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2章、剣弩重来編

59、母は強し

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 ラドウィンがシュラに連れられ、秘密の抜け道からハント領へと侵入した。

 ハントの住まう公都パルへ向かうと、すぐにハントと目通りできる。

 ハントは十歳幾ばくの若い少年で、その補佐に長い髭の生えた大臣二人と、護衛にタハミアーネが立っていた。

 シュラが事の経緯を伝え、ラドウィンをかくまって欲しい旨を伝えたところ、大臣とハントは渋い顔をする。

 というのも、どうしたってラドウィンが敵である可能性が捨てきれなかった。

 世にこれを埋伏の毒という。

 迂闊に身のうちへ入れようものなら、ハント領の内情全てをカインへ吐露することになってしまうのだ。

 ラドウィンはそのように疑われても仕方がないことを知っていた。

「牢に繋いでもらっても構いません」

 ラドウィンはそう言うのだ。

 むしろ、戦場で戦うよりも牢に繋げられていた方がまだマシくらいの気持ちである。

 大臣の一人がハントの耳へ口を寄せると、「それが良いかと。投降が真実なら良い将を得られます」と伝えた。

 ラドウィンのことは手強い敵の一人としてハントらも掌握している。
 本当に投降してくれるなら、これ程喜ばしいことはなかった。
 だが、あまりにも美味い話すぎて警戒せねばならなかったのである。

