キズアト

笹原うずら

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透明な色

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「ただいまー」

 家に帰ると、時間はもう九時になっていた。思えばずいぶん星見さんと話していたものだ。僕は靴を脱いで素早く風呂を済ませると、自分の部屋まで階段を上がり、ベッドに横になった。

『自分の色を見つけたいんだよ』

 家の天井を眺めながら、僕は彼女の言葉を思い出す。結局彼女は、あの発言の後に何か言葉をつづけることなく「じゃあそろそろ家に帰るね」と言って帰ってしまった。残された僕は、頭に浮かぶ疑問を解決する術も持たずに、ただ答えを出せぬことに苦しみながら、家に戻ってきた。

 かつて無色だった、彼女は確かにそう言っていた。それならば昔は、あのような格好はしていなかったのだろうか。髪色を黒に染めて、スカートの丈を周りに合わせて、目立つことの無い様に生きていたのだろうか。そして仮にそうだとしたら、なぜ今になって色を見つけようとしているのだろうか。

 再び答えも出ない問いに頭を悩ませていると、不意に某アプリの着信音が鳴った。誰からだろうか。僕は、ベッドからどうにか手を伸ばし、充電途中の携帯を取る。メッセージは、海斗からだ。

「今日は本当にありがとう!おかげさまで結構楽しく話せたし、結構俺頑張っていたよな? まさか俺が好きなバンド星見さんも好きだったとは思わなかった!次も頑張る!」

 ああ、そうだった。今日は海斗と星見さんの仲を深める目的で食事会を開いた日で、なんならそちらが今日のメインだった。彼女との話で不思議なことがたくさんありすぎて、記憶から抜け落ちていたようだ。

 とはいえ、メッセージの通り確かに今日の海斗は頑張っていた。まさか彼が今回の食事会のように、女子と二人であれほど話をつづけられるとは思ってもみなかった。まあ、お互いに好きなバンドが同じだったという条件においての功績ではあったが。

 僕は、部屋を見渡して、机の上に投げ出されてあるCDを見つける。星見さんから借りた『AFTER CUT』のCDだ。どうやらこの前聞いて、そのままにしていたようである。

 僕はベッドから降り、机の上のCDを手に取って眺めた。星見さんの言っていた通り、確かにその収録曲の三曲目には『Don`t be invisible』があった。

 パソコンの電源を入れ、CDを入れる。イヤホンを取り出して耳にはめる。そして今まさに再生ボタンをクリックしようとしたとき、脳裏に以前曲を聞いたときの自分の反応がよぎった。

 正直に言って今でも、僕には、この曲を聞いても、価値観を揺さぶられない自信はなかった。再び彼らが描く音楽を耳にして、熾烈なるメッセージ性をぶつけられて、それでも僕は、自分の価値観を誇れるのだろうか。

『別に君の生き方が間違っているとは思わないよ』

 その時、僕は星見さんの言葉を思い出した。そうだ。それでも僕にはぶつかっていく必要がある。『AFTER CUT』の方々が、星見さんが公園で言っていたような『意見を言わない人が、どうして発言できないのか考えようとしていない人』かどうかはわからない。

 様々な壁にぶち当たりながらも、その上で己の価値観を確立させたのかもしれないし、もちろんそれほど考えていないかもしれない。それはきっと当の本人にしかわからないことなのだ。だがしかし、それが分からないからこそ、僕は、彼らの曲と対峙する必要があった。彼らの苦労を知らないからこそ、僕は、僕と異なる価値観に立ち向かって、乗り越えて、自分を誇れるようになる必要があるのだ。

 覚悟を決めて、再生ボタンをクリックする。イヤホンを両手で抑えて目をつむり、ひたすらにこのバンドの曲に耳を傾ける。

『Don`t be invisible』は、依然聞いた曲とは違って、静かでバラードのような曲だった。最初の曲のイメージが強かったので、あまりの曲調の差に驚く。こんな曲もやっているバンドなのか。
冬が開けた後の春の日差しのような和やかなギターに、わが子をめでる母親の掌のような優しいピアノ。それらが前奏を柔らかく彩った後、バンドボーカルが歌いだした。

リズムにのって微かに体を揺らしながら、歌手の声に意識を集中させる。以前聞いた曲のような攻撃的な声ではなく、球体に削られた水晶のように、調和的で透き通るような声をしていた。

僕は、英語に詳しいわけではないので、文章を一つ一つ拾っても日本語に翻訳することはできない。後で、翻訳サイトで見てみると、最初の方はこのような曲だった。どうやら自らがつくった物語を語っているようだ。

 幼いころから、絵が大好きだった主人公は、芸術家を志すようになった。彼は、色の濃い絵の具が大好きで、自分の持っている絵の具にあまり水を混ぜることをしなかった。

しかし、彼の作品にはなかなか買い手がつかず、主人公はどんどん生活が苦しくなっていく。ある時彼は、他人による自分の作品の評価を聞いた。彼らは口々に言った。空は真っ青なわけではないし、炎も真っ赤に燃えているわけではない。君の作品は、美しいが見ていてちかちかする。

 彼は、この評価を聞いて、自らの絵の具に今までよりもはるかに水で薄めるようになった。そしてもともと才能のあった彼の絵は、飛ぶように売れた。彼の色使いはどんどん薄くなっていき、それに比例して、彼は絵師として有名になっていった。

