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序章・帝国崩壊編
20、領主。出陣
各地の領主へ送られた使者はモンタアナにもやって来た。
ラドウィンはいつものように適当に応対して使者を返したが、すぐに各地へ密偵を放つ事にしたのである。
「タッガル。すまないがよろしく頼む」
父の代より彼らに仕えるタッガルと、その部下の治安維持隊を旅行者に扮して各地へ送る事にした。
そうして今回の戦争の動向を伺ったのである。
「帝国軍は五人の領主を先鋒に攻め込むようです」
「帝国軍に参陣した諸侯は十を越えそうですね」
「帝国軍の総戦力は噂によると十万を超えるとか。此度の戦(いくさ)は帝国軍の圧勝でしょう」
密偵は各地からそのような情報を持ってくると、ラドウィンは顔を曇らせた。
そして、彼は執務室に一人の若い男を呼んだ。
その男はキルムである。
タンドスの部隊であった一兵卒にして、タンドスとの戦いでモンタアナの勝利に貢献した若者だ。
「先生! 何の用でしょうか!」
部屋に入ってくるなり元気よく言うので、ラドウィンは苦笑して先生はやめてくれよと言う。
キルムがラドウィンを先生と呼ぶのには理由があった。
仕事をしたくないラドウィンは自分の仕事を代わりにやってくれる人を探し、軍務をこのキルムに一任しようと考えたのである。
キルムに文字の読み書きを教えて兵法書を読ませた所、彼は夢中で読み込んで砂地に雨が染み込むように知識を身に付けたのだ。
そんなキルムにアーランドラ帝国の軍勢を教えて、どう見るかを聞いた。
「良い手だと思います。汚名を返上する為に彼らは頑張らざるえません」
執務机に広げられた地図を見て、キルムは先鋒の五つの駒を指さすとゆっくりと前へ進める。
「そう、普通ならそう思う。アーランドラ帝国もそう思っているのだろう」
ラドウィンは指揮棒を取り出して、カルシオス達の逃げ込んだ地、オーゼリードを指し示す。
「だが、カルシオス達は帝国も知らない情報を待っている……。その情報の使い方次第では――」
指揮棒で先鋒五つの駒を反転させた。
「こいつらは敵となる」
キルムは顎に手を当てて唸り、「その情報とは何でしょうか?」と聞くので、ラドウィンは首を左右に振って「分からないが、カルシオスは情報の集まる帝都で権謀術数、成り上がった男だ」と言うのだ。
「情報を巧みに操る者ほど恐ろしい。カルシオスが策も無く逃げ出したと考えるのは浅はかだ」
「つまり、何らかの対抗策を持っているから、彼は帝都を逃げたと言うのですか」
ラドウィンは静かに頷いた。
この時代、特に情報というものは軽んじられる傾向にあったが、ラドウィンは既に情報の重大さを見抜いていたのである。
そして、情報を操るカルシオスを彼は警戒した。
キルムはその企みに気付いたラドウィンが帝都の救援に向かうのかと思ってニヤリと笑う。
「帝都に恩義を与える訳ですね?」
そのしたり顔にラドウィンは苦笑した。
腕を組んで椅子に深くもたれると「どうしようかと思っていてね」と答えたのである。
正直、ラドウィンとしてはこんな戦いに参加するか悩んだ。
ラドウィンがこの辺境の地で好き勝手できるのは彼の出自にあったのだが、もしもアーランドラ帝国が敗北してカルシオスが天下を手中に収めたとしたら、この裕福な地をカルシオス達は見逃すまい。
ならば、ラドウィンがこの地でゆっくりと過ごす為にもアーランドラ帝国に肩入れすべきだ。
しかし……しかしそう、ラドウィンは出すぎた杭は打たれる事を知っている。
彼が目立つほど、人々はラドウィンを見逃さず、そしてモンタアナの裕福な地を狙う事だろう。
