Preserved Words

樫井

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第六話

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 お湯に浸かり、ゆっくりと息を吐き出した。自室と同じサイズのバスタブは、体の大きさのせいで当然いつもより広く感じる。足を伸ばして縁に頭を凭れかけた。これからどうしたものか、と考える。本当にシアンと同じベッドに入るのだろうか? そんなのいつぶりだろう。
 学院に入学した時のことを思い出す。初等部の寮は二人部屋で、幸運にも一年目はシアンと相部屋だった。入寮したその日の夜、明かりを消した薄闇の中シアンに小声で名前を呼ばれた。慣れない一日に疲れていたのか俺はもう眠りに落ちかけていて、でも俺を呼んだ声が心細さを滲ませているのを感じてすぐに起き上がった。何も言わずに同じベッドに入るとシアンも何も言わずに寄り添ってきて、それから何日かは二人で一緒に眠ったんだ。

 手のひらでお湯を掬い上げてぱしゃりと顔を洗った。話をしなくなってから、昔のことばかり思い出してしまうようになった。いつまでこんなことが続くんだろう。
 避けていればそのうち気持ちもなくなって、また普通の友人として見られるようになるんじゃないかと思ったのに。間近で接し言葉を交わして、やっぱり好きだと思ってしまった。こうやって消えない思いを確認するのももう何度目だろう。


 目蓋を閉じて、考えに耽っていた時だった。突然ドアの開く音がして、慌てて凭れていた体を起こす。湯に浸かったまま浴槽の縁を掴んで振り返ると、そこにシアンが立っていた。
 先ほどまでの学院の制服ではなく、生成りのバスローブを身に付けている。裸足の足で浴槽を回り込むように洗面台の方へ歩いていく姿を、何も言えずただ見つめてしまっていた。俺が見ていることに気付いたのか、シアンが壁のフックにタオルを掛けながら首だけで振り返り横目に見てくる。

「あ……ご、ごめんっ、もう出るよ」

 急かされたのかと思いそう返すと、シアンは首を振りながら自分のバスローブの腰紐に手を掛けた。

「いいよ、入ってて」
「え……?」

 一瞬、状況が全く把握出来なくなった。真っ白な頭で動くことも忘れただシアンを見ていた。背を向けたままのシアンが、腰紐の結び目を解く。両手で合わせを開くと肌を包んでいた厚地の布が緩み、肩が、そして白い背中が露わになる。バスローブが音もなく、滑り落ちるようにシアンの足元に落ちた。

「ま、待って……」

 そこでやっと我に返り、眼前に手のひらを突き出しながら静止をかけようとした。しかしシアンがゆっくりとこちらに振り向き、また俺は何も言えなくなる。
 一糸纏わない今のシアンの姿を、初めて見た。それは記憶にある、まだ子供だった頃のものとは何もかもが違っていた。
 首筋から鎖骨にかけてはかつてよりも筋張った輪郭をしている。胸や腹も、その薄い皮膚の下にバランス良く筋肉が付いていることがわかる。しかしその均整の取れた身体は、同年代に比べてどこか柔らかそうなラインで成り立っていた。体の横におろした腕と、すらりと伸びた白い脚。そして。
 唾を飲み込む音が耳に大きく響いた。シアンの両の足が動いてタイルを踏む。近付いてくるシアンを、その意図を計る余裕もないままただ見上げた。

「足、避けてくれる?」
「え、うわっ……」

 足の爪先が白濁した湯に触れるのを見つめていた時。突然上から声が降ってきて、同時に顔を狙ってお湯を掛けられた。その瞬間どこか現実的でない、張り詰めた空気が緩んだ気がした。
 慌てて足を畳んで膝を抱え、正面を見られなくなった顔を伏せる。水位が上がるのと併せて視界に波紋が立ち、縮こめた足先にシアンの足が当たった。お湯が透明でないことだけが救いだ。
 シアンが何を考えているのかわからない。どうしてこんな広くもないバスタブに俺と一緒に入ってくるのか。そしてはたと気付く。シアンは今、俺を俺だと認識していない。シアンにとって今の俺は名前も知らない初等部の生徒だ。
 そっと顔を上げてシアンを窺う。すると彼はバスタブの横に置かれたラックに手を伸ばし、スポンジと石鹸を取った。

「後ろ向いて」
「……え? 何?」

 お湯を含ませたスポンジに泡を立てながら、また唐突にシアンが言う。思わず聞き返すと、せなか、と区切るような口調で言われる。つまり、背中を流してやるということだろうか。そうと理解するが早いか、首と腕を同時に振りながらそれ以上退がれない浴槽の中で更に体を縮める。

