橘 アオイ

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 第一章

 今日は火曜日で、春間佐《ハルマサ》文司《ブンジ》さんの部屋を訪問する日にちだ。

 ハルマサさんと呼ぶのが言いづらいので、いつの間にか僕は春間佐さんをブンジさんと名前で呼ぶようになっていた。でも特に文司さんに特別な反応がある訳ではなかった。

 いつものように手の甲を扉にかざすと入口のロックは一時的に解除される。施設の中に一歩足を踏み入れるとかなり広めの小学校にあるような中庭があり、まん中には季節によって水が出ていない時があるものの一応噴水と呼べるものがある。

その噴水を軸にして2メートル程の歩道が外側に向かっていくつも広がっていて、その歩道と歩道の間にはベンチや樹木などがコレといった決まりも無く、ランダムに存在している。

 10月半ばの中庭には太陽の日がよく差して、歩道をゆっくりと歩いているだけなのにジャケットの下で脇が汗ばむ。
 一番近くの「隣のイロハモミジと同じグループなんです」とでも言っていそうな木製のベンチに腰を下ろすと、暑苦しさのあまり彼は拘束している濃いグレーの制服のジャケットを脱ぎ、背骨にストレスを与えないように程よく反り返っている背もたれにそれを掛けた。

 3メートルはあるのだろうか、まだ緑色部分が多いイロハモミジの少しだけ黄色くなった葉が、強すぎる、さっきまでの日差しを遮ってくれているせいで、彼の右頬にはやわらかい風といっしょに風と手を繋いだ太陽の末端がふわりと当たっている。

 このまま訪問用の作業カバンを枕にしていっそベンチに横になってしまいたくなったが、しかしそうもいかない。彼は仕事中なのだ。それにこの施設内のあちらこちらにカメラが仕込まれていて、皆がモニタリングされている気がした。

「それは、僕には尚更だ」

 袋井《フクロイ》誠《マコト》は声にならない擦れたような声で呟きながら左手を太陽に向かってかざした。

 身体の中を流れる血液には、他にどんなものが隠れているのだろうか・・。どれだけ化学が発達してもその全ては明かされないのか?こんなことを考えるのは僕だけか?それとも僕以外の皆は答えを知っているのか?

 Aエリア第5地区、25棟の5006号室の住人である春間佐文司の所に袋井誠が着くころには少し空気がひんやりしていて、ジャケットを羽織ろうとして彼はやはりやめた。

 部屋の扉の前で一度、鏡を見ないで笑顔の練習をしてから右上のセンサーパネルに右手をかざす。
 彼の指紋を読み取っていつものように、その扉は開く。

「やあ、袋井さんいらっしゃい」

 春間佐文司は扉が開く前から待ち構えているらしく、文司の瞳が彼の姿をしっかりと捉える前にそのセリフが飛び出す。
 一人暮らし用の狭いマンションの半畳もないような玄関のたたきのすぐ後方で、少し曲がった背骨と腰骨の交わるところで後手を組み、文司は誠を迎えるのだ。

「いいんですよ何もわざわざ玄関で待っていてもらわなくても、風邪でもひいたら大変なんですから」

 ピピッ。ピピッ。

 誠の身体が完全に文司の住まいの敷地内に納まったのを判断すると電子音が鳴り、扉が閉まりロックがかかる。

「風邪ですかぁ?そんな病気も昔はありましたな。もう15年以上は縁がないものでね。すっかり、忘れてしまいましたわ」

 文司はそう言いながら手を後ろに組んだまま、誠に白い手のひらを向けてゆっくりと短い廊下を部屋の奥へと進み始める。

「お邪魔します」誠は彼の背中に挨拶をして肩越しに許可をもらうと、脱いだ靴を揃えてその背中に続いた。

 この建物に移住してくる多くの老人たちと同じように文司の住む家にはほとんど余計な物質が存在しない。

 5年ほど前に完成した生活感があまり感じられないこのマンション風のコミュニティーの、文司たちは第一号の入居者として当時はニュースを騒がせた。

 白を基調とした壁にはセンサーが埋め込まれていて、その季節や時間あるいは体温・心拍数に応じてリラックスしたり気分を向上させられる風景などが映し出される。

 高齢者たちが一人暮らしで外出することが少なくなっても自宅に居ながらにして旅先で過ごしている気分になれる。・・というシステムらしい。

 開発者の狙った効果があるのかどうかは分からなかったが、この一泊するだけのビジネスホテルよりも更に生活という臭いが感じられない文司の空間に関してはかなり効果的なシステムなような気が誠にはした。

 2020年以降、かねてからの推計通りに少子高齢化社会は予想通り進み、未婚者や離婚者が増えたこともあり、老後を一人で暮らす人々は65歳以上の人口の四分の一にまで達し、平均寿命が延びて90歳以上まである程度健康で生きていられるものの、身寄りが無く子供がいたとしてもほとんど縁を切られているような人たちが増えていった。

 詐欺や孤独死、認知機能の低下が引き起こす公共道路での逆走や信号無視など、加齢が原因による事故は行政のちからでさえ、もうどうすることもできない。

『溢れてゆく寝たきりという訳でもない、元気だけれども目を離せない高齢者たちを、なるべく偽善的に手を掛けずに統制する方法』

 その解決策として“現代の姥捨て山”が誕生した・・・。



 ただ夢や希望も無く出口の見えないトンネルの壁を伝い歩きする。

 ザラついた手触りの途中、苔のような植物に指先が触れ「何だろう?」と思いながら止まらずに進む。コンクリートの繋ぎ目を覚えて、カビの臭いに気が滅入るーーーー。


「ホラ、袋井さんそこに座って。いっしょに食べましょうや」

 8畳ほどのリビングの奥で春間佐文司の声が誠を呼ぶ。少しだけ温度の上がった空気の中に化学調味料と醤油がまったりとした油に包まれながら漂う。

 雪平鍋を右手に持ち、左手の箸の先からどんぶりの中に中華そばの麺をせわしなく躍らせながら文司は歯を見せて笑い、今度は手際よく包丁に持ち替えた左手の手元には白髪ねぎが刻まれる。

 食材が産声を上げて生まれてゆく。

 台所の片隅から響く包丁とまな板の間で生まれるこの声が誠は幼いころから大好きだった。

 共働きの両親は誠が小学校から帰宅してもいないことが当たり前だった。

 ランドセルからぶら下がっている革製の巾着袋から鍵を取り出して、真っ暗な鍵穴へとそれを入れドアを開ける。誰もいないシンッとした玄関で礼儀正しく脱いだ靴を上がり框《ガマチ》にかかとをぴったりと付け揃えてから上がる。

 自分の中で「ただいま」を言い「おかえり」を言う。

 誠にとっては日常の動作のひとつなだけ。まだ硬い形の良いランドセルから給食用のナフキンにに包まれた昼間のコッペパンのもう半分を取り出す。
 包丁で1センチくらいにスライスしてマーガリンをぬり、出窓の棚から砂糖の入れ物を手で探る。使ったかバレない程度にマーガリンの上に少しだけ降らせオーブントースターで焼く。

 オーブントースターの中で砂糖がこげ茶色に焼けるのを待っている間に電気ケトルに水を入れ、水切りかごから自分のマグカップを取り出してすぐに沸いた白湯を注ぐ。

 あたたかい湯気といっしょにそれを飲むと冷えた体も心もあたたまる。オーブントースターから変身したコッペパンを取り出してほおばる。この時間は誠だけの秘密。

 1時間30分ほど過ぎてから母親が帰宅し、洗濯物を畳んで台所で夕食の支度をする。
 さっきの自分とはちがうリズミカルな音が溢れ、室温が上がり血が通う。
キャベツがニンジンが刻まれ姿を変え、フライパンの中で油が跳ねる音がして調味料のにおいが部屋に馴染んでゆく。

 窓の外が暗くなり始めても誠はしばらくカーテンを閉めずにテレビ画面の中のアニメのキャラクターたちを見るフリをして、窓ガラスに映り込む夕食を作る母親の後ろ姿をずっと見つめた。何も言葉は返ってこないけれど『自分のために何かをしてくれている人がいる』という安心感で誠は満たされたーーーー。

 ずいぶんと長い間、忘れてしまっていたこの感じ。

 いや違う。忘れてしまったのではなく、覚えていてはいけない。求めてはいけない記憶。手を伸ばしてももう二度と掴むことなんて、許されないそれ。

 人間に、いや動物に嗅覚が、昆虫類と脊椎動物に聴覚がある意味に誠は想いを馳せた。視覚とは別に嗅覚や聴覚でしか揺るがすことが出来ない部分が人間にはあるらしい。なるべくそれに触れないように生きているつもりなのに、とてつもない不意打ちで攻撃される。

 普通の人間にとって幸せを感じるために必要な機能が自分にとっては不必要なのだ。
 でもその機能を不必要にしてしまったのは僕だ。

 誰でもなく、僕自身--------。


「ハイ出来ましたよ。大したモンでもございませんがな、さあひとつやって下さいな」

 文司の言葉に誠は我に返った。

 すり鉢状のどんぶりの中に文司が作ってくれたラーメンが無邪気に泳いでいる。

 美しい氷柱の顔をした凛とした白髪ねぎの隣で、誰のいう事も一切耳を貸すつもりがなさそうなチャーシューが大きな体をスープの上に投げ出す。
 そんなクラスの面々をまとめようとするように、すり鉢状のどんぶりの縁の頂から、担任教諭であるこぶし大の黒い板海苔が皆を見つめている。

「いただきます」

 ラーメンの手前に用意された真新しい割り箸を上下に割ると、その音と共にさっきまで目の前にいたクラスメイト達と担任教諭はスープの湯気の中に消散していった。

 箸をつける前に鶏ガラスープの匂いを全身で受け止め、麺を少しだけ箸でつまみおずおずとすすってみる。
 細めの縮れ麺にスープが程よく絡んで麺の小麦の味を引き立てながらもジャマしない。

 白髪ねぎと板海苔を一緒に口に運んでもそれぞれが上手く馴染んで軽やかに口の中で、胃の中で踊る。
 レンゲを使って急いでスープも口の中に流し込む。チャーシューから溢れた油が、ゆったりと身体の緊張を溶いてゆく。

 みっともなく不意に出てきた鼻水をあわててすする。一番最後にチャーシューを平らげて顔を上げると文司が自分のラーメンには手を付けず、頬杖のまま誠を斜めに眺めてうっとりとしているように見える。

「ど、どうしたんですか?冷めますよ。早く食べないと麺が伸びちゃいますよ」

 無防備な自分のまま文司に観られていた自分が急に恥ずかしくなって誠は下を向く。

「私はね、うれしいんですよ。私がこしらえたこんなモンでもね、一生懸命に袋井さんが食べて下さってね」

「いや、その僕こそすみません。おいしかったんでつい・・。文司さんは何処かで修業とか、その何か料理について学ばれたのですか?僕は別に通じゃありませんのでよく分かりませんが、出汁を取って作ったようなスープだなあと思って・・。なかなか素人だとそこまで出来ないのじゃないかと思って」

 自分の分のラーメンをやっとすすっていた文司の箸が、ほんの僅か止まったような気が,誠はした。

「いやあ別に大したものじゃない、年寄りのちっぽけな趣味というところですかな。最初はそんなつもりじゃなかったんですがね。誰かが来るとつい振る舞いたくなるんですな。これが。袋井さんには面倒なだけでしょうが、これからもどうかひとつお付き合い下さいましな」

 しばらく会話が途切れたかと思いきや、誠が気付かない間に文司はどんぶりの中のラーメンを平らげていた。

「ああすみません、うっかりして。先日の健康診断の結果を渡しますね。えっと、その前に僕が洗い物片付けます。タダというのは良くないですから、その位はさせて下さい」

 間を空けてしまうと文司に断られてしまう気がして誠は早口でまくし立てた。

「・・そういう事でしたら、頼むとしますかな」

 穏やかに微笑んではいるが、文司が自分の心をとうに見透かして、それに合わせているのだと誠には分かっていた。

 誠がいそいそと向かったそこは、料理をした後の調理場とは思えない程キレイで、文司の仕事は手際が良い。何か文司の素顔が見えそうなモノは存在しないだろうか、と少ない洗い物を片付けながら誠は痕跡を探したが、それは徒労に終わった。

「文司さん今度は、来週こちらに伺う時は僕が何か作って文司さんにごちそうしますよ。もちろん一人暮らしが長いとはいえ、僕はプロの料理人じゃないですから、文司さんの口に合うかどうかは保証できませんけど。一人で食事するよりは美味しく感じると思うので」

 流しの蛇口から出続けていた水の流れを止め、ひねった蛇口から右手を離さずに文司に背を向けたまま一方的に誠は宣言した。

 文司さんが今どんな表情をしているのか見る勇気はない。また一瞬でも文司さんの中の陰りを見たくはない。

「ええ、いいですとも。袋井さんの気の済むようにして下さいな。私はほどんど好き嫌いはありませんから」




 十一月に入ってもまだ、誠は春間佐文司に手料理を振舞ってはいなかった。

 どうしてあんな約束が口を突いて出てしまったのか。誠には自分でも理解できないでいる。

 嘘を吐いたわけではない。あの時は本気だったのだ。
 じゃあ一体、何をどうやって?

 もうそろそろ文司さんの部屋に定期訪問する順番が廻ってくる頃なのに、自分は何とかその順番を後回しにする方法ばかり考えているではないか。

 狭苦しい自分の脳みその中でいくらそのことを撫でたり擦ったりしてみても逡巡が深まるばかりで、誠は情けなさのあまりに、今の仕事を放り出したくなった。

 2004号室の定期訪問の後、中庭の中央にあるベンチに腰をおろして正面を見ると、珍しく自分と同じ位の年齢に見える青年を誠は、上へと軽やかに舞い上がり、その後に無気力そうに脱力し崩れ落ちる噴水の水の流れの向こう側に見つけた。

「あれっ?」と誠が顔を上げて瞳を直視すると、向こう側の青年のそれと目が合った。

 何となく彼と目が合ったことに気まずさを感じて誠は会釈をしたが、相手は完黙の瞳でそれを無視したので誠に変なスイッチが入る。

 円形の歩道を約20メートル、スタスタと歩くと、取ってつけたように鮮やかに紅葉したイロハモミジの手前のベンチで、足を伸ばしてくつろいでいる彼に誠は声を掛けた。

「いやー、いい天気ですね。僕もよくこの場所で噴水を眺めながら休憩するのが日課なんですよ。貴方もここでよく休憩するんですか?」

 青年はベンチに座り腕を軽く組んだまま自分の近くに突っ立っている誠を一瞥すると、何も言わずに自身が腰を掛けているベンチの右側を占領している紙の散乱を静かにまとめ始めた。

「ち、ちょっと待って下さいよ。別に僕は貴方を追い払おうとしている訳じゃありません。こんな所に若い人がいるのは珍しいですから、つい声を掛けたくなっただけです。邪魔なようでしたら僕の方がここから消えますよ」

 今度は誠の方がベンチの男に踵《キビス》を返して去ろうとした。

「別に邪魔じゃない。お前が此処にいたければいくらでも居ればいい。俺に遠慮をする必要はない」

 低い、陶器の底から響いたような声に驚いて誠は振り返って再び青年の表情を瞳に探したが、青年は誠の存在など本当に、自分の空間の中では一切関わりが無いのだといった具合に、さっきと同じように目線を落として紙の散乱の続きをまとめようとするだけで、誠の期待した返事は見つけられない。

 カアーーッ、カアーーッ、カアーーッ。どこからか烏《カラス》の鳴き声が轟く。

『それみたことか。お前なぞ誰からも相手にされる理由がないのだ。調子に乗って欲を出すから痛い目を見るのだ』

 烏は濡れ羽色の翼をひるがえして、誠の空を飛ぶ。

 陽の光が鉛色の雲の中に姿を消されて行く、誠の瞳の白い光の反射が雲の中に隠され、みるみると生気を欠いた。

「やけに風が強いな」

 ベンチの青年が呟くのとほぼ同時に青年の手元からピシッとした用紙の一枚が、誠の後ろを振り返って固定したままの顔に“生き物”であるかのように張り付いた。

「ふがっ!」

 急に視界が不自由になり誠は呼吸までもが止まる。慌てて犯人を右手でつかみ、再び雲の中から現れ始めた陽の光にソレをかざす。

 何だろう?昔よく見かけた電線にすずめが何羽も止まっているような・・・。

「かせ、お前が見てもどうせ理解できんだろう」

 ベンチの青年が音も無く近づいていたことに誠は自分が森の小動物になったような恐怖を瞬時に感知する。

 誠の指先から、思いのほかふんわりと離れた用紙の一枚を無事に確保した青年の瞳と、今度こそ至近距離で誠は瞳を合わせた。
 先程までの押さえつけるような威光とは対極にある、初夏のみずうみの深緑に太陽が子午線を通過するわずかの時間、水中で光を受けて煌めくエメラルドのような爽やかな揺らぎが青年の瞳に灯っている。

 縮こまった誠の身体は一瞬で解け、今度は別の種類の息苦しさが入れ替わりに誠の身体を操ろうとする。

 近くで見る青年は思った通りに背が高く、180センチ位はありそうで、166センチの誠は急におしりの奥がムズ痒くなった。
 身長のわりに小さな顔のその上に、烏《カラス》の羽のような黒髪が、青白い肌をいっそうに際立たせている。

 恋に落ちた女子高校生状態の誠を上から下まで目だけでとらえて、

「なんだ、思ったよりトシ取ってるな」

と続ける。

「オッサンもやっぱりアレだろ。商売目的でここに来てんだろ。何だかんだ言っても、金払いがいいからな、ここの客は。稼ぐのにはうってつけだ」

 話し方のイメージがちょっと違うものの青年の相変わらずの低音が響き、誠は我に返った。

「キ、キミはその。何かミュージシャンなの?さっきのアレ楽譜だよね。誰かにレッスンとか、しているの?」

「は?レッスンだと」

 鼻から青年とは不釣り合いな不細工な息を漏らしながら続ける。

「本当にオッサンはこれだから話にならない。俺がそんな庶民の暇つぶしにつき合う訳が無い。俺はプロなんだ。聴衆に音楽を聴かせ、それを客は喜んで俺にカネを払う。誰でもが出来る事じゃない。選ばれた者だけが成せる業だ」

