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第一章
―もう一人のオーナー―
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閑静な空気の最中、文字を書く音と、時折紙を捲る音だけが、空間を着色していた。少年は極めて集中しているらしく、その空気は凛としていた。
少年――黒橡色の髪――の名は、紅葉弘。あの日モールで香穂と出会い、菜奈花を避けた少年。
香穂と幼馴染で、至極真面目で、それでいて独特の雰囲気を醸し出す少年。頭も良ければ、運動もそれなりにできる少年。
と、ここまで羅列してしまえばある程度は完璧であるのだが、如何せん真面目すぎる故なのか、あまり人目に笑顔の類を見せる機会というものは少ない。常にぶっきらぼうで、それでいて見透かしたようなオニキス色の瞳を覗かせるのである。
ある者からすればそれはクールな出で立ちであり、またある者からすればただのつまらない奴であり、友人はいない訳ではないが、決して多くはない。そういう人物が彼であり、その事は弘自身もよく知っていた。
香穂の家は真後ろで、四、五年前あたりだとよく遊んだり、一緒に学校へ向かったりと、何かと仲が良かった。今でも時々言葉を交わすのは、その名残なのか、或いは別の要因か。
ふと、弘はいい加減集中が途切れたのか、シャーペンを倒して、顔を上げた。視線の先にあったのは時計であり、時刻は九時半を回っている。かれこれ二時間ほど集中していたらしく、一度リセットするように思いっきり伸びをした。
カーテンを徐に捲ると窓は曇っており、軽く右手で拭けばその先は夜の静けさと、上の方には数多の星々の広がるのみであった。そして同時に、香穂の家――瓦屋根の二階建てで、その癖どことなく西洋風な出で立ち――の屋根と窓がその夜空の下にでかでかと主張している。正面に見据える窓の先こそが香穂の部屋であり、今でこそ殆ど無いが、よくここから話をしていた記憶を思い出す。今はカーテンで閉じきっており、明かりが漏れている様子もない。
(もう寝たのだろうか?)
そんな事を思うも、けれど口にはしない。香穂はいつもならこの時間はまだ明かりがついているはずなのだから、疑問を持たない訳ではなかった。
一瞬の回想や疑問もかぶりを振ってかき消し、またそっとカーテンを締めた。が、シャーペンを再び手に取っても途切れてしまった集中力は直ぐには復活しないらしく、嘆息を一つ洩らし、視線の先をもう一度時計に向けた。なんて事ない、それはただただ規則的に針がリズムを刻むだけである。
「……ダメだ」
弘はそれだけ呟くと、ノートと教科書を、今開いているページを挟み合わせるようにして閉じ、再びシャーペンを倒した。
即ち、今日はこれ以上やっても無駄、と判断したらしく、挟み合わせたそれらと、黒いトップライナーのペンケースに、使ったシャーペンと消しゴム、マーカーの類などをしまい、そうして学校指定のカバン――弘はそのイメージにそぐい、黒色をチョイスしている――に仕舞った。――単に、弘自身が黒を好む、というのもある。
弘はこうなってしまうと、決まって一度用を済ましたあとで、洗面台で水を一口飲む。その慣習は今日もまた同じで、自室をでて、洗面台までやってきた。
別段代わり映えのない、透明なプラスティックコップに水を半分程注ぎ、そうして一気に飲み干した。――いつもの味である。
コップを置くと、鏡の奥の自分を寸分程見据え、そうして踵を返そうとした時、違和感を感じた。
何かが、自分を呼んでいるような、或いは呼んでもらう事を待っているような違和感を。違和感の正体は、恐らく鏡の中。
「……寝るか」
けれど弘はその違和感に気を止めることなく、さっさと自室に戻っていってしまったのであった。
興味はないのだと、或いは関わる気は無いのだと、そう態度で示すように振り返る事は無く、洗面所の扉をそっと後ろ手で締め、明かりの消え切った暗闇の中をあくまで冷静な足取りで、それでいて気持ちだけ早く、逃げるように階段を上がった。
自室に戻った後も、違和感の気配は未だその閉ざされた鏡の向こうから感じ取ることができ、けれどかぶりを振って意識を別に向けようと努力していた。決して関わっては行けないと本能が警告を鳴らし、理性がそれに従ったのである。
けれどその後に何かが起こった訳でもなく、その晩、少なくとも目が覚めている間は何も起こらなかった。
目が覚めてしまった以上、ベッドに入って即座に眼を閉じることはできても、意識を眠らせる事はできず、二度、三度……と寝返りを鬱陶しげにうっていた。何も起きる気配が無いと悟ると、安堵したのか、弘はようやくいつの間にか眠りに付いていた。――三十分程であろうか、弘は幾度となく寝返りを打ち、挙句布団の中でスマホを一度開き、何も通知が無いのを確認した後で、ようやくそうできたのであった。
