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第18話 時坂杏奈と飲み友だち
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【登場人物】
時坂杏奈……二十三歳。無職。勇者。罰当たり。
ジン=レイ……二十四歳。ユーレリア神教ワルダラット支部所属の神務官。
ユーレリア……異世界ヴァンダリーアを統べる女神。
「罰当たり? ちょっと待って、ちょっと待って。やっぱアレ、マズかった? でもさ、あの場合、仕方無くない?……ユーレリア、許してくれるかなぁ」
杏奈は何も無い空を見ながら、ちょっと不安げな表情を浮かべた。
勇者・時坂杏奈とユーレリア神教の神務官、ジン=レイは、夕刻、リステアの町に入った。
この町の神殿に、報告がてら宿泊するというジンを見送ってから、杏奈は大通り沿いの建物に入った。
この世界の宿泊場所は、一階が食堂で、二階が宿というタイプが多い。
宿泊のみという建物は、なかなか見かけない。
『宿泊代も食事代も、全部うちの店で落としていけ』という考えなのだろう。
杏奈は入り口で、二階の宿の予約をして、そのまま食堂フロアに入った。
奥の方のテーブル席に空きを見つけた杏奈は、席に座ってすぐウェイトレスを呼ぶ。
「おすすめ料理、あります?」
「そうですね。では、ライムラットステーキはいかがですか?」
「ライムラット……。うん、じゃ、それを一つ。それと、ここの地酒ってある?」
「ありますよ、とっておきのが」
「いいね。じゃ、それを一つ頂こっかな」
『お酒、二つにしてください』
杏奈の真後ろから、若い女性の声が割り込む。
杏奈がびっくりして振り返ると、そこに白いローブを着た女性が立っている。
魔法使いだ。
思わず、杏奈の表情がゲンナリ顔になる。
「あんたなんで……」
「二つで?」
『二つで』
「では、ただいまお待ちしまーーす」
ウェイトレスは、白ローブの人物との会話を終えると、杏奈の困惑を気にも止めず、厨房に去っていく。
笑顔でウェイトレスを見送った魔法使いは、さも当たり前のように、杏奈の対面の席に座った。
白いローブを着た魔法使いは……女神ユーレリアだった。
杏奈が小声で話しかける。
「あのさ、あんたそんなヒョイヒョイこっちに現れてさ。ひょっとして暇なの?」
『とんでもない。毎日忙しく過ごしていますよ』
「どーだか。にしても、あんた見られて平気なの?」
『堂々としていると、案外分からないものです』
女神は、テーブルに置かれたオシボリで手を拭きながら、澄まし顔で答えた。
ちょうどそこに、ウェイトレスがやってくる。
「お待たせしました。地酒、『女神のためいき』です」
「ぶっ!」
ウェイトレスの持ってきた地酒の名称に、杏奈は思わず吹いた。
だが、ウェイトレスはそんな杏奈の奇態を気にすることなく、テーブルに酒とコップを二組置く。
「こちら、肴の『リクナ』の塩辛です。このお酒に、とっても合うんですよ」
「あぁそう。ありがと」
杏奈は、ウェイトレスが去るのを待って、ユーレリアの方を向いた。
「え? 知ってた?」
『いいえ、初耳ですわね。奉納金代わりに、マルシー付けてもらわないと』
女神ユーレリアは、本気だか冗談だか良く分からないことを言うと、勝手に手酌で飲み始めた。
『あら美味し♪』
あっという間に一杯目を干したユーレリアが、二杯目を注ぐ。
『杏奈さん、これ、いけますよ』
「ちょっと。説明の途中よ?」
『あぁ、そうでした。わたしは、あの虹色の玉について杏奈さんに文句を……言うだけ無駄ですね。ま、古の勇者たちも、今代の勇者を助ける為ならと力を貸してくれるでしょう。説教したところで、あなたどうせ聞く耳持たないでしょうし』