 誠は特別保護居住地区にある多目的ホールの壁に貼られたポスターの面影を脳の隅で探る。

「ごめんなさい。僕そういうのさっぱりダメなんだ。疎くて。世の中の当たり前のことを知らないというか、僕がおかしいんだ。だからキミは悪くない。責任は僕にあるんだ」

「・・・・。何か、勘違いしているようだが、オッサンの世間知らずは俺と何の係わり合いもないことだ」

 青年が背中を向けて歩きながら言う。

「名前を、キミの名前を。キミの音楽を聴くよ。名前を!」

 誰かにこれほど興味を持ち、執着している自分に唖然としながらも誠は青年の足元に縋り付いて、離したくない気分だった。

 青年は誠の願いもむなしくそのまま立ち去ったかと思うと、黒いアタッシュケースから何かを取り出し、ゆっくりと誠の方に向かってきた。

「オッサンの世間知らずは俺には全く関係が無いが、芸術を知るのと知らぬの、とでは人の人生のその後を大きく左右する。言っておくがこれは特別だ。布教活動の一環だ」

 上から目線でそう浴びせられながら、誠の手のひらの中に一枚の名刺が手渡された。

『ピアノ奏者 宇都宮ひかる』

 誠は心の中で青年の名をひたすらに反芻した。


「ピアノ奏者 宇都宮ひかる」



 第二章 


 喉の奥の痛みがここ一週間ほど続いている。

 微熱があるらしく、カラダが重い。しかし今日は金曜日。
特別保護居住地区のB棟の住人、緑川由紀子の所へ出向き、ピアノの特別レッスン2時間を務めなければならない日だ。

 通常ならば個人レッスンなど引き受けないと決めているのに・・。定期演奏会の開催に尽力してくれている先生の頼み、なのだから仕方がない。

 宇都宮ひかるは顔を洗いまっ白なフェイスタオルで顔を拭った後、窓際のミニテーブルにタオルを放り投げ吸入器を喉に当てた。

 だいたい、レッスンと言えば聞こえはいいが、ピアノを主に弾くのは緑川夫人ではなくて、この俺なのだ。

 夫人が日常的にピアノの練習などしていない事はすぐに判かる。2週間前のレッスンもそうだった。
「来客が多く忙しくて練習ができない」だの「体調不良で寝込んでいた」だのといった言い訳からまずは始まる。新品で黒光りしていたらしいアップライトピアノには埃が溜まり、あろうことか猫の肉球の足跡が遠慮なく残されていた。

 指導者をわざわざ呼び出しておいて練習をしようともしないのも頭にくるところだったが、緑川夫人が手入れを全くせず決して安くはない楽器であるピアノを、飼い猫であるシャム猫の散歩コースの一部へとおとしめてしまっているその行為に、ひかるは一番夫人の顔面に花瓶の中の水でもぶちまけてやりたい気分にさせられる。

 金持ちの道楽でピアノを買い、結局ほとんど触れることなくインテリアか、ただの物置場になってしまう事例はよくあることだ。しかし夫人はあえて理解した上で俺を試しているのだ。
そんなやる気のない態度の自分を見て個人レッスンをほとんどやらない俺が、果たして自分のリクエストに応えてサービス満点のレッスンを遂行できるのかどうか・・・。

 この俺を試しているのだ。

 宇都宮ひかるは吸入器を喉元から離しながら眼下の少ない人の往来を眺めていた。

 “特別保護居住地区”の周辺に住もうとする若者は、正直多いとは言えない。就業場所から離れていて通勤時間に多くのムダな体力と気力と時間を浪費するし、そんな骨折りは今の時代には合わない。ひと昔前の無力な人種たちのすることだ。

 ひかるは敢えて特別保護居住地区の近くに住んでいる。出張訪問先に近く、家賃も町の中心地区の三分の二程に抑えることが出来る。

 病院や美容院、ドラッグストアー、スーパーマーケットという人々の生活様式に必要な施設のほとんどは無いが、これもまたかねてからの人口減少の当然の結果なのだから受け入れなければならない。

 よくしたもので、インターネットまたはそれに類する注文ボタンを押せばほとんどのモノは自動宅配システムによってすぐに手に入るし、病気の時は画像や会話を使って病院で長い待ち時間のやるせなさに耐えなくても、とりあえず初診は受けることが出来る。

 ひかるの住宅は防音設備が整った賃貸住宅で2LDKのスペースに無駄な物はあまり置かないように努めた。騒がしい場所が苦手で近所の生活音、子供の泣き止まない声、馬鹿な大学生たちの乱痴気騒ぎーーー。

 そんなモノらが耳に入るだけですぐに引っ越しをしたい気分になる。
 何度か段ボールに入ったままの荷物をそのままにまた移動する、という生活を繰り返しているうちに「この荷物は別段、生活をするうえで必要が無いものだ」ということに気付き、その都度移動する段ボールの数も減り、結果、現在のひかるの居住スペースにはグランドピアノと多くの楽譜、寝具と掃除道具、ダンベル。限られた衣類と数少ない食器といった類が残り、過去の思い出に浸れるようなセンチメンタルな品は、ほとんどが綺麗に排除された。

 B棟の8020号室の緑川夫人の部屋に出張するのは決まって午後の13時。早すぎても昼食をすすめられ、遅すぎてもティータイムに突入してしまう。

 ただでさえ、もはや緑川夫人を指導するためのレッスンにはなっていない時間を、ひかるはこれ以上に曖昧模糊にしてしまわないよう、空気を保つことに神経を鋭敏にした。

「ひかる先生、お待ちしていましたわ」

 いつもと変わらない世間ズレしたマイペースな声色で夫人に出迎えられ、ひかるはレッスン室であるリビングの隅へと直行する。
 案の定、ピアノの蓋の上にはシャム猫の散歩の足跡がペインティングされているようだったが、それはひかるの想定の範囲内である。

「緑川さん、何でもいいですから今日は貴女が先に鍵盤を指で押してください。この時間は貴女のレッスンなのですよ。上手く弾けなくても構いません。怒ったりしませんから前回私が弾いたように練習曲の頭から、ここからゆっくり弾いてみましょう」

 ひかるが指のトレーニング用練習曲集の3番目の曲のページを広げて蓋の開いた鍵盤の楽譜立てに収め、ピアノの前の椅子に座るように夫人に促した。

 ひかるに先手を打たれて緑川夫人はしばらく目を見開いたまま立ち尽くしていたが、シャム猫が夫人の前を横切った後すぐにいつもの緑川夫人を取り戻した。真新しい練習曲集を掴み、そのまま迷うことなくひかるの目の前に叩きつけた。

「若僧が、調子に乗るんじゃないよ!アンタのピアノなんて純一郎に比べたら足許にも及ばない。ただ格好つけて自分に酔っているだけじゃないか!他の奴は騙せてもアタシにはお見通しだ」

 つかつかと椅子に腰をおろすと緑川夫人の指は何と鍵盤の上を力強く舞い始めた。
 ひかるは自分の耳を、目を疑った。夫人は楽譜など見る必要も無く、ショパンの『革命のエチュード・作品10‐12』を奏で始めているではないか!何が起きているのか理解できない。

 今、俺の目の前でショパンを弾いているのは本当に緑川夫人なのか?双子の片割れか?影武者ではないのか?これがあのやる気の無い、時間を持て余しているだけの有閑マダムだというのか⁉

 ひかるはもはや立ってなどおられず、壁にもたれ掛かり倒れないようにする以外になす術が見つけられない。

 指の運び、タッチ、速度。夫人の弾く『革命』はとてつもない説得力でひかるの脳内を駆け抜け、見事にその旗をひかるの深部に突き刺した。

 緑川夫人は弾き終えると鍵盤の何処ともつかない場所に視線を這わせながら、言葉を発した。

「アタシはアンタなんかより。アンタ達なんかよりずっと前から純一郎を、純一郎のピアノを知っているの!あの女と出逢うまで、純一郎の未来は輝いていたわ。それがあの女、恭子と結婚した途端によ、その輝きに陰りが差し始めた。・・純一郎は仕事をキャンセルしたり遅れたりするようになって、以前は間違ってもそんな事できるような人じゃなかったのに。彼の生活態度はあっと言う間に堕落して昼間から酔っぱらって、ピアノなんて弾き方を忘れてしまったようだったわ・・・。あんなにも美しかった品のある佇まいが、まるで幻だったみたいに彼は落ちぶれていて、アタシが最後に会った夏の日『こんな風な自分を訪ねてきてくれるのは由紀子だけだよ。ありがとう』って。買っていった大きな西瓜をアタシから受け取って大事そうに両手で抱えて、何度も何か言いながらアタシに頭を下げていたわ。痩せ細ってしまった純一郎の姿を見るのが辛くてアタシは仕事だと嘘を吐いて急いでその場から逃げてしまった。アタシの嘘を純一郎は分かっていたと思うけれど、彼は精いっぱいの笑顔でアタシを見送ってくれた。あの時、玄関のドアを少しだけ開けてその隙間からアタシをじっと見ていた子供。それがアンタよ」

 緑川夫人が投げつけた今まで見たことも無い視線に、ひかるは完全に射抜かれ、壁から崩れ落ちていた。

「純一郎が亡くなったって知ったのはその一年後。あの時、西瓜なんかじゃなくて現金を持って行くか・・いいえ。彼をあの場所から拉致でもすれば良かったのだと、心底後悔したわ。・・・彼は事故死だったと聞いたけれどアタシは違うと思ったわ。純一郎は自ら、死を選んだのよ。彼はピアノを思うように弾けない自分の人生に、自分で幕を降ろしたのよーーーー」
 
 緑川夫人に投げつけられた言葉が、ショパンの作品10ー12エチュード『革命』の旋律に乗ってひかるの脳内で何度も続けてそれらは奏でられた。

 自分が生まれる前の父親の姿を緑川夫人は知っている。しかも自分の中に居る単に数人の子供にピアノを教えているだけの、うだつの上がらない父親ではなく、生命力に満ちたピアニストとしての宇都宮純一郎を知っている・・・。
 
 ほとんど人の気配がない噴水の周りのベンチのひとつに座り居場所を定めると、少しひかるの気分も落ち着いてきた。いつもに増して噴水から流れ出る水に勢いはなく、ひかるの知る父親の姿と重なった。

 昼間から酒の臭いが彼を包む。普段はとても優しいのに理由もなく彼は豹変する。
 そんな時、幼い自分は決まって外に出て近所の草むらの中や隣の家の反対側の壁の下に隠れた。父親から殴られたくなかったし、何より自分の頬を父親が、彼の手でもってはたく姿を見ていたくはなかった。

 彼の手はピアノを弾くためにだけあるのだ。

 ひかるはごくたまに父親の調子が良いときのピアノの音色を聴いて直感でそう思った。母親の財布から酒代をくすねるのでも、母親の暴力から自らを防御するのでも、震えが止まらない手を押さえるのでもなく・・美しい調べを奏でるためだけに彼の両手の全てを解放していて欲しかった・・・。

 父親が亡くなる三ヵ月前くらいに母親の恭子は家を出てしまっていたので、純一郎が亡くなった後ひかるは純一郎の祖父母に引取られ、きちんとした教育の下で不自由なく育てられた。

 当時、水商売をしていた恭子を、将来を嘱望されている純一郎の結婚相手にふさわしいと認める者は少なく、もちろん祖父母も反対していたために、二人はいわゆる“駆け落ち”をして一緒になったという。

 初めて祖父母と対面した時に「自分は憎まれているから捨てられるかもしれない」とひかるは覚悟していたが、意外にもそれは幼いひかるの心をムダに絞めつけるだけで終わる。自らの息子を育て直すか、それ以上の愛情で祖父母はひかるを温かく迎え入れたのだった・・・。

 27年間生きてきて、もしかしたら今日が初めて父親の本当の姿を見た日なのかもしれないと、ひかるは思った。
 誰の手も借りずに一人で生きて、ピアノで一人前になった気でいた自分に、緑川夫人の復讐は見事に炸裂し大成功した。

「アンタとアンタの母親が居なければ、純一郎はあんなに早く世間から消えることは無かった。そう思う度にアタシは腹が立ってアンタ達親子が憎たらしかった!だってそうでしょう。道を逸れてさえいなければ友人としての純一郎は今でも存在し、一緒に連弾を奏でられるかもしれない。世の中の底辺に居るどうでもいい人間に、ひとりの天才ピアニストの生命イノチが奪われた。純一郎は殺されたのよ!アンタ、風貌は父親に似ているけれど、ピアノは全然ダメ。似てないわね。ピアノはテクニックだけで弾くものじゃないわ。心で奏でるものよ。さあ、わかったらサッサと出て行って、アタシの前で二度とその下手クソなピアノを弾かないで頂戴!」

 緑川夫人の言葉が時間が経つごとに、かえってひかるの脳に刻まれて行く。

 今夜は自宅に帰って一人で過ごすいつも生活が、まるで苦行のようにひかるには思えた。泥沼にはまってもがく鴨が、どんどん身動きが取れなくなって・・・。俺はまたいつもの自分に戻ってピアノを堂々と弾けるのか?一晩ぐっすり眠れば全ては夢の中の出来事で、何も無かったように振る舞える・・・。

 ダメだそんなワケないじゃないか!

 緑川夫人のショパンごと夫人の部屋から転げ落ちるように逃げ出た時に強打した左足が今頃ジワジワと痛む。友人らしい友人などいない。知り合いならいるが、こんな時に一緒に時間を過ごしたりしたら益々悪化しそうだ。久しぶりに祖父母の元を訪ねようか?いやダメだ、絶対に何かあったって気付かれる。大体、あの母親を思い出させるんだから傷口に塩をこすりつけるようなものじゃないか。

 今まで、どこに行っても一人で寂しいだなんて感じたことはなかった。誰かを心から愛したことも、恋人が欲しいと思ったこともない。

 無気力に活動を続けている噴水とひかるの座っているベンチの間を、一枚の抜け落ち変色した枯れ葉が風に乗ることも出来ず、ズリズリと石畳の上を重たそうに這って行く。

 ぼんやりとそれを眺めていると、何か白い影がひかるの視界の縁に入った。

「あのー、大丈夫ですかぁ?」

 意外にもそれはひかるのすぐ近くに立っていた。急に雲の間から陽が差し出して逆光になっている。誰なのか確認できない。ただ、彼女の服装が白いことはわかった。

「白衣の天使?」

 ひかるは呟いていた。




 第三章


「文司さぁーん。文司さぁーん。ごめん、ここ開けてくれる?ドアドア」

 瀬戸マリアの馴染みのある声に促されて、春間佐文司はドアのロックを内側から解除した。

 身長157センチのマリアが、おおよそ身長180センチはありそうな大男に肩を貸して目の前に立っていた。おまけに仕事道具の入ったいつもの鞄を首からぶら下げている。

「ふうーっ助かったあ。もう限界だって」そう言って瀬戸マリアは室内に倒れ込んだ。結果としてマリアが黒い服を着た大男の下敷きになっただけで、何も問題は解決していないように文司には見えた。

「マリアさんそんな所で寝られても困りますよ。風邪をひきますから、もう少し中に入って休んで下さいな」
「そもそもこの人が・・。ちょっといつまで私の上でくつろいでいるのよ。息苦しいじゃないの!」
「ああ、失礼。すまない」

 宇都宮ひかるはやっと身体を起こしてシワの寄った身なりを整えた。

「まったく気が利かないわね、あなた。どういう教育を受けてきたのかしら」

 そう言いながらマリアは自力で立ち上がり、肩まである髪を束ねていたヘアゴムを一度外して口に銜えると、固まった髪をまた軽く整えてからキュッとゴムでひっ詰めた。

「あーごめんなさい文司さん。急で申し訳ないけれどこの人をしばらく救護して欲しいの。えっと私も詳しい事情は知らないけど、一人にしたら死んじゃいそうだから、この人。私まだ仕事の途中で廻らなきゃならないの。終わるのが18時か19時か・・その位になったらまた迎えにくるから。じゃあ後はよろしく!」

 瀬戸マリアは早口で文司に告げると、大男の黒い鞄をくくりつけてあった背中から外して玄関先に放り投げて二人の前から消えていた。

「ほう、相変わらずたくましいですなぁ。ホレホレあんたさんも、そんな所にぼさーっと立っていないで中に入ってゆっくりしたらええんです。あー言っておきますがな、私はマリアさんのような芸当は出来ませんから。あんたさんはご自分のその立派な足で立って歩いて奥まで入って下さいな。少なくともこの年寄りよりは体力がおありでしょうからな・・」

「お・・お邪魔します」

 宇都宮ひかるは不思議な気持ちだった。見ず知らずの他人の家に急に上がり込んで、それを断りもしない自分がいる。ほとんど余計な物が置いていない老人の住居はあまり広くないはずなのにスッキリとしていて、気分がとても落ち着く。リビングの奥の二人掛けの白いソファーに当然のように腰を掛けてしまった。

 ああ、ここでは何も警戒しなくていいんだ。自分を大きく見せようとしなくても、誰の眼も気にしなくていいのだ・・・。

 祖父母の所でも、ピアノの先生の所でも、感じる事の出来なかった心地だ・・・・。

「・・もし。・・もし。起きて下さいな。ちょいと、ちょいと。困りましたなあ。ごはんができましたよ」

 春間佐文司に上半身を揺り動かされ、ひかるは我に返った。

 えっえっ?何が起きているのか分からない。ここが何処で自分がどうして知らない人間の家らしい所で毛布を掛けられてすやすやと眠ってしまったのか。

 寝ぼけ眼状態でまだ状況が呑み込めていないひかるを置いてけぼりにして、キッチンの方で文司は手招きした。

「おいでなさいな、こっちこっち」

 またしてもひかるは不思議な感覚に陥る。どうしてこうも簡単に自分は老人の言う事に従ってしまうのだろう・・。
 狭いはずなのに広く感じるスペースの向こう、キッチンの四人掛けテーブルには何と、ひかるの前に先客が二人いた。

「あれ?おはよう。もう落ち着いたの」

 白衣の天使に見えた女が口にモノを入れたままで喋り、その隣。黒めがねのチビが割り箸を置き立ち上がりながら叫んだ。

「宇都宮ひかる!」

「おやっ、袋井さんとあちらの方はお知り合いでしたか。それはそれは。ホレホレひかるさんも早くこっちへいらっしゃいな」

 ひかるさん?何だか照れ臭くなりながらひかるが席に着くとタイミングよく文司はラーメンを運んできた。

 美しく白濁したスープの中に細めの麺が気持ちよさそうに泳いでいる。スープのエキスを含んだ湯気が顔と髪にかかる。いつもなら神経質なひかるは臭いが自分に付くのが気になってラーメンは外では食べないが、今日は特に気にならない。それよりも誰かと一緒に食卓を囲んで温かな気持ちになったのは何年振りだろうか?
ひかるは割り箸を丁寧に両手で横に割った。

 宇都宮ひかるが僕と一緒にここで。文司さんといつもは二人きりのこの食卓で、僕と同じように限られた場所で文司さんの作ったラーメンを啜っている・・・。

 袋井誠はラーメンを食べながら上目使いでななめ向かいに座っているひかるを見ていた。

 彼と偶然に出逢ってその日のうちに誠は彼の音源を探して、すぐに購入した。
 仕事の休憩中と眠る前の数分間というもの毎日ひかるのピアノを聴いている。別に誠はミーハーでもないし、クラシック音楽に興味を今まで一度も持ったことはなかった。全てを諦めることが自然と身についている誠の人生の中で、どうして宇都宮ひかるに対しては欲張ろうとする自分が出てくるのか?

