伯爵令嬢の前途多難な婚活──王太子殿下を突き飛ばしたら、なぜか仲良くなりました

森島菫

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番外編 アンジェリア・フォードの人生

第四十二話 記憶を覗く恋情

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「──俺は、アンジェリアのことを諦めるしかなくなる」

 静まり返った店内。店先の道路を馬車が通ったが、アンジェリアには気付く余裕がなかった。キーランの言葉で、頭が一杯だった。

「え、っと」

 それはつまりどういうことだ。そういうことか。

 動揺と困惑と、再会できた喜びの余韻。優先して良い感情が分からない。そんな中で彼は、アンジェリアの手元に視線を下ろす。

「……指輪」
「へ?」
「つけてなくて、安心した」

 ふわりと笑うキーランは、本当に昔とは別人だ。それでも、真っ直ぐに見つめる視線は昔と同じまま。

 身体の動かし方さえ忘れてしまったかのように硬直するアンジェリアに、彼は立ち上がった。

「出会ってしばらく経った頃にさ」

 そのまま、商品棚を眺めて歩く。

「食堂で、アンジェリアが教えてくれたよな」

 一つ、また一つと棚を通り過ぎていく彼。

「俺の言動が結構強いから、気を付けた方が良いって」
「う、うん」

 アンジェリアも当時のことをよく覚えている。相性が悪いと思っていたキーランと、初めて距離が縮まった日だ。

「ロワイユ王国で別れる時にも話したが……アンジェリアがああやって言ってくれたことが嬉しかった」

 彼はくるりとこちらへ振り返る。

「本当に、ありがとう」

 いつの間にか、手を伸ばせば触れられる距離にまでやって来ていた。アンジェリアは返事の代わりに小さく頷く。高鳴っている鼓動は、キーランにも気付かれているだろうか。

「あの後、お願いしたんだったな」

 その内容を──当時の会話を今でも覚えているアンジェリアは、ごくりと息を飲む。

「『もしまた俺が嫌なことをしてたら、はっきり教えてほしい』」

 言いながら、懐かしさを滲ませるキーラン。そして彼女の前に立ち、続けた。

「俺に好かれるのは、アンジェリアにとって嫌なことか?」

 十年前より位置の高くなった顔を見上げるが、すぐに一杯一杯になって目を逸らす。それでも何とか会話をしなければと再び見上げ、また気恥ずかしくなって俯く。

 嫌なことだと、断言できないせいだ。

 目の前に立つ彼の身体で影ができ、自分の顔が灯りで照らされていないことが救いだった。もっとも、この至近距離では睫毛まで細かく認識できてしまうだろうが。

「アンジェリア」
「ひゃい……っ」

 噛んだ。思いっきり噛んだ。

 頭上でキーランが微笑んでいるのが分かる。居たたまれなくなり、両手を顔の前に持ってきた。

「消えたい」
「消えるな」

 穏やかな声音ですぐさま返事が来る。そして、そっと手首を掴まれた。退かされる、と思い、堪らず腕に力を込める。するとキーランは手を離した。

 指の隙間からちらりと見上げると、相変わらず微笑みながらこちらを見つめる彼と目が合った。

「アンジェリアの嫌なことはしたくない」

 ほっとしたのも束の間、はっと気付く。彼の紳士な姿勢が変わらない以上、この手を自ら下ろす選択肢しか残されていないことに。

 いっそのこと大人しく掴まれていれば良かったかとも思いつつ、それはそれで恥ずかしさに悶えることになるのだろうと悟る。そうこうしているうちに時間が過ぎていき、アンジェリアは決めた。

 実行した彼女に、キーランが微笑む。

「……ありがとう」

 顕になった顔はおそらく赤いが、この際さらけ出すしかない。それに、あのまま両手を盾にしておくのはキーランを拒否しているのと同じことだ。

「嫌じゃないよ」

 アンジェリアはそう言った。小さな呟きだったが、目の前の彼にははっきりと届いたらしい。

「キーランのことを嫌だと思ったことなんて、一度も無い」

 言い切ってから、ふと止まる。

「あ、いや、二十回くらいはあったかも」

 苦笑するキーラン。理由は分かっているのだろう。

「出会ったばかりの頃だな」
「そうです……」

 雰囲気を壊すような発言を正直に差し込んでしまい申し訳なく思っていると、彼は笑った。

「アンジェリアらしいよ。真っ直ぐに向き合ってくれるところ」

 十年経っても変わらないもの。商人として成功しても忘れなかった姿勢は、キーランの想いをより一層強くさせる。

「会わなかった期間はかなり長いが……俺は、これからゆっくり埋め合わせをしていきたいと思ってる」
「うん……私も」

 二人は微笑みながら、互いに見つめ合った。

 それぞれの夢を追うため、別れたあの日。いつかどこかで再会した時に誇れる自分でいたいと、アンジェリアは感じていた。

 今では交流の範囲も広がり、店を開くこともできている。客観的に見て立派と言えるかどうかはさておき、自分の信念──商人の道を追求したいという思いは貫いてきたつもりだ。そしてそれがこの再会に繋がったのである。