「なんか、ひどい言われようだけどさ。言っとくけど、あれは緊急回避だったのよ? せっかく聖武器使いが勇者パーティに入ったのに、その日の内に死亡するのは、女神的にも避けたいとこでしょ? だからわたしとしては……ちょっとあんた、聞いてる?」
『聞いてますよー、あははー』
よく見ると、ユーレリアの顔が真っ赤だ。
意外と弱いらしい。
たった二杯でこれだ。
「まったくもう。酔っ払い女神なんて、聞いたことないわよ」
杏奈はため息を一つつくと、自分の分の地酒をコップに注いだ。
「あらホントだ。美味しい」
そこへ、ウェイトレスが料理を運んでくる。
「ライムラットステーキ、お待ちしました。熱いので、お気をつけ下さい」
『んふふふふふ。美味しそうですねぇ、それ。一口頂いていい?』
「えぇ? しょうがないなぁ。はい、どうぞ」
杏奈はナイフで切った中の一切れを小皿に入れて、ユーレリアの前に置いた。
間髪入れず、女神が肉を手でつまんで自分の口に放り込む。
「ちょっと! お行儀悪いなぁ」
『美味しい。これまた、お酒に合うにゃーー』
注いであった酒をグっと飲み干す。
ぷはーー。
電池が切れたような動きをし、ユーレリアはテーブルに突っ伏した。
すぅ。すぅ。すぅ……。
「寝てるし。お酒、弱すぎよ。っていうか、なーにが『にゃーー』よ。
酔っ払いめ」
言ってる杏奈の顔も、すでに真っ赤だ。
だんだん目が座ってくる。
「でも、確かにこのスパイシーなお料理は、お酒に会うわね」
杏奈も目の前のお酒をグっと飲み干す。
ぷふーー。
「あぁ、こりゃダメだ。回ってきたぞーー。わたしも眠くなってきちゃった」
ちょっとだけ、ちょっとだけ。
杏奈もゆっくり、机に突っ伏した。
ススっ。ススっ。ピーーーーン。
杏奈は異変を感じ、跳ね起きた。
そこにいる男と、わずか、二メートルほどの距離で目が合う。
アゴヒゲの生えた引き締まったボディの男が、杏奈の財布を握っている。
だが杏奈の財布にはヒモが結んであり、ヒモは杏奈の懐まで伸びている。
ピーンと張ったヒモが、財布が盗られつつあることを教えてくれたのだ。
一瞬の判断か、男は杏奈の財布を手放し、逃走した。
杏奈も慌てて追いかけようとするが、酒の影響で足が絡まる。
と、いきなり意識がクリアになった。
『杏奈しゃん、追ってくやしゃい!』
真っ赤な顔をしたユーレリアが、杏奈を指差している。
酔っ払いながらも、杏奈の体から酒気を抜いたらしい。
だが、ユーレリア自身はまだ、かなり酔っ払っている。
テーブルに突っ伏して寝ていたからか、そのおでこには、テーブルの微かなデコボコが転写されている。
「さんきゅ、ユーレリア!」
杏奈は、走って追いかけた。
男の足が疾い。
夜とはいえ、繁華街となっているからか、この時間でも人がたくさん歩いている。
そんな中を走ることによほど慣れているのか、盗人は、道の混み具合を全く苦にすることなく、人々を縫うように走る。
逃走スピードが落ちない。
このままでは逃げられてしまう。
だが、杏奈は男の顔をしっかり見ていた。
立ち止まって、左手首を軽く振る。
スリングショットが一瞬でセットされる。
杏奈は、明後日の方向に狙いを定めた。
目をつぶり、まぶたの裏に、男の顔を思い浮かべる。
シュート!
杏奈の放った鉄球は、大通りに建つ建物の外壁を幾つか跳弾し、前方のどこかに消えた。
と。
「がっ!」
遠くで誰かの声がした。
しばらくして杏奈が声のしたところに着くと、そこに人垣が出来ていた。
割って入ると、そこに男がうつ伏せで倒れている。
どうやら、気を失っているようだ。
横顔を確認する。
間違いない。
あの盗人だ。
杏奈の顔に悪魔の笑みが浮かぶ。
「ごめんなさーーい、彼、酔っ払っちゃって。ちょっと運んでくださる?」
杏奈は野次馬にお願いし、盗人を無事回収した。
気絶から回復したようで、男がゆっくり目を開く。
手を動かそうとして、全く動かないことに気付く。
後ろ手に縛られている?
