的だからな。極論、アイツがアニーを視認する必要もないんだが、流石にそういう訳にもいかないだろう。だからと言って、アニーに会ってもらいたいから来てくれって頼むのも、本来の目的とは違うだろう?」
「…ええ、そうですね」
「正直に目的を話して、なんでそうなるって聞かれるのも面倒だしな。ひとまず呼び出して、アニーが一緒にいる空間で説明した方が話が早い」
「なるほど…」
ルカーシュカの言う通り、確かにその場で説明した方が話は早いだろう。ついでに言えば、先にアドニスの存在を伝えることで、妙に身構えられる心配もない。
アドニスにシルヴェストの為人を知ってもらうためにも、彼には自然体でいてもらいたいのだ。
「アイツのことだ。アニーの存在に気づいても、驚くだけで、過剰に反応することはないだろう。アニーが怖がる心配もない」
「…まぁ、シルヴェストならその心配はないでしょうね」
彼の性格なら、アドニスが同じ室内にいると知っても、騒ぐことはないだろう。
いきなり近づくような迂闊な真似もしないだろうし、強く意識しすぎて、アドニスを怖がらせることもない。
きっと、アドニスがいることに純粋に驚いて、「大丈夫なのか?」とあの子の心配をするだけ───シルヴェストという大天使は、そういう男だ。
「エルダは、どう思いますか?」
ここまで一言も発せず、黙って歩いていたエルダに声を掛ければ、ハッとしたようにその肩が揺れた。
「……シルヴェスト様なら、アドニス様のご負担になるようなことはなさらないでしょうし、よろしいかと思います。万が一、予想外のことが起こったとしても、アドニス様は私がお守り致しますので、問題ございません」
「…あなたは、こちらに参加しないのですか?」
「はい。アドニス様のお側にいるのが、私の役目ですので」
「……エルダはエルダですね」
キッパリと言い切ったエルダに、肩を竦めつつも納得する。
今後、一時的とはいえ、エルダはオリヴィアにその大事な役目を奪われてしまう。今まで以上にアドニスの側を離れたくないと思うのは、当然のことなのだろう。
なによりもアドニスを優先するその思考と姿勢は、自分のそれとはまた異なった執着で、いっそ清々しいほどだ。
(……本当に、皆同じなんですよね)
───瞬間、昨日から何度も感じた言葉にし難い感情が、胸の内でじわりと熱を帯びた。
愛し方も、愛情の伝え方も、求める愛情も三者三様で、けれどもアドニスを愛する気持ちも、愛しているからこそ抱く不安や焦燥も、ぴたりと重なるように皆同じ。それが、手に取るように分かる。
可愛いあの子に、溢れんばかりの愛情を。
優しいあの子に、抱えきれないほどの慈しみを。
もう二度と、悲しみの底で泣かせることがないように。
もう二度と、孤独の淵で寂しい思いをさせないように。
赤子達が集う暖かな陽だまりの中、真白いレースが揺れる柔らかな陽射しの中、小さな幸せと喜びを愛でるように笑うあの子を守り、愛したい。
その想いが『永遠』であることは、きっと皆一緒だ。
なればこそ、その想いを『誓い』に変えたいと願うのも、きっと自分だけではないはず───目に見えぬ共鳴が、確信へと変わるのは一瞬だった。
「イヴァニエ? どうした?」
真白い支柱が立ち並ぶ宮廷の回廊。
その端、自分達以外、誰もいない回廊の真ん中で足を止めれば、ルカーシュカとエルダも歩みを止め、こちらを振り返った。
自分を見つめる黒と翠の瞳。二人の瞳を見つめ返せば、その後ろ、長く続く回廊の正面に、光り輝くような純白の扉が見えた。
あの扉の向こう側で、アドニスが待っている───そう思うだけで込み上げる多幸感に胸を膨らませながら、再び二人に焦点を合わせると、すぅっと息を吸った。
「…私は、アドニスを愛しています。この先もずっと、この想いが色褪せることはないでしょう」
突然の告白。にも関わらず、彼らは少しの戸惑いも見せなかった。
まるで、何を言われるのか分かっていたかのような反応に、目を細める。
自分がアドニスを愛し、愛されているように、彼らもまた、アドニスを愛し、愛されている。
そこには、他の者に向けるような鮮烈な嫉妬も、渇望もない。
ただアドニスに愛されているという自信と、彼らとなら、共にアドニスの隣に在れるという、絶対的な信頼だけがあった。
「誓いを。アニーの魂が命の湖に還るその日まで、共に生きようという誓いを、私の魂と共に、あの子に捧げたいです」
