星の雫と黒猫の本

霜山 蛍

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星の雫と黒猫の本

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「夜には近寄っちゃいかんよ」 
 それが、たった一人の身寄りである、祖母の最後の言葉であった。
 あれからどれほどの時間が経ったのだろうか、数日のようにも感じるし、はるか昔の記憶のようにも感じる。或いは、この記憶は私が捏造ねつぞうした幻なのかもしれないし、はたまた――

「今日も雨すごいね」
 少女は誰ともなくそう独りごちた。暗がりの中を、激しい雨音が星辰の微弱な主張を否定する。少女は、冷たく張り付くフリルのあしらわれたセーラー服のスカートの裾を絞り、その布にまとわりついた雫の流星を、滝として地面に落とした。
「ここはどこだろうね」
 咄嗟に駆け込んだここは、洞窟だろうか、洞穴だろうか、こけむしたむき出しの岩肌からは人工の香りは無く、あるのは自然宛らの音と、暗がりとである。
 だというのに、不思議な感覚を少女は感じたのであった。見れば洞窟の奥の方、果たしてそこにはあるはずであった暗がりなどは存在せず、薄らであるが人工の香りがするのである。蝋燭ろうそくだろうか、奥の奥で風に影が揺らめいている。それは宛ら一つの目であり、少女を睨むような、ここから去れと行っているような、けれど誘うような、そんな不思議な感覚である。
 と、ふと何者かが少女に忍び寄る気配を背後から感じた。
「誰?」
 振り返れば、そこにいたのは猫であった。黒い、墨汁を全身に浴びたような猫である。
「黒猫さん?」
「さよう」
 猫が、静かな女性の声で返した。しかし少女は特段の疑問も感じることなく、「どうしてここに?」とその黒猫に尋ねた。
「雨宿りだよ、お前さんと一緒」
「ふぅん」
「どれ、一ついいものを上げようじゃあないか」
 そう言うと、黒猫は前足で少女に屈むよう促した。少女はそのまま黒猫の前で屈むと、黒猫の金色の瞳が、少女の瞳の最奥に写りこんできた。少女は思った、まるで蝋燭の炎のようだと。
 黒猫はその前足で少女に何かを手渡した。少女が受け取ると、それはどこか懐かしい包装紙に包まれた、飴玉であった。
「いいの?」
「あぁ、元よりあげるために持っていたのだからね」
「ありがとう」少女はそう言うと、その飴玉を包装紙から取り出した。黄色い、星を思わせるような色合いの飴であった。少女はそれを口に含むと、口の中に確かに星の味を感じることができた。
「美味しい」
「そうだろう、そうだろう。なんたって採れたてだ」
「採れたて?」
 少女が聞くと、黒猫は洞窟の奥――揺らめく影の方向へと歩みだしながら、言った。
「空か落ちた雫は星の味、樹皮で包んで瞳を閉じたら出来上がり」
 少女にはまるで歌か、まじないかのように聞こえた。
 黒猫はついて来いと首で合図すると、先行するように洞窟の奥へと進んでいった。少女は口の中で星の味のする飴玉を転がしながら、弾むような、訝しむような、混濁した足取りでついていった。

「さあ、ついた」
 洞窟を影の方向へと進むこと少し、途中にあった自然の石階段を少し下った先にあったのは、自然由来でいながらも、確かに人工の香りを放つ石の机。それからこっちも人工の香りを放つ石の椅子、だろうか。
 多量の自然の香りの中で、確かに人工の香りを放つそれらであるが、少女が目にとまったのはそのどちらでもなかった。机の上にあったのは、予想したとおり火のついた蝋燭、それとしおりの挟まれた本であった。
「これはなんの本?」
 少女が聞いた。本は厚い樹脂で装丁そうていされたもので、栞は誰かの記憶を薄い透明な板状にしたものが、本から半分その姿を顕にしていた。
「これはね、開いてはいけない本さ」
「じゃあどうして栞を挟んでいるの?」
「誰かが読むためさ」
 少女は首をかしげ、思った。おかしくはないか、読んではいけないのに、読むために栞を挟むなどと。そこで、一つ提案してみることにした。
「なら、栞をとっちゃえばいいんじゃない?」
「そしたら今がわからなくなっちゃうじゃないか」
 少女はなるほどと頷いた。
「けどお前さんがその気ならば、この本が開くかもしれないよ」
「そう、なの……?」
 と、少女は本を改めてまじまじと観察してみた。本の装丁には、影が揺らめいており、そこには一つの瞳が、眼が少女を覗いていた。しかしその最奥には、数多もの星辰せいしんが少女を誘うのである。少女は思った、銀河の果てに今ならば手が届くのではないかと。
 そう思った瞬間、少女の耳の奥には数多もの銀河の声が聞こえてきた。ピシャン、ポシャン……パララララ。いつの間にか星辰の声は、少女の耳の奥から、次第に外へ外へと逃げ出そうとそれぞれが独りでに動き始めた。
 少女がそんな感覚に陥った刹那、少女の口の中で何かが割れる音が聞こえた。
 ハッと我に返り、足元に咄嗟に視線を移すと、そこに黒猫の姿はなかった。
「あれ、黒猫さん……?」
 見上げると、そこには蝋燭の影となって揺れる猫がいた。
「挟まれた栞はまた同じ位置に挟まれる、この意味が……わかるかい?」
 少女が返事をできないでいると、黒猫は言った。
「いずれわかるよ、もう何回目かの今日を迎えて……ね」
 それだけを言い残すと、影は姿を揺らすばかりで、そこに少女を誘うような瞳も、黒猫の姿もなく、あるのは少女ただひとりであった。
 少女がそのことを認識すると、蝋燭の明かりは静かに消え失せ、視界には久方ぶりの暗がりが訪れた。
「そう……だね」
 少女は踵を返すと、口の中で残った星の味のする飴玉の破片を、粉々に噛み砕いた。一つ一つ、未練を、声を砕くように。そうして少女は粉々になったそれらを飲み込むと、そっと嘆息した。それから、少女は誰へともなく笑顔を向けた。
「――またね」
 少女がそう呟くと、少女の意識も暗転した。
 次に少女を迎えるのは、きっと――
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