今後、やれ物資を送れだとか、やれ援軍を寄越せとか言われても堪らない。
だからラドウィンはどうするか決めかねていたのだ。
とにかく、今回の戦いに参戦するかどうかは保留にする旨を伝えて、ラドウィンはキルムを帰したのである。
「さて、どうしたものかな」
一人でラドウィンは考えた。
しばらく考えて、こんな事に頭を悩ませるなんて自分らしくないなと自嘲し、休憩がてらに茶でも飲もうかとキッチンに向かう。
執務室を出るとすぐに、甘い匂いが鼻をついた。
ラドウィンがキッチンへ向かってみると、ミルランスがパンケーキを焼いている。
彼女はラドウィンに気付くとニッコリ笑って「ちょうど焼けた所です」と言うのだ。
そんな彼女にラドウィンは苦笑した。
何故ならば、ミルランスはハルアーダ達が去った翌日に近所の老婆の家に移住させたのに、いつの間にか屋敷に居たからだ。
ハルアーダとティタラが居なくなって、さすがに年頃の女の子と二人きりともいかなかったのに、ミルランスときたら気が付くと屋敷に入って料理を作っている。
最近はお菓子作りに凝っているようで先日はアップルパイを作っていた。
「あまり男一人の家に女の子一人で通うのはやめた方が良いよ」
ラドウィンが飄々と笑っていると、ミルランスは「意外とお堅い事を言うんですね」と笑って、パンケーキを皿に乗せた。
「行商の人から美味しいシロップを買ったんですよ。樹液から作った甘ぁいシロップです」
ミルランスはダイニングテーブルへかけるようラドウィンに言うと、棚から琥珀色の粘液が入れられた瓶を取り出すのだ。
「僕は虫じゃないよ」
樹液のシロップだなんて聞いた事が無いので苦笑するラドウィンにミルランスが「食べてみてからですよ」なんて、あたかも親が子に諭すかのように言うのだから、ラドウィンはますます苦笑した。
「そんなに美味しいのかい?」
「いいえ、私も今初めて食べます」
二人分のパンケーキを机に置いて、ミルランスがラドウィンの向かいに座るとなんだかおかしくて二人して笑いあうのだ。
「自信満々なのに食べた事が無いなんて面白いよ」
「私もそう思います」
二人はしばらくクスクス笑った。
それからシロップをたっぷりつけたパンケーキをパクリと食べれば、あんまりにも甘くて、そして美味しかったから二人してやっぱり笑い合う。
なんで笑うのか分からないが、なんだか二人は幸せであった。
だが、ミルランスの笑みがふっと消える。
不安げな顔で俯き、何か言いたげにラドウィンをチラチラと見た。
「どうしたんだ?」
ラドウィンがミルランスの不安げな顔を心配する。
ミルランスはシロップを行商人から買う時にティタラの事を聞いたのだ。
妹帝ティタラが新皇帝についたという話だ。
そして、先程キルムから、アーランドラ帝国が負けるかも知れないという話を聞いたので、ミルランスはティタラの事が心配で心配で仕方無かったのである。
だけど、ミルランスは自分が皇帝だった事をラドウィンに秘密としていたから、その事を話す訳にはいかなかった。
のだが、ミルランスは意を決して顔を上げた。
私はアーランドラ皇帝のミルランスです。
そのように、自分の素性をラドウィンに教えた。
このような事を秘密にしていて、ラドウィンに失望されるかと思う。
なんで早く言わなかったんだ。なんでそんな大事な事を秘密にしていたんだ。
そのように言われたらどうしようかと怖かった。
だけどラドウィンはにこやかに笑ったまま、そうだったのか。と言って頷くだけである。
「私が皇帝で怒らないの?」
ミルランスがおずおずと聞くと、ラドウィンは静かに笑って「帝都で何があったのかは聞いているよ。自分が皇帝だと打ち明けるのは怖かったのだろう?」と言うのだ。
