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後編
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フェインパースの村には古くから伝わる昔話がある。
小さな星の国には魔法使いがたくさんいた。
人を豊かにし、誰も傷つけず、幸せにする魔法で溢れていた。
しかし、小さな星の国に嫉妬した魔法を使えない大国は、かの国を滅ぼしてしまった。
次は誰にも魔法が見つからないよう、ひっそりひっそり隠れて暮らそう。
もし見つかってしまったら、また争いの火種になってしまうから――。
「だから人前で魔法を使ってはいけませんよ」
先生がコツンと杖でアーシアの頭を叩くと、教室がどっと湧いた。
うとうとしていた目がぱっちり開いたアーシアは、今が魔法の授業であることに気づき、慌てて歴史の教科書を閉じた。
「アーシア。授業中、居眠りしてたんだって? せっかく成績良かったのに評価下げられるぞー」
放課後になって一緒に帰る約束をしていた近所に住むレニッシュが、笑いながら教室まで迎えに来た。
同い年の彼は兄のような面倒見の良さで、時々くれる忠言は耳が痛い。
「だって、すっごく眠くなっちゃったんだもん。何だか不思議な夢を見たの」
まるで自分が体験したような夢だった。
幸せで悲しくて胸が張り裂けそうで、行き場のない感情が爆発しかけた時、先生に頭を叩かれた。
アーシアは左の手のひらを見つめる。
生まれた時からあった小さな星の痣。夢で見たものと同じもので、突然それが意味を持ったような気がして胸がどきどきしていた。
「どんな夢? お菓子でできた家に住む話とか?」
「ふふ、それいいねー。住んでたのは小さな家だったけど、夫婦二人で幸せな夢だったかな」
「夫婦……? 相手だれ?」
学校を出ながらレニッシュは怪訝な顔をする。
「多分、年上の人だったと思うけど」
「イーサか? カイトか? もしかして、エドガー?」
レニッシュが挙げていく名は、いずれも友人や同級生の兄や従兄。
今年十八歳になる二人より年上となると誰かの兄姉か従兄姉で、それより上となると誰かの叔父、叔母だ。
それほどアーシアたちの住む村は小さかった。
「違うよ、村の人じゃないの。昔話あるでしょ、星の国の魔法使いの。歴史であの話が出たから夢に見ちゃったみたい」
「ああ、なんだ……」
ふう、と安心したようにレニッシュは小さく息をついた。
いつも子供の頃から守るようにそばにいてくれたから、他の男子が近づいてきたこともなかったが、夢に出てきた男性の話題にもいい顔をしないなんて相変わらず心配性だ。
そのくせ本人は女子が寄ってきても皆にいい顔をする。
今でも下校した後輩女子が数人レニッシュに手を振れば、笑顔で手を振り返している。
「……何百年も前にあった話なんでしょ? うちの村の先祖は星の国の生き残りだって言ってたし」
「ああ。侵略した大国はよそとも戦争を繰り返して貧しくなって、結局どの国からも援助を受けられず零落したんだろ。馬鹿な国だよ」
俗世から離れ、森の中に隠された平和なこの村にはもう無縁の話である。
春の暖かい風が二人の間を駆け抜けて、レニッシュの伸びた黒髪がふわりと揺れた。
「レニッシュ、髪伸びたね。私が三編みしてあげようか?」
「男が三編みしても似合わないだろう。それよりアーシアの方が長いんだし、俺がやってやろうか」
意地悪そうに笑ったレニッシュに任せたらどんな頭にされるか分からない。
夢の中の彼にした三編みは、不格好だったが似合っていた。
「夢の中の旦那さんは三編みが似合ってたから、レニッシュも似合うと思うんだけどな」
その言葉にレニッシュが眉根を寄せた。
「……どんな男?」
「怖い怖い怖いっ、目が怖い!」
他の男性の話を出すだけで機嫌を損ねたらしく、レニッシュは冷ややかな目でアーシアを見下ろす。
レニッシュは女子と仲良く話したりするくせに、アーシアには厳しい目を向ける。
