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第一章 翡翠色の花嫁
第三話
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屋敷での最初の夜は、思ったより静かだった。
夕食はアルヴィンと二人きりで、長いテーブルの両端に向かい合わせで座った。
広すぎる食堂に、カトラリーの音だけが小さく響く。
料理はどれも丁寧に作られていて、素材の味がちゃんとしていた。
でもリゼットは緊張のせいで、半分も味がわからなかった。
「口に合いましたか」
アルヴィンが静かに聞いた。
「はい、とても。……あの、料理人の方に伝えてもらえますか。おいしかったって」
アルヴィンは少し目を細めた。
「直接伝えてあげてください。きっと喜びます」
「え、いいんですか。私が厨房に行っても」
「もちろん。屋敷はあなたのものだと言ったでしょう」
昼間と同じ言葉。
でも今度は、もう少し素直に受け取れた気がした。
――この人、意外と話しやすいな。
そう思いかけた瞬間、アルヴィンがふと窓の外に目をやった。
夜の庭園が、月明かりの中に沈んでいる。
その横顔に、一瞬だけ何か翳るものが見えた。
痛みをこらえているような。
何かを必死に抑えているような。
でもリゼットが「どうかしましたか」と聞こうとした時には、もうアルヴィンは穏やかな顔に戻っていた。
「少し疲れてしまって」
彼は静かに立ち上がった。
「今夜は失礼します。ゆっくり休んでください、リゼットさん」
「あ、はい。おやすみなさい」
広い食堂に、リゼット一人が残された。
テーブルの向こう、アルヴィンが座っていた椅子を見つめる。
さっきの横顔が、頭の中から離れない。
――何を、我慢していたんだろう。
自室に戻ると、クロエがベッドの準備をしているところだった。
「夕食はいかがでしたか?」
「おいしかった。でもなんか、緊張しすぎて半分しか味わえなかったかも」
「最初はみなさんそうですよ」
クロエはくすりと笑いながら、枕を整えた。
「アルヴィン様は怖い方ではないんですけど、どうしても緊張しますよね」
「クロエは長くここで働いてるの?」
「五年になります。物心ついた頃からこの屋敷が好きで、十三の時にメイドにしてもらいました」
「じゃあアルヴィン様のこと、よく知ってる?」
クロエの手が、一瞬止まった。
「……知っているつもりではいますけど」
少し考えるように間を置いて、
「アルヴィン様はあまり、ご自分のことを話さない方なので」
「夕食の時、なんか急に顔色が変わって。すぐ戻ったけど」
「夜になると、そういうことがたまにあります」
クロエの声は穏やかだったが、どこか慎重な感じがした。
「お気になさらないでください。アルヴィン様はちゃんとご自分で対処されていますから」
対処、という言葉が少し引っかかった。
病気、というわけでもなさそうな言い方だ。
でもそれ以上は聞けなかった。
クロエの表情が、「ここまで」と静かに言っていたから。
「おやすみなさいませ、リゼット様」
「……おやすみ、クロエ」
扉が閉まる。
リゼットはベッドに潜り込んだ。
天蓋の白い布が、月明かりをやわらかく透かしている。
静かだ。
レンヌの夜とは違う静けさだ。
あの町には虫の声があって、遠くで川が流れる音があって、時々お母さんが夜中に起きる音がして――それが「夜」だった。
ここの夜は、綺麗すぎてどこか息が詰まる。
眠れない、と思った。
そのときだった。
窓の外、庭園の奥に人影が見えた。
リゼットはそっとベッドから出て、窓に近づいた。
月明かりの中、木立の向こうに誰かいる。
アルヴィンだ。
すぐわかった。
あの黒い上着、あの姿勢。
隣に、もう一人いた。
男性だ。
アルヴィンと同じくらいの年頃で、金色の髪が月光に光っている。
二人は向かい合って、ひそひそと何か話していた。
それだけなら、ただの夜の会話だ。
でも次の瞬間、金髪の男性がすっと腕を差し出した。
アルヴィンが、それを両手で受け取るようにして――。
木立の影に、二人の姿が隠れた。
「……」
リゼットはしばらく、窓の前に立ち尽くしていた。
見てはいけないものを見た気がした。
でも何を見たのか、うまく言葉にできない。
ただひとつだけわかったのは。
アルヴィンが「疲れた」と言って食堂を出たのは、自分のそばにいたくなかったからじゃなくて――
あの金髪の人のところへ行くためだったんだ、ということ。
――仲が、いいんだ。
呟いて、リゼットはベッドに戻った。
なのになぜか、胸の奥がざわざわしていた。