 半熟卵の黄身をつついて麺をからめて一緒に啜る。

「相性がいいんでしょうなあ」
 文司がなぜかポツリと言う。

 自分の心を見透かされた気がして誠は思わず麺を口にくわえたまま文司を見た。
「ホラ、ホラッ」文司に眼で促されている気がして、誠は口元に気合を入れる。

「宇都宮ひかるくん。僕と、その・・友達になって下さい」
誠は立ち上がって一礼した。

「何?愛の告白?」
 瀬戸マリアは面倒そうに誠を見た後、チャーシューにパクついた。

「あー美味しかったあ。ごめんね文司さん図々しくいつも食堂みたいに使っちゃって。私一人だとあんまり食べたくなくなっちゃうから。・・つい疲れるとここに来たくなるの。もうすぐ最終のバスが来るから私、行くね。明日も早いんだあ。二人はもう少しゆっくりしていなさいよ。その方が文司さん嬉しそうだし」

 瀬戸マリアが仕事道具を小さな身体で抱えて文司の住まいを後にすると、ひかるも立ち上がった。

「ごちそう様でした。お世話になりました。今夜はちょっと余裕がありませんのでこのまま帰ります。今度改めてお礼に伺います」
「いや、なんの。元気になって何より何より。しっかりお眠りなされよ」

システムキッチンのカウンターにもたれ掛かりながら文司はひかるに手を振った。

「あれあれ、また二人きりになりましたな。お茶でも淹れますか」
文司が淹れた緑茶で一息つくと、誠は訊ねた。
「文司さん、僕は彼に振られてしまったということでしょうか?僕は彼に嫌われているのでしょうか。僕のような人間はやはり、何も望んではいけないのでしょうか・・・」

「・・少しだけ、今日はちょっとタイミングが合いませなんだなあ。ひかるさんにもひかるさんのペースがありますから、それだけの事です。袋井さんはもう、全てを気にしなくてもいいのですよ。長い間一人で闘ってきたのですから」

 文司さんは不思議な人だ。親でもないし、祖父とも学校の先生という感じとも違う。温かい人だけれど、時々怖いと感じることがある。僕の秘密を全部知られてしまっているのではないか・・。

 もしそうだとしてもそれは僕の自分のせいで、何かを諦めることは昔からもう身についている。そうやって皆の人生のキラキラした部分を見ないようにしてやってきたじゃないか。
 世の中の人からサゲスまれても石を投げられても受け入れなければいけない責任が僕にはある。

 誠は特別保護居住地区の中庭をゆっくりと歩いていた。時刻は21時を過ぎそうだったが、そもそも公共の乗り物を利用していないので瀬戸マリアのように慌てる必要もない。

 マリアと同じ事情で慌てる必要はないが、別の理由で慌てる必要が誠にはある。21時30分以内にこの地区の外に出なければならない。何か特別なことでも起きない限り、例外は許されていない。
 面倒なことに巻き込まれたら・・・。今の誠が持っている数少ないほんの僅かな温もりさえ根元から消えてしまいそうに思えて、誠は身震いした。

 足早に出入り口のセンサー付近まで着いた所で、何か誠は視線を感じた。ヘビ?カエル?ムカデ?

「な、何ですか?誰かいるんですかーー」誠は、右手に持っていたポケットライトを腕を伸ばして少し高いところから視線の先の方へ光を向けてみた。

 わずかにカサカサとした枝に残された枯れ葉が風のちからでこすれ合う音が聴こえるだけで、いつもの仕事終わりと何も変わりが無さそうだ。800人近くの住人がいる筈なのに、この特別保護居住地区には、生きている人間が住んでいるという生気があまり感じられない。

 誠が6年前にこの仕事に就いた時にも何となく気になっていたが、この何か喉の奥がむずむずと理由もなくかゆくなるような違和感に誠は定期的に襲われる。

 元々、この特別保護居住地区にやってくる人たちは誰かと気持ちを共有したいとか、一人だと不安だとか思わない人種なのだ。と誠は自分に言い聞かせる癖が知らない間についてしまった。

 正直そんな後ろ向きな考えは普通の人間たちの頭では良くない発想なのだと思う。しかし誠にとっては逆に一定のラインから出ようとしない此処の住人たちの常識が好都合だった。

 顔を覚えて次に話が長くなっていって、笑顔が増えて行くその先に、誠には自分でも耐えられるのか想像もできない絶望が必ず大きな口を開けて待っている。

『最初から、知らなきゃよかった・・・』

 何度も味わって砂嵐の中でもがいて、やっと嵐の勢いが弱まったような気がしても、誠の口の中はジャリジャリとした砂が湧き出てくる。

『何も求めなければ、これ以上にもこれ以下にもならない』

 特別保護居住地区の住人たちとの人工的なやり取りの中で誠が傷を負うことは案の定、今まであまり無かった。

 住人たちの部屋を定期訪問する。という取り立てて難しい資格が必要でもないこの仕事に就こうとする若者は少なく、就いたとしてもすぐに辞めてしまう。

 理由はハッキリせず、とにかくやる気を失い精神が不安定になり、体調を崩し日常生活がままならなくなる。・・というのがほとんどだったらしい。

 誠のように5年以上続いているケースは稀であるらしいが、誠の場合は自分の自由意志だけでは職業を選べない。
与えられた仕事をアンドロイドのようにただこなしていれば良いのだーー。

 誠が左手の甲をセンサーにかざして特別保護居住地区のロックを解除しようとした、まさにその時足下に視線を感じた。おそるおそる追ったその先に、一人の男の子がしゃがみ込んでいるではないか。

「!!」

 ちょっと待てよ、今僕が目にしたモノは一体何なんだ?
 誰か、此処の住人たちの誰かが所有していた出来のいい対人用のおしゃべりロボットか何か・・・いや、それにしてはあまりにも機械感が薄い。
 いくら裕福な住人も少なくないとはいってもこんなにも端正に作られているわけがない。・・ということは、つまり。つまり人間の子供ってことじゃないか!

 誠の顔は見る見るうちに午前1時に月光に照らされた6月の湖の湖面のように、蒼白く揺れる。

 バカな。どうして子供がこんな時間にうろうろしているんだ?
 そうだきっと面会の許可をもらって祖父母に会いに来て、その帰りなんだ・・その帰り?だったら両親は?親のどちらかが居るはずだその辺に・・・。

 誠はできるだけ首を前後左右に振ってこの男の子の関係者が視界に入ることを祈る。
 誠の願いは虚しく散り、そこに在るのはいつもとよく似た静寂と少年だけ。

 この子を連れて僕がここを出ることは決して出来ない。
 だからといって放って帰る訳にも・・何か別の事件が発生したりしたら、それこそ面倒だ。仕方がない。誠はそうっと少年に近づき、少年と同じ目線の高さにしゃがんだ。

「ちょっとキミどこからきたの?どうしてこんなところにいるの?おとうさんやおかあさんは?」

 拒まれると誠は思い、次の言葉を頭の中で探しながら言ったが、少年は意外とあっさり口を開いた。

「ボクここにはひとりできた。だれもしらない。きっとどうでもいい」
 誠は首を傾げる。

「どうでもいい。って事はないよ。きっとみんな心配して・・」
 少年の意志を持った瞳が、誠の言葉があっけなく遮る。

「・・そんなのききあきた。ボクをだまそうとしてもダメさ」
「別にだまそうとなんてしていないじゃないか!あーそうじゃなくて。とにかくこの場所はキミがいちゃダメな所なんだ。入ってきた時と同じように、ここから出るんだ!」

「なんで?なんでここにいたらダメなの?ほごされるひとがいるんでしょ。ボクだってほごされるひとじゃんか」
「そうだけど、そうじゃないんだ。今は時間がないんだ。キミがここにいたくてもそのうち見つかって家に帰される。ここでごねてても結果は一緒だ。それがイヤだったら自分から動くんだ!」
「・・・・・・」

 ぷうっとむくれて少年はそっぽを向いた。

「はあーっ」誠が空を仰いだその時、何か人影のようなものが視界に入った。
 “宇都宮ひかる”まだ帰っていなかったんだ。これは渡りに船。使えるモノは何でも使わなきゃ。
「ひかる~。ひかるぅ~」

 自分の名前を呼びながら大きく手を振る誠が目に入ると、宇都宮ひかるは一旦立ち止まり、そのまま誠たちの方向へ歩みを寄せてきた。
「ひかる。良かったあ。説明している時間はないんだ。この子を連れて一刻も早くここから出てほしい。今すぐに!」

 誠は再びしゃがみ込んで目線を近づけて少年にも言う。

「さあ、いいねキミもごねていないで僕の言うことをきくんだ。このおじさんとそこのゲートから向こう側へ行くんだ」

 誠は呆然とつっ立っているひかるの左手と少年の右手を引っ張ってつなぎ合わせると、そのままドンッと二人を押し出した。

「ほら、早くしないと時間がない。ほら行った行った!」

 大きなジェスチャーで誠が行った行った!と両手を下に向けて顔の少し下の位置でだらんとさせて外側にはらってみせると、二人は素直にそれに従いゲートの外へと消えた。

「・・・。お前だれだ?なぜ一人でこんな所にいる!」
「ボクは岩永ヨシ“いえで”してきた」
「家出?」
「そうさ、もうあんなとこにもどるもんか!しばらくひかるのいえにいるから、よろしく」
「お前バカか!としはいくつだ、どうして親でもない俺がお前の面倒をみる必要がある。お前の家出など知ったことか、俺は自分の家に帰る。お前は勝手にしろっ!」

 宇都宮ひかるは少年と繋いでいた手を勢いよく振りほどいてスタスタと一人で歩き出した。

「ひかるにゆうかいされたっていうよ!」
少年の投げた言葉がひかるの頭に見事に突き刺さる。
「ボクがさわいだら、こまるのはひかるだろ?ピアノがひけなくなってもしらないよ」
「お前、俺を知っているのか?」
「うつのみやひかるだろ、しってるよ。こどもだからってバカにすんな!」
「・・・・・」

 少しの沈黙の後、ひかるは少年の元へと戻り問いかけた。

「お前ピアノが好きか?」
「うん、すき。ひけないけど」
「そうか、わかった」

 ひかるが少年の頭の近くに左手を差し出すと、少年の右手がそれを掴んだ。

「はじめに言っておくが、今夜だけだぞ。明日になれば警察にお前を連れて行く。それで俺の役目は終わりだ」
「・・・・・・・」

 黙ったままの少年の右手に温かさを感じながら、宇都宮ひかるは少年と共に風が少し強くなりだした月光の下を歩いたーーー。



 第四章


 特別保護居住地区のゲートを出て約2分ほど、歩いてすぐの場所に袋井誠の住処はあった。

 昔は高校か専門学校か何かの学生寮だったらしい。地上3階建て、縦・横に規則正しく窓が15個並んでいる。
バス・トイレはそれぞれの部屋ごとに一応備え付けられており、間取りは6畳2間と、ごく小さな気持ちばかりのキッチンがある。部屋から出なくてもある程度の生活をおくるのに不自由はない。

 特別保護居住地区の住民に何かあって、危険だという信号が送られると真夜中だろうが何だろうが、右の足首に微弱な電流が流れて起こされる。
 その度に誠は家にいる部屋着のままとりあえず信号を発している住民の部屋に駆け付けるというしくみだ。

 その呼ばれる内容というのが住民の体調に異変が生じた、という理由は少ない。
 大概が家にゴキブリや蜘蛛が出たとか、トイレの水が流れないとか、洗濯機が途中で動かなくなった。料理をたくさん作りずぎて食べきれない。急に昔を思い出して寂しくなってしまった、家具を動かしたいので手伝って欲しい・・。といった具合が現状であった。

 本来なら家族と同居していれば騒ぎにならないだろう。
 一人暮らしだとしても近所の住民たちとコミュニケーションが取れていれば、誠が呼び出される回数は減るはずだ。しかしこれだけの住民が同じ場所に居ながら、ここの住民たちは近所の住民同士でコミュニケーションを取りたがらない。

 単純に考えれば、同じ位の年齢の者同士の集まりなのだからさぞかし気が合うだろう。と捉えがちだが、幼い子供と違って年齢を重ねれば重ねるほど人間は複雑になってしまうようだ。

 今まで自分が就いてきた仕事での社会的地位、受けてきた教育。築き上げた財産、趣味嗜好。
 この特別保護居住地区では、住民たちが移住する際に預けられる納入金によって住居エリアが分けられているので、本来はある程度生活レベルの近い者同士が近くに住むシステムになっている。

 気を利かせたつもりでも、それはなかなか機能していない。
 世の中便利になって家の外に出なくても買い物ができたり、医者の診療を受けたり、食事だって運んでもらうことが出来る。

 悩みがあればAIのカウンセラーに恥ずかしがらずに何でも相談できてしまう。
 家の中にいて世界中のあらゆる場所をバーチャル体験することも可能。

 人と人同士が直接ふれあうことに何の意味があるのだろう?と誠はこの仕事に就いた時から考えるようになっていった。人を介さなくても生活には正直困らない。だけれど、人間としては困るのではないか・・。

 狭いバスタブに浸かりながら誠は今更「ハッ」とした。
 しまった僕は何てこと・・。あの子はどうなっただろう?宇都宮ひかるにしたって僕は彼のことをどういう人間なのかほとんど知らないじゃないか。
 一番最初に彼に逢った時のことを思い出せよ、どう贔屓目に見たって誰かに歩み寄る感じじゃなかったじゃないか。あのままゲートの外に二人で出たにしたって、あの子を置いてけぼりにして一人でさっさと帰ってしまったかもしれない。
 
 あの子にしたって僕と打ち解けて心を開こうなんてしていなかった。
 大人を拒否して自分の殻に閉じこもっていたじゃないか。

「どうしよう」誠は呟いて狭いバスタブの湯の中に頭を沈めてみる。顔も頭も何もかも水の中の世界では全部が無かったことになる。

 もしかしたらこちら側が本当で外側が幻じゃないかと思う。いや、思いたいんだ。母親のお腹の中にいた頃の自分でまだ何も始まってはいない。何もかも希望に満ちて、今だったら何もかも思い通りに・・。

「ぷはーっ」息苦しくなって誠は顔を水中から上げた。
 何やってんだ僕は、今はそんな場所に逃げている場合じゃないだろ。だいたい思い通りって何だよ?僕はどうしたいっていうんだ。

 誠は拳で水面を強く殴り、そのしぶきが誠の瞳の中に容赦なく突き刺さる。
 ああこれだ。僕の人生はいつだってこんな具合。僕みたいなちっぽけな人間がジタバタしたって何も変わらない。

『変わらないんだ。何も』



「ねえ、なんかひいてよ。ひかるぅ」

 岩永ヨシはジャケットを脱いでトルソに掛け、白い革張りのソファーにもたれて窓の外を見つめている宇都宮ひかるの、折れ曲がった長い脚の膝の辺りのズボンを引っ張ってねだった。

「おい、ヨシと言ったな。調子に乗るんじゃない。俺はプロのピアノ弾きだ。いくら子供だからってお前のワガママに付き合っていられるか。それより、もう遅い。子供は寝る時間だ。風呂を入れてくるからよく温まって寝るんだ」

 足元にいるヨシ少年を振り切ってひかるはバスタブに湯を張り始めた。壁にあるコントロールパネルをONにするとボタンが表示され、スタートを押すと勝手に湯を張り始めて自動で止まる。

「ボクおなかすいた」

 むくれたヨシがソファーの隣で体育座りしながらひかるを睨んでいる。
「あっと、そうだったな。俺は食べてきたから気付かなかった・・何が食べたい?デリバリーで注文すればここでも30分以内で届くぞ。ピザか?ハンバーガーか?寿司か?」
「・・そんなのいらない。ひかるがつくってくれたものじゃなきゃたべない」
 部屋のモニターでデリバリー検索をしていたひかるの手が止まり、顔が固まる。

「期待しているところ悪いが、俺は料理はしないんだ。手を怪我でもしたら困る。お前のリクエストには応えられん」
「じゃあ、みずでいいよ。みずはどのいえにもあるだろ?いますぐひかるがもってきてよ」
「くっ」
 何てガキだ、これだから子供は嫌いなんだ。まったく、どう教育されたらこうなるんだ!

