キズアト

笹原うずら

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ひっかかり

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 コンクリートに水の落ちる音が響く、月曜日の放課後。僕は傘を差しながら、海斗の入院する病院に向かっていた。星見さんも誘ったが、用事があるからと断られてしまった。最近はいつも、同じような理由で誘いを断られている。

 受付を済ませてエレベーターに乗る。五階に着いたら、廊下を歩き、海斗の病室にたどり着く。病室を開けると、海斗がベッドで仰向けになりながら、ぼーっと漫画を読んでいた。

「おはよう、海斗。何の漫画読んでるの?」

 僕は、彼の横にある椅子を取り出し、腰を掛けながら海斗に聞く。彼は、退屈そうにその漫画を閉じると、僕に言った。

「あ、これな。なんか暇つぶしにって言って、月下さんが貸してくれたんだよ。今流行りの漫画らしくて、最初は苦手だった男子の積極的なアプローチにどんどん、心が揺らされて、好きになっていく少女漫画。でも、なんか感情移入できなくて退屈なんだよなあ」

 ――そりゃまあ理解できたら、きっともう彼女はできていると思うよ。

 決して言葉には出さないようにしながら、僕は心の中でそうつぶやく。まさか、海斗の見舞いの品として恋愛漫画を渡すとは、月下さんも稀有なチョイスをするものだ。

「そうなんだ。でも漫画の貸し借りしてるんだね。ずいぶんと仲いいじゃん」
「まあ確かに最近よく関わってるけどね。見舞いも結構来てくれてるし、でもなあ」
「付き合うって感じじゃないんだ?やっぱり性格タイプじゃないの?」
「そうなんだよなあ」

 月下さんが海斗に好意を寄せている、その話を聞いてから、なんとなく海斗がこんな結論に結びつくことを、僕は予想していた。前回の食事会の海斗と矢内さんの会話の通り、僕の親友はあまりぐいぐい来る女子は得意ではない。実際これまで何度も、海斗を好きになり、積極的にアプローチを試みる女子を見てきたが、どれも撃沈していた。だから僕は月下さんも例外なくそういった女子の一人になると思ったのだ。

 しかしまあ、考えてもみれば、おかしいことだ。ぐいぐい押されたら、かえって引いてしまい、彼から押していかないとかなわない恋をしていたとしても、一人では積極的に行動できない。そんな海斗にいったいどうしたら彼女ができるというのだろう。

「じゃあ付き合わないの? せっかくかわいい子なのに」
「かわいいしいい子なんだけどさー。星見さんの後だと、やっぱ次好きになる人のハードルを上げてしまう自分がいるんだよなあ」
「そういうもんなんだ」

 男二人、病室で恋愛話に花を咲かせていると、ふいにドアが開いた。二人でその方向を見る。すると、短いスカートで、ばれない程度の化粧を施している月下さんがこちらを見て手を振った。

「おはよう、海斗君。あ、平谷君も来てたんだ」

 月下さんは、僕の方を見ると少しだけ残念そうな表情を浮かべる。『あなたがいなければふたりきりになれたのに』きっとそのような言葉が、僕の腕に刻まれるのも時間の問題だろう。ごめんね。二人きりにしてあげられなくて。もうすぐ僕も帰るから。

 そんな彼女は、すたすた歩み寄ってきて、近くの椅子を出すと、僕と海斗の間に少し強引に入ってきて、腰掛けた。そして机の上に置いてある漫画に気づくと、言った。

「あ、海斗君、私が貸した漫画読んでくれてるんだ。うれしい。どうだった?」

 二重のはっきりとした目をキラキラとさせて、普段より少しだけ高い声でその言葉は発せられた。視覚にも聴覚にも訴えるような彼女のアプローチに思わず感心する。恋する女子は、こうも強いものなのか。

「あ、うん。まあ面白かったよ。ヒロインがいいよね」

 海斗は天井をぼーっとみながら、そう答えた。嘘をつくのであればせめてばれないようにするのが最低限の礼儀だろうに。僕は彼の様子に呆れた。しかし、恋は盲目的だとでも言うのだろうか、月下さんは、そんな海斗に気づく様子もなく言う。

「ね、やっぱヒロインかわいいよね。なんだかんだ結局、この男子のこと好きになっちゃうんだもんなあ。平谷君は、この漫画読んだことある?」
「え? ああ、読んだことないかな」

 急に話を振られ僕は驚く。てっきりしばらくは二人だけでずっと話すものだと思っていた。恋愛対象以外にも気を回すやさしさはちゃんとあるのか。

――まあ好きな人の前でその人と親しい友人を無下にはできないだけだろう。

 そんな思いがふと頭をよぎり、僕は、それを頭の中で打ち消す。いや良くない良くない。どうも、僕は彼女が転校してからというもの彼女のことを否定的にとらえがちである。きっと星見さんと仲が良くなさそうだから、否定的に見てしまっているのだろうが、だからと言って彼女の善行まで否定していいわけではないだろう。

「あ、そうなんだ。見たほうがいいよ。そういえば、今日は京子さん来てないんだね」

 彼女は、きょろきょろと病室を見回すようにしながらこう言った。

「うん来てないよ。会いたかったの?」

 多分違うだろうな、そう思いながらも、僕は月下さんに対してそう尋ねた。月下さんは応える。

「うーん。いやそういうわけじゃないよ。なんか今の星見さんと私何話したらいいのかもわかんないし。なんか星見さんに壁作られてる気がするし。二人はすごいね。ああいう子とも仲良くしてあげられるんだから?」

 ――なんでそんな言い方するんだろ?

 あまり彼女の言葉を悪くとらえないようにしよう。そんなさっき僕がした決断は彼女の言葉を聞いて一気に崩れ去った。なぜなのだろうか。なんで彼女は、自分が正しくて、相手が悪いと、最初から決まっているかのような言い方をするのだろう。壁をつくられていることも、話しかけづらくなったことも全部相手のせい。ほんとにこの人は一パーセントも自分のことを悪いとは思っていないのだろうか。

 僕は、今抱いている不快感を言葉にしようとした。星見さんは、今まで自分のことを様々な場面で支え、そして助けてくれた、僕にとっては大切な人だ。恋愛という感情を抜きにしても、その思いは変わらない。そんな特別な人がこのように悪く言われてしまうのは、何か事情があったとしても、やはりいい気はしないものだ。僕は意を決して、自分の頭から言葉を絞り出す。

 ――壁作る原因は月下さんにあるんじゃないの。

 しかし、それは言葉として、僕の口から発せられることはなかった。原因はわからない。ただ、その時の自分は、なぜか自分の言葉を声として表すことができなかったのだ。ちぐはぐに動く心と体。僕は、そんな自分の様子に、驚きと、そして怒りを覚えることしかできなかった。

 それからの会話はよく覚えていない。三人で仲良く話していたのかもしれないし、二人が話している様子を、じっと眺めていたのかもしれない。とにかく、しばらく病室で時を過ごし、海斗と話す目的を十分に達成したと感じた僕は、二人を残して先に家へ帰った。もう少しここにいてほしいと願う海斗。好きな異性とやっと二人きりになれるという事実から気分が明らかにいい月下さん。『じゃあね』二人の僕にかけた声の調子が、全く違っていたのがなんだか滑稽だった。
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