いつ頃からか、当たり前のように胸に宿り、熱望していた願い。
命が続く限り、共に生きよう。
命の湖に還るその時は、共に母なる大地に還ろう。
純粋に、ただそれだけを互いに願い、望むだけの、名も無き誓い。
叶うならば、これからアドニスの世界が広がっていくその前に、この想いを伝えたいと、そう強く思ったのだ。
「いつ言い出すかと思ってたが、ようやくか」
数秒の静寂の後、回廊に響いたのは、ひどく穏やかな声だった。
「……その言い方だと、私が言い出すのを待っていたように聞こえるんですが?」
「ああ、待ってたぞ」
実にあっけらかんとした返答と反応に、パチリと目を瞬く。それと同時に、うっすらと漂っていた緊張感が一瞬で霧散した。
「待っていたというより、我慢ができなくなって言い出すのは、イヴァニエだろうなと思ってたよ」
そう言って、どこか楽しげに笑うルカーシュカと、いつもと変わらぬ表情のまま、コクリと頷くエルダ。
その姿があまりにも普段と変わらないことに、知らず強張っていた体から、ふっと力が抜けた。
「安心しな。俺も、エルダも、一緒だよ」
何が、と言われずとも分かる。
自分が言葉にした告白全て、丸ごと全部、『一緒』なのだろう。
それが当然のことであるかのように、凛と張ったルカーシュカの声と、一片の迷いもないエルダの眼差し…その音と色に、心底安堵している自分がいた。
「まぁ、まずはアニーにちゃんと話しをして、俺達の気持ちを知ってもらうところから始めないとだけどな」
「…ええ、勿論です」
向きを変え、再び歩き出したルカーシュカとエルダの後を、半歩遅れるようについていく。
向かう先、アドニスの部屋の扉を見つめながら、じわじわと頬が緩むのを抑えられず、柔く唇を喰んだ。
(……不思議なものですね)
愛した唯一からの愛情を、独占することはできない。でも今は、不思議とそれが嫌ではない。
自分だけがアドニスの唯一になることはできないけれど、三人でなら、アドニスの唯一になれる。
そんな安心感にも似た一体感が、今はとても心地良く、どうしてか無性に嬉しかった。
いつか訪れる最期の日。その日までずっと、彼らと共に、アドニスの隣にいるのだろう───思い描いた未来は今日と変わらず、驚くほど鮮明で、温かな光景だった。
明るく朗らかで、快活とした彼だが、その性格は非常に穏やかだ。
繊細で大人しい性格のアドニスでも、あまり緊張せずに話せる相手だろう、とアドニスの初めての話し相手に選んだ。
「なるほど。シルヴェスト様がお相手であれば、アドニス様もそれほど緊張せずにお話しできるかもしれませんね」
彼のおおらかな性格は、皆が知っていることだ。オリヴィアも『納得』という表情で頷いた。
(まぁ、性格だけで彼を選んだのではないですけどね)
勿論、アドニスのことを考え、一番負担にならない相手を選んだが、それ以上に、シルヴェストを選んだのには理由があった。
大天使アドニスの葬斂の儀が行われたあの日、同時に新たな魂として生まれたアドニスのことも、皆の知るところとなった。
あの時、ほとんどの者はアドニスの存在に対して懐疑的であり、バルドル神が広間を去った後、詰め寄るように自分達の元へと集まってきた。
『本当にアドニスは死んでしまったのか?』
『新たな魂に生まれ変わったというが、本当なのか?』
『どうやってそれを知ったのか?』
『アドニスに騙されているんじゃないのか?』
矢継ぎ早に飛んできたそんな質問に、心底げんなりした。
彼らの疑念はもっともだ。例えバルドル神からの言だったとしても、肉体はそのままに、魂だけが入れ替わるように生まれたなど、到底信じられるものではないだろう。
もしも自分が彼らの立場なら、同じように詰め寄っていたかもしれない。
だが、アドニスという美しくも愛らしい存在を知った今、彼らのそんな態度はあの子を否定しているように見えて、顔を顰めずにはいられなかった。
バルドル神の言葉に間違いはなく、すべて事実だと告げると、まだ何か聞きたそうにする者達から逃げるように、三人で広間を出た。
モヤモヤとした気持ちを抱えたまま、アドニスの元へ向かうため、足早に回廊を進めば、背後から駆けてくる足音が聞こえた。
『ちょっと、待ってくれ!』
呼び掛ける声に立ち止まり、振り返れば、そこにはシルヴェストの姿があった。
『……なんです?』