 宇都宮ひかるは仕方なくキッチンに向かい、棚からシリアルの袋を取って小さめのボウルに滑らせ、冷蔵庫から牛乳を取り出してシリアルの上に注いで電子レンジで少しだけ温めた。

「よその家と違って俺の家には余計なものは置いていない。これがこの家で俺が用意できる精いっぱいというところだ。口に合わなければ無理して食べなくていい。そのかわり水だけは飲め。ここでお前に飢え死にでもされたら俺が迷惑なんだ。水なら好き嫌いなくお前でも飲めるだろ」

 ひかるはシリアルの入ったボウルとミネラルウォーターの入ったグラスをヨシの近くにあるリビングテーブルの上に置いた。いったん離れてグレーのスウェットに着替えてからリビングに戻りグランドピアノの蓋を開けてそっと鍵盤に触れる。

 温めた牛乳の中でぷくぷくに太ったシリアルをスプーンで口の中に運び入れていたヨシ少年の手が止まる。
 ヨシは食べるのを止めて両手を膝の上に規則正しくちょこんと乗せると目を閉じて、すうーっと深呼吸してみた。

 今までヨシのそう長くはない10年間と5カ月の人生の中で、一番きれいな空気に全身を包まれた気がしていた。

 ひかるの指先から生まれた音がヨシの気持ちをワクワクと軽くしてゆく。ザラザラとしたヨシの心の中に溜まっていた砂がヨシのお腹の下の方からどこかへ消えて行く。

 ひかるの奏でるショパンのノクターン第三番作品9ー3が部屋中を満たし、ひかるの背中から言葉が聴こえてくる。

「俺はただ自分のピアノの練習をしているだけだ。お前に聴かせるために弾いているのではない。だから聴きたくなければ聴かなくていい。聴きたければ聴けばいい」

 誰の何という曲なのかヨシには分からない。だけれど思ってもいない言葉でなぐさめられるよりも、ヨシの心の中のカラカラのところに染み込んで潤う。さっきまでのひかるの態度からは信じられない細やかで生きているような音が流れる。

「このひとはきっと、あったかいひとなんだ」
 ヨシ少年は確信した。

 いままで、おやもがっこうのせんせいもみんなおおウソつきだ。できないやくそくや、おもっていないことをいってこどもをよろこばそうとする。こどもだからなにもわからないとおもっているんだ。かってにはなしていればじぶんたちのやくめはおわりで、あとはボクたちがいうことをきくとおもっている。

 ヨシ少年の頭の中には父親と母親がいつも口ゲンカしている朝と夜の様子が浮かんでいた。

 ケンカしておとうさんがでていったときはおかあさんが、おかあさんがでていったときはおとうさんが。ぐちゃぐちゃになったいえのなかをかたづけながら、となりのへやからボクをみつける。そしてみつけるときまって、めんどうそうなかおでボクをみる。

「おまえなんか、いっそいなければよかったのに!」そういわれているきがしていた。

『ボクなんかいないほうが、きっとこのいえのなかはへいわなんだ。ボクがいないほうがきっとおとうさんもおかあさんもうれしいんだ』

 二人の顔が浮かんできて、ヨシ少年の瞳に溜まっていた涙が握っていた小さな手の上にこぼれた。

 ひかるのピアノはショパンのノクターン第12番作品23ー2を奏で、ヨシの背中を優しくさすっている。

 ヨシがひかるのピアノを初めて知ったのは、クラスメイトの姫乃ちゃんだったか?が姫乃ちゃんのおたんじょうび会で聴かせてくれた時だった。おたんじょうび会なんてプレゼントを買うお金もないし、着て行く服もないからヨシは行くつもりがなかったけれど「どうしても手ぶらでいいから」という姫乃ちゃんのリクエストで、ヨシはしぶしぶケーキ目当てで参加した。

 手ぶらで行ったのにどうしてかプレゼントを渡すときにヨシの分もプレゼントは用意されていた。まわりの子供たちがどういう子たちで何を祝っているのか興味がなかったヨシは、ケーキも食べて目的は達成できたので帰ろうとしたその時、宇都宮ひかるのピアノの調べが広い姫乃ちゃんのおたんじょうび会のメインルームこと、リビングルームに流れたのだ。

 それまではどうやって帰る前にテーブルの上の皿にならべられているカラフルな焼き菓子をポケットにそっと入れて帰ろうか、ということばかり考えていたヨシ少年の頭の中の全てがひかるのピアノの音を聴いたと同時にすっ飛んでいって、キラキラとした星でいっぱいになった。

 なんだろう?このかんじ。どうしてほかのことがどうでもよくなるんだろう・・。

 ヨシは音源が宇都宮ひかるのピアノであることを姫乃ちゃんから訊きだすと、ほかに何かしゃべりたそうにしていた姫乃ちゃんをほったらかして家までダッシュ。壁のモニターの電源をオンにして宇都宮ひかるのピアノ音源を探した。無料で聴ける音源は少なかったけれど、それがたとえ短くてもヨシには充分だった・・。

 ヨシ少年の頭の中から姫乃ちゃんがすっかり消える頃、ひかるのピアノはショパンのバラード第1番作品23を奏でている。

 いま、あのひかるのピアノのおとがじぶんのめのまえで、だいすきなひかるがピアノをひいてくれているんだ。と思うとヨシは姫乃ちゃんに感謝しながらも、姫乃ちゃんも自分の両親のことも、家を出てきたことも、全部がどうでもいいことに分類された。

 このまま、じかんがとまって、ここでひかるのピアノをききながらスウーッときえて、しんでしまいたい。とヨシは思った。

 およそ9分間ほどの最後の曲を弾き終えると、ゆっくりとひかるは鍵盤から手を降ろし、ヨシの隣にひざまずいて泣いているヨシを抱きしめていた。

 なぜ、俺はこんなことをしているんだ?子供の世話なんてガラにもない。

 ひかるの意志とは関係のない違う部分で身体を誰かにリモートコントロールされている気がする。

 ヨシの小さな頭を撫でながら、頬に溜まった涙をひかるは慣れていないその大きな手で拭う。
 あまりにもその頭が小さく、やわらかく。
 自分の手のひらの中にすっぽりと納まって消えてしまいそうなこの少年を何とかしなくては、という気がしてきた。

 どうしたというんだ俺は。なぜこんな赤の他人のガキなんかに・・・。

 ひかるはまたもや誰かにリモートコントロールされるのを感じていたーーー。


「おい女、止まれ!」
「ひいっ!」

 瀬戸マリアは特別保護居住地区の訪問看護の仕事に向かう早朝8時30分、特別保護居住地区に入るゲートの前で突然大男に腕を掴まれた。

「うっ宇都宮ひかる!どうしてあなたみたいな人がこんな時間に。ここで何をしようっていうの?悪いケド私、あなたと違って労働時間で拘束されているの。邪魔しないで頂戴」

 マリアがそう言いながらひかるに掴まれた腕を振りほどいた。

 マリアに拒絶された左手に異常が無いかを丁寧に手をさすりながら確認しているひかるを見て、
「そんなに心配なら慣れないことなんかやめておけばいいじゃない。あなたにとってその両手以上に大事なものなんか無いでしょうに。不愉快だわ」
と続けた。
「すまない、そうじゃない。助けて欲しいんだ。俺にはお前が必要なんだ」
今度はマリアを正面から抱き寄せながらひかるが言う。
 
 マリアの右頬にひかるの胸の鼓動が伝わる。

 どうしてだか甘い香りのするひかるの胸の中で「ずうっとこのままでいたい」と感じている自分に驚きながらも、今まで一人で生きてきて、これからも一人で生きて行くと決めたアイデンティティがそういった甘えを吹き飛ばす。
「だからあ、いちいち止めなさいよ。こういうの!」
頬にひかるの甘い温もりを残しながらマリアは両手でひかるの胸を引き剥がした。
「用件は何?手短に答えて。ムダなことは言わなくていい」
「あ、つまり子供が・・子供がいて、俺のところに。何とかして欲しい」
薄弱な光景を脳裏に浮かべながら、
「それって緊急事態ってことよね」
とマリアは言いながら、出勤が遅れる連絡を管理室のデータに送信した。

「さあ早く案内しなさいよ」
今度はマリアがひかるの腕を取った。


 朝9時30分。袋井誠は特別保護居住地区のゲートをセンサーで開けながら、夕べの自分の行動の後悔から、足取りが重くなるのを感じていた。
 結局、夜もろくに眠れずに買い置きしている睡眠導入剤に頼ろうとしたものの、恐ろしく大量に服用してしまいそうな自分がいて、またそれも更に恐ろしくなって、そのまま少しだけウトウトして朝を迎えてしまった。

 本当は僕が自分自身であの子を警察か管理室に届け出れば何てことはなかった。あの場で唐突に宇都宮ひかるを捕まえて丸投げして、きっと彼は困っただろうに。どう見ても彼は子供が嫌いっていうか、慣れていない感じだったし・・。
 何より僕は彼に嫌われたに違いない。彼は僕に失望しているだろう。彼は僕にもう、話しかけもしないだろう。

 つい昨日の夕方、一緒に文司さんのラーメンを一緒にすすりテーブルを囲んでいた出来事が、誠の記憶の中で湯気に撒かれて朧気になる。

 せっかく出来かかっていた繋がりを僕は自分で断ち切ってしまった。いいや、それよりも僕が呆れるのは、未だに僕がそういった甘い現実を求めてしまっている事なんだ。

 僕には“あの時”からそんなモノは許されないのに。ある一瞬の出来事だったとしても、その時間は一瞬ではなく、一生。

 永遠に続くというのに・・。

 夕べ暗がりで少年を見つけた時、誠は自分の姿をその少年に重ねてしまっていた。

 どこにも行き場が無く、飢えている瞳。暗がりだというのにやたらと光を放ってどうしても目を逸らせなくなる。
 25年前の僕も行き場なんて無かった。

 もちろん学校にも通ってクラスメイトもいて、先生だって。どれだけ明るく振る舞っても僕の中心はいつだって凍えていた。

 あの頃の母さんはいつも落ち着きが無かった。高いところから誰かにいつも見張られているように家の中でもその眼は泳いでいる感じだ。

 僕の学校での成績のことも、課外活動はどうしているか、友達はどういう子たちだとか、まるで関心がない。
・・いや違う。母さんの全ては父さんが帰宅してから翌朝会社に行くために家を出るまでの9時間ほどの時間に注ぎ込まれていた。

 父さんはあまりたくさん口を開かない人で、気に入らないことがあると先に態度に出た。僕にとっては普通のことになっていたけれど、当然、あまり僕とも話をしない。
 僕の中でのイメージは毎朝家を出る時に父さんは決まって玄関の靴箱の上を右手の中指でスーッとさわって埃があると、その場で大げさに息を吹いて指に付いたか付いていないかの、見えない埃を飛ばしていた。

 12年の間、父さんと暮らして、僕の記憶の中の父さんは、玄関先でのスーツを着た後ろ姿だけのような気がする。
 あの日の3日前、僕たちが家にいない昼間、いつも父さんが指に付いた埃を飛ばしていた玄関から母さんは出て行って、そのまま戻って来なかった。

 僕はいつもと同じように学校に行って授業を受けて、放課後も同じように屋上でKくんと何をするともなくふざけ合っていて・・。

 どうしてだか分からないけれど、僕の指先の少し向こう側でKくんは僕の目の前から消えて、Kくんの身体は30メートル下の通路の上で、動かなくなってしまった・・・。


 僕はその後、いろいろな所へ連れていかれ、知らない大人にたくさん会わされて、検査のようなものを受けさせられて“更生施設”と呼ばれる場所が僕の新しい家になった。

 父さんとは“あの日”以来顔を合わせてはいない。母さんとはその前から・・。父さんが面会に来ていたらしいけれど僕は会うことを拒否した。

 父さんから、たぶん僕は大切なものを全て奪ったのだということだけ理解できて、あの父さんにどんな顔で会ったらいいのか分からない。
 そういう状況になっていたのに、母さんが来てくれない意味が見つけられなくて、僕の頭の中ではその事ばかりが廻っていた。

 そして、大人たちに何度もされていた質問に僕は「はい」と答えることが出来なかった。

『Kくんの命を奪ったことを、Kくんやご両親に申し訳ないと思っていますか?』




 第五章



 グランドピアノと大きめの白い革張りのソファとガラステーブル。あまり無駄なものが置いていない宇都宮ひかるの部屋で瀬戸マリアはヨシ少年と対面していた。

「あ・・あなたもしかしてこの子、誘拐してきたの。この子をどうしようっていうの?まさか」
 マリアはゴクリと大きく息を飲んでから続けた。
「まさか児童買春とかじゃないでしょうね。お縄になるわよ!嗚呼どうしよう。もしかして私も共犯なんてことになるの?今まで真面目に人の道から逸れることだけはするまい、と生きてきたのに。こんな所で失敗するなんて」

 オーバーアクション気味に両腕を上げたり下げたりしながらひかるに訴えかけるマリアを見て、ひかるは正直「めんどうな女だ」と思った。
「あっ今、私のことを鬱陶しいとか面倒くさいとか思ったでしょう。言っときますけど、それはこっちのセリフですからね。私が言えても、あなたに言える資格なんてこれっぽっちも無いんですからね」
「違うそうじゃない。俺は児童買春なんてしていない!お前にいろいろ言える立場じゃないのは分かっている。でも違うんだ」
 今度はひかるが長い腕をバタつかせて応戦する。

「分かったわ。悪かった。私も慌ててしまって、言い過ぎたわ。それよりこの子何時からここに居るの?ずいぶんと行儀よくしているようだけれど」
「夕べからだ。俺も詳しいことは知らん。ただコイツにも、ヨシにもいろいろ事情があるらしい。家には帰りたくないと言っている」
「ヨシ?ヨシくんて言うの。どこから来たの?」

 マリアはソファに座って足をぶらぶらさせているヨシと同じ目の高さにしゃがんで訊ねる。
「岩永ヨシ。10さい。ボクはここでずっとひかるといっしょがいい」
「ありゃま」

 マリアは自分がしゃがんでいるせいで更に大男になっているひかるの方を見上げる。
「飛んだ押しかけ女房だねえ。いいかなヨシくん。キミの気持ちは分かるけれどこの人は、ひかるはキミの親じゃないの、他人なの。だから一緒にいてはいけないの。一緒にいたらひかるが困るの。迷惑なの」
 マリアはヨシ少年に向き直って、しっかりと目を見て話した。

「おいおい、相手はまだ子供なんだぜ。そんな言い方しなくてもいいじゃないか。もう少し優しくしてやれよ」
「あなた本当にバカもいいところね。子供だろうが何だろうが、大人が思っている以上にちゃんと理解してる。この子はあなたのそういう所を見抜いて、ここにもう少し厄介になろうって腹積もりでいるのよ。理由はどうであれ、世間は面白おかしくあなたの事をバッシングするでしょうね“天才ピアニストの隠された闇”とか何とか。そんなお門違いで自分のピアニストとしての生命が絶たれるなんて、私だったら冗談じゃないわ!あなただってそうでしょう」

「・・・・・・」

 ひかるは何も言えずにチラッとヨシに眼をやった。

「ボクはいやだ。ボクのせいでひかるのピアノがきけなくなるなんて」
「そうだよねえ。やっぱりヨシくんは賢いねえ。この家たぶん何にも無いだろうから、私のお弁当食べていいから。食べたら、本当のヨシくんの家に帰ろうか・・」

 リビングでヨシ少年に自分の昼食用の弁当を食べさせている間「本当にこの家には何もない」と文句を言いながらマリアはコーヒーを淹れ、ひかると二人キッチンの狭いテーブルで向かい合った。

「あの子を警察に連れて行くのは簡単よ。だけれどあの子、今のまま親のところに戻しても、またするわよ家出」
「ああ、そうなんだ。きっとヨシの中で何かが解決しなけりゃ、普通に帰ったところでダメなんだ」
「でもこのままあの子をここに置いておいたら、あなた本当になっちゃうわよ。さっきの話」
「だからって俺が警察にあの子を連れて行ったらそれこそ大騒ぎだろうが!だからそもそもお前が必要だって、ここに連れてきたんじゃないか。ヨシには悪いが弁当食べ終わったらお前がヨシと警察に行ってくれ。それで俺の日常は戻って来る」

 薄い木目のダイニングテーブルに肘を付きながらマリアは考え込んで返事もしない。

 2杯目のコーヒーをマリアのマグカップにひかるが注いでいると、急にマリアが立ち上がった。

「そうよ、その手があったじゃないの。あなたにしか、宇都宮ひかるにしか出来ない方法があったじゃない!あの子の両親をここに呼んで、ひかるのピアノを聴かせるのよ。そしたらきっと、あの子の気持ちが両親にも届くはずよ」
マリアは自信満々に言い放つ。

「お前、それ分かって言ってんのか?ヨシの親が来なかったらどうするんだ。俺がただの変質者みたいに思われたらどうするんだ。それこそさっきの誘拐説が成立するぞ!」
「そん時はそん時よ。自分の子供が一晩ふらっと居なくなって心配しない親がどこにいんのよ。それともひかる、自分のピアノに自信が無いの?」
「バカを言え、そんなワケないだろうが!俺にはピアノしか無いんだ。いつだって一緒だったんだ。ヨシの想いが親に伝わらない筈がない」
「ふふ、そう来なくっちゃ。大丈夫よ絶対に上手くいくから」

 マリアはニヤニヤしながらダイニングチェアーに腰かけ、すこし冷めたコーヒーをゆっくりと啜った。



 僕は弱い人間だ“一人で生きて行く”と決めているというのに、ちょっと誰かと触れ合うだけで心がざわざわしてしまう。

 袋井誠は特別保護居住地区のAエリア第5地区5006号室。春間佐文司の部屋の前に来ていた。
 今週はもう定期訪問を終えていたので本来なら特別に訪ねる理由などはない。

 誠はどうしても、春間佐文司に会って直接自分の口から全てを話さなければならないと思っていた。
 今このタイミングで話してしまわなければ自分は一生、大切に思っている人たちを毎日傷つけてしまう。それと同時に自分自身も傷付き、いつの間にかとんでもない行動に出てしまうかもしれない。

 見たことのないモンスターが西陽に照らされて長く伸びた自分の影から出てきて、全てを喰らい尽くして行く気がして誠の心は震えた。

 2・3分文司の部屋の前でインターホンのセンサーに触れようかどうしようか行ったり来たりした後、誠はセンサーに触れた。

センサーが反応してから一呼吸して、文司はいつものようにドアを開けると行儀よく室内履きを玄関に揃えて誠を迎えた。
「やあ、いらっしゃい」

 文司の少し丸まった背中に導かれながら誠は、文司が何もかもお見通しで自分を待っていたのではないか、という気がしてきた。
 相変わらず文司の部屋は物が少なく、白いダイニングテーブルの上に用意されたほうじ茶でもてなされた事だけが、いつもと違っている。

「文司さん、今日は大事な話があって・・来ました。座って話を聴いて下さい」
戸棚からラーメンどんぶりを出しかけていた文司は手を止め、誠と向かい合って腰かけた。

「文司さんもここに住んでいるという事は、ここで働く僕たちの中には、ここでしか働けない人間がいることも知らされていると思います。僕は6年前ここに来るまでは、なるべく他人と関わらないように生きてきました。・・誰かが僕の中に入ってきた時に、急に僕は欲張りになるからです。欲しくてたまらなくて、その先も、もっともっと欲しくなってしまう。分かっているんです。僕は欲しがってはいけない人間だってことも、そしてまた一人になった後に何倍にも大きくなった痛みがやってきて無期限に僕の中に住み着いて離れない。・・もう苦しいのは嫌なんです!だからきちんと、僕の口で伝えたくて・・ひっ・・・」

