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第一章

―不思議な不思議な新しい一日・四―

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「目覚めたようですね」
「『第一オーナー』の精霊、のことですの?」
 少女は、コバルトブルーのセミロングに、サファイアの瞳を持った掌ほどのサイズで、頭に黄色のオシロイバナの草かんむりをかぶった少女に、そっと微笑みかけた。
「ですが、後の二人はまだのようです」
「――あなたは、一体どこまで知っているのかしら?」
 小さな少女は、訝しむように少女を見据えた。
「――そのうちわかりますよ」 
 少女はその手に持つタロットカードへと視線を落とし、またそっと微笑んだ。
 もつタロットカードは、『審判ジャッジメント』のアルカナ――。
「それにしても」と小さな少女は、さらに目線を真新しい中学の制服へと移した。
「ほんの少しだけど、『第一オーナー』よりも私が先に目覚めるとはね。ちょっと驚いたわ」
「――えぇ、私もですよ、
 
「何?何が起こって――」
 菜奈花が名前を、『正義ジャスティス』の名を呼んだ刹那、感じていた胸の奥へと突きあがるような感覚が、自分の右の中指に集まっていくのがわかった。
 それは、途轍とてつもなく強い力。
 それは、途轍もなく眩しい力。
 やがてそれは、その中指の回りを包み込み、そして何かを創り出した。
「――指輪?」
 その中指にあったのは、エメラルドの様な宝石が中石として埋め込まれた指輪。
「そう。それが契約の証」と小さな少女、「その指輪があればアルカナを使えるの」
「これを?」
 そう言って小さな少女に見せたのは、『正義』のアルカナ。
「そう」と小さな少女、「それを使って菜奈花は十八枚のアルカナを集めてもらうの」
「集める?」
「そう」
「私が?」
 菜奈花はしつこく食い下がった。
 顔には意味不明の二文字が鮮やかに書いてあるのを、流石の小さな少女も気づかないわけがなかった。
「説明が必要なのはわかってる。けど、いっぺんに話してもどうせ頭に入らないでしょ?」
「それは、そうかもしれないけど――」
「だからまずは手短に、かつ簡単に話したげる」と小さな少女、「そもそも菜奈花は私たちを目覚めさせた『第一オーナー』、つまりこれから起きる事は全て、菜奈花を中心に起こるの」
 まずそこで小さな少女は一度間を置いた。
 まるで、菜奈花の反応を待っているかのように。
 否、待っているのだ。
 察したのか、菜奈花は「じゃあ」、と返した。
「私が、このヘンテコな出来事を引き起こしたってことなの?」
「そう」と小さな少女、「菜奈花の課せられた使命は単純明快。散らばったアルカナを全てそろえること」
「揃えなくちゃ、いけないの?」
 どうしても、と言外に含んだその言葉は、暗意に「なぜ私が」という不満が見え隠れしていた。
 しかし小さな少女は気にする様子もなく、説明を続けた。
「言ったでしょ、菜奈花は『第一オーナー』。そしてそのアルカナを解き放ったのは、他でもない菜奈花なの」
「だから――」
「だから、菜奈花にはその責務があるの」
 しかし菜奈花は納得のいかない様子で、「ちょっとまって」とさらに食い下がった。
「私は『第一』なわけでしょ?」
 小さな少女を見据えた菜奈花に、しかし彼女は涼しい顔で、「ええ」と答えた。
「つまり――」
「つまり、他にもいるんじゃないかって?」と小さな少女は悪戯っぽく、右の人差し指を口元に当て、続けた。
「その通り、大正解大正解」
「じゃあ――」
「じゃあ、何人居るのかって?」
 菜奈花は頷いて、先を促した。
 視線はまっすぐ、小さな少女を見据えている。
 小さな少女はたっぷりと間を置いたあとで、静かに口を開いた。

「――三人。菜奈花の他に、あと三人いる」

「お、おはよー」
 亜麻色で、ウェーブのかかったセミショートの少女が、慌ただしそうに教室にやってきた。――菜奈花だ。
 その教室には、挨拶を返すものもいれば、気にする様子もなく既に出来上がったグループで雑談するもの、様々であった。
 中学の入学式の日、それが今日なのだ。
 ふと、菜奈花の視界の隅から一人の見慣れた少女がやってきた。ソフトグレーで毛先に外ハネのあるロング髪に、シトリン色の瞳をした、優しそうな雰囲気を醸した少女である。
 その少女が、菜奈花を見るなり微笑んで近づいてきたのである。
「菜奈花ちゃん、おはようございます」
「香穂ちゃん!」
 ――椎夏香穂。それが少女の名だ。
 香穂は、菜奈花の親友で、最も中の良い人間でもあるのだ。
「また同じクラスなんだね、よろしく!」
 菜奈花は、今日一番の笑みを香穂に浮かべると、香穂もまた、それに答えるように柔らかく微笑み返した。
「えぇ、今年もよろしくお願いしますね、菜奈香ちゃん」
「うん、香穂ちゃんと同じクラスになれて嬉しい!」
「私もです、菜奈花ちゃん」
 香穂は誰に対しても丁寧な口調を使う。菜奈花も最初こそ戸惑いはしたが、それももう慣れた事であるらしい。
 今日は朝、HRホームルームの後ですぐ体育館へと促され、校長先生の挨拶だとか、PTA会長のお言葉だとかと入学式が執り行われる。
 一クラス四〇人程、それが六クラスあるのがここ、付波つくなみ東中学校の一学年であった。
 菜奈花はその中の二組、晴れて親友と同じクラスになれた、という訳である。
 もっとも、親友といっても、二人が知り合ったのは二年前、菜奈花がこっちに越してきた小学五年生の春である。
 席は出席番号順で、菜奈花の席は香穂の目の前だった。教壇から向かって右側、窓際から二番目の前から三番目。
 教室は適度に広く、全部で六列、そこに一列辺り六から七の机が並んでいた。
 つまり二人の席はとりわけ悪い位置、というわけでもなく、黒板の前の座席表を二人で確認した後から、席に着くまでの間に、菜奈花はほっと密かに安堵あんどの息を漏らしたのであった。
 席に着くと、菜奈花は早速椅子を九十度右に旋回し、香穂と雑談を始めた。
「ねね、今日放課後どっかいかない?」
 クラスの担任の話だとか、この後の日程の確認だとか、そういう話のあとで、菜奈花は香穂にそうもちかけた。
 菜奈花は、あまり真っ直ぐ家には帰ろうとはしなかった。
 それは二年前から変わっておらず、避けるように決まってどこかに寄り道していくのだ。 
「ごめんなさい、放課後はお食事の予定が入ってまして……」
  考えてみれば当然といえば当然だった。
 今日は入学式。朝の軽いHRの後で体育館へと促され、入学式を執り行った上で教室に戻り、LHRをして帰るだけの日程だ。
 帰りは十二時頃と聞いており、ならば家族で食事の予定が入っていてもおかしくはない。
 「そっか」と僅かに目を伏せた菜奈花に、けれど香穂は「けど、午後三時からであれば構いませんよ?」と微笑みながら返した。
「ほんと!」
 食い入る様に顔を思いっきり近づけてきた菜奈花に香穂はただ、「はい」とより一層の微笑みを浮かべて、その日の朝の一時は幕を下ろしたのであった。
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