キズアト

笹原うずら

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『Don`t be invisible』

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 海斗の家が別方向だったため、帰り道は僕と星見さんの二人だった。親友の好きな人と二人で帰るのは、やはり僕としてもためらわれたが、それよりも、遅い時間に女子を一人で帰すことの方が問題に思えた。

 駅から離れ、一歩一歩自分たちの家に近づいていく。ビルや街灯が少なくなり、徐々に星や月の光が増していく。今日食べたパスタの感想だとか、初対面の海斗の印象はどうだったとか、そのような話をぽつぽつとしながら、僕らはのんびりと帰り道を楽しんでいた。

「やっぱり、君はあのバンド苦手だったんだね」

 彼女がそんな話を話題に出したのは、僕らが初めてちゃんと会話したあの公園が見えてきたころだった。『やっぱり』。彼女の発言にその言葉が含まれていることが引っ掛かり、僕は尋ねる。

「やっぱりって……僕があのバンド好きじゃないことに気づいてたの?」
「うん。まあね」
「いつから?」

 彼女は、上を向き、考え込むようにして口をすぼませる。「いつから、かあ」赤みがかった柔らかそうな唇が、僕の質問を繰り返す。

「そうだなあ。大体四月の初めくらいから、この人にこのバンドの曲は合わないだろうなあって思ったよ」

 そうか。四月上旬ごろか。それならだいぶ前になるな。僕は、四月上旬のころを思い浮かべる。思えば入学して環境が変わっても、すぐに同級生に、掃除を頼まれて手伝ったり、宿題を見せるようになったりしたんだっけ。そこまで過去に思いを馳せた後、ようやく彼女の発言の違和感に気づいた。ん? 四月上旬って?

「公園で話す前じゃないか!」
「うん。そうだよ」

 彼女はけろりとした顔でそう言った。僕は混乱する脳内をどうにか整理しようとする。四月上旬、つまり入学したあたりから、僕にはあのバンドが合わないと思っていた? どういうことだ? そもそも合わないと思うならなんであのCDを貸したんだ?

「でも、話すようになったのって、割と最近だよね?」

 泡のようにふわりふわりと浮かび上がり、そして次々と上書きされていく疑問。僕は、そこからどうにか一つを取り出し、言葉にして尋ねた。星見さんは、僕の言葉を受け取る、ふと、道の横側に目をやって、言った。

「そうだね。とりあえず座ろうか」
 星見さんの視線の方向に目を向けると、もうすでに公園にたどり着いていることに気づいた。僕は彼女に導かれるがまま、公園のベンチに座る。あたりはすっかり暗くなり、満天の星空が僕たちのことを照らしていた。

「ずっと君に興味があったんだよ」

 彼女は、星空を見つめながら、ゆっくりと話し出した。それを聞いて僕の心は大きく動揺したが、そのあとすぐに、その興味が恋愛に関わるものでないことに気づいた。僕は尋ねた。

「どうして?」
「だって君はいつも人の目を気にしているじゃないか。いつも人に自分の良い面しか見せなくて、悪い面をひた隠しにする。だからいつも不思議だったんだよ。ねえ、君は、どうしてそういう生き方を選んだの?」

 彼女は、僕の方を向いてそう言った。長いまつげが印象的な目をパチクリさせて、僕の目をまっすぐに見据えてくる。

 僕は、彼女の疑問にどのように答えたものか迷った。なぜそれほどまでに人の評価を気にして生きているのか。そのような疑問をぶつけられたのは、もちろん僕の人生で初めてのことではない。中学校でも自分の意見を堂々と発言するタイプの人間は、必ず僕の生き方に対して疑問を抱き、そして、聞いてきた。
 
 だが僕は、そのような疑問に対していつも曖昧な返事をしていた。言いたいと思っても言葉が出ないとか、本当は君みたいに意見を言えるようになりたいとか、本心の三割にも満たない薄っぺらい言葉を紡いだ。僕がどんな葛藤を経て、今の生き方を選んだか、それを伝えたとしても、きっと『本心をぶつけ合うのが美しい』という美徳を押し付けられるだけに過ぎないと思っていたからだ。