 きっと明日以降は、十年分の土産話に互いに花を咲かせることになるのだろう。そしていつでも会える距離感で、これからの自分達を作っていくのだ。他でもない、大切な彼と共に。

 無事にこうしてまた話せるようになって、アンジェリアは感慨深い気持ちになっていた。ミランダやフェリクスも合わせて四人で食事に行く日も近い。

 今後を楽しみに思いながら、彼女は帰路につこうとした。しかし、目の前に立つキーランは退く素振りがない。

「キーラン?」
「ん?」

 相変わらず目を細めながらこちらを見つめる彼。

「帰らないの?」

 店を閉める準備は先程終えた。後は、ここを出て鍵を閉めるだけだ。すると彼は口を開いた。

「その前に一つだけ、良いか」

 何か伝えておくことがあるのだろうか。首を傾げつつ続きを待っているアンジェリアに、キーランは言う。

「したくなった。キス」
「………………えっ!?」

 蝋燭の灯りが彼の輪郭を照らす。アンジェリアは思わず固まった。精悍な顔つきと筋肉質な体型は、今や彼女をしっかりと捉えている。それでいてどこか妖艶な瞳に、あっという間に吸い込まれそうだった。

「帰る前に、一回だけだ。ダメか?」

 アンジェリアは眉根を下げて懇願するキーランに、危うく諾と即答してしまうところだった。すんでのところで留まり、狼狽えつつも考える。

 今日再会したばかりなのに、許して良いのか?
 互いに好きなら問題ない?
 いや、でも──。

「ゆっくり埋め合わせていきたいって、言ってたけど……?」

 数十秒前の言葉を反芻すると、キーランはにっこりと笑う。

「そうだな」

 愛おしげに頭を撫でられる。こちらの話を聞くつもりはあるようだ。しかし反対の手はそっとアンジェリアの顔に触れ、さらには唇をなぞっていく。ゆっくりと顔を近付けられ、息遣いも聞こえるほどの距離になったところで、彼は言った。

「嫌だったら我慢する。だがもし嫌ではないなら」

 ぴたりと動きが止まる。

「ここから先は、アンジェリアに任せよう」
「……っ!?」

 途端に心臓が締め付けられるような感覚に襲われる。拳一つ分ほどしか離れていない互いの口。その距離を縮めたいのならばアンジェリアから動いてくれと、キーランは告げたのだ。

 ちょっ、ちょっと待って。

 アンジェリアは再び動揺の渦に陥った。それでも必死に心を落ち着かせようとした。しかし至近距離にはキーランの顔がある。

 この状態でどう落ち着かせるのだと内心頭を抱えたアンジェリアは、結局諦めた。顔が赤くなり心拍数も上昇している最中に、無理やり平常に戻る高等な技術は生憎持ち合わせていない。

 そうして彼女は、問題を簡略化させることにした。

 好きならする。好きではないならしない。

 結果はすぐに出た。出てしまった。こうなれば腹を括ったもん勝ちだ。アンジェリアはキーランの唇に、さっと己の唇を合わせた。

 これでよし。

 恥ずかしさで死にそうになりながらもどうにかやり遂げた彼女。しかしほっと一息つく間も無く、キーランの顔が再び近付いてくる。気付いた時には二度目の口付けが降ってきていた。

「……っ」

 三度、四度と繰り返される度、口元から吐息が漏れる。優しく重ねるようなものではあったが、これではまるで話と違う。

「キーラン、一回だけって言ったのに」

 半分抗議の目を向けると、彼はようやく身体を離した。

「悪い。嫌だったか?」
「……それを今使うのはずるくない?」

 言いながら、ふと思い返す。そういえばキーランは話が上手かったなと。アンジェリアの弟ウィルフレッドに商人生活を聞かせていた頃のことが蘇った。

 どうやら、彼の話術は十年経った今、さらに強力になったらしい。

 すると今度は額に軽く唇が触れる。再び頭を撫でられたアンジェリアは非難することなく、されるがままになっておいた。

「帰るか。家の前まで送る」
「ありがとう」

 二人で玄関口へと向かい、扉を出て、施錠する。そしてはにかみながら手を繋ぐキーランをちらりと見上げ、アンジェリアは目を細めたのだった。
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