動揺して辺りを見回す。
どうやら、どこかの宿の、ベッドの柱に縛り付けられているようだ。
と、ドアが開いて、女性が二人入ってきた。
「あ、起きた?」
小さい方のメガネを掛けた女が、男の前の椅子に座る。
もう一人、金髪ロングの美人が、小さい方のそばに立つ。
「名前、教えてもらえる?」
小さい女が猫なで声で話しかける。
誰が言うものか。
隙を見て、逃げ出してやる。
『ラウル=ヴァーミリオン。職業、盗賊。三十一歳、独身』
金髪ロングの女がボソっとつぶやく。
なぜ分かる?
男の顔に動揺が走る。
「まさか、オレの思考が読めるのか?」
「そういうこと。逃げようなんて考えない方がいいわよ。あぁ、わたし、時坂杏奈。勇者やってんの。ねぇ、ラウルさん。これ……なに? あんたのポケットを探ったら出てきたんだけど」
杏奈がテーブルに、淡い紫色の根付を置く。心を読まれるくらいなら、と思ったのか、ラウルが口を開く。
「イヴリンの花祭りで、酔っ払って広場の隅っこで寝てたお姉ちゃんから頂戴したもんだ。財布は中身だけ取って捨てたけどな。ずいぶんいっぱい入ってて、ウハウハだったぜ。金はもう、全部使い切っちまったが、なんか妙に気になって、その根付だけは捨てられなかったんだ」
「その苦い経験があったから、財布にヒモを付けるようにしたわけよ、わたしは」
ラウルが杏奈の顔を見る。
「まさか……あのときのお姉ちゃんなのか?」
「そういうこと。会いたかったわよーー」
杏奈の目が物騒な色を帯びる。
次の瞬間、杏奈の右ストレートがラウルの顔面にヒットした。
「いってぇ!」
『杏奈さん!』
「大丈夫、分かってる。あんな所で寝たのが悪い。悪いのはわたし。自業自得。だから、この一発でチャラ。根付が戻ってきただけで十分よ。……ユーレリア、彼のヒモ、解いてやってくれる?」
杏奈はため息を一つつき、ユーレリアに向き直った。
女神ユーレリアは、黙って右手の人差し指を立てた。
プツン。
触ってもいないのに、ラウルの手を縛っていたヒモが切れた。
ラウルは、ヒモの痕が付いてしまった手首をさすった。
問題なく手が動くかどうか、念入りに確認する。
「……いいのかよ」
「何が?」
「オレをここで逃しちまってってことだ」
「二度目の盗難は防げたし、一度目の復讐は果たした。うん、問題無いわね」
「お前は自称、勇者なんだろう? ここで逃げたオレが、他の誰かの財布を盗るとは思わないのか?」
「そしたら、盗られた人が泣けばいいだけ。油断するのが悪い。それに、取り締まるのは町の保安官でしょ? わたしは勇者ではあるけれど、その力は、対、魔王に全振りしてあるわ。人と人との争いには興味無い」
「ドライなこって」
ラウルが窓に近寄り、開けた。
夜風が涼しい。
振り返る。
「保安官に捕まれば、縛り首が待ってる身だ。礼を言う。もし、あんたがピンチのときにまた偶然、こんな風に出くわすことがあったなら。その時は、必ず借りを返す。じゃあな」
ラウルは窓から飛び降り、夜の町に消えた。
「……なに?」
ユーレリアの視線に違和感を感じた杏奈が問い掛ける。
視線の先は、根付だ。
「これ? なんかあるの?」
『……賢者イルマ=ハーヴィスト作ですか』
「知ってる? って当たり前か。前の勇者のパーティメンバーだもんね」
『えげつないもの作るなぁ……』
「え? どういうこと? なんか身につけてるとまずいの?」
『いえいえ、どちらかというと真逆です。幸運をもたらしてくれますよ……あなたには』
ずいぶんとまた、引っ掛かる言い方をする。
『そんなことより、良かったんですか? 杏奈さん』
「え? なにが?」
一気に引き戻される。
『先ほどの、盗賊ラウルのことですよ』
「あぁ。うん、いいのよ。今回のこの件で、多少は窃盗を控えるでしょうよ。さ、夜はまだまだよ? 一階で飲み直しましょ。ただし、今度は、ほどほどにね」