ラドウィンは知っていた。
帝都で大将軍と宰相の権力争いがあって、皇帝ミルランスと妹帝ティタラが巻き込まれたということを知っていたのである。
そして、帝都から彼女達が消えたという話も知っていたのだ。
後はもう簡単な答え合わせである。
それに、ラドウィンは皇帝の名がミルランスと知っていたから、初めて会った時から彼女がアーランドラ皇帝と知っていた。
だけど、面倒事に巻き込まれたくなかったから、知らないふりをして彼女を保護したのだ。
面倒事に巻き込まれたくないなら見捨てれば良いのに、見捨てられないのがラドウィンという男なのだろう。
そんなラドウィンをミルランスは信頼した。
「ティタラを助けてあげられませんか」
そのお願いにラドウィンは苦笑する。
「それは皇帝としての命令?」
ミルランスに聞くと、彼女は静かに頷いた。
「でも……でも本当はラドウィン様に行って欲しくない!」
ミルランスの目には涙が溜まっている。
今にも泣きそう。
彼女はラドウィンの事を慕っていた。
だけど戦地に赴いて欲しくない。
ああ、だけどティタラを危険な目に遭わせたくない。
ああ、ああ。
ミルランスは二つの気持ちで揺れた。
元々、感傷的な所のあるミルランスは絶望的な二択を迫られた。
ミルランスはラドウィンが好きだ。愛している。
何にも興味の無い様子を装って何にでも頭を悩ませている彼が大好き。
飄々と笑っているのに、他人の傷付いた心に気付いて優しい言葉を掛けてくれる彼が好きなのだ。
そんな彼に戦地へ向かって欲しくない。
だけどティタラだって好きだ。
ラドウィンとどっちが好きかなんて決められない。
好きの方向が違うからだ。
小さな頃、よちよちと後ろをついてくるティタラを覚えている。
ミルランスが泣いている時に一緒に泣いてくれた事も覚えている。
血を分けた妹の元へ、もしもカルシオスやオルモードの兵達がやって来たら?
もしも処刑されたら。
首を切られたティタラを想像するだけで耐えられない。
ミルランスはいつの間にかうつむき、琥珀色のシロップを見ていた。
窓から射し込む太陽がシロップに反射して夕陽のようになっているのが見える。
物悲しい色だ。
ラドウィンが溜息をついているのが聞こえる。
ミルランスは顔を上げるのが怖かった。
もしもラドウィンが断ったら?
仕事をしたくないのにくだらない頼みをしやがってと思われていたら……。
ミルランスはラドウィンに嫌われたくなかった。
ティタラの事なんて何も言わず、ただラドウィンと甘い暮らしに興じていた方が良かったかも知れない。
だから、ラドウィンに帝国のために戦えと伝えるのは勇気のいる事だった。
「顔を上げてくれないか?」
ラドウィンの優しい声に顔を上げると、彼は優しく微笑んでいた。
「君に頼まれたら断れやしない」
「ですが、ラドウィン様。死んでしまうかも知れません!」
「大丈夫。死にはしないよ。約束する」
ラドウィンはパンケーキを一口食べて、「またこのパンケーキを食べたいからね」と笑うのだ。
「作ります。何度だって作ります! だから、必ず生きて帰って下さい!」
ミルランスは叫んだ。
心の底から叫んだ。
かつて人の顔色ばかり伺っていた女の子が、心の底から本心を叫んだのである。
ラドウィンはにこりと笑って、その叫びに応える事を約束した。
「必ず生きて帰るよ。ティタラちゃんも必ず守ろう」
翌朝、ラドウィンは村人から有志を募り、兵を集めると出陣する。
蓄えは十分にあったから兵糧も充足していた。だからすぐに出陣できたのであった。
初めて、ラドウィンは自分から仕事をする事にした。
