キズアト

笹原うずら

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『AFTER CUT』

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 星見さんがどこに行ったかは、なんとなく見当がついていた。僕は、その場所へ自分の持てるすべての力を出しきって走り出す。息を切らし、立ち止まることなく走り続ける。

 どうして、急に星見さんに出会おうとしているのか。その理由は、僕自身にもうまく説明できなかった。ただ、卒業アルバムの写真から読み取れたある事実。その事実を知ってから、僕はなんだかいてもたってもいられなくなった。彼女と会って話をしなければいけない。この思いが僕の頭を支配して、自然と僕の足を前に進ませたのだった。

 目的地までの道のりを駆け足で進んでいくと、道のわきに、良く見知った場所があった。それはコンビニだ。僕と星見さんが、初めて連絡先を交換したコンビニ。僕が星見さんとアイスを片手にロックについて話をしたコンビニ。

 ひょっとしたら、ここで何かを買っているかもしれないな。ふと、そんな考えがよぎり、僕は足を止め、コンビニに入ろうとした。その時、僕らと同じ半そでの制服を着た女子高生二人がコンビニの前のベンチに腰を掛けていることに気づいた。二人の会話が自然と耳に入ってくる。

「それで彼氏がね。なんかいま流行っているバンドのファンなんだって。私もそのバンドの曲聞いてみたほうがいいのかな」
「いんじゃない? 彼氏好きなら聞いてみたら」
「でもなんか彼氏の趣味を知ろうとするのって、彼氏に性格合わせようとしているみたいでなんか重くない?」
「そんなことないよ。それにその人が好きな曲を知るって意外と大事なことだよ。そうすることによって、その人がどういうことに感動して、どういうことに心を動かされる人かわかるじゃん。曲は人を表すんだよ」
「えー音楽にそんな力あるの?まあとりあえず聞いてみるけど」

 ――曲は人を表す、か。

 科学的な根拠なんてきっとなにもない、彼女達の言葉を真に受けて、僕はポケットからアイポッドを取り出す。そして、『AFTER CUT』のプレイリストを選択し、イヤホンを耳にはめた。

 静かで、落ち着いたメロディーが、耳に流れ込んでくる。この曲の名前はしっかり覚えている。『Don`t be invisible』星見さんが、僕に一番初めに紹介してくれた曲だ。

 店内を見渡しても、星見さんの姿は見当たらなかったので、僕はそのまま、なにも買わずにコンビニを出た。耳元で流れるゆっくりとした曲調に合わせて、静かに歩きはじめる。イヤホンの向こうでボーカルが、自らの歌を高らかに歌い上げている。『透明になるな』『色を失うな』そんなメッセージを、必死で聞き手に届けようとしている。星見さんがいじめを受け、人に自分を否定されながら聞いた曲。当時、彼女は一体どんな気持ちでこの曲を聞いたのだろうか。

 僕は、自らの拳をにぎりしめ、再び走り出した。そんなこと、考えなくてもわかっている。きっと当時の彼女にとってこの曲を聞くのは苦痛だったはずだ。途方もないほど険しい現実が目の前にある人間にとって、美しいほどに清らかな理想は、毒でしかない。それでも、彼女はこの曲を好きでいることを選んだのだ。それでも、彼女は理想を求めることを選んだのだ。それがどれほど辛く険しい道のりか。

 息を切らして走っていると、交差点に差し掛かった。青信号の点滅。あの雨の日に見せた彼女の頼りない後ろ姿と重なる。足を速めて、横断歩道を強引に進行する。イヤホンを超えて、車のクラクションが響く。『すいません』そう声をあげながら、横断歩道を渡り切り、膝に手をついた。

