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第一章 翡翠色の花嫁
第四話
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翌朝、リゼットは早く目が覚めた。
慣れない天蓋、慣れない静けさ、慣れない朝の光。
全部が「ここは家じゃない」と告げてくる。
それでも不思議と、気分は悪くなかった。
昨夜よりも少しだけ、この部屋の空気に馴染めている気がした。
着替えを済ませて廊下に出ると、ちょうどクロエが朝食の準備をしに来たところだった。
「あら、もうお目覚めですか。早いですね」
「なんか目が覚めちゃって。……ねえクロエ、朝のうちに庭を歩いてもいい?」
「もちろんです。アルヴィン様も朝の庭はご自由にどうぞとおっしゃっていましたよ」
朝食を済ませてから、リゼットは一人で庭に出た。
昨夜とはまるで別の顔だ。
朝の庭園は光に満ちていて、噴水の水が透き通って見える。
整然と刈り込まれた生垣の向こうに、バラ園が広がっていた。
――きれい。
思わず足が止まる。
深紅、淡いピンク、白、黄色。
色とりどりのバラが、朝露をまとって静かに咲いている。
リゼットはそっと一輪に近づいて、指先で花びらに触れた。
フィオーレ花屋のバラとは品種が違う。
でも、丁寧に育てられているのはすぐわかった。
「花が好きなんですか」
突然声をかけられて、リゼットは飛び上がった。
振り返ると、そこに見知らぬ男性が立っていた。
――金色の髪。
昨夜、窓から見た人だ。すぐにわかった。
朝の光の中で見ると、髪はもっと鮮やかに金色で、目は明るい琥珀色をしていた。
顔立ちは整っていて、どこか人なつっこい雰囲気がある。
年はアルヴィンと同じくらいだろうか。
「……びっくりした」
「ごめんなさい、驚かせるつもりはなかったんですが」
男性は軽く両手を上げて、人の好さそうな笑顔を見せた。
「僕はルカ・ヴェイン。アルヴィンの幼馴染で、一応側近もやっています」
「リゼット・フィオーレです」
「知ってますよ。アルヴィンからよく聞いていたので」
「よく、聞いていた……?」
思わず聞き返すと、ルカは「しまった」という顔をして口元に手を当てた。
「言いすぎました。忘れてください」
「忘れられないですよそれ」
「はは、手厳しいなあ」
ルカはからりと笑った。
嫌な感じはしない。むしろ自然に話せる。
でも――昨夜のことが頭にちらついて、リゼットは素直に打ち解けられない自分がいた。
あの夜、アルヴィンはこの人のところへ行った。
二人で木立の影に消えた。
――何をしていたんだろう。
「アルヴィン様とは、幼い頃からの仲なんですか」
「そうですね。気づいたら隣にいた、みたいな感じで」
ルカは噴水のふちに腰を下ろして、懐かしむように目を細めた。
「あいつは昔から不器用なんですよ。
大事なことほど、うまく言葉にできなくて。
損な性格だなあってよく思います」
「……不器用」
昨夜の穏やかな笑顔が浮かんだ。
あんなに話しやすかったのに、不器用というのが少し意外だった。
「リゼットさんのことも、ずいぶん長い間――」
「ルカ」
低い声がして、リゼットとルカは同時に顔を上げた。
生垣の陰から、アルヴィンが現れた。
いつからそこにいたのかわからない。
穏やかな顔をしているけれど、ルカに向ける視線だけが、かすかに「それ以上は言うな」と告げていた。
「あ、おはようアルヴィン。ちょうどリゼットさんとお話ししてたんですよ」
ルカはまるで悪びれた様子もなく、にこにこと手を振った。
アルヴィン様はそれを一瞥して、リゼットに向き直る。
「おはようございます、アルヴィン様」
リゼットは頭を下げた。
「庭を散歩していたら、ルカさんに声をかけていただいて」
「そうですか」
アルヴィンはいつもの穏やかさを取り戻した。
「朝の庭は気に入りましたか」
「はい、バラがすごくきれいで。誰が育てているんですか?」
「私が、少し。曇った日や夕方に手入れをしているんです」
「え、アルヴィン様が?」
「意外ですか」
「……少しだけ」
アルヴィンはそれを聞いて、小さく笑った。
昨夜の食堂で見た笑顔と同じ、温かみのある笑い方だ。
その隣でルカが、二人を交互に見ながらにやにやしていた。
「いいですねえ」
「ルカ」
「はいはい、何も言いませんよ」
ルカは肩をすくめて、おかしそうに笑った。
リゼットにはその会話の意味がよくわからなかったけれど、
なんとなく自分が話題にされている気がして、頬がじんわりと熱くなった。
昼過ぎ、リゼットは自室でぼんやりと窓の外を眺めていた。
クロエが差し入れてくれたお茶が、テーブルの上で湯気を立てている。
一口飲むと、ほんのりとした甘さが広がった。
ハーブと何かのブレンドだろうか。
フィオーレ花屋では飲めない、上等な味がした。
でも今は、それをゆっくり味わう気分になれない。
――私のことを、ずいぶん長い間、と言いかけて、ルカさんは止められた。
何を言おうとしていたんだろう。
長い間、気にかけていた?