帝国の辺境伯として、皇帝の臣として、この国を守る為に出陣したのである。
ラドウィンはいつものように適当に応対して使者を返したが、すぐに各地へ密偵を放つ事にしたのである。
「タッガル。すまないがよろしく頼む」
父の代より彼らに仕えるタッガルと、その部下の治安維持隊を旅行者に扮して各地へ送る事にした。
そうして今回の戦争の動向を伺ったのである。
「帝国軍は五人の領主を先鋒に攻め込むようです」
「帝国軍に参陣した諸侯は十を越えそうですね」
「帝国軍の総戦力は噂によると十万を超えるとか。此度の戦(いくさ)は帝国軍の圧勝でしょう」
密偵は各地からそのような情報を持ってくると、ラドウィンは顔を曇らせた。
そして、彼は執務室に一人の若い男を呼んだ。
その男はキルムである。
タンドスの部隊であった一兵卒にして、タンドスとの戦いでモンタアナの勝利に貢献した若者だ。
「先生! 何の用でしょうか!」
部屋に入ってくるなり元気よく言うので、ラドウィンは苦笑して先生はやめてくれよと言う。
キルムがラドウィンを先生と呼ぶのには理由があった。
仕事をしたくないラドウィンは自分の仕事を代わりにやってくれる人を探し、軍務をこのキルムに一任しようと考えたのである。
キルムに文字の読み書きを教えて兵法書を読ませた所、彼は夢中で読み込んで砂地に雨が染み込むように知識を身に付けたのだ。
そんなキルムにアーランドラ帝国の軍勢を教えて、どう見るかを聞いた。
「良い手だと思います。汚名を返上する為に彼らは頑張らざるえません」
執務机に広げられた地図を見て、キルムは先鋒の五つの駒を指さすとゆっくりと前へ進める。
「そう、普通ならそう思う。アーランドラ帝国もそう思っているのだろう」
ラドウィンは指揮棒を取り出して、カルシオス達の逃げ込んだ地、オーゼリードを指し示す。
「だが、カルシオス達は帝国も知らない情報を待っている……。その情報の使い方次第では――」
指揮棒で先鋒五つの駒を反転させた。
「こいつらは敵となる」
キルムは顎に手を当てて唸り、「その情報とは何でしょうか?」と聞くので、ラドウィンは首を左右に振って「分からないが、カルシオスは情報の集まる帝都で権謀術数、成り上がった男だ」と言うのだ。
「情報を巧みに操る者ほど恐ろしい。カルシオスが策も無く逃げ出したと考えるのは浅はかだ」
「つまり、何らかの対抗策を持っているから、彼は帝都を逃げたと言うのですか」
ラドウィンは静かに頷いた。
この時代、特に情報というものは軽んじられる傾向にあったが、ラドウィンは既に情報の重大さを見抜いていたのである。
そして、情報を操るカルシオスを彼は警戒した。
キルムはその企みに気付いたラドウィンが帝都の救援に向かうのかと思ってニヤリと笑う。
「帝都に恩義を与える訳ですね?」
そのしたり顔にラドウィンは苦笑した。
腕を組んで椅子に深くもたれると「どうしようかと思っていてね」と答えたのである。
正直、ラドウィンとしてはこんな戦いに参加するか悩んだ。
ラドウィンがこの辺境の地で好き勝手できるのは彼の出自にあったのだが、もしもアーランドラ帝国が敗北してカルシオスが天下を手中に収めたとしたら、この裕福な地をカルシオス達は見逃すまい。
ならば、ラドウィンがこの地でゆっくりと過ごす為にもアーランドラ帝国に肩入れすべきだ。
しかし……しかしそう、ラドウィンは出すぎた杭は打たれる事を知っている。
彼が目立つほど、人々はラドウィンを見逃さず、そしてモンタアナの裕福な地を狙う事だろう。
今後、やれ物資を送れだとか、やれ援軍を寄越せとか言われても堪らない。
だからラドウィンはどうするか決めかねていたのだ。