 誠は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、続けた。

「文司さん、僕は人殺しなんです。人を・・同級生を殺しました。虫を一匹殺すみたいにKくんを・・・うぐっ・・」
「ホレホレ、鼻でもかみなさいな」

 文司は誠の鼻水を拭いながら、追加のティッシュボックスを誠にすすめた。
遠慮なく誠は鼻をかんだ。何度も何度も涙が枯れるかと思うほどかみ続け、ティッシュペーパーのぐしゅぐしゅの山が出来上がった頃には、誠の涙も本当に枯れるように止まった。

「・・アタシみたいに、大した人生を送ってきたわけでも無い人間にも、長く生きていりゃあ、まぁいろいろありますわ。とてもじゃあありませんが他人様には言えない、そんな秘密の一つや二つ誰にでもあるもんでさあ。例えばホラこの前にいらっしゃった、顔のつるっとした若い兄さん。あの兄さんにだってあるもんじゃあないですかねぇ・・・」

 文司はだいぶぬるくなってしまったほうじ茶で少し喉元を潤してから「ちょっと待って下さいよ」と付け加えてリビングの方へ行くと、何かアルミ製の箱のような物を抱えて戻ってきた。
 
いつもに比べて饒舌になってゆく文司の姿を不思議に思いながら、いつの間にか誠は完全に文司の話を聴く側に廻らされてしまっていた。

「アタシの変なクセと言いましょうか、大事な物はこうやって煎餅なんかが入っていた入れ物に、つい入れてしまうんですなあ。今の時代ですからねもっといい物があると思うんですがね、ついもういう慣れっていうんですか。安心なんですな」

 文司は誠の前に向かい合ってそう言いながら座ると、煙でも出てきそうなアルミ缶のフタを開けた。
 誠は一瞬目をつむったが、アルミ缶は年代物の割りには清潔らしく誠が恐れていたカビの胞子たちが浮遊することはなく開き、その代わりに変色した封筒らしき物が束になっておよそ40センチのアルミ缶の中に迷うことなく収まっていた。

 文司はその束の中のひとつをそっと取り出し、向きを正してから誠の目の前のテーブルの上に差し出した。

 封筒に書かれていた文字はとても懐かしく、厳しく、そしてかつてなかった慈愛に満ちている。
 誠の中の感情がフルスピードで逆流し、全身の血液がゴウゴウと音を立てて誠を責め立て始める。

 恐る恐る誠は目の前の封筒を両手を伸ばして近くに手繰り寄せた。締めている両脇から汗が噴き出す。
封筒に書かれたそのあて名は『袋井誠様』とあり、封筒の裏には籏町悦夫という差出人の名が刻まれている。
『籏町悦夫』
 紛れもない、誠の父親の名がそこにはあった。
「お父さん・・・」
 声になるかならないかの小さな声量で誠の口から止まった時が漏れる。

「恥ずかしながら、アタシは若い頃からあんまし生活が安定していませんでなあ、いろいろな所を転々としてその場その場で働いて、目の前のことを何とかする方法でやっとこさ生きてきましてなあ。一緒にどなたさんと働いてきたかなんてものはほとんど覚えとらんというのが正直なところで、それでも中にはどんなことをしていても忘れられない方も居ましてな、そのおひとりがこのお方『籏町悦夫さん』でした。あまり無駄話をしないお人で真面目に仕事に取り組んでおられました。何となく居場所を転々とされているような気がして、アタシの中で気になって一方通行で声をかけたんです。ぽつりぽつりと籏町さんは話をされる方で、まあ始まりは変わらずいつもアタシの方からなんですが・・あの時だけは違ったんです。ある日アタシがラーメンの出汁の番をして大鍋の前で煮込まれていく骨だの野菜だのをぼうっと見つめていると、籏町さんに声をかけられたんです『急で申し訳ないが、自分はここに居られなくなってしまった。頼める人が他にいないので自分の息子に会ったら、いつかこれを渡して欲しい』と。息子さんの話は少しだけ、籏町さんから伺っていました『自分のせいで息子さんを長い間苦しめてしまった。息子の罪は、自分の罪。自分には息子に会う資格は無いが、許される日が来るのなら、いつか自分の本心を息子に伝えたい』アタシは一目見て袋井さんがその息子さんだと分かりました。目元や歩き方がお父上に似ていましたから・・。あと一生懸命に何かをしようとするところも・・」

 誠が手のひらに握りしめていた父親からの手紙に、涙の粒がポタリポタリと落ち、雫の花が紙の上に咲いて、ゆっくりと時の隙間に沁みて行く。

「アタシもはっきりとは分かりませんが、籏町さんはどこか身体の具合が悪かったらしくてね、ゆっくりと考える間もなかったのかもしれませんなぁ」

 かつて商社勤めで味噌汁どころか、お湯さえ沸かそうともしなかった父親が文司さんと同じ場所で、ラーメン店で働いていた・・・。

 僕は父さんの全てを、何もかも奪ったんだ。そう、望み通りに。・・僕の、幼稚な僕の一時の感情で多くの人を不幸にして、取り返しのつかないことを僕はしてしまったんだ!」
「あーーーあぁ。うぐぐぐぐ・・あーーあぁ!」

 誠は父親からの手紙を両手で掲(かか)げながら慟哭した。今まで誠の中に仕舞っていた秘密が遠慮なく噴き出す。

「アタシには袋井さんと籏町さんの間に何があったのかは分かりませんし、アタシの中では籏町さんはアタシの知っている籏町さんでしかありません。袋井さんもアタシの知っている袋井さんでしかありません。・・ひとつだけアタシが袋井さんに伝えたれることと言ったら、籏町さんはとっても良い表情をしておられた、ということです。いろいろと、まあどちらかと言えば事情がありそうなモンが集まる仕事場でしたけれどね、籏町さんはとても穏やかな瞳をしていらした。このことだけは、誰が何と言いましても、アタシが知っている確かなことです」

「・・文司さんは。文司さんは僕が怖くないんですか?恐ろしいでしょう?何かあれば、どこかにスイッチが入れば僕はまた・・・人を。人を殺してしまうかもしれない。そんな、何をしでかすか判らない、危険な人間ですよ!僕は!」
「殺したくなったら、そん時は。どうぞアタシを殺して下さいまし。こんな老いぼれで良ろしかったら、いつでも殺って下さいまし」

 いつもより少しだけ低い文司の低い声が耳の中で反芻する。
 誠の手紙を持つ手の震えが止まり、目の前に座っている文司の瞳を見つめた。

 そこには普段、誠に見せる温かいけれど、どこか掴みどころのない文司の姿はなく、もっと大らかな、はっきりと意志を持った文司の姿があり、父親である悦夫の姿とピッタリと重なって誠を正面から包み込んでいたーーー。
 



 第六章



 ピンポーン、ピンポーン。

 夕方6時45分、宇都宮ひかるの居住スペースのインターホンが鳴る。

「ああ、ヨシくんの御両親ですね。よくいらっしゃいました。今、下の入り口のセンサーを解除しますので。部屋番号は404号室です。エントランスのすぐ左側にエレベーターがありますから、そのまま部屋までお越し下さい」

 ひかるが案内を終えてインターホンのスイッチが切れると、
「あれぇ、そんな声も出せるんだぁ。何か別人が話しているのかと思っちゃったぁ」
瀬戸マリアがひかるの隣から茶々を入れる。

「お前俺を誰だと思ってんの。見た目通り、そのままジェントルマンじゃないか。俺のように美しく上品な男なんて、そうそう居るもんじゃないぜ。こんな近くで俺を見られる女なんてそう多くない。お前はラッキーなんだぜ」
 マリアはそう言われながら長身のひかるの顔を斜め上にじっと見つめ、
「まあ確かにね。美しいんでしょうけれど・・。私あなたのゲロ頭から被っちゃっているし、なんか胃もたれっていうか、胸やけしそうで。ごめん、私はあんまり興味が無いかなあ」
と、独り言のように呟いた。

『ごめん、あんまり興味が無い』というフレーズだけがクローズアップされてひかるの脳内にしばらくの間、響く。

 今まで女性から言われた事のない台詞。これからヨシ少年の両親に聴かせるピアノを演奏しなくてはいけないのだ。今はそのことに集中しなくては。もうすぐこちらに客人が来るのだ。たとえそれが犯罪者であろうが、金持ちであろうが、貧乏人であろうが、自分はピアノの音色で聴衆を最大限にもてなすのが役割なのだ。

 そう、父親が最期まで出来なかった半ばの志を自分のピアノで少しでもそれが果たせるならば。

 ひかるは玄関前にある大きな姿見の前で身支度を整えた。
 燕尾服とまではいかないが、演奏用のタキシードに身を包む。人数が少なくてもリサイタルであることに変わりはない。

 鏡の前で粘っているひかるの姿を見つけて、
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。あなたはどこから見ても完璧。誰よりも美しいのだから、自信をお持ちなさい」
 マリアがリビングでヨシとあっち向いてホイをしている途中で激を飛ばす。
「あっ、マリアいまよそみしただろ。マリアのまけ」
「えーっそんなあ、もう一度。もういっかいやろう」
「じゃんけんぽん、あっち向いてホイッ」
 二人の姿を見てひかるは少し頬が緩んだ。

 ピンポーン。部屋のインターホンが一度鳴り、ひかるは来客を招き入れた。
「どうぞ、ようこそお越し下さいました」

 20畳ほどは優にあるリビングには黒いグランドピアノが一台と、革のソファーにガラスのテーブル。白を基調とした最低限の家具と物だけで構成されているその部屋は、本当に生活感が無く、こういった演奏をするのにピッタリとしている。

「ヨシ、何やってるんだ。家出なんかして!知らない人に連れていかれて、殺されていたかもしれないんだぞ!」

 ヨシの父親が白いソファーの上にちょこんと座って足をぶらぶらさせているヨシを見つけて駆け寄ると、ヨシの両肩を掴んでおもいきりグラグラと揺らした。

「まあまあ、お父さん。ヨシくんも悪気があった訳じゃないですから。つまり、そう・・私のピアノをご両親に聴かせたいから、と言ってわざわざここまで私を訪ねて来たのです。さぞかし怖かったと思いますよ、ヨシくんはまだ子供ですから。でも彼は、ヨシくんは私を見つけて訪ねてここまで来られたのですよ。・・私も迷いました。何といってもヨシくんがここに着いたとき、もう辺りは暗くなって確か夜の8時30分を過ぎていたと思います。本来なら真っ先に警察に届けるか、ご両親に連絡をするべきだったのでしょうけれど、ヨシくんは少し熱を出していたのです。それで彼女を、友人である彼女にここに来てヨシくんを診てもらいました。ああ安心して下さい。彼女は有能な看護師ですから、一晩様子をみてヨシくんの具合が落ち着いたようでしたので彼から話を聴いて、こうして連絡させていただきました。つまり私はご両親とヨシくんの間に何があったのかは分かりません。しかしヨシくんのひたむきなまでの依頼によって、私はここであなた方3人の為のリサイタルを開くことに決めたのです。ですから、あなた方はピアノの演奏を最後まで聴かなければいけない義務がある。いいですね?ああ、それからこの建物はどちらかと言えば私のような種類の人間が住めるように出来ていますので防音対策は万全です。どうぞご心配なく、安心して聴いて下さい」

 ひかるは話しながらヨシの両親にソファーに座ることを促すと、ピアノの前に両の拳を祈るように握り合わせ、人差し指と中指の山の部分を額に当て瞳を一瞬閉じる。

 “秋の日は釣瓶落とし”辺りの日は暮れ、暗くなっているというのに、ひかるの場所にだけスポットライトのように不意に外から定期巡回だろうか、窓の外からドローンから差す光がひかるを照らす。
 部屋の照明を間接照明にして左側からスタンド照明で光量を程よく調整していた分、殊更に天から光を浴びたようにひかるは輝く。

 鍵盤の上のひかるの白くて長い指がなめらかに滑りだし、それまでの静かなマンションの一室が別の場所へとその景色は姿を変えて行く。
 何処か、深い湖の底に自分たちがいるような、冷たい水の中なのに寒くはない。大きな温かさに包まれている。

 ひかるは一番目の曲にベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番「月光」第一楽章を選んだ。

 静かに揺蕩(たゆた)う小舟に乗ってゆるやかに、確実に目的地へと誘われて行く。内側に秘めた強い意志を感じさせながらも、それは強引にではなく静かに・・。小舟は進み、しだいに濃くなる霧の中へと消え入る。
 小舟の末端が完全に霧の中へ消えて行くか行かないかの間に、ひかるの指先からは別の物語が紡ぎ出され、急に明るい春の日差しが窓からマリアやヨシたちに差し込む。

 バッハのプレリュードが流れ小鳥たちのさえずりが聴こえてくる。冬の寒さから解放されて身も心も軽やかに踊り出しそうに弾んだ。
 踊り出したステップのまま、ひかるは別の扉の向こうへヨシ達を連れ出し、ショパンのワルツ第一番変ホ長調・作品18番「華麗なる大円舞曲」をその指先から繰り出している。

 ヨシはそんなひかるの姿を羨望のまなざしで見つめ、ひとつひとつの音を聴き逃すまいと聴覚に身体の全神経を集中させていた。ヨシの隣でマリアはそんなヨシ少年を眺めながら、ひとつの若葉が今自分のすぐ近くで芽吹いているのだと実感し、キラキラと輝く少年の瞳を羨ましくも眩しく感じていた。

 そしてこの何もないただのマンションの一室の日常を、その指先からこぼれだす音色によって全く違う空間にしてしまう芸術家の青年に感服した。

 なるほど、ピアノを演奏している時のひかるは、やや後ろ横からしか顔が見えないというのにこの世のものではない程に美しく、何か幻でも見せらせているのではないかとマリアには思えた。女性であるマリアよりも青いほどに白いその肌と迷いの一切ない黒光りする黒髪。そして日本人であるのに彼の瞳はエメラルドグリーンに輝き、光を放っているかのようにマリアには見える。

 そしてその瞳を見つめながら数年前に自動で流しっぱなしにしていた情報サイトで同じような姿をした青年が特集されていたのを思い出していた。確か何とかいうピアノコンクールで入賞して、その妖艶な容姿も相まって一時期騒がれていたころだったと思う。インタビューではにこりともせず質問されたことにも媚を売るようなことは一切なく、あまりにも素っ気ない返答だったために彼を叩く人も多かったっけ。

 メディアに出ないのだけれど、物凄くキレイなピアニストがいる。と同僚が職場で騒いでいたのは彼のことだったんだ、とマリアは自分のミーハー嫌いを今になって少し後悔した。彼の事を、ひかるの存在をわずかでも知っていればこの場所での貴重な体験をもっと奥深い有意義な時間にできたのに・・・。自分よりも遥かに年下の、隣で瞳を輝かせているヨシの方がきっと自分よりもひかるの演奏についての予備知識があるに違いないのだ。
 自己嫌悪に陥ってこともあろうか演奏を聴くことに集中できていないマリアにも、ひかるのピアノの旋律が手を差し伸べる。

 いつの間にかひかるの指先からはまた別の扉が開かれていた。ショパンのポロネーズ第六番・作品53「英雄」。力強くも軽やかでなその調べにマリアの手は腕ごと救い上げられた。
「ああいけない、私としたことが」マリアはもう何一つ、余計な箱はこのひかるの演奏が終わるまでは開けまいと、自らに誓う。

 ヨシ少年の向こう側で肩を並べているヨシの両親も演奏を聴くことに集中しているようだった。マリアは少し前までのヨシ少年の両親の取り乱した様子を思い出して安心する。

 面倒そうな人たちに見えたけれど、意外と上手く収まるかもしれない。
 ひかるの指先は止まることを知らず、また別の扉を開き、ショパンのマズルカ第23番・作品33ー2が奏でられ、次に同じくマズルカ第24番・作品33ー3が、そしてマズルカ第25番・作品33ー4が続いて演奏された。
 知らない曲なのに、どうして惹きつけられてしまうのか、マリアにもヨシにも分からない。

 ただ無条件に心の奥の方に気持ちの良いシャワーが降り注いでいて、いつからあるのかも不明な汚れをすっかり流して心を美しく浄化するのだ。

 ショパンの即興曲第四番・作品66「幻想即興曲」を聴いている時にマリアの瞳から涙が溢れた。ヨシ少年の頬はもう、とうの昔に涙で濡れて、乾いてまた濡れて。幾筋もの河が流れた跡が白くくっきりと残っている。

 ショパンのバラード第一番・作品23。
およそ9分間の曲の間、マリアは何故か変に緊張してきて、喉の奥が張り付きそうになって、ひかるの演奏の邪魔をしないようにそっと唾を飲み込む。

 もはや誰も踏み込むことが許されない光の渦の中心にひかるが居て、神々しさを感じる。この空間に旋律の魂が充満して、人間たちが暮らしている所とは別の次元にワープしたような感覚を、マリア達は全身で憶えていた。

 ふと、それまで休むことなく鍵盤の上でしなやかに踊っていたひかるの白い指は止まり、マリアやヨシの方に顔を向けずにひかるは言った。
「最後の二曲です。雨だれと革命を・・」

 大きくない声で囁くように言葉を漏らした後、ショパンの前奏曲第15番変ニ長調・作品28ー15「雨だれ」がしっとりと滴り落ち始める。ふわふわと浮いてしまった足を地につけさせ、そして更に深くそれは足をずぶずぶと沈めさせて行く。本当に最後の曲、ショパンのエチュードハ長調・作品10ー12「革命」が流れ始め、今度は一気にスピードのある馬車に乗せられる。被っていたハンチングが飛ばされないようにヨシ少年は帽子を左手で押さえて、右手でしっかりと馬車の窓枠を掴む。振り落とされないように両脚で踏ん張り、馬車の見えない行き先に身を委ねる。

 ヨシは最後の曲「革命」が終わるまでずっと唇を強く噛んで、離そうとしなかった。
 駆け行く馬車を見送ることなくそのままに、ひかるは演奏を終えた。

 集中して張った糸が急激に緩み、その反動で身体が一瞬フラつく。
「ちょっと・・すみません」ひかるはそう、ヨシの両親に軽く頭を下げてからマリアを見つけてすぐさまに手招きした。
「ハッ」として余韻に浸る間もなく、マリアは慌ててひかるに駈け寄り、いつもの仕事のクセで彼を支えて肩を貸す。