 しかし、なぜか僕は、眼前の彼女に対して、懸命に紡いだその薄っぺらい言葉たちを、ぶつける気にはなれなかった。原因はわからない。だが、今彼女に対して適当な言葉を並べても、それが本心から出てくる言葉ではないことは、簡単に看破されてしまうような気がした。僕に向けられた彼女の目には、そう思わせる不思議な力があった。

「そうだなあ。別にこれと言ったきっかけがあったわけじゃないと思うんだよ」

 気が付くと僕は、自然と言葉を発していた。親友以外の誰にも話したことのない、僕が今までひた隠しにしてきた本心。僕は確かにそれを少しずつ言葉にして、まだ互いのことを知って数週間も経っていない彼女に伝えていた。あれほど、自分から外の世界に表出するのを拒んでいたものだったが、一度押し出してしまうと、意外にもするすると言葉が出てくるのだった。

「なんか多分少しずつこういう生き方になっていったんだ。意見を持たなければぶつからなくて済む。他人に都合のいい自分を演じれば嫌われなくて済む。自分を誰にも表現しなければ、誰にも否定されなくて済む。そういう風に考えて行動しているうちにいつしかそれが僕の中で当たり前になって、それで気づいたらこうなっていたんだ」

「その生き方で不自由したことはないの?」

「たくさんあるよ。意見言わないことで相手に気を遣わせたり、ひどい時は、怒らせたりする。でもそういう時は素直に謝って、当たり障りのない意見を言えばひどい軋轢にならないから大体何とかなるんだよ。それよりも、変に意見を出して、それを戦わせることの方が体力使うしね」

「自分の考えを出せなくてつらかったことはないの?」

「あるよ。でも、大抵のことは我慢すればこらえられる問題だから。意見を出すことのメリットよりも、デメリットの方が僕には大きくみえるんだ」
「そっか」

 そこで彼女は、質問を辞めた。彼女は僕の言葉に対して否定も肯定もしなかった。互いに空を見つめ、星空を眺める。一台の車が、細い道をゆっくりと通り過ぎ、そのライトでわずかに星の光が弱まる。

「きっと君の生き方に賛同してくれる人は少ないんだろうね」

 去っていく車の方向を見つめながら、彼女はぽつりとその言葉をつぶやいた。僕は、彼女の言葉に応える。

「そうだね。自分をしっかり持った方がいい、互いに本音でぶつけ合った方がいい。そういったものごとが正しいことだって思う人の方が多いからね」
「まあ、そうだろうね。でも私は、別に君の生き方が間違っているとは思わないよ」
「あ、そう思ってくれているの?」

 意外な答えが返ってきたので、驚き思わずそう尋ね返す。『自分をしっかり持った方がいい』僕はてっきり、彼女もそういう価値観に基づいた人であると思っていたからだ。黒髪の校則に拘束されない金髪や、耳に携えた二つのピアス。あれらが表すのは、僕が自ら進んで手放した熱烈な『個性』に他ならなかったからだ。しかし、彼女が発する言葉は、そのような想像とは全く真逆のものだった。

「自分をしっかり持つべきだとか、互いに本音をぶつけ合ったほうがいいとか、そんな正義は綺麗ごとだよ。そして、大体そういう風に言葉を並べるのは、自分の意見を伝えることをためらわない人だ。そういう人たちは、意見を言わない人が、どうして発言できないのか考えようとしていない。雰囲気、人間関係、価値観、今までの経験、そういうたくさんの要因からそういう人は自分をださない。それなのにそれを禄に考慮もせずただ自分を出せばいいって思うことの方が、きっと間違ってる」

 彼女は、そこでいったん言葉を止めた。そして、僕の方へ向き直り、まっすぐに僕の目を見据えて、言葉をつづける。

「だから私は、考えて導き出した君の答えを、簡単に否定はしないよ」
「あ、ありがとう」

 僕の口から、自然とそう言葉が溢れた。すると彼女は、僕の顔を覗き込むようにして言った。

「大丈夫?」
「ん? 何が?」
「君の目。泣いているように見えるよ?」
「え?」

 そう声を発した瞬間、僕の頬を一筋の滴が濡らした。「え? あれ?」驚きのあまりそう声がこぼれる。

 今まで、誰にもこの考えを肯定されたことはなかった。クラスの話し合いや、グループ活動の時『なにかんがえているの』『なにがしたいかわからない』一度としてそういった類の言葉が刻まれなかったことはなかった。しかし、目の前のこの人は、そんな僕の価値観を生まれて初めて否定しないでいてくれたのだ。