『そんなおっかない顔するなよ。ちょっと聞きたいことがあるだけだって』
先ほどのやりとりでうんざりしていたせいか、自然と眉間に皺が寄ったが、シルヴェストは苦笑いするだけだった。
そうしてどこか苦しげな表情のまま、彼はおもむろに口を開いた。
『その、アドニス…えーっと……生まれたばかりの、アドニスは…今は、元気なのか?』
それは、思ってもみなかった一言だった。
自分は勿論、ルカーシュカも、そしてエルダも、驚愕から言葉を失い、短い沈黙が流れた。
『……ええ。まだ少し不安定ですが、元気ですよ』
一拍の沈黙の後、正直に答えれば、強張っていたシルヴェストの表情がホッと和らぎ、笑みの形に崩れた。
『そうか……良かった、って俺が言っていいのか分からんが、元気に過ごしてるなら良かったよ。引き止めて悪かったな』
そう言うと、シルヴェストは踵を返し、元来た道を帰っていった。
それだけ、たったそれだけだったが、彼の表情から、声から、アドニスの身を案じる気持ちが伝わってきて、胸が詰まった。
皆が『アドニス』という存在を疑う中で、シルヴェストだけが、純粋にあの子のことを案じてくれた───衝撃にも似た出来事は、確かな喜びとして、記憶に刻まれた。
(だからこそ、彼なんですよね)
アドニスが他の者達との交流を望んだ時、三人同時に同じ人物を思い浮かべたのは、偶然ではなく必然だった。
今後、第三者の介入は免れない。ならばせめて、あの子にとって最良で最善となる相手を選びたい───言葉にせずとも、望むことは皆同じだ。
思えば、大天使アドニスとアドニスが別人だと分かる前から、シルヴェストの態度は他の者達と少し違っていた。
誰もが『アドニス』に対する憎悪を剥き出しにする中、彼だけは憐憫の情を残し、改心したのでは…という僅かな希望を抱いていた。
(…優しい男だ)
アドニスにとって害にならないという点においては、オリヴィア同様、安全な存在だろう。
ただ正直、だからこそアドニスの側に寄せることに対する不安もあるのだが、それを言い出したらキリがない。
僅かに残る不安は、彼の良心を信じる気持ちで打ち消した。
「…シルヴェストなら、恐らく問題ないでしょう。他の、細かい部分の取り決めは、バルドル様との話し合いが終わってからにしましょうか」
「ああ、そうしよう。…オリヴィアも、今日はありがとうな。色々と面倒を掛けるが、これからもよろしく頼む」
「お任せ下さい」
話し合いという名の報告会の終わりが見え、ふっと息を吐く。
少しずつ、だが確実に、アドニスの世界を広げるための準備が整っていく。
腹を括っても尚、気持ちは後ろ向きだが、アドニスの安全のため、己の精神の安寧のため、やれることは全部やろうと考えられるようにはなっていた。
(…アニーのためです)
愛しいあの子の笑顔のため、きっと永遠に消えることのない欲をそっと胸の内に隠すと、気合いを入れるように、大きく息を吸い込んだ。
数日後、ルカーシュカ、エルダと共にバルドル神の元へと向かい、アドニスの願いと、これからの動向について報告した。
それと同時に、こちらからの要望である奥の宮への事前の立ち入り許可と、オリヴィアの能力を用いての情報共有を願えば、意外なほどすんなりとお許しがもらえた。
「お前達は本当に心配性だな」
そう言って苦笑するだけのバルドル神に拍子抜けしつつ、その傍らに立つオリヴィアにチラリと視線を流せば、彼が頷くように瞳を伏せた。
(…オリヴィアに感謝ですね)
バルドル神の私的空間である奥の宮に、緊急時のみとはいえ、都度の断りなく立ち入る許可など、そう簡単に頂けるはずがない。
恐らくは、オリヴィアからバルドル神へ、事前にある程度の話しが通っており、それとなく説得してくれたのだろう。
一番の難関であったバルドル神からの許可が下り、ホッと胸を撫で下ろすと、早くもアドニスとの再会を望む父への明確な返答を避け、その場を後にした。
「ひとまず、なんとかなったな」
宮廷の回廊を進みながら、隣を歩くルカーシュカが安堵の息を吐いた。
「そうですね。安心とは言い切れませんが、最大限のことはできたでしょう」
極端にバルドル神からアドニスを遠ざけるのは、かえって危ないという状況の中、アドニスの安全を確保しつつ、バルドル神と最適な距離感で交流してもらうための、最大限の予防線は張れた。