長い間、知っていた?
それとも――長い間、必要としていた?
でも。
――じゃあ、あの夜の二人は何だったんだろう。
昨夜の場面が、また浮かんでくる。
木立の陰に消えた二人。
ルカさんが腕を差し出して、
アルヴィン様がそれを受け取るようにして――。
考えれば考えるほど、頭の中がこんがらがる。
婚約者として屋敷に呼ばれたはずなのに、
肝心のことが何もわからないまま、疑問だけが積み重なっていく。
ノックの音がして、リゼットは顔を上げた。
「リゼット様、アルヴィン様がお呼びです」
クロエの声だ。
「……わかった、行く」
立ち上がりながら、リゼットは自分に言い聞かせた。
決めつけるのは早い。
ちゃんと話して、ちゃんと聞いて、それから判断すればいい。
でも廊下を歩きながら、どうしても胸のざわざわが消えなかった。
――私は、何を怖がっているんだろう。
その答えに気づくのが、少しだけ怖かった。
慣れない天蓋、慣れない静けさ、慣れない朝の光。
全部が「ここは家じゃない」と告げてくる。
それでも不思議と、気分は悪くなかった。
昨夜よりも少しだけ、この部屋の空気に馴染めている気がした。
着替えを済ませて廊下に出ると、ちょうどクロエが朝食の準備をしに来たところだった。
「あら、もうお目覚めですか。早いですね」
「なんか目が覚めちゃって。……ねえクロエ、朝のうちに庭を歩いてもいい?」
「もちろんです。アルヴィン様も朝の庭はご自由にどうぞとおっしゃっていましたよ」
朝食を済ませてから、リゼットは一人で庭に出た。
昨夜とはまるで別の顔だ。
朝の庭園は光に満ちていて、噴水の水が透き通って見える。
整然と刈り込まれた生垣の向こうに、バラ園が広がっていた。
――きれい。
思わず足が止まる。
深紅、淡いピンク、白、黄色。
色とりどりのバラが、朝露をまとって静かに咲いている。
リゼットはそっと一輪に近づいて、指先で花びらに触れた。
フィオーレ花屋のバラとは品種が違う。
でも、丁寧に育てられているのはすぐわかった。
「花が好きなんですか」
突然声をかけられて、リゼットは飛び上がった。
振り返ると、そこに見知らぬ男性が立っていた。
――金色の髪。
昨夜、窓から見た人だ。すぐにわかった。
朝の光の中で見ると、髪はもっと鮮やかに金色で、目は明るい琥珀色をしていた。
顔立ちは整っていて、どこか人なつっこい雰囲気がある。
年はアルヴィンと同じくらいだろうか。
「……びっくりした」
「ごめんなさい、驚かせるつもりはなかったんですが」
男性は軽く両手を上げて、人の好さそうな笑顔を見せた。
「僕はルカ・ヴェイン。アルヴィンの幼馴染で、一応側近もやっています」
「リゼット・フィオーレです」
「知ってますよ。アルヴィンからよく聞いていたので」
「よく、聞いていた……?」
思わず聞き返すと、ルカは「しまった」という顔をして口元に手を当てた。
「言いすぎました。忘れてください」
「忘れられないですよそれ」
「はは、手厳しいなあ」
ルカはからりと笑った。
嫌な感じはしない。むしろ自然に話せる。
でも――昨夜のことが頭にちらついて、リゼットは素直に打ち解けられない自分がいた。
あの夜、アルヴィンはこの人のところへ行った。
二人で木立の影に消えた。
――何をしていたんだろう。
「アルヴィン様とは、幼い頃からの仲なんですか」
「そうですね。気づいたら隣にいた、みたいな感じで」