 うつむいている間に、プレイリストの曲が入れ替わる。次の曲は『TRUTH』海斗が交通事故を起こした夜に僕が聞いていた曲だ。そういえばこれも、星見さんが『AFTER CUT』の中で好きな曲の中の一つだった。
 真実は、知られるべきか否か、そう問いかけたこの作品は、きっと星見さんには、とても強い意味を持った曲だったのだろう。過去に真実を親友に伝え、それによって深く傷つけられた星見さん。彼女は、彼女自身の抱える真実の重さを、身をもってよく理解していた。だからこそ、人と親しくなるのは、彼女にとって勇気のいることだったと思う。親しい人には、真実を明かすのにも隠すのにも覚悟がいる。それを彼女は良く知っていたから、きっと、高校でも身の回りにそれほど親しい人を作ろうとしなかったのだろう。いや、作ることができなかったといったほうが、この場合は正しいのだろうか。

 僕は、大きく深呼吸し、乱れた呼吸を無理やり整える。そして、再び大きく地面を蹴る。

 ――なんでそんなに抱え込んでるんだよ。

 僕は心の中でつぶやいた。抱え込みすぎだ。本当に抱え込みすぎなのだ、彼女は。その真実の重みは、彼女の小さな体一つで持ち切れるものじゃない。彼女の個性も、過去も、決して、一人で抱え込むべきものじゃない。

 なんで頼らなかった。なんで打ち明けなかった。怒りも悲しみもないまぜになって激しく心の中からせりあがる感情が、僕の足を加速させる。少しでも、一秒でも早く、彼女のところに行きたいと思った。

 もうすぐだ。もうすぐ、あの場所に着く。僕がそう思った瞬間、プレイリストの曲が入れ替わった。そして、イヤホンから流れる音と、ふと外から聞こえてきたギターの音が重なった。

 ――星見さんの、ギターの音だ。

 イヤホンから、そして、外から、激しく鋭い音が襲い掛かってくる。そっか。この曲か。僕は昔のことを思い出し、微妙な笑みを浮かべる。これは、僕が『AFTER CUT』のCDを借りた時に、一番初めに聞いた曲。そしてその強いメッセージ性に耐え切れず、僕が思わず涙してしまった曲。

 あれから何度も、僕はこの曲を聞こうと思ったことがあった。しかし、結局僕は最後まで、この曲を聞けたことがなかった。どうしても、この曲の苛烈なメッセージ性に心が耐え切れず、体がこの曲を拒絶してしまうのだ。

 なぜこんなにも心が揺さぶられてしまうのか。そもそも、最後まで聞いたことがなかったが、この曲はなにを僕らに伝えようとしているのか。そう疑問に思った僕は、星見さんにこの曲の概要を聞いたことがあった。彼女曰く、これはこんな曲らしい。

 サッカー選手を目指していた主人公は、とある事故にあって、もうサッカーができない体になってしまう。幼いころからの夢であったサッカーを奪われて、生きる気力を失ってしまった主人公。しかし自ら命を絶つ気力もわかず、惰性でただ日々を過ごしていると、彼はふいにこんなことを思いつく。『そうだ、嫌なことがあるたびに、体に一つずつ切り傷をつけていこう。そしてその傷の痛みに耐えられなくなった時、その痛みから逃げるように、命を絶てばいい』不幸な出来事から、精神をすり減らし、正常な判断ができなくなっていた主人公。自分の思いつきに心を浮つかせながら、彼は、最初に、家にあったカッターで体一つの大きな傷をつけた。そして、彼はそれからも何か嫌なことがあるたびに、体に傷をつけていくことになる。

 バイトでの失敗、上司の説教。彼の体の傷は、日を追うごとにどんどん増えていく。そしてその痛みもとうとう頂点に達し、彼は、最初の誓いに従い、アパートの屋上から体を投げだしてしまう。

 しかし、主人公の命はそこで絶たれることはなく、結局彼は、病院のベッドで目を覚ますことになった。どうやら住んでいたアパートの階数がそれほど高くなかったことが幸いしたらしい。いや、彼にとっては不幸にもというべきか。一命をとりとめたとはいえ、彼は、ベッドの上でアパートの飛び降りも含めた自身に施した痛みにずっと苦しむことになる。しかも、病院の中、両足が動かない状態では死ぬにも死ねない。彼は心から自分が生きてきた世界を呪った。

 僕は、ギターの音めがけて、一目散に走りだす。イヤホンは絶えず両耳を刺激し、その強い思いが、僕の心を締め付けてくる。過去のトラウマから大切な物さえ守れなくなった、僕のことを責め立てる。