子供の頃からの付き合いとはいえ、狡いのではないか。
アーシアは夢の話をざっくりとレニッシュに話した。
結局死んでしまった二人は、王女と護衛騎士という関係以上にはなることのなかった悲恋の話だ。
王女のことがまるで自分自身のようで、話しているだけでも胸が痛かった。
目を伏せていると、アーシアの蜂蜜色の長い髪を一房すくってレニッシュが見つめる。
何も言わずじっと見つめるレニッシュに、アーシアは少し戸惑った。
「レニッシュ……?」
「あ、いや。まるでアーシアが経験したみたいな話だなと思って」
「うん、自分が経験したみたいな感じだったの。私の視点はずっとその王女だったから彼が亡くなった時、共感しちゃって胸が痛かった……」
泣きそうな顔でもしていたのか、レニッシュはアーシアの頭をなでた。
その優しい手が嬉しくてアーシアはされるがままでいた。
「この時代は平和だ。もうあんなことは起こらないよ。今度こそ俺が守る。ずっとそばにいるよ」
レニッシュの言い方が引っかかり、アーシアは目を瞬いた。
「アーシアは俺の唯一の星だから」
夢の中の彼女が思い描いた夫の台詞。
夢の中の彼女しか知らない台詞。
レニッシュがアーシアを星だと言ったのは、これが初めてではない。初めて会った三歳の時だ。
大きな畑と川を超えた先に住んでいた会ったこともないレニッシュが、突然アーシアの家を訪ねてきた。星を探してたんだと言って。その星がアーシアのことだとは誰も思わなかったけれど。
レニッシュの母は当時、息子が星を探すと意味不明なことを言って家を飛び出し、驚いて後を追いかけたと言っていた。
当の本人はもうそんなことを覚えておらず後に笑い話になったが、アーシアを先に見つけたのはレニッシュだった。
村のほとんどの人が集まるお祭りの中でも、こっそり小屋に隠れて泣いていても、いつだってレニッシュは一番にアーシアを見つけた。必ず見つけてくれた。
「どうして私が星なの……?」
アーシアも夢の彼女と同じことを尋ねてみた。
レニッシュは少し照れくさそうに、しかし真っすぐにアーシアを見る。
「何でか分からないけど、子供の頃からアーシアだけ他の奴と違って見えた。どこにいても輝いていて、だから絶対見失わない輝く星なんだ」
意味合いは違うかもしれないが、レニッシュが夢の彼と同じことを口にし、アーシアはまだ寝ぼけていないかと自分の頬をぎゅっとつねってみた。
思いっきりやったのでかなり痛かった。
「何やってんの」
「だって……」
つねって赤くなった頬をレニッシュがそっとなでる。
「ライ麦パンを初めて食べた時、不味そうな顔してた」
突然ライ麦パンの話をされてアーシアはきょとんとする。
「あんなにボソボソだとは思わなかったから……。でも今は全部食べられるようになったでしょ」
ふっ、とレニッシュは笑う。
「家事は上達した? 料理は多分俺の方が上手いよ。アーシアが食べたいものはきっと全部作れる」
「家事は普通にできますっ。料理は……練習中だし」
「ドレスをまた着たくなったりする?」
「ワンピースで、十分……」
まるで答え合わせをするように、レニッシュはアーシアを質問攻めにした。全て夢で見たことと一致した。
左の手のひらが熱くなるのを感じる。
アーシアは熱くなった左手でそっとレニッシュの胸に触れた。
温かく一定のリズムを刻む鼓動がひどく落ち着く。ずっと探していたような、懐かしい鼓動。
レニッシュはその手を上からそっと握った。
「レニッシュ……どうして」
「もう何年も前だけど多分、同じ夢を見た。アーシアに鎌かけてみたりしたけど通じなくて、俺だけなんだなと思ってた」
「私は今日初めて見たのに……なんで……」
レニッシュはアーシアの左手を取ると手のひらを上に向けた。そこに見える星の痣をレニッシュが指でなぞる。
「後継の証を受け継ぐと、大きな力も受け継ぐ。王家最後の者がその力を使うことができると聞いた。彼女は最期にその力を使ったんだろう。そのせいで魂が長い眠りについていたのかもしれない」