完全に安心できる訳ではないが、アドニスのひとまずの安全は保証されただろう。
「耳飾りの用意は?」
「もうできてる」
ルカーシュカ達と話し合い、アドニスに加護を付与した耳飾りを贈ることは決まっている。
反撃するようなものはアドニスが怖がる危険性があるため、防御一択になったが、腕輪との二重掛けの上、大天使二人分の守護結界だ。万が一、不測の事態が起こったとしても、相手を弾き飛ばすくらいはできるだろう。
「あとは、シルヴェストに話を通すだけですか…」
「それなんだが、アニーのことは伏せて呼び出さないか?」
「…アニーのことを伏せて、ですか?」
ルカーシュカからの不可解な提案に首を傾げる。
「まずは、アニーにシルヴェストの姿を見てもらうことが目的だからな。極論、アイツがアニーを視認する必要もないんだが、流石にそういう訳にもいかないだろう。だからと言って、アニーに会ってもらいたいから来てくれって頼むのも、本来の目的とは違うだろう?」
「…ええ、そうですね」
「正直に目的を話して、なんでそうなるって聞かれるのも面倒だしな。ひとまず呼び出して、アニーが一緒にいる空間で説明した方が話が早い」
「なるほど…」
ルカーシュカの言う通り、確かにその場で説明した方が話は早いだろう。ついでに言えば、先にアドニスの存在を伝えることで、妙に身構えられる心配もない。
アドニスにシルヴェストの為人を知ってもらうためにも、彼には自然体でいてもらいたいのだ。
「アイツのことだ。アニーの存在に気づいても、驚くだけで、過剰に反応することはないだろう。アニーが怖がる心配もない」
「…まぁ、シルヴェストならその心配はないでしょうね」
彼の性格なら、アドニスが同じ室内にいると知っても、騒ぐことはないだろう。
いきなり近づくような迂闊な真似もしないだろうし、強く意識しすぎて、アドニスを怖がらせることもない。
きっと、アドニスがいることに純粋に驚いて、「大丈夫なのか?」とあの子の心配をするだけ───シルヴェストという大天使は、そういう男だ。
「エルダは、どう思いますか?」
ここまで一言も発せず、黙って歩いていたエルダに声を掛ければ、ハッとしたようにその肩が揺れた。
「……シルヴェスト様なら、アドニス様のご負担になるようなことはなさらないでしょうし、よろしいかと思います。万が一、予想外のことが起こったとしても、アドニス様は私がお守り致しますので、問題ございません」
「…あなたは、こちらに参加しないのですか?」
「はい。アドニス様のお側にいるのが、私の役目ですので」
「……エルダはエルダですね」
キッパリと言い切ったエルダに、肩を竦めつつも納得する。
今後、一時的とはいえ、エルダはオリヴィアにその大事な役目を奪われてしまう。今まで以上にアドニスの側を離れたくないと思うのは、当然のことなのだろう。
なによりもアドニスを優先するその思考と姿勢は、自分のそれとはまた異なった執着で、いっそ清々しいほどだ。
(……本当に、皆同じなんですよね)
───瞬間、昨日から何度も感じた言葉にし難い感情が、胸の内でじわりと熱を帯びた。
愛し方も、愛情の伝え方も、求める愛情も三者三様で、けれどもアドニスを愛する気持ちも、愛しているからこそ抱く不安や焦燥も、ぴたりと重なるように皆同じ。それが、手に取るように分かる。
可愛いあの子に、溢れんばかりの愛情を。
優しいあの子に、抱えきれないほどの慈しみを。
もう二度と、悲しみの底で泣かせることがないように。
もう二度と、孤独の淵で寂しい思いをさせないように。
赤子達が集う暖かな陽だまりの中、真白いレースが揺れる柔らかな陽射しの中、小さな幸せと喜びを愛でるように笑うあの子を守り、愛したい。
その想いが『永遠』であることは、きっと皆一緒だ。
なればこそ、その想いを『誓い』に変えたいと願うのも、きっと自分だけではないはず───目に見えぬ共鳴が、確信へと変わるのは一瞬だった。
「イヴァニエ? どうした?」
真白い支柱が立ち並ぶ宮廷の回廊。
その端、自分達以外、誰もいない回廊の真ん中で足を止めれば、ルカーシュカとエルダも歩みを止め、こちらを振り返った。
自分を見つめる黒と翠の瞳。二人の瞳を見つめ返せば、その後ろ、長く続く回廊の正面に、光り輝くような純白の扉が見えた。
あの扉の向こう側で、アドニスが待っている───そう思うだけで込み上げる多幸感に胸を膨らませながら、再び二人に焦点を合わせると、すぅっと息を吸った。