とにかく、今回の戦いに参戦するかどうかは保留にする旨を伝えて、ラドウィンはキルムを帰したのである。
「さて、どうしたものかな」
一人でラドウィンは考えた。
しばらく考えて、こんな事に頭を悩ませるなんて自分らしくないなと自嘲し、休憩がてらに茶でも飲もうかとキッチンに向かう。
執務室を出るとすぐに、甘い匂いが鼻をついた。
ラドウィンがキッチンへ向かってみると、ミルランスがパンケーキを焼いている。
彼女はラドウィンに気付くとニッコリ笑って「ちょうど焼けた所です」と言うのだ。
そんな彼女にラドウィンは苦笑した。
何故ならば、ミルランスはハルアーダ達が去った翌日に近所の老婆の家に移住させたのに、いつの間にか屋敷に居たからだ。
ハルアーダとティタラが居なくなって、さすがに年頃の女の子と二人きりともいかなかったのに、ミルランスときたら気が付くと屋敷に入って料理を作っている。
最近はお菓子作りに凝っているようで先日はアップルパイを作っていた。
「あまり男一人の家に女の子一人で通うのはやめた方が良いよ」
ラドウィンが飄々と笑っていると、ミルランスは「意外とお堅い事を言うんですね」と笑って、パンケーキを皿に乗せた。
「行商の人から美味しいシロップを買ったんですよ。樹液から作った甘ぁいシロップです」
ミルランスはダイニングテーブルへかけるようラドウィンに言うと、棚から琥珀色の粘液が入れられた瓶を取り出すのだ。
「僕は虫じゃないよ」
樹液のシロップだなんて聞いた事が無いので苦笑するラドウィンにミルランスが「食べてみてからですよ」なんて、あたかも親が子に諭すかのように言うのだから、ラドウィンはますます苦笑した。
「そんなに美味しいのかい?」
「いいえ、私も今初めて食べます」
二人分のパンケーキを机に置いて、ミルランスがラドウィンの向かいに座るとなんだかおかしくて二人して笑いあうのだ。
「自信満々なのに食べた事が無いなんて面白いよ」
「私もそう思います」
二人はしばらくクスクス笑った。
それからシロップをたっぷりつけたパンケーキをパクリと食べれば、あんまりにも甘くて、そして美味しかったから二人してやっぱり笑い合う。
なんで笑うのか分からないが、なんだか二人は幸せであった。
だが、ミルランスの笑みがふっと消える。
不安げな顔で俯き、何か言いたげにラドウィンをチラチラと見た。
「どうしたんだ?」
ラドウィンがミルランスの不安げな顔を心配する。
ミルランスはシロップを行商人から買う時にティタラの事を聞いたのだ。
妹帝ティタラが新皇帝についたという話だ。
そして、先程キルムから、アーランドラ帝国が負けるかも知れないという話を聞いたので、ミルランスはティタラの事が心配で心配で仕方無かったのである。
だけど、ミルランスは自分が皇帝だった事をラドウィンに秘密としていたから、その事を話す訳にはいかなかった。
のだが、ミルランスは意を決して顔を上げた。
私はアーランドラ皇帝のミルランスです。
そのように、自分の素性をラドウィンに教えた。
このような事を秘密にしていて、ラドウィンに失望されるかと思う。
なんで早く言わなかったんだ。なんでそんな大事な事を秘密にしていたんだ。
そのように言われたらどうしようかと怖かった。
だけどラドウィンはにこやかに笑ったまま、そうだったのか。と言って頷くだけである。
「私が皇帝で怒らないの?」
ミルランスがおずおずと聞くと、ラドウィンは静かに笑って「帝都で何があったのかは聞いているよ。自分が皇帝だと打ち明けるのは怖かったのだろう?」と言うのだ。
ラドウィンは知っていた。
帝都で大将軍と宰相の権力争いがあって、皇帝ミルランスと妹帝ティタラが巻き込まれたということを知っていたのである。