「いやっ、いいから! 俺もう出るし!」

 そう言って立ち上がろうとした瞬間、お湯の中で足首を掴んで引っ張られる。

「うわっ、ぷっ」

 体勢を崩し、一瞬顔までお湯に浸かってしまった。

「まだちゃんと洗ってないでしょ。ほら、さっさと後ろ向いて」
「まっ、だからいいって……!」

 抵抗しようとしたがその一連の流れで主導権を握られてしまったようだった。加えて今の体格差ではシアンの方が有利だ。思い返してみれば同等だったことはあっても、力でシアンに敵わないなんてことは初めてで妙な気分だった。体の向きを変えさせられ、首筋にスポンジが当たる。

「…………」

 力任せに擦られるのかと思ったが、意外にもその手つきは丁寧だった。うなじに掛かった髪を分け、スポンジが肩へと滑る。もう片方の手が、反対側の肩に添えられた。
 くすぐったい。肌を撫でるスポンジが背中に移りお湯の中に潜る。後ろからは何度か石鹸を泡立て直す音がしていた。そして優しい力加減で擦られる感触が腰のあたりまで下りてきた時だった。

「…………!」

 シアンの手が、突然腰から体の前へ回り込んできた。まずい、と焦ってその手首を掴んだのは、既にそこにシアンの手が触れてしまった後だった。
 水面に手から離れたスポンジが浮き上がってくる。掴んでいたシアンの手を後ろに回してから離した。気付かれただろうか。今すぐに逃げてしまいたい。例えシアンに俺だと認識されていなくても、彼をそういう目で見たのだと思われるのが嫌だった。

「俺、もう出るから」

 そう言って立ち上がろうとした時。

「お湯から出たらわかっちゃうけどいいの?」

 言われた言葉を反芻し、動きが止まる。ゆっくりと振り返ると、シアンが僅かに顔を傾けてこちらを見ていた。言葉の意味とシアンの視線に、逆上せたわけでもないのに顔が熱くなる。結局、気付かれていることに変わりはないのだから見えたところでもう関係ない。このまま逃げてしまっていいはずだ。それなのになぜか足は止まったままで、俺は躊躇いながらも結局もう一度湯の中に戻ることにした。

「その、これは……」

 再び膝を抱えた体勢で下を向き、自分の髪から滴り落ちる水滴の波紋を見つめながら思いつかない言い訳を考える。すると大きな波が立ち、顔を上げると目の前にシアンの整った顔があった。

「え、なに……ちょっ」

 更に慌てたのはシアンが俺の体を囲い込むようにバスタブに手を掛けたからだ。浴槽のカーブに張り付くようにして目の前のシアンから距離を取り、緊張した体には自然と力が入る。

「やってあげる」
「は……? え、うわっ!」

 何を? と聞く前に濁ったお湯の中で足の間にシアンの手が伸びてきた。内腿に触れたそれが中心へこようとするのを体を捻って避ける。後ろを向いてバスタブの縁にしがみつくと後ろから手を回された。

「何して……っ」
「やってあげるって言ってんの。子供のくせに恥ずかしがらないでよ」
「はぁ? ってダメだってそこは……!」

 シアンの手が俺の芯を持ったそれに絡みつく。いけないと思っていても体は素直なもので、触れられればいとも簡単に快感を拾い上げた。中腰だった半端な体勢から底に両膝をつく。頭の中では自分自身にどうするべきかの判断を急かされる。今すぐ振り払ってこの部屋から逃げ出すべきか、それともこのまま流されてしまうか。思考は意外と理性的だった。これまでの関係を保つつもりなら逃げるべきだとわかっている。流されてしまいたい気持ちは、純粋にシアンと同じ時間を過ごしたいというただそれだけの未練。
 硬さを増していく性器を撫でられながら、視界の端にシアンの右手が映ったのを見た。俺の手の真横に置かれたそれに、更に距離が近くなったことを理解する。浴槽の底についた膝の外側から、シアンの太腿が俺のそれに触れた。

「……っ!」

 柔らかく引き締まった太腿の感触、そして同時に尻に当たる熱。腕を後ろに回すと、触れ合っているシアンの体が一瞬びくりと震えた。

「どうして勃ってるの?」

 硬くなったそれに触れて確認し、振り返って問いかける。ずっと読めなかった表情が、無防備なものに変わる。伏せられた瞳の、その目尻に赤みがさした。
 裏切られたと、そう感じた。シアンは俺のものじゃないし、誰と付き合っていようが口出しする権利はない。それを得ようとしなかったのは自分だ。それでも彼はいつだって高潔で、理性的で、不器用で。初めて会った、しかもこんな年下の少年相手に欲情するような人間じゃない。
 シアンがわからなくなった。突然知らない相手に出会ったような、知らない街に一人放り出されたような妙な感覚を覚えた。