ルカは噴水のふちに腰を下ろして、懐かしむように目を細めた。
「あいつは昔から不器用なんですよ。
大事なことほど、うまく言葉にできなくて。
損な性格だなあってよく思います」
「……不器用」
昨夜の穏やかな笑顔が浮かんだ。
あんなに話しやすかったのに、不器用というのが少し意外だった。
「リゼットさんのことも、ずいぶん長い間――」
「ルカ」
低い声がして、リゼットとルカは同時に顔を上げた。
生垣の陰から、アルヴィンが現れた。
いつからそこにいたのかわからない。
穏やかな顔をしているけれど、ルカに向ける視線だけが、かすかに「それ以上は言うな」と告げていた。
「あ、おはようアルヴィン。ちょうどリゼットさんとお話ししてたんですよ」
ルカはまるで悪びれた様子もなく、にこにこと手を振った。
アルヴィン様はそれを一瞥して、リゼットに向き直る。
「おはようございます、アルヴィン様」
リゼットは頭を下げた。
「庭を散歩していたら、ルカさんに声をかけていただいて」
「そうですか」
アルヴィンはいつもの穏やかさを取り戻した。
「朝の庭は気に入りましたか」
「はい、バラがすごくきれいで。誰が育てているんですか?」
「私が、少し。曇った日や夕方に手入れをしているんです」
「え、アルヴィン様が?」
「意外ですか」
「……少しだけ」
アルヴィンはそれを聞いて、小さく笑った。
昨夜の食堂で見た笑顔と同じ、温かみのある笑い方だ。
その隣でルカが、二人を交互に見ながらにやにやしていた。
「いいですねえ」
「ルカ」
「はいはい、何も言いませんよ」
ルカは肩をすくめて、おかしそうに笑った。
リゼットにはその会話の意味がよくわからなかったけれど、
なんとなく自分が話題にされている気がして、頬がじんわりと熱くなった。
昼過ぎ、リゼットは自室でぼんやりと窓の外を眺めていた。
クロエが差し入れてくれたお茶が、テーブルの上で湯気を立てている。
一口飲むと、ほんのりとした甘さが広がった。
ハーブと何かのブレンドだろうか。
フィオーレ花屋では飲めない、上等な味がした。
でも今は、それをゆっくり味わう気分になれない。
――私のことを、ずいぶん長い間、と言いかけて、ルカさんは止められた。
何を言おうとしていたんだろう。
長い間、気にかけていた?
長い間、知っていた?
それとも――長い間、必要としていた?
でも。
――じゃあ、あの夜の二人は何だったんだろう。
昨夜の場面が、また浮かんでくる。
木立の陰に消えた二人。
ルカさんが腕を差し出して、
アルヴィン様がそれを受け取るようにして――。
考えれば考えるほど、頭の中がこんがらがる。
婚約者として屋敷に呼ばれたはずなのに、
肝心のことが何もわからないまま、疑問だけが積み重なっていく。
ノックの音がして、リゼットは顔を上げた。
「リゼット様、アルヴィン様がお呼びです」
クロエの声だ。
「……わかった、行く」
立ち上がりながら、リゼットは自分に言い聞かせた。
決めつけるのは早い。
ちゃんと話して、ちゃんと聞いて、それから判断すればいい。
でも廊下を歩きながら、どうしても胸のざわざわが消えなかった。
――私は、何を怖がっているんだろう。
その答えに気づくのが、少しだけ怖かった。
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