「…私は、アドニスを愛しています。この先もずっと、この想いが色褪せることはないでしょう」
突然の告白。にも関わらず、彼らは少しの戸惑いも見せなかった。
まるで、何を言われるのか分かっていたかのような反応に、目を細める。
自分がアドニスを愛し、愛されているように、彼らもまた、アドニスを愛し、愛されている。
そこには、他の者に向けるような鮮烈な嫉妬も、渇望もない。
ただアドニスに愛されているという自信と、彼らとなら、共にアドニスの隣に在れるという、絶対的な信頼だけがあった。
「誓いを。アニーの魂が命の湖に還るその日まで、共に生きようという誓いを、私の魂と共に、あの子に捧げたいです」
いつ頃からか、当たり前のように胸に宿り、熱望していた願い。
命が続く限り、共に生きよう。
命の湖に還るその時は、共に母なる大地に還ろう。
純粋に、ただそれだけを互いに願い、望むだけの、名も無き誓い。
叶うならば、これからアドニスの世界が広がっていくその前に、この想いを伝えたいと、そう強く思ったのだ。
「いつ言い出すかと思ってたが、ようやくか」
数秒の静寂の後、回廊に響いたのは、ひどく穏やかな声だった。
「……その言い方だと、私が言い出すのを待っていたように聞こえるんですが?」
「ああ、待ってたぞ」
実にあっけらかんとした返答と反応に、パチリと目を瞬く。それと同時に、うっすらと漂っていた緊張感が一瞬で霧散した。
「待っていたというより、我慢ができなくなって言い出すのは、イヴァニエだろうなと思ってたよ」
そう言って、どこか楽しげに笑うルカーシュカと、いつもと変わらぬ表情のまま、コクリと頷くエルダ。
その姿があまりにも普段と変わらないことに、知らず強張っていた体から、ふっと力が抜けた。
「安心しな。俺も、エルダも、一緒だよ」
何が、と言われずとも分かる。
自分が言葉にした告白全て、丸ごと全部、『一緒』なのだろう。
それが当然のことであるかのように、凛と張ったルカーシュカの声と、一片の迷いもないエルダの眼差し…その音と色に、心底安堵している自分がいた。
「まぁ、まずはアニーにちゃんと話しをして、俺達の気持ちを知ってもらうところから始めないとだけどな」
「…ええ、勿論です」
向きを変え、再び歩き出したルカーシュカとエルダの後を、半歩遅れるようについていく。
向かう先、アドニスの部屋の扉を見つめながら、じわじわと頬が緩むのを抑えられず、柔く唇を喰んだ。
(……不思議なものですね)
愛した唯一からの愛情を、独占することはできない。でも今は、不思議とそれが嫌ではない。
自分だけがアドニスの唯一になることはできないけれど、三人でなら、アドニスの唯一になれる。
そんな安心感にも似た一体感が、今はとても心地良く、どうしてか無性に嬉しかった。
いつか訪れる最期の日。その日までずっと、彼らと共に、アドニスの隣にいるのだろう───思い描いた未来は今日と変わらず、驚くほど鮮明で、温かな光景だった。
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※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
でも無理せず
作者さんの最高のコンディションで
最高の作品書いてください
諸事情で更新が止まってしまい、心苦しいばかりですが、アドニスくんと彼氏達、プティが仲良く過ごす平穏な日々の続きをまた読んで頂けるように、コンディションを整えていきたいと思います‼️
お心配り頂き、本当にありがとうございました!(*´︶`*)
この作品めちゃ好きです
最強です
また新作待ってます
またアドニスとプティたちみたいです
コメントありがとうございます(*´◒`*)お返事が非常に遅くなってしまい、大変申し訳ございません💦
嬉しいお言葉をたくさん頂き、本当に本当に嬉しいです!😭✨ありがとうございます…!
もしインスタをやっていたら アルファポリス で検索すると出てくると思います
今日確かめてみました
幻じゃないです✌️
お返事のお返事をありがとうございます!(*´◒`*)毎回お返事が遅くなってしまい、大変申し訳ございません💦
改めて確かめてくださり、ありがとうございます!幻じゃない!本当に有り難いことです…!🙏✨