「ねぇ」
「…………」

 戸惑いの後に芽生えたのは苛立ちと嗜虐心だった。何も言わないシアンの本心がわからなくて、そんな不安が怒りに変わる。シアンに勝手な理想を押し付けておきながら、本当の彼を前にして勝手に失望して、挙句責任転嫁までするなんてどうかしている。わかっていても抑えられなかった。
 シアンの胸を手のひらで押す。バランスを崩した体がゆっくりとお湯に倒れ浴槽に尻もちをついた。

「…………」

 再び湯に浸かったシアンが俺を見上げてくる。朱の上ったその顔はどこか期待を含んでいて、それが更に俺を煽る。屈んでシアンの足の間に体を割り込ませると両足が微かに抵抗を示したので両手で開かせるように押さえつけた。一転して受け身になったシアンの手を取り自身へ誘導する。

「ほら、してくれるんでしょ?」

 向かい合って座り俺もシアンのものに触れる。形に沿って撫でるように指を動かすと、シアンは一度体を震わせた後俺のそこに触れる手を動かし始めた。

「……っ」
「っん……」

 視線を上げると、顔を下に傾けたシアンは眉根を寄せて肩で息をしている。初めて見る表情だった。しかしそれは初等部が終わる頃、魔術の得意科目の試験で俺に負けた時に見せた顔に似ていた。そんなことを思い出し、なぜか興奮で背中がゾクリと震える。同時に、名前も知らない年の離れた子供にもっと翻弄されたら、もっと乱されたらどんな顔をするんだろうという加虐を内包した好奇心が頭を擡げる。

「なに……痛っ」

 湧いた感情に突き動かされ、シアンの右肩に噛み付いた。驚いて押し戻そうとするその両肩に手を置き首筋に顔を埋める。

「は……っ」

 湿った温かい肌を舌で舐めると果実を溶かした入浴剤の甘い味がした。痕が残るほど強く吸い付き、歯を立てる。膝でシアンの腿を跨ぎ、下半身を密着させると触れ合った二本の昂りを合わせて扱く。

「ん……はぁ」

 シアンも俺の手に重ねるように手を動かし始めた。白く濁ったお湯が邪魔だ。そう思ってバスタブの中程にある栓に手を伸ばし引き抜く。排水されたお湯がタイルを流れる音が聞こえ、肩まであった水位が下がり始めた。低くなっていく水面を追うようにシアンの肌の上を舌でなぞりながら下りていく。一度顔を離すと、紅潮した白い首筋と胸にいくつもの赤い痕が散っていた。そのいくつかは数日経っても痣となって残るだろう。
 手を伸ばして跡が散る肌に触れるとシアンが顔を上げて俺を見た。その熱を孕んだ瞳を見返してから指先で肌を撫でていく。シアンの手が俺の腕に触れる。しかし力の篭らないそれは動きを止めることはなく、ただ縋るように添えられるだけだ。
 ミルク色に濁った水面が揺れながら下がり、シアンの両の胸の色付いた部分を露わにする。ゆっくりとそこに到達した指先が尖った感触に触れる。顔を寄せていく瞬間、二の腕に触れたシアンの手に力が入るのを感じた。

「う……」

 舌先で軽くなぞり、感触を確かめるように舐め上げ、そして吸い付いた。湿った音をたてて唇でその尖った形を確かめるように撫でる。

「あっ……ん」

 シアンの色を帯びた声が降ってくる。もう片方の乳首を指先で摘まんで両指の腹で優しく扱き、そして親指で押し潰して輪を描くように転がした。
 彼がそこで快感を得ていることは間違いなかった。少し愛撫しただけでいとも簡単に感じた声を出す。咥内に含んでいた突起に歯を立てた。前歯の少し奥の歯で緩く挟み、小刻みに何度も噛む。シアンの両足が強張り、腰のあたりを挟むように腿を押し付けられる。

 顔を離して下を見ると、いつの間にかお湯は下半身を過ぎようとしていた。勃起した互いの性器が浴室の湿った空気に晒される。得も言われぬ興奮があった。
 呼吸を乱し、潤んだ瞳に未だ熱を浮かべたシアンと見つめ合う。蕩けた表情には、物足りなさを補うための欲を隠すことなく浮かべている。

「……ねぇ、」

 シアンが掠れそうな声で呟いた。そして躊躇うように濡れた唇を舐め、それから再び口を開く。

「最後までする気、ある?」
「…………」

 男性であるシアンが言ったその言葉の意味を正しく理解する。そしてシアン自身がそれを望んでいることも。
 お湯がなくなり、排水溝が歪な音を響かせる。体の一部が密着している距離感の中で、シアンが手を伸ばし俺の指先にそっと触れた。頷きを返すと、触れていた指先を握られる。無言でシャワーを浴び、体を拭くのもそこそこに二人でベッドのある部屋へ戻った。
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