「この星が何か、知っていたの?」
「王家の側近なら皆知ってるよ。これは彼女の兄が受け継いでいた。一番最後に亡くなったのが彼女だったんだな……」
レニッシュは悔やむように唇を噛んだ。
あの国の人々が持つ魔法は守るためのもので、誰かを傷つけるためのものではない。圧倒的な戦力の前では無力だった。
「最期までノードレッドは誓いを守り、護衛騎士として生きた。でも彼女に見せた夢は全て彼の夢でもあった」
夢の中の彼女が思い描いた夫は、本当の彼。
あれは偽りではなく、全て彼自身の言葉。
「ミスティア」
間近に見える顔はノードレッドで、彼の声が彼女の名を呼んだ。敬称をつけずに。
夢の中で彼女の願いを全て叶えてきた彼が、唯一叶えられなかった願い。
「ずっと愛してた」
彼は魂に呼びかけるように告げた。
ようやく欲していた答えを聞き、嬉しさと切なさで瞼が熱くなる。
恋い焦がれていた彼女の魂に共鳴して、想いが溢れたのかもしれない。
アーシアの大きな目から零れ落ちた雫を彼が指ですくい取った。
「でも俺が好きなのは、アーシアだよ」
はっと目を見開いたアーシアは、目の前にいるのがレニッシュであることを認識して瞬いた。
ノードレッドと同じ魂であっても、彼はレニッシュだ。
「私も……レニッシュが大好き。ずーっと、好きだった」
アーシアは心から笑顔になると、戸惑い気味にレニッシュの顔が近づき、温かく柔らかいものが唇に触れた。
初めての感触。夢の中では知らなかった温かさ。
まだ他に下校中の生徒もいるのに、レニッシュは人目など一切気にしなかった。
「だから……レニッシュが他の女の子と仲良くしてるの、見たくない」
「はは、妬いてくれてたの? 嬉しい」
ニッと笑ったレニッシュに、アーシアは目を瞠った。
「……まさか、わざと……?」
レニッシュは笑いながらアーシアの手を引き、再び帰路に就く。そしてミスティアは最期に何を願ったのか、と尋ねた。
アーシアは繋がる手をきゅっと握り返す。
――どうか、彼の魂とともにありますように。
小さな星の国には魔法使いがたくさんいた。
人を豊かにし、誰も傷つけず、幸せにする魔法で溢れていた。
しかし、小さな星の国に嫉妬した魔法を使えない大国は、かの国を滅ぼしてしまった。
次は誰にも魔法が見つからないよう、ひっそりひっそり隠れて暮らそう。
もし見つかってしまったら、また争いの火種になってしまうから――。
「だから人前で魔法を使ってはいけませんよ」
先生がコツンと杖でアーシアの頭を叩くと、教室がどっと湧いた。
うとうとしていた目がぱっちり開いたアーシアは、今が魔法の授業であることに気づき、慌てて歴史の教科書を閉じた。
「アーシア。授業中、居眠りしてたんだって? せっかく成績良かったのに評価下げられるぞー」
放課後になって一緒に帰る約束をしていた近所に住むレニッシュが、笑いながら教室まで迎えに来た。
同い年の彼は兄のような面倒見の良さで、時々くれる忠言は耳が痛い。
「だって、すっごく眠くなっちゃったんだもん。何だか不思議な夢を見たの」
まるで自分が体験したような夢だった。
幸せで悲しくて胸が張り裂けそうで、行き場のない感情が爆発しかけた時、先生に頭を叩かれた。
アーシアは左の手のひらを見つめる。
生まれた時からあった小さな星の痣。夢で見たものと同じもので、突然それが意味を持ったような気がして胸がどきどきしていた。
「どんな夢? お菓子でできた家に住む話とか?」
「ふふ、それいいねー。住んでたのは小さな家だったけど、夫婦二人で幸せな夢だったかな」
「夫婦……? 相手だれ?」
学校を出ながらレニッシュは怪訝な顔をする。
「多分、年上の人だったと思うけど」
「イーサか? カイトか? もしかして、エドガー?」
レニッシュが挙げていく名は、いずれも友人や同級生の兄や従兄。
今年十八歳になる二人より年上となると誰かの兄姉か従兄姉で、それより上となると誰かの叔父、叔母だ。