 彼は、自分の書きたいものをではなく、他人が見ていたいものを書き続けた。彼は自分の気持ちに嘘をついたのだ。

 しかし、彼はあるとき、真っ白なキャンパスを作品として発表した。人々は尋ねた。どうして何も書かれていない作品を発表しているんだと。主人公は言った。そうか。もう見えないのか、僕の色はもう誰にも見えないくらいに薄くなってしまったんだねと。

彼は、みんなが好きなもの追い求め、自分の作品を見失うあまり、ついに色をなくしてしまったのだ。

 どこか虚しさを覚える話だった。ボーカルは、この物語を優しい声で彩って、言葉にしていた。先述の通り、聞いていた時は、日本語の意味が分からなかったが、それでも、曲と歌手の声をきいただけで、胸が収縮するように締め付けられた。

 ――もう誰にも見えないくらい薄くなった、か。

 自分は、いったい人には何色に見えているのだろうか。意見を言わない。自己主張をしない。そんな自分は、やはり他人には透明に見えているのだろうか。

 確かに自分は、主張の激しい色が好きではない。緑と黄緑どちらが好きかと言われれば黄緑と答えるし、青と水色どちらが好きかと聞かれれば水色と答える。そして最後に、何色が好きなのと聞かれれば、僕はきっと白と答えてしまうのだろう。なんだかんだほかの人の個性と関わることも好きな自分は、きっと他の誰かが映える色を選択する。

 しかし、そうだとしても、今の僕は絵の具に例えるなら、まだ何色にもなれていないのだろう。いてもいなくても変わらなくて、誰と交わっても、その人の色を薄くすることさえできていないのだから。僕が無色でなく白でいられるのは、きっと海斗と、家族と、今日本音を話すことができた星見さんぐらいなのかもしれない。

 ――そっか。今、僕はもう少しで透明になるのか。

 そう考えると、頭の奥からじんわりとさみしさのようなものが溢れてきた。海斗、そして星見さん。もし仮にこの二人にさえ自己を表出しなくなったら、僕の色はきっと白ですらなくなるのだ。百歩譲ってほかの人には透明だと思われてもいい。

 しかし、今まで僕の個性と関わり大切にしてくれた人。そんな人たちにまで、いてもいなくても変わらないように、透明であるかのように扱われたら、きっとすごく苦しい気持ちになる。

 僕は再びベッドに寝転がり、天井に向かって両手を伸ばす。そうすると、寝間着の緩んだ袖が落ち、腕の傷が現れる。

 今日は、食事会以外で外に出ていないから、傷は金曜の学校の分しかついていない。しかし、それでも十分な量の傷跡を、この腕は宿していた。

これだけの痛々しさを伴って、人の心を理解しようとしている。もちろんこれは自分が勝手にやっていることだから、自分のしていることを褒めて欲しいとは思わない。だとしてもこれに至った思いや気持ちを、なかったことにはしたくなかった。

 ――あれ? そういやまだ星見さんに関する傷がないな。

 しばらく腕の傷を眺めていると、ふとそんなことを思い立った。もちろん傷の刻まれる時間ははっきりと決まっているわけではない。しかし、相手と関わった時間と傷の現れる早さが割と比例関係にあることは、経験上理解していることだった。他のクラスの同級生よりは、同じクラスの同級生の評価のほうが、早く傷として現れる。
だからこそ、あれ程星見さんと関わったのだから、もう何かしらの傷が出てきてもいいはずなのだが。

そこまで考えた時、あたまの中で、ある可能性が思い浮かんだ。それは、僕の心が彼女を、すでに傷で心を読み取ろうとしなくていいほど信頼を寄せている可能性だ。

 今までそう言った事例はいくつかあった。まず家族だ。父と母は、僕の傷を見て最初は悲しんでいたものの、すぐに僕に気を遣わせない環境を整えてくれるようになった。彼らは僕に対して思ったことは必ず言ってくれるし、変に気を遣わないようになった。だからこそ、その甲斐あって僕は、家族には素直な心で接することができている。

 他の事例としては海斗が挙げられる。彼も、僕の腕の様子を知ってから、よりいっそう僕に気を遣わなくなった。最初のうちは、最もよく関わる友人であったため、頻繁に腕に感情が刻まれていたが、傷ができてから半年ぐらい経つと、気づかぬうちに、彼の内心を気にしないようになっていた。だからこそ、彼は僕にとって友達ではなく親友なのだ。

 そして、今家族と親友しか存在しなかった特別な席に、星見さんが加わろうとしている。話すようになってわずか数週間しかたっていないのにも関わらずだ。

「すごいな。あの人は」

 僕は心の中で、彼女の顔を思い浮かべながら、思わずそうつぶやいていた。

 きっとあの時は、まだ僕は彼女に対してそう言った感情を抱いていなかったのだと思う。いや、抱いてなかったというよりも、気づいていなかったといったほうがきっと正しいのだろうか。とにもかくにも、あの頃の僕が彼女に対して抱いていた感情は、尊敬や、あこがれの方が強かったのだ。

しかし、今日を境に海斗と僕と星見さんは三人で遊ぶことが多くなり、彼女と関わる時間が増えるたびに、僕は徐々に彼女にひかれていくようになった。そしてある出来事を契機として、僕はようやく自分の感情を自覚することになった。
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