少年――黒橡色の髪――の名は、紅葉弘。あの日モールで香穂と出会い、菜奈花を避けた少年。
香穂と幼馴染で、至極真面目で、それでいて独特の雰囲気を醸し出す少年。頭も良ければ、運動もそれなりにできる少年。
と、ここまで羅列してしまえばある程度は完璧であるのだが、如何せん真面目すぎる故なのか、あまり人目に笑顔の類を見せる機会というものは少ない。常にぶっきらぼうで、それでいて見透かしたようなオニキス色の瞳を覗かせるのである。
ある者からすればそれはクールな出で立ちであり、またある者からすればただのつまらない奴であり、友人はいない訳ではないが、決して多くはない。そういう人物が彼であり、その事は弘自身もよく知っていた。
香穂の家は真後ろで、四、五年前あたりだとよく遊んだり、一緒に学校へ向かったりと、何かと仲が良かった。今でも時々言葉を交わすのは、その名残なのか、或いは別の要因か。
ふと、弘はいい加減集中が途切れたのか、シャーペンを倒して、顔を上げた。視線の先にあったのは時計であり、時刻は九時半を回っている。かれこれ二時間ほど集中していたらしく、一度リセットするように思いっきり伸びをした。
カーテンを徐に捲ると窓は曇っており、軽く右手で拭けばその先は夜の静けさと、上の方には数多の星々の広がるのみであった。そして同時に、香穂の家――瓦屋根の二階建てで、その癖どことなく西洋風な出で立ち――の屋根と窓がその夜空の下にでかでかと主張している。正面に見据える窓の先こそが香穂の部屋であり、今でこそ殆ど無いが、よくここから話をしていた記憶を思い出す。今はカーテンで閉じきっており、明かりが漏れている様子もない。
(もう寝たのだろうか?)
そんな事を思うも、けれど口にはしない。香穂はいつもならこの時間はまだ明かりがついているはずなのだから、疑問を持たない訳ではなかった。
一瞬の回想や疑問もかぶりを振ってかき消し、またそっとカーテンを締めた。が、シャーペンを再び手に取っても途切れてしまった集中力は直ぐには復活しないらしく、嘆息を一つ洩らし、視線の先をもう一度時計に向けた。なんて事ない、それはただただ規則的に針がリズムを刻むだけである。
「……ダメだ」
弘はそれだけ呟くと、ノートと教科書を、今開いているページを挟み合わせるようにして閉じ、再びシャーペンを倒した。
即ち、今日はこれ以上やっても無駄、と判断したらしく、挟み合わせたそれらと、黒いトップライナーのペンケースに、使ったシャーペンと消しゴム、マーカーの類などをしまい、そうして学校指定のカバン――弘はそのイメージにそぐい、黒色をチョイスしている――に仕舞った。――単に、弘自身が黒を好む、というのもある。
弘はこうなってしまうと、決まって一度用を済ましたあとで、洗面台で水を一口飲む。その慣習は今日もまた同じで、自室をでて、洗面台までやってきた。
別段代わり映えのない、透明なプラスティックコップに水を半分程注ぎ、そうして一気に飲み干した。――いつもの味である。
コップを置くと、鏡の奥の自分を寸分程見据え、そうして踵を返そうとした時、違和感を感じた。
何かが、自分を呼んでいるような、或いは呼んでもらう事を待っているような違和感を。違和感の正体は、恐らく鏡の中。
「……寝るか」
けれど弘はその違和感に気を止めることなく、さっさと自室に戻っていってしまったのであった。
興味はないのだと、或いは関わる気は無いのだと、そう態度で示すように振り返る事は無く、洗面所の扉をそっと後ろ手で締め、明かりの消え切った暗闇の中をあくまで冷静な足取りで、それでいて気持ちだけ早く、逃げるように階段を上がった。
自室に戻った後も、違和感の気配は未だその閉ざされた鏡の向こうから感じ取ることができ、けれどかぶりを振って意識を別に向けようと努力していた。決して関わっては行けないと本能が警告を鳴らし、理性がそれに従ったのである。
けれどその後に何かが起こった訳でもなく、その晩、少なくとも目が覚めている間は何も起こらなかった。
目が覚めてしまった以上、ベッドに入って即座に眼を閉じることはできても、意識を眠らせる事はできず、二度、三度……と寝返りを鬱陶しげにうっていた。何も起きる気配が無いと悟ると、安堵したのか、弘はようやくいつの間にか眠りに付いていた。――三十分程であろうか、弘は幾度となく寝返りを打ち、挙句布団の中でスマホを一度開き、何も通知が無いのを確認した後で、ようやくそうできたのであった。
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