それほどアーシアたちの住む村は小さかった。
「違うよ、村の人じゃないの。昔話あるでしょ、星の国の魔法使いの。歴史であの話が出たから夢に見ちゃったみたい」
「ああ、なんだ……」
ふう、と安心したようにレニッシュは小さく息をついた。
いつも子供の頃から守るようにそばにいてくれたから、他の男子が近づいてきたこともなかったが、夢に出てきた男性の話題にもいい顔をしないなんて相変わらず心配性だ。
そのくせ本人は女子が寄ってきても皆にいい顔をする。
今でも下校した後輩女子が数人レニッシュに手を振れば、笑顔で手を振り返している。
「……何百年も前にあった話なんでしょ? うちの村の先祖は星の国の生き残りだって言ってたし」
「ああ。侵略した大国はよそとも戦争を繰り返して貧しくなって、結局どの国からも援助を受けられず零落したんだろ。馬鹿な国だよ」
俗世から離れ、森の中に隠された平和なこの村にはもう無縁の話である。
春の暖かい風が二人の間を駆け抜けて、レニッシュの伸びた黒髪がふわりと揺れた。
「レニッシュ、髪伸びたね。私が三編みしてあげようか?」
「男が三編みしても似合わないだろう。それよりアーシアの方が長いんだし、俺がやってやろうか」
意地悪そうに笑ったレニッシュに任せたらどんな頭にされるか分からない。
夢の中の彼にした三編みは、不格好だったが似合っていた。
「夢の中の旦那さんは三編みが似合ってたから、レニッシュも似合うと思うんだけどな」
その言葉にレニッシュが眉根を寄せた。
「……どんな男?」
「怖い怖い怖いっ、目が怖い!」
他の男性の話を出すだけで機嫌を損ねたらしく、レニッシュは冷ややかな目でアーシアを見下ろす。
レニッシュは女子と仲良く話したりするくせに、アーシアには厳しい目を向ける。
子供の頃からの付き合いとはいえ、狡いのではないか。
アーシアは夢の話をざっくりとレニッシュに話した。
結局死んでしまった二人は、王女と護衛騎士という関係以上にはなることのなかった悲恋の話だ。
王女のことがまるで自分自身のようで、話しているだけでも胸が痛かった。
目を伏せていると、アーシアの蜂蜜色の長い髪を一房すくってレニッシュが見つめる。
何も言わずじっと見つめるレニッシュに、アーシアは少し戸惑った。
「レニッシュ……?」
「あ、いや。まるでアーシアが経験したみたいな話だなと思って」
「うん、自分が経験したみたいな感じだったの。私の視点はずっとその王女だったから彼が亡くなった時、共感しちゃって胸が痛かった……」
泣きそうな顔でもしていたのか、レニッシュはアーシアの頭をなでた。
その優しい手が嬉しくてアーシアはされるがままでいた。
「この時代は平和だ。もうあんなことは起こらないよ。今度こそ俺が守る。ずっとそばにいるよ」
レニッシュの言い方が引っかかり、アーシアは目を瞬いた。
「アーシアは俺の唯一の星だから」
夢の中の彼女が思い描いた夫の台詞。
夢の中の彼女しか知らない台詞。
レニッシュがアーシアを星だと言ったのは、これが初めてではない。初めて会った三歳の時だ。
大きな畑と川を超えた先に住んでいた会ったこともないレニッシュが、突然アーシアの家を訪ねてきた。星を探してたんだと言って。その星がアーシアのことだとは誰も思わなかったけれど。
レニッシュの母は当時、息子が星を探すと意味不明なことを言って家を飛び出し、驚いて後を追いかけたと言っていた。
当の本人はもうそんなことを覚えておらず後に笑い話になったが、アーシアを先に見つけたのはレニッシュだった。
村のほとんどの人が集まるお祭りの中でも、こっそり小屋に隠れて泣いていても、いつだってレニッシュは一番にアーシアを見つけた。必ず見つけてくれた。
「どうして私が星なの……?」
アーシアも夢の彼女と同じことを尋ねてみた。
レニッシュは少し照れくさそうに、しかし真っすぐにアーシアを見る。
「何でか分からないけど、子供の頃からアーシアだけ他の奴と違って見えた。どこにいても輝いていて、だから絶対見失わない輝く星なんだ」