『はい! 杏奈しゃん!』
女神ユーレリアの顔が満面の笑みを讃える。
杏奈はユーレリアと、再び食堂に向かった。
時坂杏奈……二十三歳。無職。勇者。罰当たり。
ジン=レイ……二十四歳。ユーレリア神教ワルダラット支部所属の神務官。
ユーレリア……異世界ヴァンダリーアを統べる女神。
「罰当たり? ちょっと待って、ちょっと待って。やっぱアレ、マズかった? でもさ、あの場合、仕方無くない?……ユーレリア、許してくれるかなぁ」
杏奈は何も無い空を見ながら、ちょっと不安げな表情を浮かべた。
勇者・時坂杏奈とユーレリア神教の神務官、ジン=レイは、夕刻、リステアの町に入った。
この町の神殿に、報告がてら宿泊するというジンを見送ってから、杏奈は大通り沿いの建物に入った。
この世界の宿泊場所は、一階が食堂で、二階が宿というタイプが多い。
宿泊のみという建物は、なかなか見かけない。
『宿泊代も食事代も、全部うちの店で落としていけ』という考えなのだろう。
杏奈は入り口で、二階の宿の予約をして、そのまま食堂フロアに入った。
奥の方のテーブル席に空きを見つけた杏奈は、席に座ってすぐウェイトレスを呼ぶ。
「おすすめ料理、あります?」
「そうですね。では、ライムラットステーキはいかがですか?」
「ライムラット……。うん、じゃ、それを一つ。それと、ここの地酒ってある?」
「ありますよ、とっておきのが」
「いいね。じゃ、それを一つ頂こっかな」
『お酒、二つにしてください』
杏奈の真後ろから、若い女性の声が割り込む。
杏奈がびっくりして振り返ると、そこに白いローブを着た女性が立っている。
魔法使いだ。
思わず、杏奈の表情がゲンナリ顔になる。
「あんたなんで……」
「二つで?」
『二つで』
「では、ただいまお待ちしまーーす」
ウェイトレスは、白ローブの人物との会話を終えると、杏奈の困惑を気にも止めず、厨房に去っていく。
笑顔でウェイトレスを見送った魔法使いは、さも当たり前のように、杏奈の対面の席に座った。
白いローブを着た魔法使いは……女神ユーレリアだった。
杏奈が小声で話しかける。
「あのさ、あんたそんなヒョイヒョイこっちに現れてさ。ひょっとして暇なの?」
『とんでもない。毎日忙しく過ごしていますよ』
「どーだか。にしても、あんた見られて平気なの?」
『堂々としていると、案外分からないものです』
女神は、テーブルに置かれたオシボリで手を拭きながら、澄まし顔で答えた。
ちょうどそこに、ウェイトレスがやってくる。
「お待たせしました。地酒、『女神のためいき』です」
「ぶっ!」
ウェイトレスの持ってきた地酒の名称に、杏奈は思わず吹いた。
だが、ウェイトレスはそんな杏奈の奇態を気にすることなく、テーブルに酒とコップを二組置く。
「こちら、肴の『リクナ』の塩辛です。このお酒に、とっても合うんですよ」
「あぁそう。ありがと」
杏奈は、ウェイトレスが去るのを待って、ユーレリアの方を向いた。
「え? 知ってた?」
『いいえ、初耳ですわね。奉納金代わりに、マルシー付けてもらわないと』
女神ユーレリアは、本気だか冗談だか良く分からないことを言うと、勝手に手酌で飲み始めた。
『あら美味し♪』
あっという間に一杯目を干したユーレリアが、二杯目を注ぐ。
『杏奈さん、これ、いけますよ』
「ちょっと。説明の途中よ?」
『あぁ、そうでした。わたしは、あの虹色の玉について杏奈さんに文句を……言うだけ無駄ですね。ま、古の勇者たちも、今代の勇者を助ける為ならと力を貸してくれるでしょう。説教したところで、あなたどうせ聞く耳持たないでしょうし』
「なんか、ひどい言われようだけどさ。言っとくけど、あれは緊急回避だったのよ? せっかく聖武器使いが勇者パーティに入ったのに、その日の内に死亡するのは、女神的にも避けたいとこでしょ? だからわたしとしては……ちょっとあんた、聞いてる?」