 普段接している多くの老人と違い、ひかるはかなりの長身のために勝手が違い過ぎる。マリアは強引にひかるを半ば引きずるようにして彼の指示に従い寝室へと非難させた。

 ひかるが手探りで開けようとしていた酸素吸入器をマリアは奪い取り、しっかりとセットしてそれをひかるの口元に押し込んだ。
「あなたねえ、少しは自分の体力を考えながら演奏しなさいよ。そんなにヨレヨレになっちゃってどうすんのよ。もしかして、いつもこんな感じ?」
「フーッハーッそんな訳、ハーッ無いだろ。俺はプロなんだから。アレだ、アイツだ。ヨシ!アイツの風邪がうつった・・ハーッたぶん。夕べ「ボーっとしてちからが入らない」って、それで俺ずっと一緒にいて・・・」
「いいから、病人は黙る!」

 マリアは酸素吸入器をひかるの口元に強く押さえつけたまま、もう片方の左手をひかるの額に当てて熱を計る。
「あーあ、酷いなこりゃ。たぶん39度近くはあるよ」
「ははっ、寄りにもよってこんな時にな。ハーッやっぱ俺、ハーッ凄いな。ハーッ」
「バカ言ってんじゃないわよ!こんな無茶して何があるって言うのよ。自分の身体をもっと大事にしなさいよ!」
「あるよ・・ハーッ何かは。ハーッ、マリアの涙の跡。それ本物だろ」
 ニヤッとしながらマリアを見た。
「そりゃあ、そうですけど・・」

 マリアはふて腐れて呟いた。ついさっきまで神々しく輝いていた人物と目の前で自分をからかっている人物が一緒の人間なのだと思うと、慣れないフランス料理でも食べた時のような消化不良で胃の上の辺りがつかえそうになる。

「とにかく、後は私にまかせてあなたはここで寝ていなさいよ。ヨシくんと御両親に軽く説明して、ヨシくんを連れて帰っていただくようにするから」
「・・ヨシ。アイツ、ハーッ大丈夫か?」
「まったく、大丈夫じゃないのは自分の方でしょうが!私が上手くやっている間に、あなたはその窮屈そうなタキシードさっさと脱いじゃって、もっと楽そうなものに着替えて」
立ち上がったマリアに向かって、ひかるが右手を伸ばした。
「それじゃあ、マリアが、ハーッ着替えさせてよ」

 自分の目の前に差し出された手に、マリアの胸は鼓動を速めた。
「そ、そのくらい、自分で出来るでしょうが。ズルする病人は好きじゃないわ。自分で出来ることは自分でする。いいわね」
マリアはそう言ってひかるの居る寝室のドアを閉めた。

 私ったら、何を動揺しちゃってんのよ。いつも男の人の裸なんて見慣れているじゃないの。今さら何だっていうのよ。・・よく考えてみれば自分が日常的に接しているのは、いわゆる高齢者たちだったことに気が付いて、マリアの鼓動はまた、速くなった。

 大丈夫、大丈夫。とにかく今はヨシくん達の方に集中。集中。
 マリアは自分の頬を軽くたたいてから、リビングのヨシたちファミリーが待つ部屋のドアを開けた。



 
 第七章



 12月に入って更に昼間の時間は短くなり、このままどんどん陽の光が削られていって、終には暗闇だけがこの世の中を支配するのじゃないかしら。と、袋井誠は地上トレインの窓から外の、ほとんど暮れかかった景色を眺めながら思っていた。

 黒い鏡になった窓には自分の斜めになった横顔と、その隣で首を少し上に向けて口を開いて眠っている瀬戸マリアの姿が映っている。

 何年ぶり、いや、何十年ぶりだろう。こんなに遠くまで旅をするのは

 地上トレインに3時間近く搭乗してから時間が経っていることに気が付いて、誠は思った。

 窓に映る黒鏡に自分史が投影される。
 真っ黒な自分の年表のはずが、なぜか黒鏡に浮き上がってそれらは見える。

 父親からの籏町悦夫からの手紙の束を、春間佐文司が保管していたアルミ缶に入れたそのままの状態でリュックに入れ、太腿の上でそのリュックを抱え、誠はそれを離さなかった。

 瀬戸マリアから「誠の父親らしい人物がだいぶ離れた、ある病院に入院している」と聴かされたのは、つい一週間ほど前のことで、次の日マリアはすぐ連絡してきて「自分も一緒に行くから、その父親らしい人物に逢いに行こう!」と一方的に告げた。

 そしてまたその次の日に「先方は誠に逢えるか分からない。と言っているが、自分だけには逢ってもいいと言っている。だから誠も連れて行くので、管理事務局に誠の遠方への移動許可と仕事の有給使用許可を申請して取得しておくように」と。

 誠はそれまでマリアにはとりたてて説明していなかったが、瀬戸マリアはとうの昔に誠の素性や過去について知っていたようだった。
 おそらく、特別保護居住地区で働く人間には予め必要な情報のひとつとして知らされるのだろう。
 もし万が一。その者たちが何かを、また箍(たが)を外してしまいそうになった時には住民たちに危険が及ばないように“然るべき処置をしてもいい”と、ひとつの任務を与えられてもいるからだ。

 誠には、本当のところ何ひとつ準備は出来ていなかった。
 どんな表情で、どんな瞳で、どんな声で父親の前に立てばいいのか・・・。

 どうしていいのか分からずに結局、服装はいつもの仕事着の濃いグレーのスーツだし、足元も履きなれた黒いスニーカーのままだ。

 いいや、そんなことはどうでも良かった。

 結局、その人物は自分の父親ではないかもしれないし、元々マリアだけが面会の約束をしているのだから・・それ以前の問題だ。

 誠はこの地上トレインがこのまま暗闇に溶けて自分がこの世から消えればいいと願った。

 月の光のない曇り空の暗闇の中に、ポツリポツリと家庭の光が灯っている。
 誰かが待っている光の中にその人々を待っている場所がある。
 今日あった嬉しかったこと、悔しかったこと、悲しかったこと。をそれぞれ話すのだろうか?

 今の自分には長い間届くことのない、家庭の光。

 でも、あの頃はその光さえもほの暗く、締め付けられるほどの痛みでしかなかった・・・。

 黒鏡に映るマリアの口を半開きにしたままの寝顔を見ながら、一人じゃなくて、マリアが居てくれて良かった。と誠は心底感謝した。

 一人だったら、一人じゃ過去に向かって走っていること時間の重圧に耐えられない。
 以前の自分だったら、マリアの話には乗らずに逃げていたはずだ。
何だかんだと理由を付けて「申請したけれど許可されなかった」とか嘘を吐いていたと思う。

 いつの間にか窓の黒鏡は薄れ、その替わりに久しぶりに見る、昼間と変わらず明るいままの真珠のような街並みが窓の外に広がった。
「うわー」

 あまりにもキラキラとした輝きにマリアを起こそうとして隣を見たのだけれど、熟睡しているマリアはちょっと体を揺すったくらいでは起きそうにない。
 そうこうしているうちに地上トレインは次のエリアへと移動し、また暗闇の分量が多くなる。

 自分がどれだけ止めたいと思っても、自分では止めているつもりでも、時は流れて行くのだ。
 自分と父親に残された時間はもう多くはない。元々生きている内に逢えるとも、逢いたいとも、考えてみたこともなかった。

 自分は自分の手で家族の存在を、この世から塗りつぶして葬ったのだからーーー。


 翌朝、たぶん7時少し過ぎだろうか、同じフロアの別々の部屋に寝ていると思っていた瀬戸マリアが、けたたましく誠の部屋のドアを叩く。

 当然、あまり眠れなかった誠は起きている。
 しかしだからと言って何をしてもよいわけではない。

「ちょ、ちょっと。うるさいですよマリアさん。少しは他の部屋の人たちの迷惑も考えて下さいよ。まだ他の部屋の人たち寝ていますよ」
 誠が部屋のドアを少しだけ開け、マリアが無理矢理部屋の中に入って来ないように、両手でしっかりとドアを引っ張りながらトーンを抑えて言った。
「そんなこと言って、やっぱり誠ちゃん起きてんじゃないの。そうと決まったら行くわよ」
「行く?行くってどこへ。それに何がどう決まったって言うんですかぁ」
誠はドアを引っ張るちからをより強めて腕の筋肉を引きつらせながら小声で叫ぶ。
「そりゃあ決まっているじゃない。朝のランニングよ。ウォーミングアップよぉ。こういう時は体力がものをいうのよ。途中でへばっちゃ意味がないわ。ほらっカモン!ついてきて!」
よく見たらマリアはオレンジ色のジャージに着替えている。

「カモン!」と当時にマリアが部屋のドアから手を離したので、その反動で誠はバランスを崩して床に転がった。
「ちょっと何やってんの!そんな浴衣みたいなのはだけていないで早く準備して頂戴。ぼやぼやしていると置いて行くよ。じゅう、きゅう、はち、なな・・」
「わかった。わかったから、着替えますから。少し待って」

 誠はいったん部屋のドアを閉めてライトグレーのジャージに着替えた。2日前なぜかマリアが必ずジャージを持参するように、とうるさく言っていた理由が今になって理解できた。

「・・どう?気持ちいいでしょう」
朝陽が登り始めた海岸線を眺めながらマリアが言う。
「マリアさんて、いつもこんな感じなんですか?体育会系っていうか、エネルギッシュで」
「エネルギッシュ?私が?」
きょとんとして誠の方をじっと見て、マリアは笑い出した。
「ハハハハハハッ。こりゃあいいわ。私がエネルギッシュって。ハハハハハハッ」
「だって、本当にそうじゃないですか。マリアさんはいつだって行動的で」
「だから違うの。違うのよ。私だってね、人並みに悩むの。ぐじぐじしてるの。特にね、自分のことなんてからっきしよ。誰でもね、自分のことだと出来ないの。他人事だからサラッと出来るの」

 正面を見ていたマリアが誠の方に向き直って、誠の左手をそっと両手の掌で優しく包んだ。
「人って、誰にだっていろいろな過去があると思う。どんなにキレイごと言ったってそれだけじゃ片付けられないことの方が多い。誠ちゃんには誠ちゃんの過去があって、それは変えられない。でもね、私の知っている誠ちゃんは今の誠ちゃんで、過去の誠ちゃんじゃない。たぶん一生、苦しみは続くよ。だから私たちは少しでも、一瞬でも誠ちゃんの今を生きる力になりたい。だから、お願いだから人生の全てをこの腕の中に閉じ込めないで」
 マリアは誠の左腕に埋められている監視用のリングを腕ごとつかみながら言った。

 光を強くして昇ってきた朝陽がマリアの横顔に当たる。

 今まで気が付かなかったけれど、近くで見てみるとマリアは綺麗な顔立ちをしている。
 それでもなぜ恋に落ちないのか不思議に思いながら、夕べの地上トレインでの口を半開きにしたマリアの寝顔を思い出して誠は腑に落ちた。

 そういえばたぶん、垂らしていたなヨダレ。
 思い出し笑いしている誠を見てマリアが噛みつく、
「そこ、笑う所じゃあないでしょうが!人が真顔でいい事言ってんのに、まったく。・・でも仕方がないか、それが誠ちゃんだから。ホラッこんな機会そうそう無い無い、もう少し走るよ。レッツゴー」
 マリアはそう言いながら誠の後ろに廻って、誠の背中を押しながら走り出した。

「・・・がとう」
「ん?なに。何だって?」
「マリアさん・・ありがとう」
「・・・・・・」

 自分の背中を押しているマリアの両の手のひらが少しだけ熱くなったように誠は感じていたーーー。





 第八章


「ねえ、ヨシくんさあ。何でヨシくんここに来てんの」
「そりゃあきまってるよ。ひかるのためにピーナッツのからをわるためだよ。こうやってね」

 ヨシ少年は小さな手でガラスのテーブルの上に等間隔で並べられているピーナッツを、整った列を乱さないように一粒ずつそっと手の中に招き入れ、おぼつかない指先で硬い殻でおおわれているピーナッツを何度もとんでもない方向へ指ではじき飛ばしながら、何とか中身を取り出そうとピーナッツたちと格闘している。

「ウソを吐け。おまえさっきから全然ピーナッツの殻割れてないだろ!っていうか、そもそもおまえピアノのレッスンするって言って俺の所に来ているくせに、ちっともレッスンになってないだろ。まったくどうするんだ、何か弾けって親御さんに言われたら。俺の教え方が悪いから上達しないってなって、それで・・」

「どうもしないよ。べつに」

 ヨシはやっとの思いで割れた殻からピーナッツをひと粒指でつまんで、そのままひかるに差し出しながら言った。
「ボクがすきなのは、ひかるのピアノなんだ。ピアノをひくのがすきなんじゃないよ」
「じゃあヨシはこうやって俺のところに来て、ピーナッツの殻を割って、それで満足?」
「・・・・・」

 ヨシは殻に入ったままのピーナッツを指先でもてあましながら、
「そうだよ。ボクいいもん、これが。ひかるのやくにたちたいんだ。ピーナッツのせいでひかるのゆびがケガしたらダメなんだ。だからボクいいんだ」
と言って、ガラステーブルの上で押しつぶしたせいでボロボロになったピーナッツの欠けて離れた一片を、ひかるの手を開いて、その上に乗せた。

 ピーナッツの欠片を乗せられた手のひらを一度見つめ、その欠片を口の中へ運んでから、ひかるはヨシの近くにしゃがみ込んでヨシの瞳を見つめた。

「ありがとうな、ヨシ。俺すっごくうれしい。だからな、コレは受け取れないんだ。ヨシのお父さんとお母さんにそう言って、コレを返してくれ」

 今度はひかるがそう言ってヨシの小さな手のひらを開いてその中に先日、ヨシの母親が持ってきた封筒に入った紙幣をそのままの状態でヨシ少年の手の中に握らせた。
「いいかヨシ。家に帰ったらそのままそれをお母さんに渡すんだ。俺から・・ひかるからだって。ちゃんと言うんだぞ。いいな」

 宇都宮ひかるがヨシから手を離すと、ヨシは泣き出した。
「ひかるもボクがいらないの?ボクがきらいなの?ボクをすてるの?」
「すて・・バカなこと言うな!俺がいつそんなこと言った」
「だって、もうここにきちゃダメなんでしょう・・・」
 ヨシが嗚咽しながらこぼす。

「あーっ、だから違うって!ヨシは俺の大事なともだちなんだ。ともだちの家に遊びに来るのにいちいちこんなものがあったらジャマなんだ。そんなのおかしいだろ?」

 ひかるはヨシの腕をつかんで、ヨシの目の前で紙幣入りの封筒が握られたヨシの右手を掲げて見せた。
「それともヨシは俺のともだちじゃ、イヤか?こうやってお金でつながっていた方がいいのか?こんなおじさん、つきあってらんないか?」
 ひかるがゆっくりと立ち上がりながら言うと、途中でヨシはかがんで宙ぶらりんなひかるのシャツを引っ張った。
「ひかるはおじさんじゃないよ。ひかるはヒーローだもん。おじさんじゃないよ!」
 ヨシの、涙をいっぱいに溜めた瞳を上から見下ろしながらあまりにも澄んだその美しさに少しの間、ひかるは見とれた。

 きらきらとした光の粒に自分の全身が包まれた気がして、ひかるはその光の中にずっと身を任せてしまいたかった・・。

「当たり前だ。俺はおじさんにはならない。誰よりも美しいからな。ヨシに言われるまでもない。・・だけど、ありがとうな。俺のともだちでいてくれて。ヨシは俺の一番のともだちだ」
 ひかるはヨシの瞳に吸い込まれるように、ヨシの小さな身体を抱きしめていた。

「じ・・じゃあ、これからもひかるにあえる?」
「そんなの決まっているだろ、一番のともだちなんだからな。約束だ。ゆびきりげんまんしよう」
「ゆびを・・きるの?」
「なんだ、ゆびきりげんまんも知らないのか。これだから最近の親の教育は困る。ホラ、こうやるんだ」
ひかるはヨシの右手の小指と自分の右手の小指をからめ、
「ゆびきりげんま~ん、うそついたらはりせんぼんのーます。ゆびきったぁーー」
と唱えた後、ヨシの指と自分の指を勢いよく離した。
「わかった?これが“ゆびきり”大切な約束をするときにだけする“しるし”だ」
「しるし?」

 きょとんとしているヨシの「?」マークは言葉を足せば足すほど増えてゆき、永遠に終わりが見えないに違いない。ひかるはもう一度ヨシを抱きしめて形の良い頭のつやつやとした髪を撫でる。
「とにかく、ヨシは俺の大事な一番のともだちってことだ。いいね」

 ヨシ少年が家に帰り、ヨシが散らかしていったピーナッツの細かい殻のひとつひとつを、ひかるが見失わないように注意深くピンセットで捕まえていると、インターホンが鳴った。誰だよ、こんな時間に。忙しいのに、まったく。

「ウチは全部間に合っている。必要なものは無い。以上」
 
 一方的に告げて、またピンセットを片手に背中を丸めて絨毯に向き合っていると、またインターホンが鳴る。
「ちょっとお、私よ私。マリアよ!どうせたいして忙しくもないんでしょう。早くロックを解除しなさいよ!」
「アレ、聖母マリア。何してんの?」
「それやめてって言ってるでしょ、瀬戸マリアよ。もう二度とそれ言わないで」

 ひかるが笑いながらロックを解除すると、ホールを抜けて4階のひかるの部屋までマリアが着くのに時間はそうかからなかった。
 ドアロックを開けてマリアを扉の向こうの真ん中に見つけると「マリアってもしかしてくノ一」と言おうとしていた口をひかるは両手で押さえた。

「どうしたんだ。まるでこの世の終わりでも見てきたような表情カオしてるぞ、お前」
 用意していたものとは別のセリフが自分の口から出たのでひかる自身も驚いて声が裏返る。

 ひかるの言葉が終わるか終わらないかの間に、マリアはひかるの顔の頬を遠慮なく両手で押さえこみながら言った。
「どうしよう私。誠ちゃんにこの世の終わりを見せちゃったよ。もう、傷口に塩をすり込むような・・。ああーー、どうしよう。どうしよう私。もうダメだあーーー」
「わかった。わかったから、とにかくこの手を俺の顔から離せ、俺の顔を解放しろ。美しい顔が崩れたら困る」
 ひかるのいつもと変わらない本気とも、ギャグとも判別できないセリフを耳にして、マリアの正気が戻って来た。
「ごめん、お腹すいちゃった・・」