 なので、お互いの意見は一致した。
 ラドウィンは牢に入れられたのである。

 そのできごとから少しあと、アンターヤにザスグィンは到着していた。

 数名に聴き込むと、ミルランスがゴズの酒場にいると分かる。

 ザスグィンが向かうと、ミルランスはテラス席で紅茶を飲んでいた。

 ルルム地方の紅茶は茶葉を煮る時にオルオバの茎を一緒に似た。

 オルオバはルルム地方に生える草で、似て絞ると大変甘い汁を出す。
 なので、ルルム地方の紅茶は甘ったるいことで有名であった。

 アンターヤのお茶請けは甘い紅茶に合わせて、沿岸部特有のしょっぱいものである。

 ミルランスは塩をまぶした乾物を口に運んだあと、紅茶を静かに一口飲んだ。

 静かだ。

 青い空と青い海の繋がる蒼い水平線から寄せる波が、海岸に押しては引いていく音だけが聞こえる。

 潮風は優しくミルランスの髪を撫でるだけだ。

 いつもなら、海で遊ぶアキームの笑いとラドウィンの下手なギターの音色を聴きながらミルランスは笑うのである。

 もう何日もこんな暮らしだ。
 寂しいし、アキームとラドウィンのことが心配でたまらなかった。

「もし、そこのお嬢様?」

 静かな波の音に、テラスのウッドデッキを叩く音が混じる。

 ミルランスはが顔を向けると、そこには目が白濁に染まった盲人が立っていた。

 ザスグィンだ。

「ここらにミルランスという女性はおりませぬか?」
「私がミルランスです。旅の方」

 ミルランスはザスグィンの手を取って、椅子に座らせて上げる。

「やあ、これはどうも。あたしのような乞食まがいの手をとるだなんて不快でございましょう」

 ザスグィンは乞食に扮するため、身だしなみも相応のものにしていた。
 ミルランスのような若い貴婦人でなくとも、触れることを嫌がるものだ。

 だがミルランスは「まさか。私の方こそ潮でガサガサの手で不快をおかけします」と笑うのである。

 ザスグィンはよく出来た娘だと感嘆した。
 差別的な態度というのはどうしようもないものであるが、ミルランスはまったくお首にも出さないのだ。

 それに、人というのは何かと虚飾を着飾るのが好きなものであるが、彼女ときたら指のひび割れを働き者の手だと言うかのような、むしろ自慢げでさえあるのだ。

 誠実で、それでいて人の役に立ちのが好きな女性なのだと分かった。

 ザスグィンはミルランスのその優しさに触れて、彼女を心の底から守りたいと思う。

「本題に入らせていただきますがね、ここから逃げて下され」

 いきなりのことにミルランスは面食らうが、頭から否定はせずに「どういうことですか」と聞いた。

 ザスグィンは自分の身上とラドウィンに起こったことを手短に説明する。
 その上で、「間もなくカインの兵があなた様を人質とするため捕えに来るでしょう」と伝えた。

「こう見えてあたしは腕に自信がありまさぁ。長き旅路になりますが、公都パルか、あるいはモンタアナにまでお送り致します」

 キルムと同盟にある公都パルか、あるいはキルムのモンタアナ。
 ミルランスを守るならそのどちらかしかない。

 だが、その道程が安全とも言えなかった。
 なにせカイン領をぐるっと大回りしようというのだ。

 カインは当然、追っ手を差し向けるだろうし、領土と領土の境目に近いほど、賊が跋扈していた。

 ザスグィンは、そういった困難をミルランスに説明した上で、「このザスグィン。神に誓ってあなた様を守ります」と誓うのである。

 ところが、ザスグィンの背後より「そう仰々しく誓う必要はないぜ」と男が話に割った。

 その男はゴズだ。
 ザスグィンがミルランスを探していると聞いて、密かに聞き耳立てていたのだ。
 盗み聞きなどと言ってはならない。
 彼はラドウィンからミルランスのことを守るよう頼まれていたのだ。

 だから、ザスグィンの話を聞かねばならなかったし、彼の話を聞いた以上は素知らぬ顔をできなかった。

「そう時間も置かずにカインの兵どもは来るのだろう?」。ゴズが聞けば、ザスグィンは頷き、「もしかしたら、数分も置かずに来るかも知れませんぜ」と答えた。

「ようし。そうとなれば、良い手があるぜ」

 ゴズが指を鳴らすと、同じく話を聞いていたアットラとソルモが店から飛び出る。
 そして、店の横、ひさしの影に置かれていた筵(むしろ)を取り払った。

 そこには立派な漁船がある。
 もちろん大船と呼ぶような船ではないが、小舟というほどヤワなものでは無い。

 五、六名は乗れそうな軍船だ。
 背が低いが、安定しており速度も出やすい。高い船である。

 ゴズはこんなこともあろうかと用意していたのだ。

「金の無駄にならなくて良かったじゃないか」と、生まれたばかりの赤子を抱くレイナがゴズの脇を小突いた。
 レイナは金の無駄だと反対したのだが、ゴズは妻の反対を押し切って小型軍船を買ったのである。

 そして、その試みは無駄にならなかった。

 ミルランスとザスグィンを船に乗せて、ゴズとアットラ、ソルモが押す。
 船の中心をなぞる竜骨は、砂浜に埋められた丸太の上を滑った。

 濡れた丸太はすべすべとしており、漁師が漁船を海に出したり引き揚げたりするためのものである。

「あのう、マスター」。と、ソルモが口を開いた。

 マスターとはゴズのことだ。
 アンターヤで酒場を開くに当たって、アットラとソルモにはマスターと呼ばせていた。

「俺たちも行かなくちゃ行けないんですか?」

 正直、あの指輪を売った金で買った店を捨てるのは、アットラとソルモにとっては良い気のするものじゃない。

 だから乗り気じゃなかったのだ。

 ゴズはそんな二人を叱り飛ばした。

「おめえらラドウィンにゃたくさんの恩があるだろうが! なぜそんな薄情な言葉が吐けるってんだい! ラドウィンとミルランスさんが困ってる時こそ、恩を返すチャンスなんだって、なんで思えないんだ!」