『聞いてますよー、あははー』
よく見ると、ユーレリアの顔が真っ赤だ。
意外と弱いらしい。
たった二杯でこれだ。
「まったくもう。酔っ払い女神なんて、聞いたことないわよ」
杏奈はため息を一つつくと、自分の分の地酒をコップに注いだ。
「あらホントだ。美味しい」
そこへ、ウェイトレスが料理を運んでくる。
「ライムラットステーキ、お待ちしました。熱いので、お気をつけ下さい」
『んふふふふふ。美味しそうですねぇ、それ。一口頂いていい?』
「えぇ? しょうがないなぁ。はい、どうぞ」
杏奈はナイフで切った中の一切れを小皿に入れて、ユーレリアの前に置いた。
間髪入れず、女神が肉を手でつまんで自分の口に放り込む。
「ちょっと! お行儀悪いなぁ」
『美味しい。これまた、お酒に合うにゃーー』
注いであった酒をグっと飲み干す。
ぷはーー。
電池が切れたような動きをし、ユーレリアはテーブルに突っ伏した。
すぅ。すぅ。すぅ……。
「寝てるし。お酒、弱すぎよ。っていうか、なーにが『にゃーー』よ。
酔っ払いめ」
言ってる杏奈の顔も、すでに真っ赤だ。
だんだん目が座ってくる。
「でも、確かにこのスパイシーなお料理は、お酒に会うわね」
杏奈も目の前のお酒をグっと飲み干す。
ぷふーー。
「あぁ、こりゃダメだ。回ってきたぞーー。わたしも眠くなってきちゃった」
ちょっとだけ、ちょっとだけ。
杏奈もゆっくり、机に突っ伏した。
ススっ。ススっ。ピーーーーン。
杏奈は異変を感じ、跳ね起きた。
そこにいる男と、わずか、二メートルほどの距離で目が合う。
アゴヒゲの生えた引き締まったボディの男が、杏奈の財布を握っている。
だが杏奈の財布にはヒモが結んであり、ヒモは杏奈の懐まで伸びている。
ピーンと張ったヒモが、財布が盗られつつあることを教えてくれたのだ。
一瞬の判断か、男は杏奈の財布を手放し、逃走した。
杏奈も慌てて追いかけようとするが、酒の影響で足が絡まる。
と、いきなり意識がクリアになった。
『杏奈しゃん、追ってくやしゃい!』
真っ赤な顔をしたユーレリアが、杏奈を指差している。
酔っ払いながらも、杏奈の体から酒気を抜いたらしい。
だが、ユーレリア自身はまだ、かなり酔っ払っている。
テーブルに突っ伏して寝ていたからか、そのおでこには、テーブルの微かなデコボコが転写されている。
「さんきゅ、ユーレリア!」
杏奈は、走って追いかけた。
男の足が疾い。
夜とはいえ、繁華街となっているからか、この時間でも人がたくさん歩いている。
そんな中を走ることによほど慣れているのか、盗人は、道の混み具合を全く苦にすることなく、人々を縫うように走る。
逃走スピードが落ちない。
このままでは逃げられてしまう。
だが、杏奈は男の顔をしっかり見ていた。
立ち止まって、左手首を軽く振る。
スリングショットが一瞬でセットされる。
杏奈は、明後日の方向に狙いを定めた。
目をつぶり、まぶたの裏に、男の顔を思い浮かべる。
シュート!
杏奈の放った鉄球は、大通りに建つ建物の外壁を幾つか跳弾し、前方のどこかに消えた。
と。
「がっ!」
遠くで誰かの声がした。
しばらくして杏奈が声のしたところに着くと、そこに人垣が出来ていた。
割って入ると、そこに男がうつ伏せで倒れている。
どうやら、気を失っているようだ。
横顔を確認する。
間違いない。
あの盗人だ。
杏奈の顔に悪魔の笑みが浮かぶ。
「ごめんなさーーい、彼、酔っ払っちゃって。ちょっと運んでくださる?」
杏奈は野次馬にお願いし、盗人を無事回収した。
気絶から回復したようで、男がゆっくり目を開く。
手を動かそうとして、全く動かないことに気付く。
後ろ手に縛られている?