 トントントン。トトトトトトトン・・。
キッチンから均整のとれたリズミカルな野菜を包丁で刻む音が心地よくマリアの耳に入ってくる。
湯が沸いて、水分を多めに含んだ空気がリギングにも漂う。

 誰かが自分のために料理をする時間を待つことが、こんなにも穏やかな気分になれるのだと、マリアは不思議な安堵感に包まれていた。
 ものすごく昔の、擦れた記憶の中で母親の後ろ姿が浮かんだ気がしたけれど、マリアの中でそれはすぐに消えた。

 目の前のガラスの皿に盛られたピーナッツの山をマリアはちびりちびりと攻略して。ピーナッツの割られた殻の残骸が、隣の別のガラスの皿へと積まれて行く。
「おい、お前。そのピーナッツは一体誰が食べるんだ?俺はもう食えん。自分で食べる気がないならそれ以上は殻を剥くな」
 ひかるに上から右手を押さえられてマリアはハッとした。

 白くて指の長いひかるの手は近くで見ると思っていた以上に美しく、マリアは思わず見とれた。すぐに離れたひかるの手が自分のそれと比べて大きく、やはり男性の手のひらなのだと気づいた。

「俺、料理はしないようにしているから、こんなモノしか用意しないぞ」
 コンソメスープの中にキャベツ、ニンジン、玉ねぎ、ブロッコリーの野菜が色どり良く並び、その下に細い麺のようなモノが漂う。

 目の前に置かれた深めの洋風ボウル皿の中身を見て、意外そうな顔を向けたマリアに、
「固形スープと野菜炒め、あと夏場の貰い物のあまりのそうめん。それを何となく合わせただけだ。そんなマジマジと見るようなモンでもない。腹減ってるんだろ、いいから早く食えよ」
と早口でまくしたてた。
「う、うん。じゃあ、いただきます」

 マリアは一人、黙々と口に運んだ。濃すぎない、野菜の優しい甘みがゆっくりと体の中に流れる。この人はもしかしたら、他人が思うよりもずっと繊細で優しく。もしかしたら、ずっと傷つきやすいのかもしれない・・。
マリアは野菜の甘みのエキスをたっぷりと含んだブロッコリーを口の中で味わいながら感じていた。

 少し前までのザラザラとした心が落ち着いて、いつもの自分の芯をマリアは自身の中に取り戻し始め、そうめんをすすり終わる頃には、何かしら言いようのない恥ずかしさがこみあげてきていた。
「ついさっき、ヨシが帰ったところなんだ」

 何かを察したようにひかるが口を開く。
「例の家出少年の?あれからよくここに来ているの?」
「ああ、まあな。ヨシは俺のともだちだからな」
「そっか。そうなんだ・・」

 マリアはグラスの中のミネラルウォーターを一気に飲み干して息を吐く。
「さっきの、さっきの続きだけど」
「ああ、おっさんがどうの・・って話」
「私、誠ちゃんにとどめを刺したのよ・・・」
マリアは誠の父親に逢いに行った経緯を手短に説明した。

「・・それで。結局は逢えなかったんだ父親に」
マリアは言葉なく小さく頷いた。
「マリアは逢って話せたの?」
 今度は首を横に何度か強く振ってから、
「面会希望で事前に伝えて、その時は逢って下さる話になったの。でも当日、お父様の具合が悪くなったからって。ハッキリしないのだけど・・結果として断られたのよ」
 叫ぶようにマリアは言ってから、ひかるのリビングのガラステーブルの上に突っ伏した。

「私が勝手に。勝手に先廻りして暴走して、誠ちゃんを引っ掻き回して、傷付けたのよ。もう・・本当に。私ってバカ、どんな顔して誠ちゃんに会えっていうの?もう、どうしよう~~」

 テーブルに突っ伏したままのマリアに触れようとして、ひかるはすんでのところで手を止めた。
 マリアは突っ伏しながら、ほんのわずか、ひかるの手が自分に触れた気がしたのに、急に周りの空気が冷たくなって泣きそうになる。
 顔を上げたいけれど、恐くて上げられない。
泣きそうで、ぐちゃぐちゃで、自分の身体のことなんてどうでもいい状況なのに、眼を閉じている間にまぶたが重くなってきた。

 どうしてなのだろう。寝ている場合じゃないのに。・・そうだきっと野菜そうめん食べたせいだ。それでお腹がいっぱいになって。アレおかしいな何か聴こえるなぁ・・。ピアノ、ピアノだ。ひかるのきっと、ピアノだ。何だか、温かいなぁ・・・。

 マリアはひかるのピアノの調べに漂いながら、眠りの中へと消えた。




 第九章

 12月の師走。半ばを過ぎているのにここ特別保護居住地区では365日いつも変わらない。

 袋井誠はいつも通りにAエリアにある噴水の前のベンチに腰を下ろした。

 一週間前に瀬戸マリアと父親に面会に行き、逢えなかったことに、今となっては安心している自分がどこかで微笑む。
 仕事中にいつも背負っている黒いリュックサックから最近いつも持ち歩いている水筒を取り出す。温かいほうじ茶を朝淹れて、自分で水筒に移してくるのだ。

 春間佐文司に出されるようになってから、ほうじ茶が誠の生活の中に浸透したようで、誠はいつもほうじ茶一杯で気分が良くなる。
 一日に10数件ある訪問リストをめくりながら、面会セッティングが増えていることに気付く。

 年末に近づくと何故か特別保護居住地区の住人への面会が多くなり、本人の部屋か場合によっては共用スペースか面会室を使用することになる。

 家族同士が会うのにわざわざ面会室を使うのはおかしいように思えるが、何となく誠には腑に落ちた。
 元々、特別保護居住地区の人たちは何かしらの事情で一人、もしくは70歳以上の二人暮らしの夫婦らが住人になれるという地域になっている。
 70歳以上でも子供や、別の責任をもって面倒を見られる家族や同居人がいれば、この特別保護居住地区になど来る必要はない。

“血の繋がり”というものだけで個人の人生を縛る考え方は今やもう消滅しつつあった。

 赤ん坊を産んでも育てられない親は公共の教育システムに子供を託す。そうすることで親側に費用の負担があるものの育児放棄や虐待、親が自ら子供を殺めてしまうという最悪の事件も、このシステムのおかげで随分と減少したという。
 子供たちも親に振り廻されることなくある一定の教育を受ける事が出来、そこにはもはや差別はなく、子供たちが劣等感を抱く必要もどこにもない。
 それどころか、この教育システムによって育てられた子供たちは医療や福祉などの方面に進みたいと考えている子供が多いという・・。

 誠はたまに、自分が幼いころにこういった社会教育システムがあったなら、自分の人生や、自分自身の考え方は今現在とは違っていたのかもしれないと、思ってしまう。

 それはほんの一瞬ですぐに消えてしまうのだけれど、ごくたまに朝の光を浴びたりすると差し込んでくる。

 誠はそんな時、両手で強い光を遮って、とにかく自分の手のひらを見つめる。
 今、生きている自分の手のひら。血が通っている自分の手のひら。そこにある指紋を、多くの線からできているその不思議な模様を、ただ見つめる。

「フラフラするな。今の自分を見ろ!」



「緑川さん、緑川由紀子さんどうぞ。面会のお時間です」

 誠は面会室のドアを開けてひとりの初老の婦人を面会室に促した。確かBエリアの8020号室の住人だ。
 初老といっても婦人はとても70才には見えず、他の住人たちとはどことなく雰囲気が違って周りに迎合しない、一切の妥協を許さない。というような強烈なオーラを放っている。

「緑川さんどうしました?中へどうぞ」

 誠はもう一度そう言って面会室の手前にある柔らかそうとは言えそうもないソファーから動こうとしない緑川由紀子に近づき、再び入室を促した。

 黒く艶のあるカシミアのコートを脱ごうともせずに両腕を組んだまま、
「誰、私に面会なんて。一体誰なのよ!」
と婦人が面会者リストを手に立ったままの誠に訊ねた。
「だっ誰。えーっと・・」
誠は慌ててタブレットをスクロールした。
「あなた係員なんでしょう⁉そのくらい頭に入れておきなさいよ!これだから役人の仕事っていうのは嫌なのよ。詰めが甘くって」

 誠が困っていると、面会室から当の本人が顔を出した。
「ああやっぱり。貴女が緑川さんでしたか」
 紺色のジャケットにデニムに近い白いパンツ姿の若い男性が、呆れるくらいトーンの高い声で割って入ってくる。
ポカンとする緑川婦人と誠の両者に手際よく名刺を配りながら、
「ああ、申し遅れましたが、僕はこういう者です。大手芸能事務所のマネージャーと言いますか、主に知的芸術家たちのサポート業務を担当しております。・・で、今回もその一環として弊社所属のアーティスト宇都宮ひかるからの招待状を緑川様にお持ちしました」
と挨拶すると、更に続けた。

「どうしても、何度送っても送り返される。と宇都宮本人も大変に嘆いておりまして、自分が行ってもどうせダメだろうから。と、今回事務所を代表として直接こうして伺いました次第で。それではひとつ、宜しくお願い致しますね」
 事務所の代表の使いだというマネージャーらしい男は緑川由紀子をソファーから立たせると、その手の中にチケットらしき物を握らせることにいつの間にか成功していた。
「おっといけない。時間が少々押しておりますので、僕はこれで失礼します」
 最後にもう一度、緑川由紀子のチケットが握られた両手に自らの手を添えると、ニッコリと微笑んでから、一瞬強い瞳を婦人に向けて、宇都宮ひかるのマネージャーだという男は二人の前から姿を消した。

 先ほどまでの刺刺しいオーラは失せ、緑川由紀子は意外にも優しく懐かしそうな瞳で両手の中のチケットを広げて見つめている。

 誠はつい、宇都宮ひかると知り合いであることを婦人に言いたくなったが、すんでのところで言葉を飲み込む。

 特別保護居住地区の住人たちにとって、自分は一人の業務をこなす係員でしかない。自分のプライベートなことを話す必要も、住人たちのプライバシーに関わる必要もないのだ。
 冷静になって考えてみると、誠はひかるのことは何ひとつ、知らないことだらけではないか。自分の中では数少ない親しい関係の中の一人になっていたのに、ひかるのことを驚くほど知らなかった・・。でもそれは、誠だって同じだ。それどころか、誠の秘密の方が重大の度合いがまるで違う。

 心を許せる相手がほとんどいないことを、また噛み締める。
 特別保護居住地区の住人たちと自分はほんのわずかに似た臭いがする。でもそれに甘えてはいけないんだ。

 誠の耳にどこかから、ひかるの弾くピアノの音色が届く。
 何かしら?まるで子守歌みたいな優しい音色。

 空耳でもいい。その音を掴もうと誠が必死になっている間に緑川婦人の姿は消え、ただ婦人が座っていた証に、ソファーのシワがうっすらと残されているように誠には見えた。


「ああ、解った。それじゃあ間違いなくあの人はそれを受け取ったんだな。お前はそれを・・受け取ったのを間違いなく確認したんだな。ああ、解っているそのかわり、年明けからリサイタルを長期で組む。約束したからな。俺は約束したことは実行する主義だ、安心しろ。ああ、社長にも折を見て言っておく。悪いが今取り込み中だ切るぞ」

 宇都宮ひかるは事務所のマネージャー川崎からの電話を切った。
 まったく、いろいろと細かい奴だ。この前の俺のささいな注文をさも手柄をあげたように、いちいち言ってくる始末だ。

 ひかるはピアノに向かいながら目の前の楽譜をパラパラと適当にめくった。本当は楽譜なんてどうでもいい。
 “純一郎の足元にも及ばない”
 あの日以来、ひかるの中で緑川婦人から言われた言葉が消えることはない。それどころかますます増殖している。
 父親が、父親のピアノの音色が、その身が朽ちてもなお、自分を蝕む。

 最初は見よう見まねで、ただ鍵盤の白いところと黒いところを押して音を出していただけだった。小さい頃から父親は家にいてただ、だらしなくゴロゴロとして、何をしている人なのかひかるには、よくわからなかった。

 けれど時々気まぐれに、黒い箱の蓋を開けてその人が指を動かすと魔法がかかったみたいに、その箱の中から美しい音が流れ出してその場の全部を変えた。
 その時、ひかるは天使が家に遊びに来てくれた。と思い、その人の背中に大きな白い羽が生えているように見えていた。
 けれど天使の訪問は長くは続かない。途中でプツリと電池切れになってしまう。
その人はまた再び座ぶとんを二つに折りたたみ枕にして、卓袱台の近くにゴロリと横になる。
 ずっとひかるはあの時の天使の、父親の音色を追いかけてきた。
 父親がひかるが五才のころ近所で交通事故で亡くなっても、その後もなお、ずっと父親のピアノを追って弾いて・・。

 アルコール臭の漂うあの部屋で聴いた音色が忘れられない。優しく、強く、儚く、気高い。
 あと1年と少しで自分は父親が亡くなった年齢を超えてしまう。
 まだ自分には父親の横顔が見えてこない。
 いつも目の前には背中が、父親の大きな背中が広がるだけ。

『父親の宇都宮純一郎氏は間違いなく天才でしたが、息子だからといって、宇都宮ひかるのピアノに期待を掛け過ぎた私もまったく、バカでしたな。はっはっは』
 以前テレビで何とかいう評論家が得意気に話していたのを目にしたことをまた思い出しながら、ひかるはチャイコフスキーの舟歌を弾いていた。

 ピアノなんて誰が弾いてもある程度練習した人間が弾けば同じだとか、それこそAIが弾けば完璧なのだから、わざわざ人間が弾く必要などないじゃないか。という意見もひかるは知っている。だけれども、どうだい。アーティスティックな職業はAIに取って代わられることはなかったじゃないか。
 そこにはやはり何らかの感情があるからじゃないか。怒りや憎しみや悲しみや喜びや、機械ではコントロールできない感情が、人間にはあるからじゃないか。

 どこからともなく怒りが湧いてきて、ひかるは次にムソングスキーのバーバ・ヤーガの小屋を弾いた。
止めようのない感情をぶつける手段のひとつとして、自分にはピアノと言う楽器があって本当に良かったとひかるは思う。

 自分のように感情を抑えるのが苦手な人間にはピアノの存在が無ければその辺で誰かにケンカでも売って歩いて、その果てに、もうとっくに命を落としていてもおかしくはない。

 ふっと気持ちが落ち着いてからドヴォルザークのユーモレスクを弾いていると、来客の合図の照明が点滅した。
防音システムが働くこのマンションには他の部屋にも音楽関係者やアーティスト達が住人で、部屋に居るほとんどの時間も音を出している為に、多少の音が鳴っても気が付く訳がない。そこで照明の色が変化してチャイム音の代わりになるシステムが備え付けてある。

「チッ誰だよ、こんな時間に」
 冬になって日が短くなってひかるは気が付かなかったが、辺りはすっかり暗くなって19時30分になろうとしていた。
「はいはい、誰?」
「・・・・・・・」
 返事は無い。ひかるが仕方なしに映したモニターの向こうには袋井誠の姿があった。
「あれ、おっさんどうしたの。久しぶり。ちょっと待ってな」
ひかるはシステムキーを解除して誠を部屋へと促した。

「・・・それで?何かあんだろ、頼み事が。おっさんがわざわざ俺に会いに来るなんて、よほどのことなんだろう?」

 誠は目の前のひかるが淹れた珈琲には手も付けず、湯気を見つめていたかと思うと、遠慮気味に掛けていたソファーから身を降ろし、白く長い毛足の絨毯の上にいきなり土下座した。

「ごめん、頼みがある。キミのコンサートにある人を・・父親を招待したい。チケットを一枚何とかして欲しい。でっ出来ればキミに近い席の方が。びっ病気なんだ。たぶん身体は楽じゃないと思う。来ないかもしれない!そ、それでも招待したいんだ。都合を付けて欲しい」

 ひかるはポカンとしてそれを見ていたが、すぐに立ち上がって仕事用のリュックを背負ったままの誠の背中からそれを剥ぎ取って、誠を再びソファーに座らせた。
「まず、いいからそれを飲んで落ち着け」

 誠は素直に少しぬるくなった珈琲で乾いた喉を潤す。砂糖は入っていないのに珈琲はほんのりと甘く感じる。

「そうか、了解した。マネージャーにすぐに手配させる」
「実は、逢えなかったんだ。この前。だからまた・・・」
 ひかるは誠が続けようとする言葉を、大きな手のひらで誠の口を塞いで遮った。

「もういいんだ。もういいからそれは。だから誠は、何も言わなくていい」
 もしかしたら瀬戸マリアから話を聴いているのかもしれない。と誠は感じたが、それはそれで気が楽になった・・。
 しかし自分には、もっと大事な言わなければいけない事があるんだ。

 誠は冷めた残りの珈琲を一気に飲み干すと、またソファーから降りて土下座した。
「ごめん、僕はキミに隠していることがあるんだ。僕は恐ろしい生き物なんだ。いつ、近くの人を傷付けるのかも解らない。恐ろしい生き物なんだ。人を、クラスメイトを殺したんだ。とんでもない人間だ。殺人犯だ。だからこうして今だって、一生涯、僕は監視されている!」

 誠は左腕に埋め込まれている監視用のリングをひかるの方に向けて見せた。時間がちょうど20時になり、青白く点滅を始めている。
「恐ろしいだろ、こんな人間。本当は僕なんかが調子に乗っちゃいけないんだ。人並みなんて考えちゃ・・。だけど心の底の何処かが止められなくて。どうしても言えなくて・・」

 目の前で静かに誠の話を聴いていたひかるがスッとその場を離れ、すぐにまた戻って来た。
「誠が恐ろしい殺人鬼なら、それを見てどうする。俺を殺す?」

 誠はひかるがキッチンから持ってきた真新しい自分の方に持ち手が、ひかるの方に刃先が向けて置かれた包丁を見つめる。
「俺を刺すならどうぞ。すきにやってくれ。ああ、そのかわり一度で頼む。あと顔はやめてくれ、美しく散りたい。あとそれから指を切り落とすとかも困るな、後で手型とか記念に造るかもしれないし。あとそういえばヒゲも伸びているし、服だって部屋着だし、下着だって新しいのに着替えないとダメだな。あと最期に美味いメシも食っていないし、最期だったらやっぱり美人と一緒だ」