 昔のゴズなら真っ先に二人を殴り倒しているところだ。
 だけど、ラドウィンやミルランスと付き合ってすっかり丸くなったゴズは口で二人を説くのである。

 そんなゴズの代わりに、何者かがガツンとアットラとソルモの頭を殴った。

「よくぞ言ったよ。さすがはあたしの旦那だ」

 レイナである。

 お腹はすっかりへっこんだ彼女は、赤ん坊を抱きかかえたまま船に飛び乗った。

 ゴズは慌てた。

「ダイルはまだ産まれて間もないのだぞ。船旅なんて酷いものだぞ」

 船旅は、揺れるし、濡れるし、潮風も厳しい。
 太陽だって照り付けるだろう。

 赤ん坊と、子供を産みたての女には厳しいものだ。

 しかし、レイナはゴズを睨みつけた。

「デカい図体で気の小さなことを言うな。そこの二人に言ってた自分の言葉を思い返しなよ」

 これは恩を返すチャンス。
 ゴズの言葉だ。
 なぜレイナが一人ヌクヌクとしていられようか?

「それに、あんたは自分とあたしの子供を信じられないのかい!? あんたとあたしの子なのに!!」

 ゴズとレイナの赤ん坊と来たら、生まれながら二回りは大きな体なのである。

 レイナは親バカだったようで、この子は今に英雄となるのだと思っていた。
 過酷な船旅一つ、この子にとって良い経験だとすら思っていたのである。

「分かったらさっさと船を出しな!」

 かかぁ天下なもので、ゴズは黙って船を押したのだ。

 こうしてゴズを見ると、なんだか不憫にアットラとソルモは感じた。

 なので、大人しく船が海に浮くと中へと乗り込むのである。

 ゴズとアットラ、ソルモ、そしてザスグィンの、四人男衆がオールを回した。

「あっしは目が見えませんでな。指示してくださいな」

 ザスグィンの言葉にゴズ達が不安を抱いたその時、町の方から馬蹄の音が響く。

 ゴズの店の裏から、馬に乗った兵士が姿を現した。

 全員、その兵士がミルランスを捕まえようとやってきたカインの兵士だとすぐに分かる。

 船はまだ陸から数メートルほどしか離れておらず、アットラとソルモは大いに焦った。
 兵士らが弓矢を放つか、あるいは泳いですぐに追いつく距離である。

 その兵士らは船へ向けて「無駄な抵抗を辞めて、その女をこちらへよこせ」と声を大にした。

 するとゴズはオールから手を離すと船の底から剣を取り出し、「かかって来やがれ!」と息巻く。

「マスター! オールを回してください!」

 ゴズはオールを離していたので、いち早く海へ出たいアットラとソルモは大慌てである。

 ゴズのこの行動に呆れ返ったのはレイナであった。

「こんな離れてるのに剣を持って息巻くんじゃないよ! 座ってオールを回しな!」

 レイナに叱咤されると、ゴズは慌てて座り直し、オールを手に取るのだ。

 代わりに立ち上がったのがレイナである。

「女を人質に捕ろうなんてあんたらは玉無しだね! 卑怯者にはこいつをプレゼントだよ!」

 海岸へ近づく兵士達へ向けて、レイナがヒュッと手を振ると、目にも止まらぬ速さでナイフが一人の兵へと突き刺さった。
 見事に喉を捉え、その兵士はもんどり打って落馬する。

 それなりに離れた距離なのに見事なナイフの投擲だ。
 兵士らが何を起こったのか理解できず、倒れた死体へ目を見やっていると、レイナはせせら笑って「よそ見するんじゃないよ!」と懐からナイフをさらに取り出した。

 なにならば、赤子を巻くタオルの隙間からもナイフが出てくるのだ。

 これにはゴズも驚いた。
 なんで赤ん坊のタオルからナイフなんて出てくるんだ!? と。

 レイナは「男なら剣とともに寝食するもんさ!」と、次々ナイフを投げた。
 ついに兵士たちは恐れおののいて海岸から離れるのである。

 レイナは久しぶりの戦いに喜びながら、「ダイル、よく見な。これが戦いだよ。勝つと気持ち良いだろう!」と、赤ん坊に話すのであった。
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