動揺して辺りを見回す。
どうやら、どこかの宿の、ベッドの柱に縛り付けられているようだ。
と、ドアが開いて、女性が二人入ってきた。
「あ、起きた?」
小さい方のメガネを掛けた女が、男の前の椅子に座る。
もう一人、金髪ロングの美人が、小さい方のそばに立つ。
「名前、教えてもらえる?」
小さい女が猫なで声で話しかける。
誰が言うものか。
隙を見て、逃げ出してやる。
『ラウル=ヴァーミリオン。職業、盗賊。三十一歳、独身』
金髪ロングの女がボソっとつぶやく。
なぜ分かる?
男の顔に動揺が走る。
「まさか、オレの思考が読めるのか?」
「そういうこと。逃げようなんて考えない方がいいわよ。あぁ、わたし、時坂杏奈。勇者やってんの。ねぇ、ラウルさん。これ……なに? あんたのポケットを探ったら出てきたんだけど」
杏奈がテーブルに、淡い紫色の根付を置く。心を読まれるくらいなら、と思ったのか、ラウルが口を開く。
「イヴリンの花祭りで、酔っ払って広場の隅っこで寝てたお姉ちゃんから頂戴したもんだ。財布は中身だけ取って捨てたけどな。ずいぶんいっぱい入ってて、ウハウハだったぜ。金はもう、全部使い切っちまったが、なんか妙に気になって、その根付だけは捨てられなかったんだ」
「その苦い経験があったから、財布にヒモを付けるようにしたわけよ、わたしは」
ラウルが杏奈の顔を見る。
「まさか……あのときのお姉ちゃんなのか?」
「そういうこと。会いたかったわよーー」
杏奈の目が物騒な色を帯びる。
次の瞬間、杏奈の右ストレートがラウルの顔面にヒットした。
「いってぇ!」
『杏奈さん!』
「大丈夫、分かってる。あんな所で寝たのが悪い。悪いのはわたし。自業自得。だから、この一発でチャラ。根付が戻ってきただけで十分よ。……ユーレリア、彼のヒモ、解いてやってくれる?」
杏奈はため息を一つつき、ユーレリアに向き直った。
女神ユーレリアは、黙って右手の人差し指を立てた。
プツン。
触ってもいないのに、ラウルの手を縛っていたヒモが切れた。
ラウルは、ヒモの痕が付いてしまった手首をさすった。
問題なく手が動くかどうか、念入りに確認する。
「……いいのかよ」
「何が?」
「オレをここで逃しちまってってことだ」
「二度目の盗難は防げたし、一度目の復讐は果たした。うん、問題無いわね」
「お前は自称、勇者なんだろう? ここで逃げたオレが、他の誰かの財布を盗るとは思わないのか?」
「そしたら、盗られた人が泣けばいいだけ。油断するのが悪い。それに、取り締まるのは町の保安官でしょ? わたしは勇者ではあるけれど、その力は、対、魔王に全振りしてあるわ。人と人との争いには興味無い」
「ドライなこって」
ラウルが窓に近寄り、開けた。
夜風が涼しい。
振り返る。
「保安官に捕まれば、縛り首が待ってる身だ。礼を言う。もし、あんたがピンチのときにまた偶然、こんな風に出くわすことがあったなら。その時は、必ず借りを返す。じゃあな」
ラウルは窓から飛び降り、夜の町に消えた。
「……なに?」
ユーレリアの視線に違和感を感じた杏奈が問い掛ける。
視線の先は、根付だ。
「これ? なんかあるの?」
『……賢者イルマ=ハーヴィスト作ですか』
「知ってる? って当たり前か。前の勇者のパーティメンバーだもんね」
『えげつないもの作るなぁ……』
「え? どういうこと? なんか身につけてるとまずいの?」
『いえいえ、どちらかというと真逆です。幸運をもたらしてくれますよ……あなたには』
ずいぶんとまた、引っ掛かる言い方をする。
『そんなことより、良かったんですか? 杏奈さん』
「え? なにが?」
一気に引き戻される。
『先ほどの、盗賊ラウルのことですよ』
「あぁ。うん、いいのよ。今回のこの件で、多少は窃盗を控えるでしょうよ。さ、夜はまだまだよ? 一階で飲み直しましょ。ただし、今度は、ほどほどにね」
『はい! 杏奈しゃん!』
女神ユーレリアの顔が満面の笑みを讃える。
杏奈はユーレリアと、再び食堂に向かった。
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