キズアト

笹原うずら

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キズアトの真実

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「やっぱり、ここにいたんだ」

 声の主は星見さんだった。出会う時は、いつも笑顔を浮かべる星見さんであったが、今日は、驚くほど真剣なまなざしをしていた。

 彼女がどんな要件でここに来たのかは、なんとなく想像がついた。しかしそれでも僕はおどけた様子で彼女に尋ねる。

「やあ、星見さん。どうしたの? こんなところで」
「なんで、東根君のお見舞いに行かないの?」

 彼女は、僕の質問になど答える様子も見せずに、僕に質問を返す。

 ――人の気も知らないでなんなんだよ。

 僕はなんだか腹が立って、彼女に向かって言葉を返す。人に悪く思われないように、問題事を起さないように。そんな普段掲げている自分の価値観など、今の僕の頭にはなかった。

「別に星見さんには関係ないでしょ。それに深い意味なんてないよ。忘れていただけ」
「嘘だ。君が東根君のお見舞いを忘れるわけないよ。ちゃんと理由を教えて。じゃないと納得できない」
「だから関係ないじゃん、別に」
「関係ある。あんなにみんなで遊んだじゃん」

 互いに声を荒げ始める。彼女が感情をこめて言葉を発するたびに、銀色のピアスがちらちらと揺れる。僕は、次第にすべてが煩わしくなって、感情をこめて強く強く言葉を発する。

「僕が行ったって海斗は喜ばないんだよ」
「なんでそんなことが、見舞いにもいっていない君にわかるのさ」
「ここに全部書いてあるんだ!」

 そう言って僕は、勢いよく自分の袖を捲った。『うらぎりもの』『にどとかおをみせるな』『もうにどとあいたくない』見るだけで心がえぐれてしまうような苛烈で苦々しい言葉の数々。僕は、なんだかすべてがどうでもよくなったように思えて、今まだ明かしたことのなかった秘密を感情に任せてさらけ出す。僕の事を見つめ、ただ黙ってこちらを見る彼女。僕はそんな彼女に対して、言葉を発する。

「ちゃんと見せたことないからわからなかったでしょ。これさ。タトゥーにあこがれた傷でもなんでもないんだよ。人の評価なんだ。他人が下した僕への評価がこうして体に刻まれてるんだよ。だから僕は、海斗の気持ちが痛いほどよくわかるんだ。全部ここに書いてあるんだから」

 すべての言葉を発し終わると、僕は、静かに文庫本を畳み、バックに入れた。一刻も早くこの場所を離れたかった。きっと、これほどまでに人の評価を気にする男は、彼女の目から見てさぞ気持ち悪く映ることだろう。それが分かっているのにも関わらず、この傷に対する彼女の言葉を待とうとする気にはなれなかった。

 けれども、彼女は僕が席を立つよりも早く、言葉を発した。そしてその言葉は、僕が想像もしていないようなものだった。彼女は僕にこう言ったのだ。

「知ってたよ、全部」
「え?」

 思わずその声が口から洩れた。知ってた? どういうことだ? 今まで決してこの傷のことを話したことはなかったのに。いったいどうしてこの人は、知っていたと、そう言うのだろうか。

 彼女は僕の目を見据えてゆっくりと話し始める。

「本当はさ。あの日君の傷を見た時から、全部分かっていたんだ。だから私は最初から、あれがタトゥーにあこがれた傷だなんて思ったことないし、君がロックを好きだとも思ったことはなかったんだよ。そしてその傷が、人の評価を反映して刻まれるものだってことも、全部知ってるんだよ。でもさ、平谷君。私は知っているから言うんだけど、君は本当にその傷が誰かの評価を正しく反映してくれる傷だって信じてるの?」
「え? どういうこと?」

 混乱している頭から何とかその言葉を形成して、言葉にする。僕は理解することができなかった。この傷が人の評価を正しく反映するものじゃない? だったらこれは何を刻んでいるというんだ。だったら今まで僕は何に振り回されて生きていたっていうんだ。

 彼女は、言う。

「それはさ。その傷は、君の思い込みを反映しているだけに過ぎないんだよ。君の後ろ向きな感情に体が勝手に反応して傷を浮かびあがらせているに過ぎないんだ。だからこそ、君のその傷は時々誤った結果を表すし、決してポジティブな評価を刻むこともなかったはずだよ」