そして、帝都から彼女達が消えたという話も知っていたのだ。
後はもう簡単な答え合わせである。
それに、ラドウィンは皇帝の名がミルランスと知っていたから、初めて会った時から彼女がアーランドラ皇帝と知っていた。
だけど、面倒事に巻き込まれたくなかったから、知らないふりをして彼女を保護したのだ。
面倒事に巻き込まれたくないなら見捨てれば良いのに、見捨てられないのがラドウィンという男なのだろう。
そんなラドウィンをミルランスは信頼した。
「ティタラを助けてあげられませんか」
そのお願いにラドウィンは苦笑する。
「それは皇帝としての命令?」
ミルランスに聞くと、彼女は静かに頷いた。
「でも……でも本当はラドウィン様に行って欲しくない!」
ミルランスの目には涙が溜まっている。
今にも泣きそう。
彼女はラドウィンの事を慕っていた。
だけど戦地に赴いて欲しくない。
ああ、だけどティタラを危険な目に遭わせたくない。
ああ、ああ。
ミルランスは二つの気持ちで揺れた。
元々、感傷的な所のあるミルランスは絶望的な二択を迫られた。
ミルランスはラドウィンが好きだ。愛している。
何にも興味の無い様子を装って何にでも頭を悩ませている彼が大好き。
飄々と笑っているのに、他人の傷付いた心に気付いて優しい言葉を掛けてくれる彼が好きなのだ。
そんな彼に戦地へ向かって欲しくない。
だけどティタラだって好きだ。
ラドウィンとどっちが好きかなんて決められない。
好きの方向が違うからだ。
小さな頃、よちよちと後ろをついてくるティタラを覚えている。
ミルランスが泣いている時に一緒に泣いてくれた事も覚えている。
血を分けた妹の元へ、もしもカルシオスやオルモードの兵達がやって来たら?
もしも処刑されたら。
首を切られたティタラを想像するだけで耐えられない。
ミルランスはいつの間にかうつむき、琥珀色のシロップを見ていた。
窓から射し込む太陽がシロップに反射して夕陽のようになっているのが見える。
物悲しい色だ。
ラドウィンが溜息をついているのが聞こえる。
ミルランスは顔を上げるのが怖かった。
もしもラドウィンが断ったら?
仕事をしたくないのにくだらない頼みをしやがってと思われていたら……。
ミルランスはラドウィンに嫌われたくなかった。
ティタラの事なんて何も言わず、ただラドウィンと甘い暮らしに興じていた方が良かったかも知れない。
だから、ラドウィンに帝国のために戦えと伝えるのは勇気のいる事だった。
「顔を上げてくれないか?」
ラドウィンの優しい声に顔を上げると、彼は優しく微笑んでいた。
「君に頼まれたら断れやしない」
「ですが、ラドウィン様。死んでしまうかも知れません!」
「大丈夫。死にはしないよ。約束する」
ラドウィンはパンケーキを一口食べて、「またこのパンケーキを食べたいからね」と笑うのだ。
「作ります。何度だって作ります! だから、必ず生きて帰って下さい!」
ミルランスは叫んだ。
心の底から叫んだ。
かつて人の顔色ばかり伺っていた女の子が、心の底から本心を叫んだのである。
ラドウィンはにこりと笑って、その叫びに応える事を約束した。
「必ず生きて帰るよ。ティタラちゃんも必ず守ろう」
翌朝、ラドウィンは村人から有志を募り、兵を集めると出陣する。
蓄えは十分にあったから兵糧も充足していた。だからすぐに出陣できたのであった。
初めて、ラドウィンは自分から仕事をする事にした。
帝国の辺境伯として、皇帝の臣として、この国を守る為に出陣したのである。
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