その理由が、自分でもよくわからないまま。
翡翠色の瞳が、天蓋の白をぼんやりと見上げていた。
夕食はアルヴィンと二人きりで、長いテーブルの両端に向かい合わせで座った。
広すぎる食堂に、カトラリーの音だけが小さく響く。
料理はどれも丁寧に作られていて、素材の味がちゃんとしていた。
でもリゼットは緊張のせいで、半分も味がわからなかった。
「口に合いましたか」
アルヴィンが静かに聞いた。
「はい、とても。……あの、料理人の方に伝えてもらえますか。おいしかったって」
アルヴィンは少し目を細めた。
「直接伝えてあげてください。きっと喜びます」
「え、いいんですか。私が厨房に行っても」
「もちろん。屋敷はあなたのものだと言ったでしょう」
昼間と同じ言葉。
でも今度は、もう少し素直に受け取れた気がした。
――この人、意外と話しやすいな。
そう思いかけた瞬間、アルヴィンがふと窓の外に目をやった。
夜の庭園が、月明かりの中に沈んでいる。
その横顔に、一瞬だけ何か翳るものが見えた。
痛みをこらえているような。
何かを必死に抑えているような。
でもリゼットが「どうかしましたか」と聞こうとした時には、もうアルヴィンは穏やかな顔に戻っていた。
「少し疲れてしまって」
彼は静かに立ち上がった。
「今夜は失礼します。ゆっくり休んでください、リゼットさん」
「あ、はい。おやすみなさい」
広い食堂に、リゼット一人が残された。
テーブルの向こう、アルヴィンが座っていた椅子を見つめる。
さっきの横顔が、頭の中から離れない。
――何を、我慢していたんだろう。
自室に戻ると、クロエがベッドの準備をしているところだった。
「夕食はいかがでしたか?」
「おいしかった。でもなんか、緊張しすぎて半分しか味わえなかったかも」
「最初はみなさんそうですよ」
クロエはくすりと笑いながら、枕を整えた。
「アルヴィン様は怖い方ではないんですけど、どうしても緊張しますよね」
「クロエは長くここで働いてるの?」
「五年になります。物心ついた頃からこの屋敷が好きで、十三の時にメイドにしてもらいました」
「じゃあアルヴィン様のこと、よく知ってる?」
クロエの手が、一瞬止まった。
「……知っているつもりではいますけど」
少し考えるように間を置いて、
「アルヴィン様はあまり、ご自分のことを話さない方なので」
「夕食の時、なんか急に顔色が変わって。すぐ戻ったけど」
「夜になると、そういうことがたまにあります」
クロエの声は穏やかだったが、どこか慎重な感じがした。
「お気になさらないでください。アルヴィン様はちゃんとご自分で対処されていますから」
対処、という言葉が少し引っかかった。
病気、というわけでもなさそうな言い方だ。
でもそれ以上は聞けなかった。
クロエの表情が、「ここまで」と静かに言っていたから。
「おやすみなさいませ、リゼット様」
「……おやすみ、クロエ」
扉が閉まる。
リゼットはベッドに潜り込んだ。
天蓋の白い布が、月明かりをやわらかく透かしている。
静かだ。
レンヌの夜とは違う静けさだ。
あの町には虫の声があって、遠くで川が流れる音があって、時々お母さんが夜中に起きる音がして――それが「夜」だった。
ここの夜は、綺麗すぎてどこか息が詰まる。
眠れない、と思った。
そのときだった。
窓の外、庭園の奥に人影が見えた。
リゼットはそっとベッドから出て、窓に近づいた。
月明かりの中、木立の向こうに誰かいる。
アルヴィンだ。
すぐわかった。
あの黒い上着、あの姿勢。
隣に、もう一人いた。
男性だ。
アルヴィンと同じくらいの年頃で、金色の髪が月光に光っている。
二人は向かい合って、ひそひそと何か話していた。
それだけなら、ただの夜の会話だ。
でも次の瞬間、金髪の男性がすっと腕を差し出した。
アルヴィンが、それを両手で受け取るようにして――。
木立の影に、二人の姿が隠れた。
「……」
リゼットはしばらく、窓の前に立ち尽くしていた。
見てはいけないものを見た気がした。
でも何を見たのか、うまく言葉にできない。
ただひとつだけわかったのは。
アルヴィンが「疲れた」と言って食堂を出たのは、自分のそばにいたくなかったからじゃなくて――
あの金髪の人のところへ行くためだったんだ、ということ。
――仲が、いいんだ。
呟いて、リゼットはベッドに戻った。
なのになぜか、胸の奥がざわざわしていた。
その理由が、自分でもよくわからないまま。
翡翠色の瞳が、天蓋の白をぼんやりと見上げていた。
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