 彼女の言っていることはすべて的中していた。確かに僕の傷はすべての場合において正しい評価を表すわけではないし、プラスの評価を表してもくれない。だが、しかしだ。

「確かに星見さんの言う通りだよ。この傷はいつも僕に正しい情報をくれたわけじゃなかった。でも正しかったことの方が多かったんだ。この人にこう思われてるなら、こういう行動をしないように気を付けようだとか、この傷に従って生きてきたら、うまくいくことの方が多かった。それでも、この傷は、僕の思い込みだったって言うの?」

 星見さんは、僕の瞳から決して目を離すことなく、言う。

「思い込みだよ。君はいつも人の評価を気にして、人のことをずっと観察している。だから、君の思う誰かの評価が、実際にその人が思った評価と合致する確率が高くなる。それだけのことなんだ。本当にそれだけのことなんだよ。平谷君、人が心に抱えている本当の気持ちなんて他人にはどうやってもわからないんだ。平谷君は自分に刻まれた評価を見た時、一度でも、その自分の予想外の評価が刻まれたことはあったかい?」

 確かにそうだ。今まで僕に刻まれてきた傷。その全てを思い出しても、一度として僕の予想外の反応を示したものはなかった。僕の体に刻まれた傷全ては、きっとこう思われていると、僕が予想した評価をそのまま表しているだけだった。

 でも、それなら僕は今まで何をしていたと言うのだろうか。自分に対する人の評価。それを勝手に決めつけて、勝手に怯えて。僕は、そんな一人芝居を今まで何年間も繰り広げてきたというのだろうか。
 彼女は、考えを巡らせる僕に対して言った。

「平谷君。君は優しすぎたんだよ。自分の色を必死で隠して、他の人をいつも尊重しようとして。だから君にそんな偽りの傷ができるようになっちゃったんだ。もう君は十分頑張ったんだよ。だから君はもうそんな傷にとらわれなくたっていいんだ」

 彼女の言葉が、柔らかく僕の耳に入ってくる。しかし、それは、するりと意味を持たずに、球の中を過ぎ去っていった。僕は、まだこの傷に対する真実を受け入れることができていなかったのだ。

「でも、今まで僕はこの傷が正しいって信じてたんだよ。どんなときもこの傷になるべく従って生きてきた。でも、それが、ただの僕の思い込みだったなんて。そんな――」

 彼女は僕に憐れむような表情を向けた。

「多分これは君にとって残酷な真実なんだと思う。君は今まで自分の思い込みに人生を振り回されていただけだったんだ。それを思えば、辛いに決まってる。でもさ、平谷君。この真実を知ってさ、今大切なことは、自分の信じるものが偽りだったとか、そういうことじゃないはずだよ。君にとって今重要なことはそんなことじゃないはずだ」

 そういうと星見さんは、僕の両肩に手を置いた。そして彼女は僕に、視線を、言葉を、ぶつける。

「君に今刻まれている傷は海斗君の本心じゃない。だから、そんな傷じゃなくて、早く海斗君の心に向き。君たちの友情を、そんな傷ごときになくさせちゃいけない」

 彼女の言葉を受けた瞬間、電流のような衝撃が、僕に流れた。

 ――そうだ。これは海斗の本心じゃないんだ。

 今までどんよりと陰っていた僕の心に一筋の光がさす。ほんの少しだけ、全身に刻まれた痛みが和らぐ。そうなのだ。この傷が彼の本心じゃない可能性があるということは、まだ僕は、彼を失っちゃいない。まだ僕は、彼の心に少しも向き合っちゃいない。

 その瞬間、この傷が僕の思い込みだったと知ったときの絶望は、徐々に薄れはじめ、それらが希望へと形を変えていった。

 ――早く彼に会わなければ。

「ありがとう。星見さん。僕、行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい。頑張って」

 星見さんが、笑顔で僕に手を振る。僕は、それに曖昧に手を振り返し、病院行のバス停を目指して走り出す。激しい動きをしたことによって、体にある傷が開く。血がじんわりとにじんでくる。しかし、僕は、そんな痛々しさを大して気にも留めていなかった。ただ僕は『TRUTH』の主人公のように、ゴールに着くことでしか知りえない真実を目指して、ただ一歩一歩進んでいった。

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