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54話 それを、絆と呼ぶのか
しおりを挟む剣は急所を外れ、ダニエルはかろうじて命を繋いでいた。
深い傷のせいで、夜には高い熱が出た。
誰もが言葉を失い、屋敷には重たい沈黙だけが残っていた。
「こんなになってまで……
僕は、助けてなんて……
欲しくなかった……」
父が死ぬかもしれない。
言葉の途中で、声が掠れた。
外はすっかり暗くなり、部屋へ戻るように皆が促したが、キリアンはそれを頑なに拒んだ。
父の手を握り、肩を震わせるキリアンに、セオドリックが声をかける。
「……それはきっと、
キリアン坊ちゃんを
想う愛でしょうね……」
「愛……?まさか、そんな……
父さんは昔はノアに夢中で、
今はイネスさんに夢中だ!
ぼ、僕のことなんて……」
「――果たして、
本当にそうでしょうか?
剣術など、自ら稽古をして
くださっているのでしょう?」
「……まぁ、そうだけど……
でもそれは、
愛とは違う気がする」
キリアンは拳を握りしめ、布団に顔を埋めた。
「違う気がする?」
「うん……
そんなの、自分が体を
動かすついでに
できることだし……」
セオドリックは分厚い眼鏡を外し、疲れが滲む目で目頭を押さえた。
絹の取引の問題、主の危篤の知らせ――どれも側近であるセオドリックに責任が降りかかっていた。
「父さんは、僕のことなんて
見えていないんだ……」
セオドリックは、手の動きを止めた。
そのまま、しばらく何も言わなかった。
「――ひとつだけ言える
ことがあります。
絆というものは……
形になってから気づく
ものです」
「絆?」
「私に子はいません。
ですが、
もしおりましたら――
理屈より先に、
身体が動いているでしょうね」
「………」
「絆とは、心が繋がっている
関係のことです。
キリアン坊ちゃんは、
心の奥でそれを感じていたの
ではないでしょうか?」
「……心の奥?」
キリアンが顔を上げると、セオドリックが優しい顔で自分を見つめていた。
「ええ……心の奥深くです。
お父上を避けていても、決して
嫌われることはない。
その確信が、キリアン坊ちゃん
にはあったのです。
――違いますか?」
キリアンはハッと目を見開く。
まるで、自分の胸の奥の思いを、そっと言い当てられたかのような気がした。
思わず息をのみ、父の手をより強く握った。
「ぼ、僕が避けてたって
知ってたの?」
「ええ……もちろん。
旦那様も悩んで
おられましたよ?」
「父さんが悩む……?」
「ええ……
不器用な方ですからね。
言葉足らずで……」
キリアンは父を見た。
これまで見たこともない、弱った父。
強いと思ってた存在が、小さく見えた。
「旦那様なら
きっと大丈夫です。
奥様の薬草……
あれは、傷の毒に
よく効きますからね。
騎士たちが、以前奥様から
もらったものだと、
先程届けてくれたところ
なんですよ。
今、煮出してるところです。」
「……うん……そうだね…っ…」
キリアンは手で顔を覆う。
セオドリックは小さく息を吐くと、手に持つ報告を少し躊躇うように目をやった。
「では、わたくしは、
そろそろ戻りますね。」
「……セオドリック、
ありがとう。」
「いいえ、どういたしまして。」
「セオドリックは、
いつも話を聞いてくれるし、
きっといいお父さんになると
思うよ。」
マイリー家に、長く従事しているセオドリック。
キリアンにとって、頼れる大人の一人だった。
「えぇ、そうでしょうね。
――ですが、
その、子がいないのが
問題なんです!」
「あっ……ごめんなさい」
「ハハッ 冗談です。」
セオドリックの揶揄うような口ぶりに、キリアンの顔は少しだけ綻んだ。
――部屋を出て、扉を閉めたセオドリック。
彼の顔はすぐに曇りを見せた。
――絹の入荷。
春には間に合いそうにない。
「旦那様も、この状態だ……
一体どうしたものか……」
――
部屋に一人になったキリアン。
セオドリックの置いていった書類にふと気づく。
それは、ノアについての諜報員からの報告書。
セオドリックは、まだ未熟な子供として扱うことはせず、敢えてその書類を置いていった。
彼自身が目を通し、考え、答えを見つける必要がある――
たとえ子供であっても、事実から目を背けるべきではない。
キリアンもそれを何となく感じ取り、すぐにそれを読み始めた。
――東国イスタンにまつわる、
禁術……書……闇との取引き……
命の犠牲による対価……
文字を追う目の動きが止まった。
意味は理解できているはずなのに、そのまま読み進めることを頭が拒んだ。
父のわずかな呼吸音。
耳から聞こえるその音が、キリアンの心臓をきつく締め付けた。
落ちた雫が、文字に滲む。
キリアンは、目を乱暴に擦ると、再び書面へ目を向けた。
胸の奥で――心臓が跳ねる。
耳鳴りがジリジリと頭を刺した。
そこにあった内容は、キリアンにとって到底信じられない内容であった。
……嘘だ…っ……
ノアがそんな……
……でも、
ノアの剣は、迷いなく
父さんへ向かった……
……いや、 先に剣を握って
いたのは、父さんの方だった
じゃないか……
――キリアンの指先が、ある所で止まった。
"邪術の反動で蝕まれた体は、
呪いによって黒く変色し、
やがて腐り朽ちる"。
ノアの黒くなった体。
「この絵に似てる……」
禁書の挿絵。
ダニエルの雇った諜報員の仕事は確かだった。
「あなた達を、愛してるわ」
僕たちに向けられた、ノアのあの笑顔は、なんだったのか……
そこに"絆"はあったのか……?
「セオドリックの言うことが、
正しいなら、
あの時、ノアからそれを
感じなかった………」
父を刺し、笑いながら馬を奪うようにして逃げていったノアの姿が、キリアンの心を重くした。
「……これは本当なのかな……」
読み終えて、残った事実はひとつ。
父は邪術にかけられ、心を操られていた。
まるで、夢の中にいるみたいでキリアンは素直にそれを信じることができなかった。
そして、長く苦しい夜は、そのまま明けた。
キリアンは父の傍で、椅子に座ったまま眠っていた。
疲れ切った体は、
考えることさえ手放していた。
窓の外が、ゆっくりと明るみを帯び、ダニエルの呼吸が、ほんのわずか深くなった。
それだけのことなのに、部屋の張り詰めた空気が、少しだけ緩んだ。
そして手が、僅かに動いた。
何かを掴もうとするわけでもなく、ただ、そばにあった温もりを探して、自然と伸びていく。
指先が、キリアンの髪に触れる。
撫でる、というには、あまりに頼りない。
けれど、その動きは、確かに意志を伴っていた。
眠ったままのキリアンは、わずかに眉を寄せ涙を流すのだった。
ダニエルは、何も言わない。
言えるほどの力も、まだない。
朝の光が差し込み、二人の影は、触れ合ったまま動かない。
それは、言葉よりも先に、繋がれたものだった。
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