 しかし、それにしたって、昨日と言い今日と言い、最近は簡単に涙を流しすぎである。一度深呼吸し、上を向いてどうにか涙を引っ込めようとする。

「ごめん、驚かせちゃったよね。大丈夫、どうにか引っ込めるから」
「そんなに君にとって大事なことだったんだね。いいんだよ。泣いても。絶対に笑ったりなんてしないから」

 優しいな。僕は心の中で彼女に対して強くそう思った。しかし、だからこそ彼女にこれ以上格好の悪い姿を見せたいとは思わなかった。

「ありがとう。でも大丈夫。一応男だし、簡単に涙を流す姿を見せるわけにはいかない」

 僕は星見さんに向き直って言葉を発し、笑顔を見せる。目をくしゃっと細めたことによって一筋の滴がポトリと落ちる。ああ、落ちたな。ズボンが濡れたのを見届けた後、また上を向き、僕は涙が渇くのを待った。

「ねえ平谷君。決して君を否定するわけじゃないんだけど、私の考えも君に伝えてもいいかな?」

 僕がまだ上を向いている最中に、彼女は僕にそう伝えた。僕には、その話の内容が、先程の僕の価値観とは異なるものになるということはなんとなく想像がついた。しかし、それでもなぜか僕は、その考えを聞いてみたいという気持ちになっていた。

「いいよ。むしろ聞きたい」
「ありがと。私さ。別に自分を出さないことが悪いことだとは思わないんだけどね。でも、ずっと誰にも自分を表現することをしなかったら透明になっちゃうと思うんだ」
「透明?」
「さては、あまり『AFTER CUT』の曲聞いてないでしょ。貸したCDの三曲目に、『Don`t be invisible』って曲があるんだよ」
「あ、ごめん」

 彼女は、僕が謝る様子を見ていたずらっぽく笑った。どうやら彼女は、僕が全くCDを聞いていないことに対して、なんとも思っていないようだ。

 『Don`t be invisible』確かにCDジャケットにそのような文字列が記載されていた気がする。『透明になるな』か。一体どんな曲だったのだろうか。帰ったら聞いてみよう。きっと今なら、あの曲を聞いても大丈夫な気がする。

 そんなことを考えている間に、彼女は次の言葉を話し出した。

「それで、その曲の受け売りみたいなものなんだけどね。人にはきっとそれぞれ色があると思うんだよ。でも自分を主張しなくなったら、どんどんその色が薄くなっていくと思うんだ。他人の色を邪魔しないように、自分の色が目立たないように、少しずつ自分の色を薄くしていく。そして最後には、自分の色が、なくなると思うんだよ。それってすごく寂しいことのような気がする。だから君も少しずつ色を出せる相手を増やしていけばいいと思うんだ。もしそれが無理だとしても、意見を出さない自分にだけでも自信を持たなきゃいけないと思うんだ」

 彼女の言葉は、会話の途中で少しずつ活力をなくしていった。きっと彼女は、過去にあった何かを思いだしている。僕はそのことをなんとなく理解した。しかし、僕には彼女が何を思いだし、今何に憂いを覚えているのか想像することができなかった。

 前述した通り、彼女は個性を表出することにはさして困っていないように見える。その彼女が透明になることについて、何を悩むことがあるのだろうか。彼女の過去には、いったい何があったのだろうか。

「ありがと。じゃあさ、星見さんは、透明にならないために、いつもそんなに派手な格好をしているの? 星見さんが前に言ってた強くなりたいって言葉は、自分の色を強くしたいってことなの」

 僕は、星見さんにそのように尋ねた。彼女は、少しだけ考えるようなそぶりをして、答えた。

「多分そうじゃないんだろうな。きっと、私はさ、自分の色を見つけたいんだよ。私はきっと、かつて無色だった自分というキャンバスに、どうにか色を付けようとしている真っ最中なんだ」

 彼女は、そう言って、笑顔を浮かべた。しかし僕から見たその表情は、悲しそうで、辛そうで、空に一つだけ浮かぶ一番星のように、寂しそうに見えたのだ。
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