意味合いは違うかもしれないが、レニッシュが夢の彼と同じことを口にし、アーシアはまだ寝ぼけていないかと自分の頬をぎゅっとつねってみた。
思いっきりやったのでかなり痛かった。
「何やってんの」
「だって……」
つねって赤くなった頬をレニッシュがそっとなでる。
「ライ麦パンを初めて食べた時、不味そうな顔してた」
突然ライ麦パンの話をされてアーシアはきょとんとする。
「あんなにボソボソだとは思わなかったから……。でも今は全部食べられるようになったでしょ」
ふっ、とレニッシュは笑う。
「家事は上達した? 料理は多分俺の方が上手いよ。アーシアが食べたいものはきっと全部作れる」
「家事は普通にできますっ。料理は……練習中だし」
「ドレスをまた着たくなったりする?」
「ワンピースで、十分……」
まるで答え合わせをするように、レニッシュはアーシアを質問攻めにした。全て夢で見たことと一致した。
左の手のひらが熱くなるのを感じる。
アーシアは熱くなった左手でそっとレニッシュの胸に触れた。
温かく一定のリズムを刻む鼓動がひどく落ち着く。ずっと探していたような、懐かしい鼓動。
レニッシュはその手を上からそっと握った。
「レニッシュ……どうして」
「もう何年も前だけど多分、同じ夢を見た。アーシアに鎌かけてみたりしたけど通じなくて、俺だけなんだなと思ってた」
「私は今日初めて見たのに……なんで……」
レニッシュはアーシアの左手を取ると手のひらを上に向けた。そこに見える星の痣をレニッシュが指でなぞる。
「後継の証を受け継ぐと、大きな力も受け継ぐ。王家最後の者がその力を使うことができると聞いた。彼女は最期にその力を使ったんだろう。そのせいで魂が長い眠りについていたのかもしれない」
「この星が何か、知っていたの?」
「王家の側近なら皆知ってるよ。これは彼女の兄が受け継いでいた。一番最後に亡くなったのが彼女だったんだな……」
レニッシュは悔やむように唇を噛んだ。
あの国の人々が持つ魔法は守るためのもので、誰かを傷つけるためのものではない。圧倒的な戦力の前では無力だった。
「最期までノードレッドは誓いを守り、護衛騎士として生きた。でも彼女に見せた夢は全て彼の夢でもあった」
夢の中の彼女が思い描いた夫は、本当の彼。
あれは偽りではなく、全て彼自身の言葉。
「ミスティア」
間近に見える顔はノードレッドで、彼の声が彼女の名を呼んだ。敬称をつけずに。
夢の中で彼女の願いを全て叶えてきた彼が、唯一叶えられなかった願い。
「ずっと愛してた」
彼は魂に呼びかけるように告げた。
ようやく欲していた答えを聞き、嬉しさと切なさで瞼が熱くなる。
恋い焦がれていた彼女の魂に共鳴して、想いが溢れたのかもしれない。
アーシアの大きな目から零れ落ちた雫を彼が指ですくい取った。
「でも俺が好きなのは、アーシアだよ」
はっと目を見開いたアーシアは、目の前にいるのがレニッシュであることを認識して瞬いた。
ノードレッドと同じ魂であっても、彼はレニッシュだ。
「私も……レニッシュが大好き。ずーっと、好きだった」
アーシアは心から笑顔になると、戸惑い気味にレニッシュの顔が近づき、温かく柔らかいものが唇に触れた。
初めての感触。夢の中では知らなかった温かさ。
まだ他に下校中の生徒もいるのに、レニッシュは人目など一切気にしなかった。
「だから……レニッシュが他の女の子と仲良くしてるの、見たくない」
「はは、妬いてくれてたの? 嬉しい」
ニッと笑ったレニッシュに、アーシアは目を瞠った。
「……まさか、わざと……?」
レニッシュは笑いながらアーシアの手を引き、再び帰路に就く。そしてミスティアは最期に何を願ったのか、と尋ねた。
アーシアは繋がる手をきゅっと握り返す。
――どうか、彼の魂とともにありますように。
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