 そう言うとひかるは自分で置いた誠の前の包丁をサッと自身の後ろへ引っ込めた。

「やっぱゴメン俺まだ無理だわ。さっきのは忘れろ。もう少しやりたいこともあるし、だな。ここで誠とふたりっていうのも・・。俺にはもっと相応しい華のある運命があるってものだ」
そそくさと自身の後ろに隠した包丁をキッチンに戻そうとひかるが立ち上がると、誠がひかるに抱き付く。

「ごめん、本当にごめん。本当にごめん、本当にごめん」
「バカッ。おっさん急にそういうことするなよ。俺は今、包丁という一般家庭における最大危険器具のひとつを持っているんだぞ!危ないから離れろ。すぐに俺から離れろ!」

 誠はひかるの優しさが心底嬉しくて、泣きながら、何かを叫びながらひかるの身体にしがみついた。いい大人が、年下の知り合って間もない青年の胸で泣く。

 みっともない。こんなみっともない自分を人前にさらけ出して・・。以前の自分だったら、こんなことはできなかった。
 誠の涙と鼻水と諸々はひかるのスウェットをベシャベシャにしたーー。




第十章



 12月26日、今年もあと僅かで終わろうとしているクリスマスの翌日。
 宇都宮ひかるの特別保護居住地区でのウィンターリサイタルが施設内のホールで行われる当日。

 朝から空はどんよりして重く、目頭に溜まった涙が溢れそうな誰かの顔のようだ。と、袋井誠は朝9時30分の曇り空を見ながら思った。

 乾いた冬の空気を深く吸い込むとその冷たさに鼻の奥がツンとする。出てきた鼻水を吸いながら誠はいつも通りに出勤し、特別保護居住地区の住人たちの巡回業務リストをチェックする。

「バカか、おっさん!俺が、この俺がこうしてチケットを二枚手配したのに。どうしておっさんが行かないんだ。誠が行かなきゃ意味ないだろうがっ!そんな、年寄りたちの世話なんかいつでもまた出来るだろ?365日、いつだって同じ業務が出来るだろうが、このスカタンが!」

「ちょっと、ひかる言い過ぎよ。違うのよ誠ちゃんはお父さんの意志を尊重して、直接逢うことはしない。って言っているのよ」
「わかっているよ俺だって。誠がそんな勝手なことしたくないっていうのは。だけど悔しいんだよ、俺は。お互いまだ生きて逢えるんだぞ。悔しいんだよ・・・俺は」

 数日前のひかるとマリアのやり取りを誠は思い出していた。

 結局、チケットを無駄にするのも良くないという理由と、誠の父親が来場した際に急に具合が悪くなった場合、少しは役に立つだろう。という理由で瀬戸マリアがひかるが手配した残り一枚分の席でひかるのリサイタルを鑑賞する。という流れにこの騒ぎは落ち着いたのだった。

 誠に後悔は無かった。

 自分の父親は“自分には死ぬまで会わない”選択をあの時に下したのだ。
 その決意を相手を騙すようなやり方で自分が捻じ曲げることなど、出来るわけがない。

 自分にはそんな権利も資格も、持ち合わせていないのだから。

 父さんは歩けるだろうか?病院に入院しているくらいなのだから、そもそも歩けないのかもしれない・・。
 もくもくと今日の空よりも黒い雲が誠の頭の中に浮かんできたが、誠はそこでその雲をぶった切る。
 何もかもが自分が勝手にやったこと。何かを期待するなんて間違っているじゃないか。

 仕事用のいつものリュックを軽く背負い直して、誠はC棟の今日の訪問先へと足を蹴った。

 ひかるのリサイタルは18時開場、18時30分開演。客席が200人ほどの会場は早い時間から席が埋まって行く。

「元々、特別保護居住地区の住人は孤独な人ばかりなのだから、来場しやすいように少しでも敷居は低い方がいいだろう」という、ひかる自身の意向で大きすぎない会場と12月26日の日程が選ばれた。

 クリスマスの翌日、世間では年末に向けて慌ただしい時間が刻まれているだろうが、特別保護居住地区の住人たちにはあまり当てはまらない。
 自分のテリトリーから出なくても、大概のことは解決できてしまう。具合が悪くなってもAIの医療システムが遠隔操作によって診断し、特定のスタッフがすぐに駆け付ける。
 瀬戸マリアもそういったスタッフの一員だ。

 自分の殻に閉じこもりがちな人たちに、見知らぬ人間同士が肩を並べ、ひとつの空間の中で目には見えない旋律の間を縫い、自由に浮遊して、同じ空間を人と人とが楽しむ喜びを感じて欲しいーーー。

 宇都宮ひかるは、いつもそう願いながらリサイタルに臨む。表現者として選ばれた者の責任がひかるにはある。中にはそういったプレッシャーを感じすぎるあまりに、演奏家として自滅してゆく者もいる。
 しかしひかるは違っていた。父親である純一郎の背中を追いかけ、追いつけない自分がいる。だからといって父親のピアノをコピーしたい訳ではなかった。

 以前、緑川由紀子に言われた通り、自分のピアノは父親の足元にも及ばないから・・。

 いわゆる“天才”という種類の人間たちは、人として生きて行くのがあまり得意ではないらしい。幼いころひかるは父親を見ていて、そのことに気付いていた。

 才能が無くとも、みっともなくもがいている自分を、いつも何処かから父親に見ていて欲しいと、願った。

「傲慢で、いつも自分に自信があるように見える。どうしたらそんな風に強気でいられるのか?」と、インタビュアーに問われたことがあった。
「ああ、それはどうも」
 ひかるは一言で片づけ、それを叩く人間も多かったが、ひかるにはどうでも良く、ただ空いたスケジュールをピアノを弾く時間に当てられてちょうどいい。とすら思っていた・・。

「ひかるさん時間です」
 マネージャー川崎が声をかける。別段返事をするわけでもなく、グローブで手を温めたままひかるは椅子から立ち上がる。
「お父さん、行ってきます」
いつものように心の中で呼びかけて、ひかるはリサイタル会場へと向かった。


 辺りはすっかり陽が落ちて、外灯が無ければとても手元の文字など追う事はできない。

 誠は夏場と違い最盛期の勢いを失いつつも、何とか上へ上へと伸びようとしている頼りのない噴水の水音を聴きながら手前にあるベンチに落ち着いた。

 時刻は19時20分。ひかるのリサイタルが開演し、ちょうど盛り上がっているところだろう。

 外灯のぼんやりとした明かりを探りながらプログラムに目を通す。予定だと「バッハのメヌエット」という曲を演奏しているらしい。

 曲名を見たところでクラシック音楽など誠はまるで違いが判らない。いつも背負っている黒いリュックから仕事用ではない私物のタブレットを取り出してひかるのリサイタルの様子を観る。イヤホンの細い空間を通り抜け、ひかるの奏でるピアノの音が誠の心の中心にゆっくりと浸透する。

 不思議と、昔から聴き慣れてきた音のように自然と身体が受け入れている。過去の事も何もかも忘れて、全てが許されて、演奏の渦の中に身を委ね、会場の人たちと一体となり何も考えずにただ、漂う。

 何十
 今僕は、誰かと同じように喜び、感じ、理屈ではない感動を共有しているんだ。
 ひとつのラインから引き下がる選択を、しなくていいんだ。
 今は、今だけは僕にもまだ人として感動することが与えられているんだ。

 辺りには誰もいない初冬の公園の暗がりで、カサカサと風に引きずられながら通り過ぎる枯れ葉たちの前で、誠は遠慮なく泣いた。

 ひかるから送られていた、父親と近い席のチケットを辞退し、今この瞬間に会場内に自分が居ないことを本当に良かったと誠は改めて感じていた。
 わざとらしく父さんに逢ったところで僕は嬉しくもないし、第一に今更。これ以上父さんを傷付けたくない。

 この世からいついなくなってもおかしくないと理解している人に、この期に及んでなお失望させることをしたくない。

 誠の席には今頃瀬戸マリアが身代わりに座ってひかるの演奏を父さんと同じように聴き、その姿を同じように見つめているはずだ。
 泣いた後の誠の顔は今度はふにゃっとニヤけだしている。
 ステージの上でひかるの姿を見たらきっと、キレイすぎて自分たちが「天国にでもいるんじゃないか」と思うのじゃないかしら・・。


 ステージの上で宇都宮ひかるはベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番「月光」の第一楽章を弾いていた。
 ひかるの視界に薄っすらと、袋井誠の父親らしい人物が入った。他には緑川婦人、そして誠の席にいる瀬戸マリア。

 どうしてだ⁉どうしてなんだ。折角、この俺がわざわざ手配して。・・父親も来ているというのに。何で誠が、お前が来ない!
 どこまでバカなんだ。

 演奏と同時に気持ちが高ぶりそうになるが、長年の訓練のたまもの、身体は至って冷静のようである。

・・父さん。聴こえているんだろう?俺はずっと父さんを追いかけて、追いかけてピアノを弾いてきたんだ。緑川夫人の知っている父さんを俺は全部を知らないよ。だけどそんなことはどうでもいいんだ。誰も知らない父さんが、俺だけの父さんが俺にピアノを教えてくれて、同じ鍵盤をゆっくりと同じ指の運びで弾いてくれていた父さんが居るんだ。

・・そして明るい時間から酒をむさぼるように探して、酒を狂ったように飲んで、そんな時でもピアノに向かおうと父さんはしていて、短い時間なのに父さんの指は魔法のように美しい音を造りだしたね。手の震えが止まらなくて思うように鍵盤に指が溶けてゆかない時でも、父さんは何度もその向こう側にある父さんの音をもう一度掴もうと、ピアノに向かっていただろ?だから父さん、もういいんだよ俺に謝らなくても。父さんいいんだ。もういいんだよ・・・。

 ひかるのピアノはハイドンのピアノ・ソナタ第23番、第二章を奏でている。

 暗くてはっきりとは見えない降り出した雪のように静かに、人々の心に降ってはそっと気付かぬうちに消えてゆく。消えながら深い余韻を刻んで、心の忘れた傷を癒そうとしている。

 誠が座るはずの席を間借りしている瀬戸マリアは、どうしようもなくただ涙を流しているしかなかった。
 ひかるのピアノは近くで何度も聴いてきたのに、今夜のピアノは何かが違っていて、いつもより温かい体温みたいなものをマリアは感じて、誠が今ここに居ないことを呪い、同時に感謝もしていた。

 嗚呼、どうして誠ちゃんが今この演奏をここで聴いていないの?お父様だって来ているのに!私がここに居たってお父様には何の意味も無いじゃないのよ。ああ、でもごめんね誠ちゃん私、図々しくて悪いんだけど今夜の彼の、ひかるの演奏をこの場所で聴くことができてとても感謝しているの。だって本当だったら私の今頃は昨日と同じように特別保護居住地区の住人たちの部屋を廻ったり、世話をしてくたくたになって、でも少しだけ笑って自分で自分を慰めて・・そんな風にして月を見上げている時間なの。

 でも今夜は違っていて、仕事も定時で上がって、化粧もしていて、黒いドレスなんて着ちゃって、ひかるのピアノを聴けて、ステージの彼を見つめて・・違う自分を発見できたの。
 だからきっと、誠ちゃんのお父様にも誠ちゃんの気持ちが伝わっていると思う。だって絶対にこのピアノを聴いて何も感じないなんてありえないじゃない。
 だからちゃんと、誠ちゃんの想いをお父様は受け取っているはずよ。
マリアは両手を握り合わせて強く目をつむり祈った。

 ステージ上でひかるはほとんど話をしない。
 一度弾き始めたら、曲の合間のわずかな時間は止まらない。

 ショパンのエチュード嬰ハ単調・作品14番。
スピード感のある曲だが、ひかるは表情ひとつ変えない。
まるでソリの先頭でひかるが鞭をしならせ、聴衆がただそれに導かれている。ひかるの鞭でたたかれているのは、聴衆たちの方かもしれない。ステージ上の彼の存在が神々しいまでに光を放ち、彼の音の支配からもう誰も逃れることは出来ない。

 ショパンの二十四の前奏曲の内の何曲かを弾き、第14番、そして第15番「雨だれ」をひかるは奏でる。
 いつもの噴水の前のベンチで誠はイヤホンからひかるのメッセージを拾っていた。
言葉が無くとも、より深く響いてくる。

 リサイタルホールの中で他の人々と一心に聴くのも良いかもしれないけれど、誠にはやはり後ろめたさと、気恥ずかしさと・・全てが綯い交ぜになってホールに行くのは無理だった。

 あの日から僕は、人であって人ではなく、居るけれど居ちゃいけない存在なんだ。
だからこそこうして、仕事を終えた誰もいないこの場所こそが僕が居ても許される、ちょうどいい場所なんだ。

 誠もまた、ひかるのピアノを受け取りながら大粒の涙を流していた。
 久しぶりだな・・こんな風に泣くのは。悲しいでもない嬉しいような、でもやっぱり悲しいような。
僕にさえ泣くことを許してくれる。

 冬のかすれた空気の中に、いつの間にか白い綿毛がふわふわと浮遊している。
「わあぁ」
 誠は白い息を一度吐いてから、左手の手のひらを上に向けて綿毛の正体をつかまえてみる。
 微妙に形の違うそれらの綿毛は少しずつ一緒に結び付き、誠の手のひらの上に一瞬だけ留まり、スーッと誠の体内に滲んだ。


ーーお父さん、あなたもきっと今同じピアノの旋律を、調べの奥深さを心と体で感じて、生命を感じていますか?
 僕は、ここでこうして居るだけでいっぱいになるんです。充分な人間です。

 だからお父さんも過去でも、あの時でもなく、今を。今を感じて幸せでいて下さい。自分自身に今夜だけは許しを与えて下さい。
 僕がこうして今、自分を許しているように。お父さんも、どうか。ーーー


 誠は鼻先を赤くしながら、両手を強く握り合わせて祈った。


 ステージ上でひかるはリストのラ・カンパネラを演奏し、次のショパンの即興曲第4番、作品66「幻想即興曲」を奏でている。
 あと少しでリサイタルが終わる。それまでに・・もうおそらく一生逢えないだろう親子なのに、なぜふたりとも交わろうとしない?
 過去や世間体などどうでもいいことじゃないか。ふたりの人生に誰も、暇つぶしのタネにはしても責任など取ったりはしないのだぞ。

 ショパンのポロネーズ第六番、作品53「英雄」を弾いている最中にピアノの向こう側のステージ袖に待機しているマネージャー川崎にひかるは目で合図をすると、川崎は迷うことなくステージ袖を後にして客席近くのテーブルの影に移動した。
 最後の曲、ショパンのエチュード作品10ー3「別れの曲」をひかるが演奏し終えると、マネージャー川崎がそっと最前列の籏町悦夫の座る席に近づき囁いた。

「籏町悦夫さまですね。あと少しだけ、宇都宮ひかるに付き合って頂いても宜しいでしょうか・・」

 ホール内の観客が全て退出して、ひかる達と観客が籏町悦夫ひとりだけになると、ひかるはステージから降り、籏町悦夫の座る椅子の前で挨拶しようと声を掛けた。
「籏町悦夫さんですね。今夜は来ていただいて有難うござ・・・」

 籏町悦夫に近づくと、ひかるは言葉をいったん止めて、息を飲んだ。
 リサイタル中は客席が暗くて全く気が付かなかったが、その男性は盲目か、ほとんど視力が低下して、物を見る能力が備わっていないようであった。

「こっ今夜は本当に有難うございます。本当に感謝します」
ひかるは気持ちを強く持って言葉をもう一度繋げ、籏町悦夫の前で深々と頭を下げた。
「いや、こちらこそお礼を申し上げたい。後にも先にも、もう私には今夜のように素晴らしいピアノを目の前で聴くなどという機会は、二度と来ないでしょうから」
 籏町悦夫は少し乾いた、通りにくそうに喉元をようやくすり抜けてきたような声で言った。

 ひかるは目頭が熱くなって、
「もう一曲だけ、私の友人が大好きな曲をあなたに贈りたいのでどうか聴いて下さい。後何か聴きたい曲はありませんか?私に弾ける曲でしたらそちらも是非とも弾かせて下さい」

 ひかるは涙が出ないように悦夫に向かって一気に言葉を発した。
「クラシック音楽などにはあまり縁のない生活をしてまいりましたので、ほとんど知っている曲はありませんが『エリーゼのために』をお願いできますかな?遠い昔に大事な女性と聴いた覚えがあります」
「エリーゼのために、ですね。わかりました。
 その前に友人の好きな曲、ショパンのバラード第一番、作品23をお贈りします。ところで長丁場ですが、お身体は大丈夫ですか?」
「ええ、今日は調子がマシな方です」

 籏町悦夫はそう答えてから、また口を開いた。
「あと、もうひとつだけ私の、私の弔いの曲を一曲。葬送曲をお頼みしても・・」
「葬送曲、ですか」
 目の前にいる籏町悦夫はほとんど盲目であるのに、ひかるは全てを見抜かれてしまいそうでなるべく表情を変えずに返した。

「・・それでは葬送曲といいますか、葬送行進曲ではありませんが、ラヴェルという音楽家の『亡き王女のためのパヴァーヌ』という曲はどうでしょう。とても気品のある籏町さんにお似合いの曲ですよ」
「・・気品が。私に?」
「ええ、とても気品がおありです」
「まあそれは別として、最期くらいは良いのかもしれません。あなたにお任せしたい」
「光栄です。確かに承知しました」

 宇都宮ひかるは再びステージに上がり、ひとりだけの誠の父親である籏町悦夫の為だけに、一曲目、二曲目、そして三曲目の『亡き王女のためのパヴァーヌ』を彼の為の葬送曲として、籏町悦夫の人生に、そして袋井誠に、この親と子に。そしてどこか、ひかる自身とひかるの父である宇都宮純一郎に向けて想いを込めて送ったーーー。




「・・・お父さん。どうしたのだろう?僕は今とても温かいところにいて、どこか清々しいんだ。もう誰の目も気にしなくていいみたいだ。そしてここに居ればお父さんに逢えるきがするんだ・・・」




 『12月27日、朝8時の情報番組で、特別保護居住地区で勤務していた男性職員が、一人の住人らしき人物に殺害された。というニュースが流れた。加害者とみられる男性は、かつて自分の親族をこの男性職員に殺害され、犯行に及んだと証言しており、犯行動機などの詳細は現在調査中である』





                                             完



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