 ここまでの曲の内容は一番のものだ。あともう少し走れば、きっと彼女にもとにたどり着く、そんな中、イヤホンの中と外から、二番が、始まる。

 徐々に体の状態も良くなる中、惰性で日々を過ごす主人公。彼は、病室でとある女性と関わる機会が増えるようになる。日々何事も前向きに取り組み、リハビリなどで少しでも早い退院を目指す彼女と話していくうちに、主人公は、彼女もまた、自ら命を投げ出した者のうちの一人だと言う。

 ある時主人公は彼女に聞いた。なぜ、一度死のうとしたのに、今はそうも前向きに生きようとしているのかと。彼女は答えた。自分は、ここにいる前は小学校教師だった。教員内のいじめや、保護者との関係性の不和により、自らの仕事に絶望し、命を絶とうとした。しかし、この病院で自分にあてられた子どもたちの手紙を読んで気づいた。そうだ自分は、子どもたちを笑顔にしたくてこの職業に就いたのだと。だからこそ、もう一度彼らを笑顔にするためにも、ここで立ち止まっているわけにはいかないと。

 思わず主人公は彼女に言った。『本当にそれでいいのか。教師に復帰しても結局同じ不幸に遭遇してここに戻ってくるだけじゃないか』と。彼女はそれに対してこう答えた。きっと退院してもここに来る前と同じように辛いことはたくさん待ち構えていると思う。過去であれ未来であれ、その時々に遭遇する現実は、自分たちに絶えず刃を向け、この体にたくさんの傷をつける。でも大切なのは、その傷の後だ。自分にとって大切なものがある。譲れないものがある。その誇りともいえる熱い思いを、傷だらけになっても持ち続けることが大切なんだ。それができるのが、勝者なんだ。私は、この傷にまみれた残酷な現実世界に喧嘩を売りたいんだよ、と。

 そして主人公は思いだした。自分がサッカー選手になりたかったわけを。彼は、自分が子どものころ、ある選手のプレーに魅了されたように、彼もまた、自分の力で多くの人に感動を届けたかったのだ。だから彼は――。

 そこで歌が途切れた。急に曲調を変え、柔らかなメロディーが、耳に流れてくる。きっとこれは後奏だろう。

曲が終わる手前ぐらいで、僕は目的地にたどり着いた。ぼくがずっと目指していた目的地はあの公園だった。僕と星見さんが初めてしっかり話した公園。様々なことを話し、たくさんの同じ時間を彼女と共有したこの公園。

 後は入口に入るだけ、膝をつき、もう一度息を整えていると、また歌が聞こえてきた。まだプレイリストは変わっていない。つまり、これはこの曲の続きだ。僕は、足を止めて、音に耳を傾ける。ボーカルは、そして星見さんらしき女性は、こう歌った。

「So『I』started playing the guitar I once liked. So『I』named this band and group『AFTER CUT』」

 すると僕は初めてこの曲を聞いてから、ずっとわからなかった疑問が晴れて、思わず表情に笑みを浮かべた。

 ――ああ、なるほどな。だからこの曲は、こうも人の心を打つのか。

 『AFTER CUT』この曲を書いているのは、ほとんどこのバンドのボーカルなのだという。きっと彼も、この一曲だけでは表しきれないほど、たくさん苦労してきたのだろう。そしてその度に、目の前にそびえたつ壁を必死で乗り越えてきたのだろう。だからこれほど、この曲は、これほどまでに強力なメッセージ性を伴って、聞き手の心を大きく揺さぶるのだ。

「こんなにいい曲だったんだね。この曲」

 僕は、目の前でベンチに座る、薄手の長袖を着た彼女にそう声をかけた。

 彼女、星見さんは、僕に気づくと、一瞬だけ驚いたような顔を浮かべた。そして気まずそうな顔で笑いながら、僕の目を見て言った。

「ありがとう。私がさ、ずっと大好きなバンドなんだ。やっと良さ、分かってくれたんだね」
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